第66話:鉄の鳥と、絡み合う真実の糸
クレージュ王国の王都上空に、突如として轟音が降り注いだ。
空気を切り裂くような風切り音と、腹の底を揺らすエンジンの重低音。王城のバルコニーに飛び出した文官や近衛兵たちは、空を覆い隠すように降下してくる未知の『鉄の巨鳥』の姿に、恐怖で完全に言葉を失っていた。
「な、なんだあれは……! 魔獣か!?」
吹き荒れる強風に砂埃が舞う中、王城の広場にイギリス軍の大型輸送ヘリコプターがゆっくりと着陸する。
ローターの回転が徐々に落ち、重厚なハッチが金属音と共に開いた。
そこから最初に飛び出してきたのは、アサルトライフルを構え、周囲に鋭い視線を巡らせる迷彩服のボブと、手首のスナップだけで即座に剣を抜けるよう重心を低く落としたサキだった。
「クリア。周囲に魔法の気配なし。弓兵の射線はすべて把握した」
「……問題ない、降りてこい」
二人の声に促され、ヘリの中からスーツ姿の淳志と、地球のパイロット二名が降り立つ。
出迎えたクレージュの宰相や重臣たちは、呆然と立ち尽くしていた。エルディア王国から「究極の治癒をもたらす一団」が来ると聞いていたのに、現れたのは未知の鉄の塊と、医者には到底見えないたった五人の人間だったからだ。
「……エルディアからの使者殿とお見受けする。だが、医療の道具も、高位の治癒術士の姿も見えぬが。まさか、その五人で殿下を治すと言うつもりか?」
重臣たちの中から、苛立ちを隠そうともせずに進み出てきた青年がいた。
第一王女の兄であり、元・第一王子のサラグだ。
彼の母親は小国サバルクから嫁いできた側妃だったが、サラグが生まれた直後にその国が反乱を起こしたため、連座する形で彼も王族籍から外され、今は城の片隅で冷遇されている身である。
「こんなふざけた見世物で、妹の命を救えるというのか! ふざけるな!」
サラグが怒鳴り声を上げる。その剣幕に、周囲の重臣たちも「不敬だぞサラグ」「王族籍を外された身で口を挟むな」と、彼に極めて冷たい視線を向けていた。
(……はいはい、こいつが今回の黒幕ね。分かりやすすぎでしょ)
サキが心の中で呆れたようにため息をつく。自分の故郷が反乱起こして王族から外された腹いせに、正妻の娘である妹を襲撃した、というベタな筋書きだ。
淳志もまた、三流のミステリードラマの犯人を見るような目でサラグを見ていた。
だが、元CIAの工作員であるボブだけは、全く違うものを見ていた。
ボブの目は、サラグの怒鳴り声ではなく、固く握りしめられて白くなった拳、そして微かに震える声帯の筋肉の動きを正確に読み取っていた。
(……素人は騙せても、俺の目は誤魔化せないぜ、坊ちゃん)
ボブはライフルの銃口を下げたまま、心の中で獰猛に笑う。
あいつの苛立ちは『計画を邪魔されることへの焦り』じゃない。『こんな得体の知れない連中で、本当に妹が助かるのか』という純粋な恐怖と心配だ。動機が分かりやすすぎる上に、犯行時のアリバイもないらしい。完璧に仕立て上げられた『生贄』だ。
冷ややかな視線を交わすクレージュの人間たちを前に、淳志は一つ咳払いをして前に出た。
「お初にお目にかかります。コバヤシです。……安心してください。医者も機材も、これからすぐにお連れしますから。少しお待ちを」
淳志はそう言うと、ボブとサキに目配せをし、その場からふっと姿を消した。
数分後。エルディアの待機場所から、数十名のSAS部隊と、エルディアの騎士団を転移魔法で淳志が広場に運び込んでくる。
「動くな! 武器を捨てろ! これよりこの区画を封鎖する!」
突如として広場を埋め尽くした圧倒的な軍隊に、クレージュの近衛兵たちがパニックに陥る。だが、SASと騎士団は一切の反論を許さず、王城の一部を強引に制圧し、完璧な安全圏を構築した。
その厳重な『盾』の内側で、淳志は大きく深呼吸をした。
これから出すのは、数億円、いや数十億円の価値がある最新医療機材の塊だ。いや、金額はともかく、これによる医療を待っている人がいるのだ。万が一落としたり傷つけたりすれば、治療に支障が出る。
淳志は胃の痛みに耐えながら、あらかじめ水平に石畳を削り取り。空間の座標を極限まで精密に調整し、体育館ほどの巨大なプレハブ建築――『統合医療ベース』を、音を立てることもなく、そっと、慎重に展開した。
未知の建築物が突如として現れたことに腰を抜かす重臣たちを尻目に、淳志は再びエルディアへ飛び、最後に滅菌服を着た地球の医師団とエルディアの治癒術士たちを転移させてきた。
「電源接続よし! 機材に損傷なし!」
「コバヤシさん、ありがとうございます。すぐに患者をこちらへ!」
***
王城の人間たちが、突如現れた白亜の医療施設を固唾を飲んで遠巻きに見守る中。
ボブは一人、城の死角となる暗い廊下へと姿を消していた。
彼はポタ宰相から預かっていた『姿を隠す外套(光学迷彩)』を頭から被る。完全に透明になったボブの瞳には、地球の最新鋭装備『サーモグラフィ・ゴーグル』が装着されていた。魔法で姿を消し、科学で壁の向こうの体温を透視する。
ボブは無音の足取りで、王族の私室や重臣の会議室に次々と超小型盗聴器と隠しカメラを仕掛けていった。
一方、医療ベースの奥深くにある無菌手術室。
そこでは、地球の医師とアースガルドの治癒術士による、常識を覆す治療が始まっていた。
「MRIの画像を回せ! ……見えた。脳幹部の血腫、座標特定」
モニターには、十四歳の王女の脳内をスキャンした精密な3D画像が映し出されていた。メスを入れることなど絶対に不可能な深部に、黒い血の塊が写っている。
地球の外科医が、先端に魔石が埋め込まれたペンのような『収納の魔道具』を手に取った。淳志のアイデアをもとに、エルディアの魔導具職人と共同で急造したものだ。
外科医はモニターの座標を睨みつけながら、王女の頭部の外側から、その魔道具をかざす。
(……頼むぞ、理論通りに動いてくれ)
手元のスイッチを押し込み、魔道具を発動させる。
瞬間、モニター上の黒い影がノイズのようにフッと消滅した。
頭蓋骨を開けることもなく、たった今、脳内の血の塊とダメージを受けた脳細胞だけが『体外から直接収納』されたのだ。
「血腫と損傷部位の除去に成功! 治癒術士、損傷部位を塞いでください!」
「承知いたしました!」
待機していたエルディアの高位治癒術士が魔法を放つ。物理的な圧迫が消えた脳細胞が、魔力によって速やかに修復されていく。
「脳の処置は完了。次は、左脚だ」
外科医の額に、じっとりと汗が浮かぶ。
切断された王女の左脚の太ももは、クレージュの治癒術士が慌てて魔法をかけたせいで、ひきつれた状態で傷口が完全に塞がってしまっていた。
「……痛ましいが、やるしかない。メス」
外科医は、塞がってしまったその傷口を、再び外科手術のメスで『切断』した。生々しい血が溢れ、骨と筋肉の断面が露わになる。
そこへ治癒術士が歩み寄り、切断面に魔力を流し込んで細胞を初期化する。
同時に、地球の医療用AIが、過去のCTデータから『本来そこにあるべき左脚の3Dワイヤーフレーム』を描き出し、モニターに投影する。
「治癒術士殿、このワイヤーフレームの通りに、魔力で『形態形成場(枠組み)』を作れますか?」
「ええ、やってみせましょう。……サキ殿、お願いできますか」
「はいっ」
見学室で待機していたサキが、専用のチューブを通して、極限まで栄養価を高めた希少魔獣のペーストを王女の胃へと流し込む。
質量とカロリーが爆発的に供給される中、治癒術士が構築した目に見えない『脚の設計図』に沿って、細胞が凄まじい勢いで増殖し、分化していく。
骨が伸び、筋肉が絡みつき、神経が繋がり、最後に滑らかな皮膚が覆っていく。
数時間後。モニターの心拍数が落ち着いたリズムを刻む中、ベッドの上には、傷一つない綺麗な左脚を取り戻し、静かな寝息を立てる王女の姿があった。
***
「……殿下を、お救いいただいた、と……?」
城の廊下で知らせを聞いたサラグは、信じられないというように目を見開いた。
失われた脚も元に戻り、命の別状もない。その事実を理解した瞬間、彼の瞳からボロボロと大粒の涙が溢れ出した。
「ああ……よかった……本当によかった……っ!」
壁に崩れ落ち、声を殺して妹の無事を泣いて喜ぶ青年。そこに、悪逆非道な黒幕の顔は欠片もなかった。
だが、その安堵の涙を流すサラグの背後に、音もなく、黒いローブに身を包んだ怪しげな影が近づいていた。
クレージュ王国の暗部――通称『王の影』。
サラグが「妹を襲撃した犯人」として仕立て上げられた生贄であるならば、王女が助かり、真実を喋られる前に、彼を「罪を苦にしての自害」に見せかけて消す必要がある。
影が懐から鋭い短剣を抜き放ち、無防備なサラグの首筋へと振り下ろそうとした、その瞬間。
「――チェックメイトだ、ネズミ野郎」
何もないはずの虚空から、カチャリ、と、冷たい金属の作動音が響いた。
透明な外套を脱ぎ捨てたボブが、暗殺者のこめかみに、消音器のついた漆黒の拳銃をピタリと突きつけていた。




