6.夫の死
アーサーは、従者とともにロックウッド侯爵家に向かう予定だった。屋敷から出てきたアーサーを尾行すれば、事故現場に居合わせられる。レイモンド子爵家の王都の屋敷は市街地にあり、その周辺には雑貨店、食料品店、カフェなどが営業している。フィオナは屋敷の正門を見渡せるカフェでアーサーを待つことにした。
古いカフェの入口には、かすれた文字の看板が風に揺れていた。
店内には、深煎りコーヒーと焼きたてのパンの香りが充満していた。白い壁には古いメニューがかけてある。傷の刻まれた木製テーブルが、祖父の屋敷のテーブルのようで懐かしかった。
フィオナは席に着くと、初老のウェイターを呼び、飲み物を注文した。ウェイターがカウンターに入ったことを確認した後、フィオナはヨハンに向き直った。
「ヨハン、あなたは私の実家で暮らしていた。ということは、カルネラ家の家業は知っているわよね?」
ヨハンはこくりと頷いた。カルネラ子爵家は国内外の諜報活動の功績を認められ、ルビアン国王から爵位を賜わった。汚れ役に爵位は相応しくない、とカルネラ子爵家を見下す貴族は多い。貴族子女が通う王立初等学院において、ヨハンは恰好の虐めの対象であろう。かつてのフィオナのように。
「初等学院は辛くない?」
フィオナの問いかけに、「いえ」とヨハンは愛想笑いを浮かべた。幼い息子に後ろめたい人生を歩ませてしまったことが心苦しかった。
アーサーを救う最善の方法は、レイモンド子爵家を継がせないこと。しかし、アーサーをカルネラ子爵家の婿養子にすれば、ルビアン王国の貴族から蔑みの目で見られることになる。フィオナは小さくため息をついた。
「たしかに、学院にはお母様の悪口を言う生徒はいます。でも、同じくらい、お母様を讃える生徒もいます。お母様のおかげで、仲のいい友達ができました」
ヨハンは頭をかいた。気遣ったつもりだったが、逆にヨハンに気を使わせてしまったようだ。
それよりもフィオナは、ヨハンが「カルネラ子爵家の悪口」ではなく「お母様の悪口」と言ったことが気になった。
ウェイターが飲み物をトレイに載せてテーブルにきた。慣れた手付きで、フィオナの前にコーヒーを、ヨハンの前にミルクを置くと、ウェイターは礼をしてカウンターへ下がっていった。
「ねえ、なぜ私の悪口なの?」
「それは……お母様がカルネラ家の当主だからです。お母様がカルネラ伯爵です」
カルネラ家は弟のジャンが継ぐ予定だった。なぜジャンではなく、フィオナが当主になったのか。それに子爵ではなく、伯爵になっている。
「ジャンはどうしたの?」
「叔父はある任務で大けがを負い、子爵としての務めができなくなりました。叔父の息子が成人するまで、という条件でお母様が子爵を引き継ぎました。そして、お母様が当主となってから、カルネラ家はルビアン王国内での地位を上げました」
フィオナは、第二王子が画策した謀反の情報をつかみ、ルビアン王国の混乱を未然に防いだ。その功績を認められ、国王から伯爵位を与えられたそうだ。
「私がレイモンド子爵家に残ったら、謀反を止められない。カルネラ家に戻れということかしら?」
フィオナは長いため息をついた。ヨハンは頬に手をやってごまかすように笑った。
フィオナがカップの縁を指でなぞっていたら、屋敷の正門が開いて、アーサーの馬車が出てきた。
「いくわよ」とフィオナが席を立つと、ヨハンは小さく頷いた。
**
馬車は通行人を避けながら、市街地をゆっくりと走った。馬車の速度は徒歩と同じだから、見失うことはない。フィオナとヨハンは馬車から距離をとって、後を追った。
角を右折したところで馬車は止まった。通りに人だかりができており、騒ぎの中心には、肉屋の店主と若い男が言い争っていた。
アーサーは馬車を降りた。ロックウッド侯爵家まで歩くようだ。
「揉め事に関わらないでよ……」
フィオナの願いは叶わず、アーサーは人だかりに歩いていった。
「ふざけんな、テメェ!」
「うちの肉にケチつけるたぁ、いい度胸じゃねえか!」
腕の太い店主と、派手なシャツを着た若い男。店主は血の気が多く、若い男も引く気配がない。今にも殴り合いになりそうな空気が流れていた。
アーサーは二人に近づくと、愛想笑いを浮かべた。
「二人とも、落ち着きませんか」
店主と若い男が振り返った。若い男は舌打ちしたが、店主は目を丸くした。店主はアーサーを知っているようだ。
「アーサー様には関係ねぇ。引っ込んでてくれ」
店主はアーサーから視線を逸らした。
「いえ、通行に支障がでています。何があったのですか?」
二人の間に入ったアーサーは、頭をかいた。
「こいつが、買った肉が腐ってると、因縁つけてきやがったんです」
店主が鼻で笑った。
「変な臭いがするんだ。ほら」
若い男が肉の包を差し出すと、シャツがめくれた。男の左腕には、星形の入れ墨。黒髪の女と同じ模様の入れ墨だった。
この並行世界では火事は起こらない。アーサーを死に追いやるのは、あの男だ。
アーサーが臭いを嗅ごうと近づいたら、若い男は懐からナイフを出した。フィオナは髪飾りに隠した寸鉄に手をやるが、野次馬が多すぎて投げられない。
「アーサー、逃げて!」
フィオナが飛び出したら、男のナイフがアーサーの胸に突き刺さった。アーサーは地面に向かって、ゆっくりと崩れた。
「アーサー、アーサー!」
フィオナはアーサーに駆け寄った。白い上着に深紅が広がっていく。ナイフを抜くと、胸から赤い飛沫が噴き出した。血が止まらない。
「どうして?」
フィオナの手を握りしめると、アーサーは表情を歪めた。
「困っている人をほっとけないよ」アーサーがぎこちなく笑ったら、フィオナが握りしめた手から力が抜けた。
**
「お母様、もう一度、今朝に戻りますか?」
アーサーの遺体が置かれた寝室で、ヨハンは表情を変えずに尋ねた。
フィオナは唇を軽くかんだ。アーティファクトで遡るのは、なるべく短い期間のほうがいい。もう一度試すべきかもしれないが、アーサーの死の悲しみを何度も受け入れられない。フィオナは深く息を吐き出した。
「いえ、三年前に行きましょう。アーサーがレイモンド子爵家を継ぐ前に、カルネラ子爵家に連れていきます」
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