第47話:貴族包囲網。美魔女の打算と無邪気な卿(ロード)
中央アジアでのテロ事件から数ヶ月。
人質の救出と被害の最小化という水面下の功績により、欧州各国との間に強力な太いパイプを手に入れた大和商事は、空前の特需に沸いていた。
世界中から舞い込む新規プロジェクトの数々に、海外渉外課をはじめとする社員たちは連日てんてこ舞いの忙しさである。
そんな中、淳志のもとに、一際スケールの大きな指名案件が飛び込んできた。
「……イギリスから、原油と医薬品の独占取引のオファー? しかも、俺をご指名で?」
書類を見た淳志が目を丸くする。
取引先は、英国の歴史ある巨大なコングロマリット(複合企業)。その実質的なオーナーこそが、淳志がテロ現場から救い出した11歳の少女、シャーロットの実家である『アトキンソン家』を中心とした一族だったのだ。
「とんでもないスケールの恩返しが来たわね。……もちろん、受けるんでしょう?」
取締役室で、香織が呆れたような、それでいて誇らしげな笑みを浮かべていた。
かくして淳志は、香織を伴ってイギリスへと飛び、アトキンソン家が主催する絢爛豪華なレセプションパーティーへと出席することになった。
ロンドン郊外にある、歴史的な建造物を貸し切ったパーティー会場。
シャンデリアが煌めく広間で、淳志はタキシードを完璧に着こなし、香織をエスコートしていた。
「アツシお兄様!!」
銀の鈴を転がしたような声と共に、美しいフリルのドレスに身を包んだシャーロットが、満面の笑みで淳志のもとへ駆け寄ってきた。
「シャーロットちゃん。久しぶり、元気だった?」
「はいっ! お兄様にお会いしたくて、ずっと今日を待ちわびておりましたの!」
頬を薔薇色に染め、淳志の腕にギュッと抱きつくシャーロット。
その瞳には、隠しきれない(というより隠す気すらない)熱烈な好意が溢れ返っている。
だが、最強のタラシである淳志の危機管理能力は、こと『子供』相手となると信じられないほどにザルだった。
(いやあ、可愛いなぁ。命を助けたから、白馬の騎士様みたいに憧れてくれてるんだろう。女の子特有の『恋に恋するお年頃』ってやつだな)
かつて焼き鳥屋のミクを子供扱いして泣かせたことなどすっかり忘れ、淳志は完全に油断しきっていた。
淳志はスマートに跪くと、日本から持ってきた可愛らしい伝統工芸品の髪飾りを手渡し、そのまま彼女の手を取って優雅にダンスのステップを踏んでみせた。
周囲の貴族たちが微笑ましく見守る中、ナチュラルにタラシの業を垂れ流す淳志。
しかし、相手は歴史ある英国貴族。
ただの「子供の初恋」で終わらせてくれるほど、甘い世界ではなかった。
「……随分と、お熱のようですね」
会場の隅。
淳志とシャーロットのダンスを、警戒心MAXの絶対零度の瞳で監視していた香織の隣に、一人の紳士が歩み寄ってきた。
シャーロットの父親であり、アトキンソン家の当主、フレデリック子爵である。
「ええ。うちの小林は、少しばかり女性の扱いに慣れすぎているきらいがありまして」
牽制するように冷たく返す香織に対し、子爵は優雅にワイングラスを傾け、ふふっと笑った。
「娘を救ってくれた彼には、本当に感謝しています。……実は、彼の叙勲ですが、私が裏から手を回して『ナイト(騎士)』ではなく、『ロード(一代貴族の男爵)』に変更させてもらったのですよ」
「……男爵、ですか?」
香織の眉がピクリと動いた。
ただの騎士称号なら名誉で終わるが、男爵となれば、れっきとした貴族の仲間入りだ。
「ええ。我が家には嫡男がおりますし、そもそも英国では彼を入り婿にして子爵を継がせることはできません。ですが、彼が『ロード』であれば……愛する娘が、彼のもとへ『嫁ぎやすく』なりますからね」
さらりと放たれた、とんでもない爆弾発言。
香織は絶句した。親バカにもほどがある。いくら命の恩人で語学の天才とはいえ、どこの馬の骨とも知れない極東の商社マンを、一族総出で本気で取り込もうとしているのだ。
「そんな……いくらなんでも。彼には、日本で平穏な生活があります」
「貴族の業とでも言いましょうか。本来なら、シャーロットにも政略結婚という道が待っていました。ですが、どうせ嫁がせるなら、彼女が心底惚れ込んでいる、あの素晴らしい青年に預けたいと本家も承認しましてね」
子爵はそこで言葉を切り、香織の顔を真っ直ぐに見つめた。
そして、周囲に聞こえないような低い声で、悪魔の囁きを落とした。
「……日本の倫理観では難しいかもしれませんが。我々貴族は、『愛人』という存在には極めて寛容なのです。もし、どなたかに子供ができたとしても、責任を持って『認知』もさせますよ?」
「なっ……!?」
「英雄、色を好むと言いますからな。彼のような優秀な男が、一人の女性で満足するとは思えませんし」
子爵は、淳志の日本での複雑すぎる女性関係(主に香織たち)を完全に調べ上げた上で、別れさせるのではなく『全員ひっくるめての容認』という、恐るべき妥協案を提示してきたのだ。
さらに、子爵の後ろを通りかかったシャーロットが、香織に向かって無邪気な笑顔で手を振ってきた。
「アツシお兄様には、日本にたくさん素敵な女性がいると伺っておりますわ! 私、どんな『お姉様』ができるのか、今からとっても楽しみです!」
純真無垢な笑顔。
政略結婚が前提の貴族社会において「有能な男性は愛人を作るもの」という教育を施されている彼女にとって、香織たちの存在は敵ではなく、純粋に「新しいお姉様」でしかなかった。
「…………」
子爵とシャーロットが去った後、香織は一人、シャンパンのグラスを握りしめながら、凄まじい速度で脳内コンピューターを弾き始めた。
(……私と沙織、佳奈さんは、そもそも戸籍上の『結婚願望』なんてない。沙織は子供を欲しがっているけれど、英国貴族のネットワークで認知して庇護してくれるなら、むしろ好都合……)
(マリアちゃんは元々、たまのデート相手くらいにしか考えていない。ミクちゃんの気持ち次第だけど、シャーロットちゃんが成人するまで淳志くんと結婚して、その後『愛人ポジ』にスライドするなら、いけるのか……?)
日本の常識ではあり得ない、倫理観の崩壊したドロドロのハーレム協定。
だが、ビジネスの最前線で戦う『大和商事の女狐』たる香織にとって、最も重要な決定打は、別のところにあった。
(……よくよく考えたら、私たち全員、世界中を飛び回って仕事してるじゃない。……それに、淳志くんには『転移』の能力がある)
香織の口元に、ふっと妖艶な笑みが浮かんだ。
(……イギリスにいようが日本にいようが、淳志くんが『転移』を使えば、物理的な距離なんて関係ない。私たちが会いたい時に、今までと全く変わらずに会えるじゃないの)
チート能力の、あまりにも実用的すぎるインフラ活用。
香織の中で、すべての計算が完璧に成り立ち、淳志を囲い込むための巨大な『外堀』に、たっぷりと水が流し込まれた瞬間だった。
――そんな、大人たちの国家規模のドロドロとした密約が交わされていることなど、露知らず。
「わあ……! アツシお兄様、見てください! あの白馬、とっても綺麗ですわ!」
「本当だ。毛並みがツヤツヤですごいなー! あ、あっちの黒い馬もカッコいいぞ!」
パーティー会場の裏手にある広大な厩舎で。
淳志とシャーロットは、完全に蚊帳の外で、アトキンソン家が所有する美しいサラブレッドたちを見て無邪気に「キャッキャ」と盛り上がっていた。
「いつか、お兄様と一緒にあの馬に乗って、草原を駆けてみたいですわ」
「ははは、俺は馬なんて乗ったことないから、落馬しちゃうよ」
のんきに笑う、新米の『卿』。
彼が自らの置かれた『逃げ場ゼロの包囲網』に気づき、胃薬を大量に消費することになるのは、もう少しだけ先のお話である。




