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『ただの収納スキルですが、神様から「解釈」の変更してもらって現代に戻ったら、人生楽勝でした――』  作者: だい


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第59話:大和商事退社と、限界オタクの異世界デビュー

カチン、と薄いクリスタルグラスが心地よい音を立てる。

 週末の夜。俺の自宅マンションのリビングは、最高級の赤ワインの芳醇な香りと、リラックスした大人たちの気怠い熱気に満ちていた。


 深い革張りのソファに深く腰掛ける俺の両サイドには、極上の美女が二人。

 一人は俺の最強の相棒であり、大和商事の専務である香織。

 そしてもう一人は、世界中を飛び回る生態系エンジニアであり、香織の『娘』でもある沙織だ。

 シンガポールのVIPカジノでのナンパから始まり、俺たちは今、香織と沙織の母娘で俺を「共有」するという、世間の常識から大きく外れた、だが互いのすべてをさらけ出せる親密極まりない関係を築いていた。


「……なるほど。淳志と、お母さん|《香織》が、揃って大和商事を退社して独立。ね」


 俺の肩にゆったりと頭を預けながら、沙織はワイングラスの脚を指でなぞり、ルビー色の液体を揺らした。

 俺たちは先ほど、彼女に「会社を辞める」という事実と、その表向きの理由――英国貴族・アトキンソン家からのオファーで、日本における彼らの専属代理店として莫大な資金をバックに起業すること――を打ち明けたのだ。


「ええ。そこでね、沙織。あなたには、私たちの新会社の『中核』として、破格の条件で移籍してきてほしいの」


 俺の反対側に座る香織が、さっきまでの艶っぽい声から一転、一人の経営者としての鋭い声色で沙織に告げた。


「アトキンソン家が持つ、巨大な未開拓の領地。そこを根底から作り変え、莫大な利益を生む穀倉地帯へと変貌させる。……そのために絶対に必要なのが、あなたの持つ『土地改良と農地の大規模開発』の専門知識なのよ。私があなたの実力を、世界最高峰のステージで証明させてあげる」


「ふふっ。お母さん直々のヘッドハンティングなんて、光栄すぎて涙が出そうね」


 沙織は妖艶に微笑み、グラスのワインを一口含んだ。

 だが、その瞳の奥には、世界規模の環境プロジェクトを幾度も牽引してきた生態系エンジニアとしての、鋭利な刃物のような光が宿っていた。

 彼女はローテーブルに置かれたタブレット端末を引き寄せ、そこに表示された「事業計画書」と「土壌データ」の画面をスクロールする。


「……お母さん。この事業計画、いろいろとおかしいわよ」


「あら、どの辺りが?」


「輸送コストがゼロなのは分かるわ。淳志のあのデタラメな『転移』の能力なら、オーストラリア旅行の時のように、距離も質量も完全に無視して、倉庫丸ごとだろうが重機ごとだろうが一瞬で運べることは実証済みだもの」


 沙織は俺の太ももにポンと手を置き、探るような視線を向けてきた。


「問題は、この『土地』よ。イギリスのどこに、これほど広大で未開拓の処女地があるっていうの? それに……」


 沙織の美しく手入れされた指が、タブレットの土壌成分データの項目をトントンと叩く。


「この土壌データ、何よこれ。窒素やリンの数値が異常に高いのは百歩譲って受け入れるとしても、この『測定不能の未知のエネルギーパルス』は何? 地球の物理法則に当てはめたら、土壌内の化学結合が常に変動して大暴れしている状態よ。こんな土地に種を植えても、発芽を完全に拒絶されるか、全く予測不能な突然変異を起こすかのどっちかだわ」


「…………」


「こんな物理法則を完全に無視した死の土地を、私に改良しろって言ってるの? そもそも、こんな異常な土地、人工衛星の監視網を掻い潜ってコソコソ開発できるわけないじゃない。……ねえ、二人とも。この土地って、一体地球のどこにあるっていうの?」


 完璧すぎる名推理だった。

 俺と香織は顔を見合わせ、同時に「ふっ」と噴き出してしまった。


「あーあ。淳志くん、やっぱり沙織の目は誤魔化せないわね」


「仕方ないかぁ。まあ、これ以上は論より証拠だ。沙織、とりあえずカフェでも行こうぜ」


「は? カフェ? こんな夜中に?」


 俺と香織は、手に持っていたグラスとコーヒーカップをテーブルの上にコトリと置いた。

 訝しむ沙織の体を抱き起こし、俺は立ち上がって自宅の玄関へと向かった。

 ドアノブに手をかけ、頭の中に『エルディア王国の王都』――その一角にある、ポタ宰相が俺たちのために用意してくれた極秘の商館の執務室のイメージを強く思い描く。


 空間が繋がり、微かな魔力の波が沙織の体を通り抜けた。


「っ……!? な、なに、今の……強い眩暈……?」


 沙織がふらつき、額を押さえて眉をひそめた。俺の『転移』で初めて世界を跨いだ人間が感じる、特有の感覚だ。


「大丈夫? ちょっとした立ちくらみみたいなもんだから」


「あー、最初はね。私も初めての時はちょっと酔ったわ」


 俺の問いかけに、香織が平然と答えながら、執務室の窓のブラインドをサッと開け放った。そんな香織の余裕の態度に、沙織はいよいよ警戒心を強め、俺が開け放った玄関の扉の向こう――見慣れたはずの廊下ではなく、重厚な石造りのファンタジーな部屋へと視線を向けた。


「ようこそ。剣と魔法と、可能性に満ちた『エルディア王国』へ」


 俺は唖然として立ち尽くす彼女の腕に、以前からストックしてあった銀色の『言語理解の腕輪』をそっとはめてやった。


「な、なにこれ……ここは、どこ……?」


「窓の外を見てごらん」


 俺が促すと、沙織はフラフラと吸い寄せられるように窓辺へと歩み寄り、王都の大通りを見下ろした。


「うそ……でしょ……?」


 石畳を歩く馬車の音。甲冑を着てすれ違う衛兵。

 そして何より、日本の地方都市で金髪碧眼の外国人を見かけるくらいの頻度で普通に歩いている、獣の耳を持った者や、屈強なドワーフたちの姿。

 沙織の目はみるみるうちに限界まで見開かれ、その瞳の奥で、三十年近く「大人のいい女」の皮を被って押さえ込んでいた『何か』が、核爆発を起こす音が聞こえた気がした。


「えっ……!? ちょ、ちょっと待って!? これって……これって、まさかの『異世界転移テンプレ』ってやつ!? 嘘ぉぉぉっ!?」


 先ほどまでのクールな生態系エンジニアの面影は、音速を超えて宇宙の彼方へ消し飛んだ。

 沙織は自分の頬を両手でバチン!と叩き、これが夢でないことを確認すると、ヒールを鳴らして猛烈な勢いで執務室を飛び出し、そのまま一階の表通りへと駆け出してしまった。


「あ、おい沙織! 勝手に外に出たら危ないって!」


「うるさい淳志! 夢にまで見た異世界よ! テンション上げずにいられるわけないじゃない!!」


 完全にタガが外れた限界ラノベオタクの爆誕である。

 俺と香織が慌てて後を追って外に出ると、彼女はすでに、通りで屋台の片付けをしていた恰幅の良いオバサンにロックオンしていた。

 オバサンが自らの指先からチョロチョロと水を出し、器を洗っているのを見た瞬間、沙織は獲物を見つけた猛禽類のような速度で詰め寄った。


「おばさん!! 今の水、どこから出したの!? 指先に管なんてないわよね!? 大気中の水分を凝結させてるの!? それとも魔素から直接H2Oを生成してるの!?」


「ひぃっ!? な、なんだいあんた!?」


 圧倒的な勢いで詰め寄る謎の美女に、屋台のオバサンは完全にドン引きして後ずさっている。だが、マッドサイエンティストと化した沙織の探求心は止まらない。


「もし無から生成してるなら、質量保存の法則はどうなってるの!? 消費カロリーと生成質量の変換効率は!? ねえ、もう一回見せて! 私の手に水を出してみて!!」


「だ、誰か衛兵さんを呼んできておくれーっ!!」


「あー、すみません!! うちのバカ娘がご迷惑を!!」


 香織が背後から飛びかかり、沙織の首根っこをガシッと掴んで引き剥がした。


「離してお母さん! あれは人類のロマンよ! 物理法則を無視した事象の具現化よ! 素晴らしいわ!!」


「うるさい! 相手が本気で怯えてるでしょ! 淳志くん、とりあえずこのオタクを部屋に回収して!!」


 俺たちは暴れる沙織を両脇から抱え上げ、逃げるように商館の執務室へと引きずり戻した。

 だが、部屋に戻っても沙織の狂乱は終わらなかった。彼女の視線が、ポタ宰相がサンプルとして机の上に置いていた『アーランド王国の特産品』に釘付けになったのだ。


「淳志、これ……ただの水筒とポーチよね。でも、なーんか魔法関連の物じゃないかって感じるわ!」


「ああ、アーランド王国の『付与魔法』で作られた魔道具だ。そっちは一日に十リットルの水を出せる無限水筒で、ポーチの方は大型冷蔵庫くらいの容量が入る収納ポーチだぞ。重量も無視できる優れものだ」


「…………は?」


 沙織は震える手で収納ポーチを持ち上げると、自分の顔にスリスリと頬ずりを始めた。


「なにこれ……最高じゃない。淳志の収納チートだけじゃなくて、個人レベルで空間拡張技術が普及してるっていうの? 内部容積の限界値は? 水筒の水源の座標は固定? それともやはり魔素からの生成……?」


「沙織!! いい加減にしなさい!!」


 バァァァン!! と、香織が両手でデスクを叩き、ビリビリと空気が震えるほどの怒声を上げた。

 専務としてではなく、完全に『母親』としてのガチギレである。


「少しは落ち着きなさい! ここは仕事場よ! 淳志くんも笑ってないで止めなさいよ!!」


「ひっ……は、はい。ごめんなさい、お母さん……」


 先ほどまでの狂乱が嘘のように、沙織はポーチを抱きしめたまま、シュン……と床に正座した。

 どんなに有能なキャリアウーマンだろうと、母親の雷には敵わないらしい。俺はその見事な力関係に、思わず肩を揺らして笑いを堪えた。



 ――数時間後、日本の俺のマンション。


「よし。それじゃあ、私は退職の挨拶も兼ねて、社長と取引先回ってくるわ。淳志くん、あとはよろしくね」


 極上のスーツを着こなし、完全にビジネスの戦闘モードに入った香織は、最高にいい女の笑顔を残して颯爽とマンションを出て行った。

 リビングに残されたのは、俺と、すっかり冷静さを取り戻した沙織の二人だけだ。


「お母さん、相変わらず仕事となると見とれるくらいカッコいいわね」


 沙織はソファーに深く腰掛け、残っていたワインを煽りながら、不意に俺を見つめてきた。


「ねえ、淳志。あなたって、さっきのおばさんみたいに火とか水とか出せないの?」


「向こうで教わったらどうなるかは分からないけど、今のところ俺の能力は『転移』と『収納』と『言語理解』かな。あ、あと『健康体』ってのもあったわ」


「健康体? 何それ」


 沙織が興味深そうに身を乗り出す。


「毒とか病気を弾くし、怪我してもすぐに治るんだよ。俺の肉体を《三十四歳の最も理想的な状態》に常に維持・復元してくれるらしい」


「なにそれ、ずっるいわねー。理想的なんて、女からしたら喉から手が出るほど欲しいチートじゃ……」


 そこまで言って、沙織の言葉がピタリと止まった。

 彼女の視線が、自分の艶めく肌へ、そして香織が座っていた空のソファーへと動き、ハッと目を見開いた。


「……あれっ? 私って、淳志とナニしてから、エステでもあり得ないくらいえらく肌艶が良いのよね。それに、お母さんも若返ったというよりかは『四十八歳の女性の最も理想的な肉体』だと思えば完全に納得がいくわ。そういえば、佳奈ちゃんだって今じゃ二十代前半にしか見えないし……」


 沙織の瞳の奥で、生態系エンジニアとしての恐ろしいほどの論理的思考が、凄まじいスピードで回転し始めたのが分かった。


「……淳志。その『健康体』って、ひょっとして、肉体的接触や……『体液の交換』を行うことで、相手にも効果が伝播するんじゃないの?」


「え? い、いや、流石にそんな都合のいい……」


「……これは、実証が必要ね?」


 ギラリ。

 知的好奇心と、雌としての本能が完全に悪魔合体した、恐ろしくも美しい捕食者の目が俺を捉えた。


「ちょっ、沙織さん? なんでヒール脱いで、そんな肉食獣みたいな低い姿勢に……」


 俺がソファーからジリジリと後ずさり、背後のベッドに倒れ込んだ、その瞬間。


「さあ淳志! 私のこの仮説が正しいか、今すぐその身をもって証明しなさい!!」


 理系学者の大義名分を掲げた沙織が、美しい弧を描いて宙を舞い、俺の上へと容赦なく降り注いだ。

 これが、伝説の『逆ルパンダイブ』であった。

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