15.夫の死
フィオナは目を開けた。霧が晴れていく。見慣れた高い木々、隙間から陽がさしこんでいた。元の時代に戻ってきた。
足元の腐葉土は露を吸って柔らかかった。歩くたびに、重い音を立てて沈んだ。
倉庫からアーサーとピエールの娘を救出した後、フィオナは全員を貧民街の外まで護送した。アーサーは迷いの森とウィリアムの関係を知った。誘拐事件を起こしたウィリアムと交友関係を切るだろう。そうすれば、アーサーは謀反に関与しない。
「うまくいったかしら?」
フィオナはぎこちない笑みを浮かべ、ヨハンの手を取った。
「そのはずです。それにしても、お腹が空きました」
「私もペコペコ。きっと焼きたてのパンが、私たちの帰りを待っているわ」
鬱蒼とした緑のトンネルを抜けると、街道の先に石造りの屋敷が姿を現した。レイモンド子爵家だ。
屋敷の正門が開くと、中から馬車が出てきた。黒塗りの馬車の金の装飾が陽光を反射した。あの馬車にはアーサーが乗っている。
フィオナは馬車に歩いていくと、窓をこつんと叩いた。中からアーサーが顔を出した。
「アーサー、どちらに?」
フィオナは愛想笑いを浮かべた。
質問したものの、フィオナは答えを聞きたくなかった。行先がロックウッド侯爵家でなければ、どこでもいい。心臓の鼓動が速くなった。
「ロックウッド侯爵家だよ。言わなかったかな?」
目の前が真っ暗になった。ウィリアムとの関係を断つために、七年前に行った。誘拐事件に関わったウィリアムと、アーサーが付き合うはずがない。なにが間違っていたのか?
「そういえば、今日は指輪をしていないの?」
「指輪?」
「いや……何でもない」
アーサーは愛想笑いを浮かべた。
アーサーは謀反に加担する。また、アーサーを殺さなければならない。フィオナは目を合わせられず視線を逸らした。
「フィオナ、どうかしたの?」
アーサーはフィオナの顔を不安そうに見つめた。フィオナはアーサーの右頬に振れた。
「いえ、気をつけて」
フィオナは引きつった笑みを浮かべ、馬車でロックウッド侯爵家に向かうアーサーを見送った。
ヨハンがフィオナの手を握った。
「お母様……よろしいですか?」
アーサーの馬車を見つめる視界が、にじんで揺らいだ。
「ええ。ただし、未来に行って、アーサーが謀反に関わっているかを確認してからにしてもらえるかしら」
ヨハンは「わかりました」と頷いた。
**
自室で茶会までの時間を過ごすフィオナ。廊下を走る音が聞こえた。足音はフィオナの部屋に近づいてきた。心臓の鼓動が速くなった。
メアリーがノックもなしに、扉を開けた。
「奥様、大変です!」
メアリーは落ち着きなく口をパクパクさせて、フィオナに何かを伝えようとしていた。聞かなくてもわかった。メアリーから何度も伝えられた、アーサーの死。
天井の飾りをじっと見つめるフィオナの目には、涙の粒がこぼれそうに溜まっていた。
**
メアリーが退室した部屋で、フィオナはぼんやりと窓の外を眺めた。
薄く開けたカーテンの隙間から、芽吹いたばかりの新緑をまとった木々が見えた。枝先には小さな蕾がほころび始めていた。そろそろ花が咲く。何度も眺めた庭園なのに、初めて見る景色のようだった。
アーサーの死は確定事項ではない、とヨハンは言った。きっと、アーサーを救う手段はあるはずだ。
ウィリアムを殺せばいいのか?
第二王子派の中心人物のウィリアムがいなければ、謀反は起こらない。アーサーを救える。
フィオナにとってウィリアムの殺害は造作もないこと。しかし、侯爵家の後継ぎの暗殺は、ルビアン王国に大きな混乱をまねく。その後の歴史を大きく変えるかもしれないから、最終手段にするべきだろう。
フィオナにはまだ、試していないことが山ほどあった。全て試して、最後に残った選択肢がウィリアムの暗殺であれば、それがアーサーを救う解である。
フィオナは深く息を吐き出した。今回失敗した原因を分析する。
アーサーはウィリアムが迷いの森の関係者であり、犯罪に手を染めていることを知った。それなのに、アーサーはウィリアムとの交友関係を断たなかった。なぜ?
アーサーは困っている人を見捨てない。優しいアーサーはウィリアムに同情したのだろうか? それとも、ウィリアムの計画に賛同したのだろうか?
いずれにしても、第二王子派の謀反の原因が分からなければ、アーサーの死を回避できない。
フィオナはウィリアムの情報を頭の中で整理した。
ウィリアムはロックウッド侯爵と妾の間に生まれた庶子の長男である。ロックウッド侯爵と正妻との間には子が生まれず、長男のウィリアムがロックウッド侯爵家の家督を継ぐ予定であった。しかし、七年前、ロックウッド侯爵と正妻との間に嫡子が生まれた。
幼い嫡子と庶子のウィリアム、どちらが家督を継ぐかで争いになる可能性はあった。しかし、結論はすぐに出た。ロックウッド侯爵は高齢であったため、嫡子が成人するまで待てず、ウィリアムに家督を譲ることが決まったのだ。
嫡子が誕生したのに家督を継げない。正妻の生家はロックウッド侯爵に抗議した。
正妻の生家の抗議は、ウィリアムが庶子であることが問題であった。このため、ロックウッド侯爵は妾であったウィリアムの母を正妻に格上げし、ウィリアムを嫡男とした。しかし、正妻の生家は納得せず、双方の生家を巻き込んだ家督争いが続いていた。
ロックウッド侯爵家に嫡男が生まれたのが七年前。迷いの森が誕生したのも七年前である。ウィリアムが第二王子に接触したのは、その時期ではないだろうか?
フィオナは空になった陶器カップを指でなぞった。アーサーを救える可能性があるなら、ウィリアムを調べよう。何度でも過去に行けばいい。
窓の外に視線を移すと小鳥が新緑の木にとまった。しばらくすると、小鳥のさえずりが聞こえた。噴水の音も聞こえた。神経が研ぎ澄まされていく。胸の奥に静かな闘志が広がった。
「お母様、戻りました」
視線を扉に移すと、肩を落としたヨハンが立っていた。今回もヨハンに汚れ役をさせてしまった。フィオナは駆け寄って、ヨハンを抱きしめた。
「ごめんね。ヨハン」
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