第70話:日本のケジメと、異世界に捨てられた勘違い男
大和商事を退社し、香織さんを社長とする新しいベンチャー企業(裏の顔は英国との異世界独占貿易会社)を立ち上げてから数ヶ月。
俺たちの日常に、ついに地球側の「国家の影」がチラつき始めた。
「小林淳志さん、ですね。内閣情報調査室の渡会と申します」
オフィスの応接室に現れたのは、仕立ての良いスーツを着た、いかにもエリート風の神経質そうな男だった。
彼は名刺を差し出すなり、ソファにふんぞり返り、値踏みするような視線で俺と香織さんを交互に見た。
「単刀直入に伺います。アメリカのCIAから我が国に『小林淳志という日本人が英国で男爵位を受けており、日本の国益に反して英国のために何か裏工作をしている』と強い問い合わせが来ていましてね。……一体、英国の犬となって何をコソコソやっているんです?」
完全にこちらを下に見た、威圧的な態度だった。
俺と香織さんは顔を見合わせ、内心でため息をついた。英国の貿易ルートを怪しんでいたCIAが、ついに俺の身元を割り出し、同盟国である日本政府に圧力をかけてきたのだろう。
「お言葉ですが、渡会さん。我々は合法的に起業し、英国の企業とビジネスをしているだけです。国家の機密に関わるようなことは何もしていませんよ」
「ほう? しらばっくれる気ですか」
香織さんが冷ややかに追い返そうとすると、渡会は鼻で笑い、薄気味悪い笑みを浮かべた。
「これはアメリカからの強い要請でもあります。我が国としても、あなたの動きを放置するわけにはいかない。……もしあまりにも非協力的だというのなら、あなたの実のお兄様……大和商事の広志さんたちご家族の『平穏な生活』にも、少しばかり影響が出るかもしれませんよ?」
――ピタリ、と。
俺の中で、何かのスイッチが切れる音がした。
春香さんのお腹にいる新しい命。広志兄ちゃんと桜子の、温かくて平和なあの笑顔。それを、この薄ら笑いを浮かべる男は、俺を脅すためのダシに使ったのだ。
「……そうですか」
俺の声は、自分でも驚くほど低く、感情がすっぽりと抜け落ちていた。
「とりあえず、帰ってください。対応については、こちらで協議します」
「フン。賢明な判断をお待ちしていますよ、小林『男爵』」
勝ち誇ったように応接室を出ていく渡会を、俺は絶対零度の視線で見送った。
その足で俺は英国へ『転移』し、アトキンソン子爵の館へと向かった。
事態は俺の家族への脅迫だけにとどまらず、英国政府に対するアメリカやEUからの圧力も限界に達しつつあった。子爵と協議を重ねた結果、俺たちは一つの決断を下した。
「……よかろう。隠し通すには限界が来たようだ。少し早いが、秘密裏に『異世界』の存在を、一部の国にだけ明かすとしよう」
子爵は不敵に笑うと、すぐさま行動を起こした。
英国政府は極秘裏にアメリカ大使を呼び出し、信じがたい事実を通告したのだ。
『異世界は実在し、そことの通行ルートを構築できるのは我が英国の協力者のみである。異世界における一切の権益は、大英帝国に属する』と。
そして日本。
俺は渡会に電話をかけ、「お話しする準備ができました」と伝えた。ただし、条件をつけた。
『英国大使からも直接説明があるため、日本の防衛のトップ……防衛大臣の同席が必須だ』と。
英国大使が動くというハッタリ(半分本当だが)に慌てた日本政府は、極秘裏に防衛省の会議室に場を設けた。
数日後、会議室に呼び出された俺を待っていたのは、初老で威厳のある防衛大臣と、相変わらず偉そうにふんぞり返っている渡会だった。
「さて、小林くん。英国を後ろ盾にして随分と大掛かりな舞台を用意したようだが……」
渡会がニヤニヤと笑いながら口を開いた。だが、俺は彼を完全に無視し、防衛大臣に向かって真っ直ぐに口を開いた。
「大臣さん。隣にいるコイツ、先日、私の親族を人質に取るようなセリフを吐いたんですがね。……それが日本の、国のトップとしての考えだと言うなら、上等ですよ?」
俺の突然の言葉に、大臣は眉をひそめて渡会をギロリと睨んだ。渡会が「なっ……」と慌てるのを余所に、俺は続ける。
「英国にはすでに了解を取ってあります。今後の異世界との交易について、権益を持つ英国および『私の権限』において……今後一切、日本は関わらせない。それでも良いですね?」
「何言ってるんだ貴様! 異世界だと? 頭がおかしいんじゃないか!?」
渡会がバンッと机を叩いて立ち上がった。
俺は冷たい目でそいつを見上げ、静かに言い放った。
「オイ。お前、勘違いするなよ?」
その声の冷酷さに、渡会がビクッと肩を震わせる。
「てめえなんて、国のバックがなきゃ何もできないただの腰抜けだろうが。黙ってろ、バカ」
「き、貴様ぁっ!!」
顔を真っ赤にして掴みかかろうとしてくる渡会と、事態が飲み込めず険しい顔をしている防衛大臣。
俺は二人に向かって、ニッコリと笑った。
「というわけで、異世界にご案内しまーす」
俺が二人の後ろに転移して肩を掴んだ瞬間。防衛省の無機質な会議室の景色は、一瞬にして中世ヨーロッパのような石造りの荘厳な空間へと切り替わった。
「な、なん……だ、ここは!?」
エルディア王国の、王城の一室。
突然景色が変わったことに防衛大臣が愕然とし、渡会が腰を抜かす中、俺は二人の腕に銀色の『言語理解の腕輪』をガチャリと嵌めた。
「ようこそ、コバヤシ卿。お待ちしておりましたぞ」
部屋の奥で待ち構えていたポタ宰相が、白い髭を撫でながら柔和に笑う。
そしてその横には、王国税務監査室の制服に身を包んだ三人の若者――かつて地球から勇者召喚として誘拐された、文官組の高校生たちが立っていた。
「日本政府の方、ですね」
「えっ……君たちは、日本人か?」
大臣が驚いて尋ねると、彼らは淡々と、自分たちが『勇者召喚』という名目でこの国に誘拐され、戦争の道具にされそうになった事実を語り始めた。
その凄まじい内容に、大臣は絶句し、ワナワナと肩を震わせた。
だが、腰を抜かしていた渡会は、状況が全く理解できていないのか、顔を真っ赤にして高校生たちに怒鳴り散らした。
「ふ、ふざけるな! 誘拐だの異世界だの、そんな作り話で国を騙せると思ってるのか! お前らみたいなガキが、生意気に大人をからかうんじゃない!!」
居丈高に指を突きつけ、高校生に詰め寄る渡会。
しかし、次の瞬間。
「――無礼者ッ! 男爵閣下になんという口の利き方か!!」
扉の脇に控えていた近衛兵たちが一斉に槍を突きつけ、渡会を床に抑え込んだ。
「ひぐっ!? な、なんだお前ら! 離せ!!」
「渡会さん。彼らはね、このエルディア王国において、王家直属の『男爵位』を持つれっきとした貴族なんですよ。平民のあなたが不敬を働けば、その場で首を刎ねられても文句は言えません」
俺が冷たく告げると、渡会はついに己の置かれた状況の異常さを理解したのか、ガタガタと震えて青ざめた。
そこへ、「お、小林さん! 大臣も来てるって本当!?」と、冒険者の軽装に身を包んだサキたち五人と、元CIAのボブが部屋に駆け込んできた。
彼らから、さらに凄惨な事実……自分たちを守ろうとした長谷川先生が凌辱されて殺されたこと、そして自分たちも手を下して復讐を果たしたことが語られると、防衛大臣はついに耐えきれず、顔を覆って呻き声を上げた。
「……なんという、ことだ。我々の知らないところで、日本の若者たちが、これほどの地獄を……っ」
大臣は震える手で顔を覆った後、ゆっくりと立ち上がった。
そして、ポタ宰相の前に進み出ると。
スーツの膝を床につき、深く、深く頭を下げたのだ。完全な『土下座』だった。
「宰相閣下。……どうか、この子たちの後見をお願いいたします。彼らがこの国の法に背いたのなら、罰されても仕方がありません。ですが……それ以外の理不尽からは、どうか、どうか出来るだけ守ってやってほしい。そのために、日本ができることは何でもします」
一国の防衛を司るトップが、異世界の宰相に対し、子供たちを守るためになりふり構わず土下座をしている。
ポタ宰相は、その姿に少しだけ目を細め、静かに問うた。
「……もし、我が国が『それは出来ない』と申したら?」
大臣は、頭を下げたまま、一切の迷いなく言い切った。
「その時は、どんなことをしても……我々日本国は、その理不尽を与えた相手から、必ず『ケジメ』を取ります」
重く、覚悟に満ちた大人の言葉だった。
その言葉を聞いた瞬間、高校生たちの顔から、ハッと何かが抜け落ちたのが分かった。
ずっと胸の奥にあった、「自分たちは日本から見捨てられた」「誰も助けに来てくれなかった」というドロドロとした暗いモヤ。それが、目の前で自分たちのために土下座し、国を挙げて守ると言い切ってくれた『日本の大人』の姿を見て、綺麗に晴れ渡っていったのだ。
「……頭を上げてください、大臣さん」
サキが、泣きそうな顔で微笑みながら言った。
「私たちはもう大丈夫です。小林さんが助けてくれたし、この国で生きていく覚悟はできてますから」
大臣が顔を上げると、文官の男子生徒も静かに首を振った。
「それに、家族には連絡しないでください。……俺たち、召喚されて死んだ連中の中には、自分たちで手を下した人間もいるんです。もう、平和な日本には戻れません」
「……君たち」
「私たちはここで生きて、ここで死にます。でも……最後に大臣と会えて、ちゃんと『日本人で良かった』って思えたから。それだけで、十分嬉しかったですよ」
その言葉に、防衛大臣の目からボロボロと涙がこぼれ落ちた。
理不尽に巻き込まれながらも、自分の足で立ち、異世界で逞しく生きる若者たち。彼らの決意の前に、大臣はただ何度も頷き、涙を拭うことしかできなかった。
***
「……さて。大臣さん、帰りましょうか」
俺は防衛大臣の肩を掴み、再び日本へと『転移』した。
こうして、アメリカと共に、日本政府も正式に異世界の存在と、英国(と俺)の圧倒的な優位性を知ることとなったのである。
――え? あの偉そうだった内調の渡会はどうなったかって?
「小林さぁぁぁん!! 迎えに来てくれぇぇぇぇっ!!」
異世界に取り残された渡会は、王城の貴族への不敬罪として、城壁の補修工事に駆り出されることになった。
最初は「こんな肉体労働できるか! 独房に入れろ!」とワガママを言って本当に独房に放り込まれ、泣き叫んでいたのだが……。
見かねたボブとサキに身元を引き取られ、なぜかボブのしごきを受けて無理やり冒険者にさせられてしまったのだ。
「オラッ! 腰が入ってねえぞ渡会! ゴブリンの首を落とすつもりで振れ!」
「ひぃぃぃっ! わ、私は内閣情報調査室の――」
「ここではてめえはただの新米だ! 振れ!!」
しかし、人生わからないものである。
学生時代に取っていた「剣道三段」のスキルが異世界のモンスター相手に意外と役に立ち、渡会はそこそこの中堅冒険者として成長してしまった。
さらに、彼がよく通っていた大衆食堂の、未亡人のシンママと恋に落ち、そのまま異世界で結婚して幸せなスローライフを送ることになるのだが……それはまた、別の話である。




