5.並行世界
「あなたの世界とこの世界は違うようね。どの世界でもアーサーは死ぬ運命なのかしら?」
「それはわかりません。お父様の死が確定していなければ、変えられます」
「確定していなければ? もう少しわかりやすく言いなさい!」
フィオナに怒られたヨハンは首をすくめて、説明を続けた。
「まず、世界は一つではありません。同じ時間軸の中に、複数の並行世界が存在します。僕の世界ではお父様は馬車の乗客を助け、この世界ではお父様は僕を助けました。この2つは別の並行世界です」
「そうね」
「そして、並行世界とは別に、必ずそれが起こる、歴史上の確定事項があります。もし、お父様の死が確定事項でなければ、お父様が死ぬ世界とお父様が生き残る世界は並行世界です」
「アーサーが死なない世界があるのね?」
「そうです。しかし、お父様の死が確定していれば、お父様が生き残る並行世界は存在しません」
ヨハンは息を吐き出した。
フィオナはヨハンの説明の半分くらいしか理解できなかったけれど、今はともかくアーサーを助ける方法を知りたかった。
「アーサーを助けることはできないの?」
「お父様の死が確定する前まで遡って、その原因を取り除けば救えます」
「たとえば?」
「そうですね……たとえば、お父様がレイモンド子爵家を継がない、でしょうか」
アーサーがレイモンド子爵家の後継者になったのは三年前、二十二歳のときだ。ミカエルかモーリスが強盗を雇ってアーサーを殺害したのであれば、犯人の目的はレイモンド子爵家の家督を継ぐこと。アーサーがレイモンド子爵家の後継者にならなければ、生き残る可能性はある。
それに、ヨハンの話によれば、アーサーの死後にフィオナは実家のカルネラ子爵家に戻っている。レイモンド子爵家にいる必要がないのなら、アーサーをカルネラ子爵家に婿入りさせればいい。
方針は決まった。フィオナはまず、アーサーが死なない並行世界が存在するかを確かめることにした。歴史を変えるのは、できるだけ短い期間のほうがいいからだ。
そして、アーサーの死が確定事項であれば、家督争いの原因である三年前に遡ることにする。
「よくわかったわ。あなた、賢いのね」
「お母様に教えていただきましたから」
ヨハンの声が明るくなった。頼もしい息子に育ったと眺めていたら、フィオナは口元がゆるんだ。
「ねえ。現時点において、アーサーの死は確定事項かしら?」
「その可能性は高いです。刺客は毒殺を試みて、失敗するとナイフで強襲しました。しかも、ナイフを二本も用意していました」
「そうね。でも、暗殺者ならナイフを二本持っていても、変ではない。確定事項とみなすには、まだ早い。ヨハン、今朝に戻れるかしら?」
フィオナはぼんやりと前を見た。視線の先には風にあおられたカーテンが揺れていた。
「戻れます。ただ、またお父様が亡くなったら……お母様は悲しくないのですか?」
「悲しい。でも、大きく歴史を変えないために、遡る時間は短いほうがいい。そうでしょ?」
少し眉をひそめてから、「そうですね」とヨハンは頭をかいた。
ヨハンはフィオナの手を握った。首から下げていた古い鍵を前に差し出し、時計回りに回した。
カチリ――何もない空間から金属音が聞こえた。扉が開いたような音だった。
鍵を中心に空間が裂けると、黒い霧が流れ出した。霧はフィオナとヨハンを包み込んだ。
霧には何かの断片が映っていた。知らない人、知らない街、知らない声。どこかの風景だった。
地面がなくなり、落下する感覚がした。身体は重く、皮膚が突っ張る。視界が回転した。めまいがしてフィオナは目を閉じた。
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フィオナが目を開けると、アーサーの寝室に立っていた。ベッドにアーサーはいない。今朝に戻ったのか?
その疑問に答えるかのように、ヨハンが「着きました」と息を吐き出した。
「大丈夫?」と覗き込むフィオナに、「お母様と同時に移動したことがなかったので、緊張しました」とヨハンは苦笑いした。
続いてヨハンは、「一点注意してほしいことがあります。この世界にもお母様は存在しています。同じ世界にお母様は二人存在できません。もし、この世界のお母様に遭遇すると、二人とも消滅します。これだけは注意してください」と説明した。
フィオナは今朝の行動を思い返した。お茶会の支度があったから、朝は厨房で指示を出していた。そして、アーサーが運び込まれるまで、屋敷からは出なかった。つまり、居室と厨房を避けて屋敷の外に出てしまえば、自由に行動できる。
フィオナは倉庫に隠しておいた仕込み杖を取ると、ドレスの中に隠した。そして、ヨハンを連れて裏口から屋敷を出た。
この並行世界は少し特殊な設定にしています。並行世界は一定間隔で収束し、それぞれの記憶が共有されます。これは、五条紀夫さんの『流血マルチバース』を参考にしました。




