12.貧民街
フィオナはシュルツ商会の男たちを追いかけた。馬車は繁華街を抜け、通行人の少ない通りに入った。あの先には貧民街しかない。
七年前の貧民街は、フィオナが記憶していたよりも大きかった。貧民街の建物は取り壊され、少しずつ庶民の暮らす住居に置き換わっていたからだ。
貧民、犯罪者が不法占拠した貧民街に、馬車が通ろうものなら、格好の餌食となる。護衛をつけても、どこから狙われるか分からない。立ち入ること自体が危険な場所だ。
服装を変えてよかった、とフィオナは胸をなでおろした。貧民街をドレスで歩くわけにはいかない。貴族のドレスは目立ちすぎるし、揉め事に巻き込まれると、動きが制限される服装は命取りになる。
陽が差し込まない薄暗い路地。石畳はひび割れ、あちらこちらに水が溜まっていた。腐った臭い、焦げた臭いが鼻を刺した。
狭い路地の陥没した地面に車輪がはまり、シュルツ商会の馬車は停車した。御者は何度も鞭で馬を叩いたが、車輪は地面の割れ目から出なかった。
壁にもたれた男が、ヤニで黒くなったパイプから煙を出し、虚ろな目をしていた。馬車から降りたシュルツ商会の男たちは、目を合わせず、足早に通り過ぎようとした。
「おい、どこに行くんだ?」
横道から出てきた人相の悪い男が二人、進路を塞いだ。手には短剣を持っていた。
シュルツ商会は身振り手振りで説明を試みたが、二人の男は剣を振りかざした。
フィオナは長いため息をついた。面倒事に巻き込まれたくはないが、アーサーが渡した封書が発端なのだから、放っておけない。
フィオナは駆け寄ると、仕込み杖で短剣を払い、柄の端で男の脇腹を突いた。
男は「ぐふっ」と呻き声をあげて、倒れ込んだ。
「このガキが!」
もう一人が短剣を振りかざして、突進してきた。フィオナが杖で男の手首を打つと、短剣が乾いた音を立てて落ちた。続けざま、男の膝を横薙ぎし、顎を下から突き上げた。男は泡を吹いて、膝から崩れ落ちた。
息を吐き出して呼吸を整えたフィオナは、シュルツ商会の男たちに視線を移した。
「ありがとうございます。助かりました」
帽子を取り深々と頭を下げた男は、ピエール・シュルツと名乗った。一代でシュルツ商会を成功させたやり手の当主。フィオナは参加した会合で、何度かピエールを見かけたことがあった。
「いえ、お気になさらず」
フィオナが愛想笑いすると、ピエールは目を丸くした。男装していたフィオナの声を聞いて、驚いたようだ。ピエールはフィオナの顔をじっと見つめた。
「ひょっとして、カルネラ嬢でしょうか?」
ピエールは頬に手をやってごまかすように笑った。
「いえ……まあ……はい」
曖昧にフィオナが呟くと、「ご無礼を、失礼いたしました」とピエールは片膝をついた。
「恥ずかしいから、やめてください。それよりも、こんな場所でどうされたのですか?」
ピエールに尋ねたフィオナだが、貧民街に不釣合いなのはお互い様である。ピエールはしばらくの沈黙のあと、口を開いた。
「娘を誘拐した、と『迷いの森』からの手紙が届きました。迷いの森は身代金の受け渡し場所として、貧民街の外れの倉庫を指定してきました」
迷いの森――約一年間だけ王都で活動していた犯罪組織、とフィオナは記憶していた。
貴族や商人を狙ったスリや窃盗、身代金目的の誘拐をしていた。盗んだ金品を貧民に分け与えていた、と聞いたことがあるから、義賊を気取った連中だろう。警備隊や騎士が捕まえた迷いの森のメンバーは、いずれも末端の構成員で、組織の幹部やトップにまで辿り着かなかった。そして、発足から約一年後、迷いの森は活動を停止した。
組織の内部抗争が起きた、隣国に拠点を移したなど、いろんな噂が広がった。が、フィオナにはどれも真実とは思えなかった。
アーサーは、ウィリアムに頼まれた封書を運んだ。その封書は迷いの森からの身代金要求だった。つまり、ウィリアムは迷いの森の関係者。アーサーも迷いの森に関係しているのか?
「手紙は迷いの森の構成員から受取ったのかしら?」
「いえ。手紙を持ってきた貴族のご子息は、知らない男から渡すように頼まれた、と言っていました」とピエールは首を横に振った。
フィオナはシュルツ商会の男たちを見回した。ピエールは武器を携帯しておらず、二人の男は棍棒しか持っていない。貧民街の奥に行くには軽装すぎた。
このまま奥に進んでも、身代金が入った鞄は間違いなく奪われるだろう。むしろ、それが迷いの森の狙いかもしれないのだが。貧民街の手下に身代金を奪わせれば、迷いの森は誘拐した娘を引渡すことなく、シュルツ商会に何度も金銭を要求できる。
「ねえ。あなたたちでは、倉庫に辿り着けそうにないと思うのだけれど。よかったら、倉庫まで護衛してあげましょうか?」
ピエールは目を丸くした。このまま奥に進むのは危険だと、ピエールは重々理解していた。しかし、誘拐された娘が心配で、引き返すわけにはいかない。短剣を持った男二人を瞬時に無力化したフィオナが護衛してくれれば、ピエールにとって心強い。
「よろしいのですか?」
「ええ、構わないわよ」
フィオナにとって、ウィリアムの犯行を知ることは重要だった。アーサーの死を回避することにつながる。
フィオナの真意を知らないピエールは、片膝をついて深々と頭を下げた。
「どのようなお礼でもいたします。私を助けてください」
「お礼はいいの。それよりも、棍棒とそのマスクを貸してもらえるかしら」
フィオナは馬車の窓から見えたカラスのくちばし型のマスクを指差した。ペスト(黒死病)を防ぐためのマスクは、顔を隠すのにちょうどいい。
棍棒は、敵を仕込み杖で殺さないための備えだった。七年前の人間を殺せば、フィオナの世界に影響が出るかもれない。




