第55話:傷心タラシの異世界ぶらり旅~胃痛持ちの宰相と、極上の地球酒~
「……うん。当分、地球の女の人はいいや」
偉大なる師匠によってタラシとしてのプライドを木っ端微塵に粉砕された淳志は、自室のベッドの上で深く、ひたすらに深い深呼吸をした。
香織、沙織、佳奈、マリア……そして志野。
自分の周りにいる女性陣のレベルが高すぎる。というか、人間としての器も経験値も、淳志のちっぽけなキャパシティをとうに超えているのだ。
健康体を突き抜けて、胃の辺りがキリキリと痛むのを感じながら、淳志は現実逃避を決意した。
こんな時こそ、神様からせしめたチート能力の出番である。
「そうだ、異世界行って癒されよう」
淳志は『転移』の能力を発動させ、以前、異世界の情報を集めていた時に目星をつけていた『鬼族の温泉街』へと、一人でこっそりワープした。
――異世界、東方連山麓・鬼ヶ湧郷。
「はぁぁぁぁ……極楽……」
硫黄の匂いが立ち込める広大な露天風呂で、淳志は首までお湯に浸かり、だらしなく顔を綻ばせていた。
屈強な鬼族の男たちや、グラマーすぎる鬼族の女性たち(混浴である)が周囲にいるが、今の淳志は完全に『賢者モード』に突入していた。
妖艶な鬼のお姉さんから「お兄さん、旅の人かい? あたしが背中流してやろうか?」と色目を使われても、「あ、結構です。今はちょっと、胃もたれするんで」と、枯れた爺さんのような笑顔で華麗にスルーした。
今はただ、癒やしが欲しい。
名湯で心身の疲労(主に精神的ダメージ)をすっかり洗い流した淳志は、浴衣姿で温泉街のメインストリートをぶらついていた。
神様から貰った『言語理解』のチートのおかげで、飛び交う異世界の言語も、淳志の耳には自然な日本語として翻訳されて聞こえてくる。
湯上がりといえば、美味い飯と酒だ。
淳志は、赤提灯のようなものがぶら下がっている、いかにも大衆的で活気のある居酒屋の暖簾をくぐった。
「へい、いらっしゃい! 兄ちゃん、一人かい?」
「はい。とりあえず、エールビールと……あの串焼きと、刺身の見繕いをお願いします」
カウンター席に陣取った淳志の前に、よく冷えた木の実のエールと、オーク肉の炭火焼き、そして清流で獲れたという川魚の刺身が並べられる。
(……うっま!! オーク肉ってこんなにジューシーなのか!? 刺身もコリコリしてて最高だ……)
地球のグルメとは一味違う、野性味あふれる美味に舌鼓を打つ淳志。
平和だ。修羅場もない、嫉妬もない、ただ美味いものを食うだけの孤独で自由な時間。
淳志は店の大将に、日本酒と焼酎を渡して持ち込みの了解を貰い、異世界の旨いツマミと合わせていく。
淳志が幸せに浸っていると、店が急に混み始め、淳志の隣の空席に一人の初老の男性が腰を下ろした。
「ふぅ……。親父、いつもの麦酒と、胃に優しい煮込みを頼む」
「へいよ! 旦那も相変わらずお疲れのようで」
白髪交じりの髪を後ろで束ね、質の良さそうな外套を羽織ったその男性は、眉間に深いシワを寄せ、今にも胃に穴が開きそうなほど疲労困憊の顔をしていた。
ため息をつきながら麦酒をあおる姿に、淳志は激しい既視感――否、シンパシーを覚えた。
(あの人……絶対に、中間管理職か何かで胃を痛めてるタイプの顔だ……)
女関係で胃を痛めていた淳志は、妙な仲間意識を感じてしまい、つい声をかけてしまった。
「お疲れみたいですね。よかったら、これ、少し飲みませんか?」
「ん? なんだね、君は……」
淳志は地球から持ち込んでいた高級な日本酒の小瓶を取り出した。
冷酒を小さな猪口に注いで差し出すと、男性はいぶかしげにしながらも、それを口に含んだ。
「……っ!? な、なんだこれは! 水のように澄んでいるのに、芳醇な穀物の甘みと、喉の奥から込み上げるこの鮮烈な香りは……! どこの名酒だ!?」
「俺の故郷の酒です。胃の痛みも忘れるくらい美味いでしょう?」
「あ、ああ! 全くその通りだ。……美味い。こんなに美味い酒は、王宮の宝物庫にも……いや、なんでもない」
男性は目を丸くして驚いた後、ふっと憑き物が落ちたような顔になり、淳志に向かって苦笑いした。
「すまない、見ず知らずの若者に美味い酒をご馳走になってしまった。私は……そうだな、とある小さな組織で、上と下との板挟みになっている、ただのしがないオッサンだよ」
「あはは、分かります。俺も最近、周りの女性陣が強すぎて、肩身が狭いというか、胃が痛い毎日でして……」
「ほう! 君もか! いや実は私もな、うちの『跡継ぎ問題』で上がすっかり揉めていてな。隣のデカい組織からは圧力をかけられるわ、現場は文句ばかり言うわで……」
それからの一時間。
異世界の『小国の宰相(跡継ぎと大国の圧力に悩む)』と、地球の『タラシ(強すぎるヒロインたちに悩む)』という、悩みのスケールが天と地ほど違う二人は、なぜか奇跡的な噛み合い方を見せ、すっかり意気投合してしまった。
淳志は『収納』から、スコッチウイスキーや、生ハム、ナッツなどを次々と取り出し、男性は感嘆しながら地球の美味を堪能し、いつの間にか笑顔になっていた。
「いやぁ、君とは本当に美味い酒が飲めた! 久しぶりに腹の底から笑ったよ!」
すっかり顔を赤くした男性は、上機嫌で立ち上がると、懐から銀色に輝く精巧な『紋章入りのメダル』を取り出し、淳志に押し付けた。
「これは、私からのささやかなお礼だ。私はアーランド王国の宰相、グリモフという。もし君が私の国を訪れることがあれば、それを見せなさい。君を国賓として歓迎しよう!」
「えっ? さい、しょう……? いやいや、そんなすごいもん貰えませんって!」
「いいから受け取れ! 君の故郷の酒に比べれば安いものだ。……また、美味い酒を飲ませてくれよ、アツシくん!」
バーランドは豪快に笑うと、護衛らしき男たちを連れて店を出て行った。
後に残された淳志は、手の中の銀色のメダルと、カウンターに並んだ空き瓶を見比べて、小さく息を吐いた。
「宰相って……このメダル、もしかしてヤバいアイテムなんじゃ……」
まあいいか、と淳志は考えるのをやめた。
美味しいご飯と温泉、そして気のいいおじさんとの飲みニケーション。すっかり英気を養い、胃の痛みも和らいだ淳志は、満足げな足取りで温泉街を後にした。
――この時の淳志はまだ知る由もない。
この『飲み屋での単なる意気投合』が、後日大きな意味を持つことになることを。
どこまでも巻き込まれる男 それが淳志なのである。




