第45話:天岩戸の開き方 タラシという人種と美魔女の悟り
――首都・レセプション会場。
華やかだったはずの大ホールは、硝煙の匂いと悲鳴に包まれていた。
自動小銃で武装した数十人のテロリストたちが、日本大使館の職員や各国の関係者、そして香織やマリアたちを床に座らせ、銃口を向けている。
「動くな! 少しでも妙な真似をすれば撃つぞ!」
怒号が響く中、ホールの死角に音もなく「漆黒の男」が姿を現した。
淳志は冷静にテロリストたちの配置を確認すると、一番近くで見張りに立っていた男の背後へと忍び寄り、チート能力『収納』を発動した。
対象は、男の肺と口の周りの「酸素」。
「……ッ、ガ……!?」
声も出せずに白目を剥いて倒れ落ちる男を片手で受け止め、淳志はすかさずその首筋に「バチバチッ!」とスタンガンを押し当てた。
本当は酸素を奪って昏倒させただけだが、これなら後から調べられても「スタンガンで気絶させられた」としか思われない。淳志は手早くワイヤーロックで男の手足を拘束すると、次々と他のテロリストたちを同じ手口で『処理』していった。
「な、なんだアイツは!?」
「撃て! 撃ち殺せ!!」
異変に気づいたテロリストたちが、一斉に淳志に向けてアサルトライフルを乱射する。
だが、弾丸が淳志を捉える直前、彼の姿はフッとブレて数メートル横へと『短距離転移』し、全くの無傷で敵の懐へと潜り込んでいく。
殴打からの酸素抜き。そしてスタンガンの念押しとワイヤーロック。
瞬きする間に武装グループを制圧していく謎の黒装束に、人質たちは言葉を失っていた。
「あ、あなたは一体……!?」
「ただの通りすがりの者です。怪我はないですか? これは日本の古武道……『ニンジャ』の技ですので、他言無用でお願いします」
淳志は香織とマリアに素知らぬフリをして、負傷者や高齢者に手早く応急処置を施していく。
その信じられない身のこなしに、人質たちは「おお、ニンジャ!」「サムライ!」と勝手に納得してくれていた。
「よし、今のうちに脱出を……」
淳志が人質たちを誘導しようとした、その時だった。
二階のバルコニーに身を潜めていたテロリストの首謀者が、逃げようとする香織の背中に向けて、凶悪なスナイパーライフルを構え、引き金を引いたのだ。
ダァァァンッ!!
轟音がホールに響き渡る。
だが、銃弾が香織を貫くことはなかった。
彼女の盾となるように一瞬で『転移』してきた淳志が、香織を庇い、その凶弾は淳志のフェイスマスクを穿った。
「きゃあっ!?」
衝撃で淳志の顔から漆黒のフェイスマスクが外れ、床に転がり落ちる。
チート能力『健康体』のおかげで銃弾のダメージは即座に無効化され傷一つ負っていなかったが、その素顔は、人質たちの前で完全に白日の下に晒されてしまった。
「こ、小林課長ォ!?」
マリアが目玉が飛び出るほど驚愕の声を上げる。
だが、彼女は生粋のミリオタであった。絶体絶命のシリアスな状況と、上司の正体が謎のニンジャ特殊部隊だったという衝撃をコンマ一秒で飲み込むと、目をキラキラと輝かせて淳志ににじり寄った。
「か、課長!! お願いです、どうか私にそのAK-74Uを撃たせてください!! 弾倉の交換だけでもいいですから!!」
「君は本当にどんな時でもブレないな!!」
淳志は必死にツッコミを入れながら、二階の首謀者に向けて手榴弾を正確に投げ込み、強烈な閃光と爆音で怯んだ隙に一気に距離を詰めて首謀者を殴り倒した。
「ふう、これで全員片付いたな。さあ、早く外へ!」
ようやく脱出できる。
全員が安堵の息を吐いた瞬間、首を絞め上げられていた首謀者が、血反吐を吐きながら狂ったように笑い出した。
「ハハハハッ! 遅い……もう遅いぞ! この建物には爆弾が仕掛けてある! 俺の心拍が止まるか、タイマーがゼロになれば……貴様ら全員、木端微塵だ!!」
ドォォォォンッ!!
首謀者の言葉を裏付けるように、ホールの端から順番に、壁や柱が爆発し始めた。
最初から人質を解放する気などなく、全員を道連れにする計画だったのだ。
淳志たちは慌てて建物の外へと飛び出し、間一髪で全員の脱出に成功した。
崩れゆく建物を前に、誰もがへなへなと座り込む。
その時だった。
「む、娘が……っ!」
テロリストに解放を懇願し、激しい暴行を受けて気を失っていた男性の人質が、意識を取り戻して叫んだ。
「テロリストが入ってきた時、11歳の娘をホールの奥のキッチンに隠れさせたんです……! お願いです、誰か……娘を助けて……っ!!」
血を流して懇願する父親。
だが、建物は次々に爆発を起こし、炎に包まれて崩壊を始めている。今から助けに向かうなど、完全なる自殺行為だった。
「…………」
淳志は、無言で崩れゆく建物へと向き直った。
「淳志くん……っ」
香織が、泣きそうな顔で淳志の袖を掴んだ。
彼女は、淳志が『健康体』のチートを持っているから、死ぬことはないだろうと頭のどこかで分かっている。
けれど、彼が今ここで再び炎の中に飛び込み、人知を超えた力で奇跡を起こしてしまえば……もう二度と、「平穏なサラリーマンとしての日常」には戻れなくなる。その痛いほどの「平穏で平凡でありたい」という彼の望みを香織は誰よりも理解していた。
淳志も、同じ思いだった。
だが、彼は香織の手を優しく握り返すと、自嘲するように、しかし最高にカッコいい男の顔で笑った。
「ごめん。……俺さ、世の中を救うヒーローになる気なんて、これっぽっちもないんだけど」
淳志は、香織の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「でも、この両手に抱えられる人たちくらいは、助けたいんだよ」
その言葉を残し、淳志は一切の躊躇なく、爆発と紅蓮の炎に包まれた建物の中へと飛び込んでいった。
――轟音。熱風。
視界を遮る黒煙の中を、淳志は最短距離で走り抜ける。
崩れ落ちる瓦礫を『収納』で消し飛ばしながら、ホールの奥のキッチンへと辿り着いた。
「誰か! いるか!!」
煙の充満するカウンターの隅で、小さな女の子が恐怖で丸くなり、意識を失いかけていた。
「見つけた……っ!」
淳志が女の子を両腕でしっかりと抱き抱えた、その瞬間。
キッチンの天井に仕掛けられていた、最大の爆発物が火を噴いた。
ドドォォォォォォォンッ!!!
凄まじい爆発が、建物の中心を完全に吹き飛ばした。
外にいた人質たちや、駆けつけた政府軍の目の前で、レセプション会場は無惨な瓦礫の山と化して崩れ落ちた。
「嘘……そんな……。課長、小林課長ォォォォッ!!」
マリアが、膝から崩れ落ちて慟哭する。
他の人質たちも、自らの命を投げ打って炎の中に消えた東洋人の青年に、涙を流して祈りを捧げていた。
ただ一人、香織だけを除いて。
「……ッ、何してるんですか、取締役! 淳志課長が死んじゃったのに、なんでスマホなんて弄ってるんですか!!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしたマリアが、冷静にスマートフォンの画面を操作している香織に向かって憤りの声を上げた。
しかし、香織は冷ややかな目でマリアを見下ろし、ピシャリと言い放った。
「うるさいわよ、お嬢ちゃん。……綾小路さん、泣いてる暇があったら、そこの政府軍に『ここに二人の生存者がいる』と伝えなさい」
「えっ……?」
香織が指さしたスマートフォンの画面。
そこに表示されていたのは、『AirTag』の現在位置を示すレーダーだった。
あの時、浮気防止のために淳志に持たせたGPSが、瓦礫の下の特定のポイントで、ピコンピコンと力強いサインを発し続けていたのだ。
「えっ? ええっ!? はいっ!!」
マリアは慌てて涙を拭い、流暢なロシア語で政府軍に生存者の位置を正確に伝達した。
重機が入り、瓦礫が慎重に撤去されていく。
やがて、完全に崩落したキッチンの床下に設けられていた、頑丈な『野菜の保管庫』の分厚い扉が姿を現した。
政府軍の兵士たちが力を合わせてその扉をこじ開けると。
「……淳志くん!」
香織が覗き込んだその薄暗い空間の中。
淳志は煤だらけになりながらも、腕の中でスヤスヤと眠る11歳の女の子をしっかりと抱きしめ、気まずそうに、けれど安心したように「へへっ」と笑っていた。
とっさの判断で、女の子を抱えたまま床下の保管庫へと飛び込み、崩落の衝撃を『収納』で相殺して見事に生き延びていたのだ。
その光景を見た瞬間。
11歳の小さな女の子にまで無意識にタラシのオーラを振り撒き、彼女の命と安心を完璧に守り抜いた愛する男の姿を見て。
「……あ!」
香織の中で、パズルの最後のピースがカチリとはまった。
「そうか、そうか……。この人って『タラシ』っていう特別な人種なんだわ。だから、これがこの人にとっての『正常』で、『普通』のことなのね!」
ストン、と。
香織の心にまとわりついていた嫉妬も、怒りも、天岩戸の扉も。すべてが、大いなる諦めと共に跡形もなく溶け去っていた。
それは、美魔女がたどり着いた、完全なる『悟り』の境地だった。
「香織さーん、ごめん。ちょっとだけ手、貸してくれない?」
瓦礫の下から苦笑いで手を伸ばす最強のタラシを、香織は、この世の何よりも愛おしそうな、極上の笑顔で引き上げ上げるのだった。




