第57話:男爵の外交戦と、苦渋の宰相
「男爵、汝に命ずる。三か月でよいのです。その間だけ、余に時を願います」
大英帝国女王からの『勅命』。
その言葉の重みと、ベッドに横たわる老婦人の気高い微笑みは、しがない日本のサラリーマンでしかなかった俺の背中に、ずっしりと、だが確かな熱を伴って圧しかかっていた。
女王の余命は、もってあと一ヶ月。
生まれてくる末の王子の子供を、その腕に抱くための「三ヶ月」を勝ち取るため、俺はロンドンの極秘施設からそのまま、異世界の『エルディア王国』へと転移した。
石造りの巨大な王城の裏手、文官見習いたちが慌ただしく行き交う書庫の近く。俺はそこで、見知った顔――勇者召喚でこの世界に呼ばれ、今はエルディアで生きるために必死で勉強している地球の高校生たちを捕まえた。
「――不老不死や、寿命に効くポーション?」
分厚い資料の束を抱えた男子生徒の一人が、目を丸くして聞き返してきた。周りにいた他の生徒たちも、顔を見合わせて首を傾げている。
「小林さん、いくら異世界の魔法薬でも、流石にそれは聞いたことないっすよ。俺たちも怪我を塞ぐ治癒薬や、病気を散らすポーションなら実物を見ましたけど……寿命そのものをどうにかするなんて、それこそ神話とかおとぎ話のレベルじゃないですか?」
「やっぱりそうだよな……」
俺は焦燥感から無意識に頭を掻き毟った。
彼らは勇者召喚の当事者であり、城の機密文書に近い場所で学んでいる。その彼らが「聞いたこともない」というのなら、市井の道具屋などに並んでいるはずもない。
となれば、頼るべきはさらに上層部。この国の裏も表も知り尽くした、あの食えない男しかいない。
俺は生徒たちに礼を言い、すぐさま彼らの後ろ盾でもあるエルディアの重鎮、ポタ宰相への面会を取り付けた。
重厚なマホガニーの執務机を挟み、ポタ宰相はいつものように真っ白な髭を撫でながら、探るような、底知れぬ笑みを浮かべていた。
「ほう。寿命を延ばす、あるいは若返る『エリクサー』、ですか」
「ええ。今日、俺はいつもの物珍しい品を流す商人としてここに来たわけではありません」
俺は居住まいを正し、相手の鋭い視線を真っ向から受け止めた。
「我が世界の『英国』という国の女王陛下より、直々に勅命を受けた使節……『コバヤシ男爵』として参りました」
「……なんと」
流石のタヌキ親父も、俺の唐突な身分明かしと、その背後にある「国家」の影を感じ取ったのか、僅かに目を瞠り、そしてスッと笑みを消した。一国の宰相としての、冷徹な為政者の顔だ。
「異世界の、貴族としての公式な要求……ということですか。アツシ殿、いや、コバヤシ男爵。確かに我が国にも、王家存続の危機に備えた国宝として、エリクサーが一本だけ宝物庫に眠っております」
「それを譲っていただくことは……」
「いくら他国の使節の頼みとはいえ、それはできかねますな。あれはエルディアの根幹を揺るがす事態のための、最後の命綱ゆえ」
キッパリと断られるが、それは想定内だ。一本しかない国宝をポンと渡す国などあるはずがない。
だが、ポタ宰相はそこで言葉を切らず、静かに目を伏せた。
「ですが……我が国からクサラ皇国を挟んだ小国、アーランド王国。あそこの王都の地下にあるダンジョンを踏破すると、稀に宝箱からエリクサーが出るという古い記録があります。ここ百年でクリアしたのは一パーティーのみで、毎回出るかは不明ですが……もし事実なら、あそこの王城には、その時のエリクサーが保管されているはずですよ」
アーランド王国。
その名を聞いて、俺の脳裏にあの「胃痛持ちのオッサン」の顔がフラッシュバックした。傷心旅行で行った鬼ヶ湧郷で一緒に酒を飲み交わし、銀色のメダルをくれた、あの宰相の国だ。
「情報、感謝します。……宰相、私はこれからそのアーランドへ向かいます。ですが、私は女王陛下の命を繋ぐため、なんとしてもこの交渉を成功させなくてはいけない」
俺はテーブルに両手を突き、ポタ宰相の目を射抜くように見つめた。ここからが、俺の、いや、背後にいる香織や英国が仕込んだ本命のカードだ。
「そのためには、アーランドへの対価として『私の世界との貿易』という最強のカードを、英国としては切らざるを得ません。……しかし、私個人としては、異世界で大規模な貿易をおこなうならば、これまで縁のあったエルディア王国とのお付き合いを第一に考えたいのです」
「……ほう?」
ポタ宰相の片眉がピクリと上がった。
「そこで提案なのですが。アーランドと、軍事同盟あるいは不可侵の『条約』を結びませんか? 貴国もご存知の通り、アーランドは現在、隣国のクサラ皇国からの軍事圧力に圧迫されています。クサラと反対の国境を接する大国エルディアと条約を結ぶことは、アーランドにとって喉から手が出るほど欲しい安全保障です」
一拍置き、俺は宰相の心の奥底に言葉を落とし込む。
「そして貴国エルディアにとっても、小国とはいえ友好国家が、警戒しているクサラの反対側に居る事は安全保障上、極めて大きいはず。……それに、何より『我が国が提案した条約を飲んでもらったので、エルディアとも大々的に貿易をします』と、英国側にもアーランド側にも説得しやすくなるのです」
静寂が下りた。
ポタ宰相は目を閉じ、己の頭脳で猛烈な速度で損益計算を弾き出しているようだった。
やがて、彼はゆっくりと目を開け、獰猛な肉食獣のような笑みを浮かべた。
「……見事な手腕ですな、コバヤシ男爵。クサラを牽制しつつ、異世界との独占貿易の端緒を開く。我が国にとって断る理由のない、極上の提案だ。すぐさま水面下で条約の草案作りに入りましょう。アーランド側には『エルディアはその用意がある』と伝えて構いませんぞ」
「感謝します、宰相閣下」
これで、最大の武器は手に入った。
俺は深く一礼し、すぐさま『転移』を発動させた。一度行ったことのある鬼ヶ湧郷へ飛び、そこから馬車を乗り継いで、アーランドの王都を目指す。
馬車の車輪が石畳を跳ねる振動を感じながら、俺は掌に握り込んだ銀色のメダルを見つめ、ひたすらに焦燥を抑え込んでいた。
数日後。
アーランドの王城の門前。俺が以前貰った『紋章入りのメダル』を門衛に提示すると、相手は顔色を変え、俺はすぐさま王城内の豪華なVIP応接室へと通された。
「アツシくん! 本当に来てくれたのか! いやぁ、あの時の酒は本当に美味かった!」
バタンと勢いよく扉が開き、部屋に駆け込んできたのは、眉間に深いシワを刻んだグリモフ宰相だった。
だが、再会を喜ぶ彼の笑顔は、俺の纏う余裕のないただならぬ空気を察した瞬間、スッと宰相としての鋭い顔つきに切り替わった。
「……アツシくん。今日は酒を飲みに来たわけではなさそうだね」
「ええ、グリモフ宰相。本日は正式な『外交交渉』に参りました。私は異世界にある『英国』の女王陛下より直々に勅命を受けた使節、コバヤシ男爵と申します」
この世界では、教会が禁止するまでは勇者召喚が度々おこなわれており、異世界があることは知られていた。
しかし、まさか淳志が異世界人だと思っておらず、驚いているグリモフ宰相に対し、俺は単刀直入に用件を切り出した。
女王陛下を救うため、貴国が保有しているという『エリクサー』を譲っていただきたい、と。
「対価はいくらでも用意します。貴金属や、我が世界の珍しい品々。公衆衛生や医療技術、最新の帳簿管理や組織論など、貴国を飛躍的に発展させる知識の提供も可能です」
息を呑むグリモフ宰相の顔を見据え、俺はエルディアで仕込んできた最大の切り札をテーブルに叩きつけた。
「さらに、貴国は現在、隣国の『クサラ皇国』からの圧力に悩まされていると伺っております。……もしよろしければ、クサラ皇国と国境を接する大国『エルディア王国』と貴国との間に立ち、防衛協定の仲立ちをいたしましょう。すでにエルディアのポタ宰相からは、前向きな確約を得ております」
大国エルディアの後ろ盾。
それは小国アーランドにとって、国家の存亡を揺るがすほどの、まさに喉から手が出る絶対的な条件のはずだ。これ以上の外交カードは、今の俺には存在しない。
だが――。
これ以上ない破格の条件を提示したというのに、グリモフ宰相の顔は晴れなかった。
それどころか、彼は血の気を失ったような青白い顔で、まるで到底飲み込めない猛毒を無理やり口に押し込まれたかのように、深く、苦しげに顔を歪めて押し黙ってしまった。
ギリッ、と彼の奥歯が鳴る音が、静まり返った応接室に虚しく響いた。




