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『ただの収納スキルですが、神様から「解釈」の変更してもらって現代に戻ったら、人生楽勝でした――』  作者: だい


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第69話:私の夢、私の翼と振られたアラフォー

 潮の香りが微かに混じる、東京湾を望む海浜公園。

 海面をキラキラと反射する午後の日差しの中、私はベンチに座り、膝の上に広げた分厚い参考書にじっと目を落としていた。


 表紙には『幹部候補生学校 採用試験問題集』と太い文字で書かれている。

 付箋がびっしりと貼られ、ページの端が擦り切れたその本は、ここ数ヶ月間の私の猛勉強の痕跡だった。


 ふと顔を上げ、果てしなく広がる海と、その上空を飛んでいく一機の旅客機を見上げる。

 彼が端々で見せる、規格外の行動力と知識。どんなトラブルが起きても涼しい顔で解決してしまう淳志さんの姿は、私にとって強い憧れであり、大好きな人だった。

 惹かれるのは当然のことだった。優しくて、器用で、一緒にいると安心できる。このまま彼を追いかけていれば、きっと何不自由なく幸せになれるのだろう。私は無意識のうちに、いつも彼に寄りかかり、甘えてしまっている。


 でも、その度に私の胸の奥で、小さな棘のような感情が疼いた。


『私はこのまま、彼に寄りかかって生きるだけの人生でいいの?』


 脳裏に、かつて大学の災害ボランティアとして足を運んだ被災地での光景が蘇る。

 泥と瓦礫に埋もれ、絶望に支配されていたあの町。そこで皆の希望となっていた自衛隊員にミクは漠然と憧れた。


 そんな時、ミクはテレビを見ていて衝撃を受けた。

 上空に、轟音と共に舞い降りた巨大な飛行艇――海上自衛隊が誇る世界唯一の救難飛行艇、『US-2』。

 どんな悪天候の海面にも強引に着水し、波に揉まれながら遭難者を直接その手で引き上げる、空と海の守護神。それを目にした時、全身に電流のような鳥肌が立ったのを今でも鮮明に覚えている。


 誰かの背中を追いかけるのではなく、自分の翼で絶望の海に降り立ち、誰かの手を強く引き上げる人間になりたい。


「……ミクちゃん、待たせてごめん」


 不意に背後から声をかけられ、私は弾かれたように振り返った。

 そこに立っていたのは、少しだけ疲れたような、けれど以前と変わらない優しい笑顔を浮かべた淳志さんだった。最近、彼は沙織さんたちと共に国家規模の大きな極秘プロジェクトに関わっているらしく、世界中を飛び回ってひどく忙しくしている。今日も、わずかな合間を縫って時間を作ってくれたのだ。


「ううん、私も今来たところですから。……淳志さん、なんだか少し痩せました? ちゃんと寝てます?」

「あはは、ばれたか。ちょっと最近、仕事の規模が大きくなりすぎちゃってさ。目の回るような忙しさだよ」


 淳志さんは苦笑いしながら、私の隣に腰を下ろした。

 そして、私の膝の上にある分厚い参考書に目を留め、少しだけ目を丸くした。


「それ……自衛隊の試験?」

「はい。私、幹部候補生学校を受けます。……海上自衛隊に入って、いつか救難飛行艇のパイロットになるのが目標です」


 私の言葉に、淳志さんは静かに息を呑んだ。

 自衛隊、それも航空機搭乗員への道がどれほど過酷か、大人の彼には容易に想像がついたはずだ。身体的にも精神的にも極限まで追い込まれる厳しい訓練。少しのミスが命に直結する世界。生半可な覚悟で目指せる道ではないことくらい、私にもわかっている。


「……本気、なんだね」

「はい。大真面目です」


 私は参考書をバッグにしまい、真っ直ぐに淳志さんの目を見た。


「淳志さん。私……淳志さんのことが、大好きでした。いつも頼りになって、私の憧れでした」

「ミクちゃん……」

「でも、だからこそ、ここで卒業しなきゃいけないんです」


 きゅっと両手を膝の上で握りしめる。

 淳志さんのやっている仕事は、きっとこれからもどんどん大きくなっていく。彼を追いかけようとすれば、自分のすべてを彼に合わせる生き方になってしまうだろう。

 パイロットへの道は、そんな片手間で掴めるようなものではない。自分のすべてを懸けて、全身全霊で挑まなければならないのだ。


「最近すごく忙しそうな淳志さんと、厳しい訓練の日々。……二つのことを同時に全力で追いかけるなんて、私にはできません。私は、私の夢を叶えたい。自分の手で、誰かの命を救える人間になりたいんです」


 潮風が吹き抜け、私の髪を大きく揺らす。

 私は隠すことなく、晴れやかな笑顔を淳志さんに向けた。


「だから、今日でお別れです。……淳志さんに甘えていた私から」


 それは、綺麗事のない、私の魂からの決別宣言だった。

 恋心を捨ててでも、手に入れたい空がある。その痛いほどの真っ直ぐな覚悟を受け止めて、淳志さんはしばらくの間、静かに目を閉じた。

 やがて彼が目を開けた時、穏やかな笑みが浮かんでいた。


「……そっか。うん、ミクちゃんなら、きっと最高のパイロットになれるよ」

「はいっ。絶対になってみせます!」


 淳志さんの力強い肯定の言葉に、私の目からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。

 悲しいわけじゃない。ただ、自分の中でずっと燻っていた思いに、最高の形で区切りをつけられたことが、心の底から嬉しかったのだ。


 二人は立ち上がり、向かい合った。

 言葉はもう必要なかった。お互いに深く頭を下げ、そして、それぞれの背中を向けて歩き出す。


 私は一度も振り返らなかった。

 前だけを見据え、大きく息を吸い込む。胸いっぱいに広がるのは、少ししょっぱい潮の匂いと、無限に広がる可能性の匂いだ。


(見ていてください、淳志さん。私が一人前のパイロットになったら……いつかまた、あなたの前に降り立ってみせますから!)


 それは、誰にも聞こえない、私だけの密かな宣戦布告。

 地球の空の下。私の新しい時間は、ただ己の翼を信じて、力強く大空へと羽ばたき始めていた。



   ***



 遠ざかっていくミクちゃんの小さな背中を、俺はただ黙って見送っていた。

 海風に吹かれながら一人ポツンと残された俺は、静かに海へ向かって心の中で思う。


(……いや、絡まれてたJKを助けたら懐かれて、いつの間にかJDになってて、泣くからディズニーまで連れてったけど一度も手を出してないのに……なんで俺、めちゃくちゃ綺麗にいい感じに『振られて』んの……?!)


  佳奈の件があるので目を瞑って考えてみたが、やっぱりミクちゃんには手を出してない……はず。

 

 付き合ってすらいないのに、なぜか大失恋を乗り越えたような空気で去っていったミクちゃん。そして残された、周りから見ると若い子に振られたとしか見えないアラフォーの自分。

 俺はなんとも言えない理不尽さにガシガシと頭を掻くと、「……まあ、いっか」と小さく笑って歩き出した。

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