第38話:お姫様抱っこと遅れてきた青春
海外渉外課が抱える問題児は、洋画かぶれとラテン系ナンパ男だけではない。
ドイツの金融都市、フランクフルト。重厚な石造りのビルが立ち並ぶ街を歩きながら、淳志は隣を歩く地味な丸眼鏡の女性部下を見て、密かに頭を抱えていた。
彼女の名前は、綾小路マリア。24歳。
由緒正しき公家由来の「綾小路」という名字に、カトリックの家系ゆえに名付けられた「マリア」というカタカナの名前。そのあまりにも目立つ名前のせいで、彼女は幼い頃から周囲にからかわれ続けてきた。
そのコンプレックスの反動から、彼女はあえて地味な格好に身を包み、現実逃避するように歴史や軍事の知識に没頭し、見事なまでの「ミリオタ&歴女」として成長してしまったのである。
「――ですので、我々はこの条件を断固として拒否し、徹底抗戦の構えをとらせていただきます」
「……What?」
先ほどのドイツ企業との会議室。
語学の天才であるマリアのドイツ語文法は完璧だったが、彼女の言葉選びは完全に『宣戦布告』のそれだった。
悪気は一切ない。ただ、遠回しなビジネス用語の代わりに、彼女の脳内にストックされている大量の「軍事用語」がそのまま出力されてしまうのだ。
ドイツ人の重役たちが「この日本の会社は武力制圧でも企んでいるのか?」とドン引きした空気を、淳志はチート能力『言語理解』で瞬時に察知し、慌ててマイルドな表現に訂正して回る羽目になったのだ。
その日の夜。
フランクフルトの街角で、淳志はマリアを静かに諭していた。
「マリアちゃん。君の語学力は素晴らしいよ。でもね、自分の好きな分野だからって、誰もが軍事や歴史の言葉を喜ぶわけじゃない。相手の気持ちを慮ることが、交渉では一番大切なんだ」
淳志の優しくも厳しい言葉に、マリアは俯いていた顔をバッと上げた。
その丸眼鏡の奥の瞳には、いっぱいの涙が溜まっていた。
「……慮るって、何ですか」
「えっ?」
「今まで誰も、私の気持ちなんて慮ってくれませんでした! みんな名前ばっかりからかって! 私、相手の気持ちなんてどうやったら分かるのか、全然知らないんです!!」
溜め込んでいた感情を爆発させたマリアは、そのまま夜のフランクフルトの街へと駆け出してしまった。
淳志は「しまった」と舌打ちし、すぐさま彼女の後を追った。
しかし、不慣れな異国の夜の街。
マリアが逃げ込んだ先は、灯りの少ない薄暗い路地裏だった。
「ヒッ……!」
追いついた淳志が見たのは、路地の奥で、ガラの悪い移民のギャング数人に囲まれて震えるマリアの姿だった。
「おやおや、東洋の可愛いネズミが迷い込んだぜ」
ニヤニヤと笑いながら近づく男たち。淳志はため息をつきながら、マリアを庇うように前に出た。
そして、襲いかかってきた先頭の二人を、無駄のない動きで軽々と殴り飛ばした。
「チッ、この野郎……!」
仲間が倒されたのを見た残りの一人が、懐から黒光りする拳銃を抜いて淳志に向けた。
絶対絶命のピンチ。……しかし、淳志の背後に隠れていたマリアが、その銃を見た瞬間にパァッと顔を輝かせた。
「ひぃっ……あ、あれはSIGザウエル!? 本物見るの初めて……!」
「君は本当にブレないな!」
淳志は呆れつつも、路地裏の暗がりを利用してチート能力『転移』を数メートルの短距離で発動させた。
傍目には、淳志の姿が一瞬ブレて消えたようにしか見えない。
次の瞬間、淳志は銃を構えた男の真横に立ち、その手首を容赦なくへし折った。
「ギャアアアッ!?」
「さあ、お仲間を連れてとっとと消えな」
淳志が冷たく見下ろすと、ギャングたちは悲鳴を上げながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
静寂が戻った路地裏。
マリアはホッとしたように息を吐いたが、すぐに気まずそうにそっぽを向いた。
そんな彼女を、淳志はヒョイッと軽々と抱き上げた。見事な『お姫様抱っこ』である。
「きゃあっ!? な、何するんですか課長! こんなの恥ずかしくて、嫌です!」
「嫌か? ほら、君もさっきの会議で、相手が嫌がる言葉を押し付けてただろ?」
「うっ……」
「相手を過度に持ち上げる必要はないんだよ。ただ、相手が『嫌なこと』をしないだけで、十分なんだ」
淳志の言葉に、マリアは図星を突かれたように口ごもった。
そして、顔を真っ赤にしながら淳志の胸をポカポカと叩く。
「わ、分かりましたから! じゃあ、降ろしてください!」
「うーん、なんか楽しくなってきたからヤダ」
淳志が意地悪く笑うと、マリアは「課長のバカ!」と抗議しながらも、その温かく力強い腕の中で、少しだけ安心したように身を委ねた。
ホテルに戻った後。
明日の契約の最終確認をするため、淳志の部屋を訪れたマリアは、またしても涙ぐんでいた。
「……でも、やっぱりどうすれば相手の気持ちが分かるのか、私には分かりません」
ぽろぽろと涙をこぼすマリア。
淳志はため息をつくと、そっと彼女の小さな手を取った。
「俺も、他人の気持ちのすべてなんて分からないよ。でもね……今みたいに泣いている女の子がいたら、その手を取るべきだってことくらいは分かる」
「……先輩」
マリアが、潤んだ瞳で淳志を見上げる。
淳志の脳内で、理性のサイレンが鳴り響いた。
(バッカ! お前やめとけって! また女性陣にバレたら、今度こそ本当に刺されるぞ!?)
しかし、目の前にいる、殻に閉じこもって泣いていた不器用な女の子を放っておけるほど、淳志の『タラシの業』は弱くなかった。
淳志は抗うのを諦め、静かに彼女を引き寄せた。
翌日の朝食の席には、何事もなかったような顔で、しかしどこか晴れやかな表情でパンをかじるマリアの姿があった。
数日後、日本への帰国。
三日間の帰国休暇を終えて海外渉外課に出社してきたマリアを見て、部署の人間は全員が目を丸くした。
「おはようございます、小林課長!」
そこにいたのは、地味な丸眼鏡を外し、髪型も服装もすっかり垢抜けた、見違えるような美女だった。
元々の素材が良かったのもあるが、淳志が持つ『健康体』のチートの恩恵(?)を受け、彼女の肌は内側から発光するようにピカピカに輝いていたのだ。
マリアは淳志のデスクの前に来ると、周りには聞こえないような小さな声で、ウインクをして囁いた。
「課長……ううん、淳志先輩。たまにはまた、デートしてくださいね?」
彼女の中にある淳志への感情は、重い恋愛感情というよりも、「自分の殻を割ってくれたことへの感謝」と「憧れ」に近いものだった。
ずっとコンプレックスに縛られていた彼女は、淳志のおかげでようやく『遅れてきた青春』をスタートさせることができたのだ。淳志ともたまに遊びたいが、これからもっと良い人を見つけて、普通の恋もしてみたい。そんな前向きな明るさが、今のマリアには満ち溢れていた。
「ああ。いつでも付き合うよ」
眩しいほどに綺麗になった部下の成長を、淳志は心から嬉しく思いながら、最高に大人の余裕を感じさせるイケメンな笑顔でキメた。
――しかし。
そんなカッコいいままで終わらせてくれないのが、この問題児だらけの海外渉外課である。
「ありがとうございます! あ、そうだ!」
マリアが、突然パァッと顔を輝かせて言った。
「私、自分の殻を破れた記念に、フランクフルトでの先輩との『夜の白兵戦(特別訓練)』に関する詳細なAAR(戦闘行動録)を、社内の女子ブログにアップしてもいいですか!? 導入した戦術や、先輩のチートみたいな無尽蔵のスタミナについても詳しくレポートにまとめました!」
ミリオタ特有の謎の報告義務と、天然ゆえの発言。
「ぜ、ぜっっっっっっ対にやめてええええええええっ!!!」
数秒前までの大人の余裕はどこへやら。
淳志は完璧な笑顔を粉々にへし折られた。
「えっ? でも情報の共有は部隊の士気向上に繋がると……」
「頼むからそのミリタリー脳をどうにかしてくれぇぇ!!」
やはりこの小林課長、カッコいいスパダリのままでは終われない運命なのである。




