「夢のない日々」
あの日から、私は夢を見なくなった。
一日目。
二日目。
一週間。
一か月。
どれだけ眠っても、目を覚ませば朝だった。
白い噴水も、薔薇の咲く庭園も、あの大きな洋館も。
そして、刹那も。
もう、どこにもいなかった。
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『……おはよう!』
「さくら、おはよー!」
教室に入ると、友達が手を振ってくれた。
私はいつもどおり笑って、自分の席に座る。
「ねえ、昨日の数学の宿題やった?」
『やったよ! でも最後の問題、難しくなかった?』
「分かる! 全然解けなかった!」
『あはは、私も!』
笑いながら教科書を取り出す。
ふと、最後の問題に目が留まった。
以前なら、こういうとき。
――お前、ここで符号間違えてんだよ。
そんな声が聞こえてきた。
『…………』
「さくら?」
『……あ、ううん! 何でもない!』
私は慌てて笑った。
友達は不思議そうに首を傾げたけれど、それ以上は聞かなかった。
⸻
放課後。
友達と寄り道をして、甘いものを食べた。
新しくできたお店の話をして、好きな芸能人の話をして、くだらないことで笑った。
楽しかった。
本当に、楽しかった。
それなのに。
帰り道、夕焼けを見上げた瞬間。
『……刹那にも、見せたかったな』
無意識に呟いていた。
慌てて口を閉じる。
誰も聞いていなかったことに、少しだけ安心した。
⸻
夜。
机に向かって宿題を終わらせ、明日の準備をする。
お風呂に入って、髪を乾かして。
いつもどおり、布団に入る。
以前は、この時間が一番楽しみだった。
眠れば、刹那に会えたから。
でも、今は違う。
『……おやすみ』
小さく呟いて、目を閉じる。
次に目を開けたときには、朝日が差し込んでいた。
夢は、何も見なかった。
⸻
一方、神城刹那の日常も、何事もなかったかのように続いていた。
午前六時。
決まった時間に起床する。
朝食を済ませ、制服に着替え、迎えの車に乗る。
学校では授業を受け、放課後には家庭教師による指導。
語学、経営学、ピアノ。
父親から課された予定は、相変わらず隙間なく並んでいた。
「刹那様、来週の予定についてですが」
「……ああ」
「土曜日は会長との会食がございます。その後、海外からのお客様との――」
「……分かった」
以前なら、面倒だと思いながらも淡々とこなしていた。
今も、そうしている。
ただ、夜が来ることを楽しみにしなくなった。
⸻
「……刹那様?」
ピアノの前で、手が止まった。
「何かございましたか?」
「……いや」
彼は鍵盤から指を離した。
以前、夢の中で弾いた曲だった。
あのとき、隣でさくらが目を輝かせていた。
――すごい! もう一回弾いて!
「…………」
「刹那様?」
「……今日は、ここまでにする」
「ですが、まだお時間が――」
「……聞こえなかったか?」
低い声に、教師は口を閉じた。
刹那は立ち上がり、部屋を出た。
廊下を歩きながら、乱暴に前髪をかき上げる。
「……くそ」
たかが夢だ。
頭の中で作り上げた、都合のいい存在。
そう思えば、忘れられるはずだった。
けれど。
あの夜、指輪をつけようとした瞬間。
彼女の手が透けた。
何度掴もうとしても、触れられなかった。
あの感覚だけが、どうしても消えない。




