「空っぽの日々」
季節は、夏になった。
私は高校生活にも慣れ、友達と遊ぶ時間が増えた。
体育祭ではクラスのみんなと騒いだ。
試験前には図書館で勉強した。
休日には家族と出かけた。
毎日は、ちゃんと楽しかった。
それでも、時々。
何でもない瞬間に、胸の奥が痛くなる。
街で見かけた綺麗な花。
本屋に並んだ難しそうな洋書。
喫茶店から聞こえてきたピアノの音。
そのたびに、刹那を思い出した。
『……元気かな』
夢の中の人に、元気も何もないのかもしれない。
それでも、考えてしまう。
今もどこかで、難しい本を読んでいるのかな。
相変わらず、口が悪いのかな。
ちゃんと笑っているかな。
そして。
あの最後の夜に言ってくれた言葉を、何度も思い返す。
――絶対迎えに行く。だから待ってろよ、馬鹿。
『……待ってるよ』
私は誰にも聞こえない声で呟いた。
⸻
同じ頃。
刹那は、父親の書斎に呼ばれていた。
「今後の進路についてだが」
重厚な机の向こうで、父親が書類をめくる。
「高校卒業後は、予定どおり海外で学んでもらう。帰国後のことも、すでに考えてある」
「……はい」
「お前には将来、会社を背負ってもらう。余計なことに時間を使うな」
「……分かっています」
父親は満足そうに頷いた。
刹那は表情を変えずに部屋を出た。
長い廊下を歩きながら、ふと窓の外を見る。
広い庭。
整えられた木々。
けれど、あの庭園とはまるで違う。
「……余計なこと、ね」
小さく笑った。
父親にとっては、夢も恋も、くだらないものなのだろう。
実際、夢の中の女を好きになったなどと言えば、正気を疑われるに違いない。
それでも。
「……迎えに行くって、言ったからな」
刹那はポケットに手を入れた。
当然、あの指輪はない。
目を覚ましたとき、どれだけ探しても見つからなかった。
彼は空っぽの手を握りしめる。
「……忘れねぇよ」
それだけは、誰にも決めさせない。




