よくあるウィスキー・ボンボンの話
明けましておめでとうございます。長らく更新が停滞していました。
お待ちくださった方々、ありがとうございます。
1月ですが、梅雨頃の話です。季節感皆無。
登場人物の性格がかなり変化しています。ご注意ください。
その日は珍しく、ゆかり先輩が部活を休んでいた。
「今日は家でやらなきゃいけないことがあるんだと」
明良先輩はつまらなさそうに本を捲りながら、あたしにそう報告した。いつ見てもこちらが居心地の悪さを感じるほどの美しい顔だけど、加えて今日は纏っている空気が人を拒絶しているように思える。思えるっているか、してる。恋人であるゆかり先輩がいないからなのかな? いや、数こそ少ないけど、今までだって彼女が部活を休むことはあった。そもそも、あたしと違って二人はクラスが同じなのだから、教室ではいつも通り顔を合わせているはず。よって、原因は恋人の不在ではない、と。じゃあ、今日は一体どうしたというのだろう。あたしは内心大きな溜息を吐いた。目の前に座る美貌の先輩の扱いは、かなり面倒く……神経を使うのだ。
とりあえずまずは軽いジャブ。
「そうですか。今日はおいしいチョコレートを持ってきたのに、残念です」
「それは残念だったな」
バッサリ切られた。やっぱりダメか。っていうか拳に対してって刃物どうなの。
本来なら、この麗人の対処はゆかり先輩が担当している。彼女が明良、と優しい声で呼びかけるだけで、明良先輩の機嫌はすこぶる良くなるから。それはきっと彼らの中に、ややもすれば執愛とも言えてしまえそうな、確固たる絆があるからなのだ。でも、あたしにはそれがない。なくていい。
と、いうことで。後輩は後輩なりの応対術を使うことにした。
「明良先輩、眉間に皺が寄ってますけど、何かあったんですか? かわいーかわいー後輩が、心底心配してますよぅ」
頬に手を当てて、さも困ったという表情を作って明良先輩を見る。一瞬、きょとんとした顔をされるけど、徐々に彼の眼尻が和らぎ、ふっというため息ともつかない笑い声が薄い唇から発された。
よし、成功みたいだ。
「どこに可愛い後輩がいるんだ」
「目の前にいるじゃないですか」
「七緒さんと俺では、そもそも『可愛い』の定義が違うみたいだな」
明良先輩は本を閉じて、あたしの目を見ながら薄く微笑んだ。うーん、やっぱり綺麗な人。ゆかり先輩と心を通わしてから、彼はその彫刻みたいに整った顔に、ほんの少しの人間味が覗くようになった。おそらくは無意識なんだろうけど、それが更に先輩の美しさを際立たせる結果に繋がっている。普通の人がこんなシーンに遭遇したら、言われていることがなんであっても、間違いなくハートをバキュンと射抜かれていることだろう。
あたし? あたしは絶対無理。顔は良くても中身が、ね。
「じゃあその『可愛い後輩』さん、チョコレートを食べながらお茶でも飲もうか」
「あ、結局食べる気になったんですね」
「わざわざおいしいと頭に付けるほどだし、興味が湧いた。不味かったらゆかりにあることないこと吹き込むから」
「それ、明良先輩の評価が下がるだけですよ。あ、お茶はどうします?」
どうでもいい軽口の応酬を経て、飲み物を買うなら自動販売機に、と口火を切ったあたしを彼はやんわりと制した。
「七緒さんの分もあるから、大丈夫」
明良先輩はそう言って、持っていた本を仕舞いつつ鞄から何かを取り出そうとする。恐らく、ペットボトルの飲料水だろう。ゆかり先輩がいないとあらかじめわかっている時、彼は必ずと言っていいほどあたしのために飲食物を用意してくれている。うん、完璧に餌付けだね。傍から見ればお爺ちゃんが孫に内緒でお小遣いくれてるようなもんなんだけど、先輩の場合はそこに罪悪感が少し絡んでいるのだろう。彼が不注意で私に怪我を負わせそうになったのはもう二カ月以上前のことで、互いに水に流す約束もした。なのに、律儀にもこういった形でその贖罪をしようとするのは、真面目と言うか、なんというか。でも、それで胸のつかえが取れるなら、あたしは素直にお礼を言って受け取るのが互いに幸せだと思うのだ。
「わあい。ありがとうございます」
「紅茶だけど、いい?」
「勿論です」
そうして二人でいそいそとチョコレートの紙包みを開ける。蓋を取ると、中からほわんと甘い香りが広がった。
「あ、結構色々なかたちのものが入ってるんですね。かわいい、あたしはニワトリのがいいです」
「そうか、じゃあ俺はキリンで」
互いにいただきますと言って、チョコレートを口に放り込む。一口サイズのそれは、歯を立てるとカリッという食感の後に口の中に液体を広がらせた。と同時に、強いアルコールの臭いが鼻腔をついた。
え、これウイスキー・ボンボンだったの?
嚥下すると胃の中がカッと熱くなった。強い。慌ててペットボトルに口をつけて中和させる。先輩を見ると、少し眉根に皺を寄せていた。ただ、特に取り乱した様子はない。
「吃驚したな、お酒が入っていたのか」
「すいません、あたしも知らなくて――大丈夫ですか?」
体質的に一切受け付けられない人もいると聞く。この様子だと先輩も結構強そうだから、あんまり心配はしてないけど。
「俺はそんなに。七緒さんこそ平気なのか?」
「ああ、あたしは実家でお神酒とかをいただいていたので」
と、そこまで言って、なんだか口を滑らせたらしいことに気付く。
「お神酒?」
もう、普段なら絶対こんなボロを出さないのに。実家の話はできるだけ避けるようにしてきたっていうのに、早くも酔いが回ってきたのかな。あたしが急いで何でもないです、と誤魔化すと、先輩は少しぼんやりした瞳で、そうかと流してくれた。
ふう、助かった。
「――だからゆかり以外の女は大嫌いなんだよ!」
嘘ぴょーん。助かってません。
「あいつら、見た目だけ着飾って頭には何にも詰まってねえ。いいとこに嫁いで楽な生活を送ることしか考えられねえんだから、不愉快なんだよ。俺の視界に入ってくるなっての」
結構強そう? オホホ、面白いこと言うのね。
全っ然強くねぇや。
「それに対してゆかりは本当に性格がいいよな。優しいし、人のこと馬鹿にしないし、かわいいし、癒されるし」
なにこれ、絡み酒? 未成年だからよくわかんないんだけど、こういうの絡み酒っていうの? それとも惚気酒か。チョコレートを食べて少ししてから急に酔いが回ったのか、そこからかれこれ三十分はゆかり先輩の話をし続けている。そろそろこっちの酔いも醒めるっつーの。
ついでに、先ほどの機嫌の悪さについての理由も察せられた。どうやらゆかり先輩「なんか」と付き合わないで、自分と付き合ってほしいという告白を受けたようだ。これは推測でしかないけど、その地雷を踏んだのは一年、あるいは二年生だろう。明良先輩が狂ったようにゆかり先輩だけを求めているのは、同学年の人なら大体は知っているはずだ。聞いたところによると、明良先輩は去年本性を現す間際のことをして、そこから腫れ物に触るような扱いを受けているらしい。どうせそれも彼の望み通りの展開なんだろうけど。明良先輩の人心掌握術は、あたしが実家に暮らしていた時もそうそう目にしたことがないくらい鮮やかなものだ。それを知らない後輩たちは、最近急に穏やかな表情になった彼を、今なら懐柔できると踏んだのだろう。馬鹿馬鹿しい。牙を隠しているとはいえ、彼は獣なのだ。単純にゆかり先輩を手に入れられてご満悦なだけで、その鋭い歯は折れてはいないとあたしは踏んでいる。
「ねえ、七緒さん、聞いてるの」
「あー、はい。ゆかり先輩って優しいですよね。人のことを馬鹿にしないし、かわいいですし、癒されますし」
「いや、それだけじゃなくてさ」
それだけじゃねえのかよ――っと、あたしもまだお酒が残ってるみたいだ。明良先輩同様、言葉遣いに乱れが生じてる。普段はこんな汚い言葉遣いじゃないんですよ。ホントホント。
普段から明良先輩のゆかり先輩自慢(いわゆる惚気)は聞き続けてきたし、慣れたつもりでいた。でも、うん。あれでも結構セーブしてくれてたんだってことを、身にしみて感じてます。話が長ぇんだ。話半分に聞いてると、不意の質問に答えられられなくなってまた聞き直さなきゃいけなくなるから、単語だけはどうにか拾うようにしてる。にしても、長ぇ。
「クラスで仕事押し付けられても嫌な顔一つしないし」
で、その後ろで明良先輩が威嚇してるんですよね。結果的には仕事は回ってこないって、あたしちゃんと知ってます。
「外のベンチで昼ご飯を食べるときは、俺の分まで汚れを手で払ってから座ってたし」
で、次の時から明良先輩がレジャーシートとクッションを持参するようになったんですよね。たまたま教室から見えたんですけど、なんか一つだけ玉座みたいになってましたよ。ゆかり先輩に止められて、その後は目立たないものに変えたみたいですけど。
「俺が修学旅行で買った時計を、ずっと着けてくれてるんだ」
知ってますぅ。その時計って有名ブランドの、間違っても高校生が他人にあげるような値段じゃないやつですよね。ゆかり先輩もなんとなくそれを察してるみたいで、結構気を遣って傷つけないようにしてるみたいですよ。あと、前に一度着け忘れてきた時、先輩が笑顔のままめちゃくちゃ不機嫌になったことも影響してると思いますぅ。
ふう。心の中で嫌味を言うと、なんとなく気が晴れる。見た目は王子様もかすむようなキラキラ具合なのに、中身が残念すぎて悲しくなる。失礼だけど、これを知っても先輩を好きでい続ける人なんているの?
あ。
「……それに、こんな俺とも付き合ってくれるし」
ゆかり先輩か。
明良先輩は自分で言って自分で落ち込んだのか、下を俯いてしまっている。
「なら、海より広い心を持つゆかり先輩のこと、大切にしてくださいよ」
あたしは少しの真面目さを帯びさせて、言い聞かせるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「ゆかり先輩は、そういう明良先輩を好きだって言ってくれたんでしょう。なら、あんまり困らせることなんてしないで、仲良くしててくださいよ」
「……」
無反応。んもう、まだ落ち込んでるのか。
それなら今日は少しの酩酊感にまかせて、彼には言ったことのない、あたしの心の声を口にしよう。
「二人の恋愛は、あたしにはどうしたって叶わない。萩月の家に女として生まれたあたしには。だから――」
照れますけど、先輩たちはあたしの理想なんですよ。
そう言おうとしたところで、ガクン、と明良先輩の頭が机にダイブした。
「え?」
まさか。二話連続でこんな古典的なオチってある?
そう思うけど、彼の表情を恐る恐る確認すると、黒曜石のような瞳はしっかりと薄い瞼の下に隠されていて。続いてすーすーという、規則正しい寝息。
「……」
「……」
「……寝とるんかい」
意識のない人に向かって話しかけていた恥ずかしさと、結局自分の本音を聞かれなかったという少しの安堵が胸を満たす。でもやっぱり恥ずかしいことには変わりはない。っていうか、腹立つ。ということで。
「先輩、悪く思わないでくださいね」
あたしは明良先輩を置いて一人で帰宅した。
彼の背中に「ノロケバカ」と書いた用紙を張り付けて――。