「おばけたちの晩餐会」
『……え?』
目を開けた瞬間、私は思わず声を漏らした。
いつもの庭園が、見たこともない姿に変わっていた。
木々には橙色のランタンが吊るされ、石畳には小さなかぼちゃがずらりと並んでいる。
噴水から流れる水は、なぜか薄紫色。
そして、空には大きな満月が浮かんでいた。
『……ハロウィン?』
今日は十月三十一日。
現実でも、街中が仮装やお菓子で賑わっていた。
けれど、まさか夢の中までハロウィン仕様になっているなんて。
『……すごい!』
私は思わず駆け出した。
すると、背後から聞き慣れた声がした。
「……おい、馬鹿。走んな」
『刹那!』
振り返った私は、思わず足を止めた。
「……何だよ」
『……その格好、どうしたの?』
刹那は黒い燕尾服を着ていた。
襟元には深紅のリボンタイ。肩には裏地の赤いマントがかかっている。
いつもの服装とはまるで違う。
まるで、物語に出てくる吸血鬼みたいだった。
「……知らねぇ。気づいたらこうなってた」
彼は不機嫌そうにマントを引っ張った。
「何なんだよ、これ。邪魔くせぇ」
『……似合ってる!』
「……は?」
『すっごく格好いい!』
刹那は一瞬、言葉を失った。
「……お前、そういうこと平気で言うよな」
『だって本当だもん』
「……うっせぇ」
彼は顔を背けた。
その耳が、ほんの少し赤い。
「……つーか、お前も人のこと言えねぇだろ」
『……え?』
言われて自分の服を見る。
いつものワンピースではなかった。
黒と紫のふんわりしたドレス。腰には大きなリボンが結ばれ、頭には小さな魔女の帽子。
『……わぁ!』
思わず、その場でくるりと回った。
『見て見て! 魔女みたい!』
「……見りゃ分かる」
『どう? 似合う?』
刹那は私を上から下まで眺めた。
そして、少しだけ視線を逸らす。
「……まあ、悪くねぇんじゃね」
『えー! もっと褒めてよ!』
「調子乗んな、馬鹿」
そう言いながら、彼は私の帽子がずれているのに気づくと、黙って直してくれた。
⸻
洋館へ続く道を歩いていると、どこからか音楽が聞こえてきた。
軽やかなヴァイオリンとピアノの音色。
それに混じって、賑やかな笑い声まで聞こえる。
『……ねえ、誰かいる!』
「……あ?」
私たちは顔を見合わせ、洋館へ向かった。
大きな扉の前には、かぼちゃのランタンがいくつも並んでいた。
扉を開けた瞬間。
『……わあっ!』
広いホールには、たくさんのおばけがいた。
白いシーツを被った小さなおばけ。
ふわふわ浮かぶ半透明の紳士。
大きな帽子を被った魔女に、骨だけの楽団。
みんな楽しそうに笑い、踊り、料理を運んでいる。
「……何だよ、これ」
刹那が呆然と呟いた。
すると、一匹の小さなおばけが私たちの前に飛んできた。
『わっ!』
おばけはぺこりと頭を下げると、宙に浮かぶ銀色のトレーを差し出した。
その上には、二枚の招待状。
私は一枚を手に取った。
そこには、金色の文字が並んでいた。
『今宵、月が最も高く昇る夜。迷い込んだお二人を、晩餐会へご招待いたします。』
『……晩餐会だって!』
「……怪しすぎんだろ」
『でも、楽しそう!』
「……お前、警戒心ってもんがねぇの?」
私は笑いながら、刹那の腕を引っ張った。
『行こうよ!』
「……ったく。勝手にどっか行くなよ」
文句を言いながらも、彼はついてきてくれた。
⸻
大広間には、長い長い食卓が用意されていた。
テーブルには、かぼちゃのスープや焼きたてのパン、色鮮やかな果物。
おばけの形をしたクッキーに、目玉のような飾りが乗ったケーキまで並んでいる。
『……すごい!』
「……食い物まで変なのかよ」
『あっ、見て! このクッキー可愛い!』
私が手を伸ばすと、クッキーが突然ぴょんと跳ねた。
『きゃっ!』
「……っ、何だ!?」
クッキーはテーブルの上を走り回り、そのまま小さなおばけの口へ飛び込んだ。
おばけは満足そうに身体を揺らしている。
『……食べられちゃった』
「……お前が食われなくてよかったな」
『そんなに食いしん坊じゃないもん!』
刹那は鼻で笑った。
すると、燕尾服を着た半透明の執事が近づいてきた。
「ようこそ、お若いお客様方。今宵はどうぞ、心ゆくまでお楽しみくださいませ」
『ありがとうございます!』
「……どうも」
執事は優雅に一礼すると、私たちを食卓へ案内した。
⸻
食事が始まると、広間はさらに賑やかになった。
おばけたちはグラスを掲げ、骨の楽団が陽気な曲を奏でている。
私はかぼちゃのスープを一口飲んだ。
『……おいしい!』
「……へぇ」
『刹那も飲んでみて!』
「……分かったから騒ぐな」
刹那もスプーンを口に運ぶ。
「……まあ、うまいな」
『でしょ!』
私は嬉しくなって笑った。
すると、向かいに座っていた小さなおばけが、私たちを交互に見つめた。
そして、にこにこと笑いながら言った。
「まあまあ、仲のよろしい恋人さんたち!」
『……え?』
「……は?」
私と刹那の声が重なった。
『こ、恋人じゃありません!』
「誰がこんな馬鹿と!」
「まあ! 照れ屋さんなのねぇ!」
おばけは楽しそうにくるくる回った。
私は頬が熱くなるのを感じた。
『……もう!』
刹那も不機嫌そうに顔を背けている。
けれど、その耳は真っ赤だった。
⸻
食事が終わる頃、楽団の演奏がゆったりとした曲に変わった。
広間の中央では、おばけたちが手を取り合い、優雅に踊り始めていた。
『……綺麗』
私は思わず見入ってしまった。
透き通ったドレスの裾が揺れ、光の粒が舞い散る。
まるで絵本の中みたいだった。
すると、先ほどの執事が近づいてきた。
「お嬢様も、一曲いかがですかな?」
『……えっ!?』
「せっかくのお召し物です。ぜひ、こちらのお連れ様と」
私は慌てて首を振った。
『む、無理です! 私、踊れません!』
「ご心配なく。お連れ様は、ずいぶんお上手そうですから」
執事が刹那を見る。
刹那は面倒くさそうにため息をついた。
「……何で俺が」
『……刹那、踊れるの?』
「……一応な」
『すごい!』
「……別に。習わされてるだけ」
彼はそう言って立ち上がった。
そして、私の前に手を差し出す。
「……ほら」
『……え?』
「踊りてぇんだろ」
『……でも、私できないよ?』
「……俺が教えてやる」
私は差し出された手を見つめた。
大きくて、綺麗な手。
少しだけ緊張しながら、その手を取る。
『……よろしくお願いします』
「……何だよ、急にかしこまって」
刹那は小さく笑った。
⸻
広間の中央に立つと、刹那が私の手を握り直した。
「……右手、ここ」
『……うん』
「左手は俺の肩」
『……こう?』
「……そう」
彼の手が、そっと私の背中に添えられた。
思っていたより、ずっと近い。
『……っ』
「……何固まってんだよ」
『……だって、近い』
「……踊るんだから当たり前だろ」
そう言う刹那も、少しだけ視線を逸らしていた。
音楽に合わせて、ゆっくりと足を動かす。
一歩。
二歩。
『……あっ!』
思わず彼の足を踏んでしまった。
「……いってぇ!」
『ご、ごめん!』
「……ったく。足元見ろよ」
『見てるもん!』
「見てて踏むな!」
私は思わず笑ってしまった。
刹那も呆れたように笑う。
何度か失敗しながらも、少しずつ動きが合ってきた。
気づけば、周りのおばけたちも楽しそうに拍手している。
『……ねえ、刹那』
「……何」
『……楽しいね』
刹那は私を見下ろした。
一瞬、何か言いかけて。
それから、小さく笑った。
「……まあな」
その笑顔を見た瞬間。
胸が、どきりとした。
……あれ。
何だろう、今の。
いつも見ているはずの顔なのに。
今日は、何だか少し違って見えた。
⸻
晩餐会が終わると、私たちは庭園へ出た。
満月の下、ランタンの明かりが静かに揺れている。
『……楽しかったぁ』
「……お前、はしゃぎすぎ」
『だって、あんなの初めてだもん!』
「……まあ、俺もだけどな」
私は隣を歩く刹那を見上げた。
『……ねえ、刹那』
「……何」
『今日の刹那、すっごく格好よかったよ』
彼は足を止めた。
「……は?」
『ダンスも上手だったし、服も似合ってたし!』
「……お前な」
刹那は困ったように眉を寄せた。
「……そういうの、あんま簡単に言うなよ」
『……どうして?』
「……知らねぇよ」
彼は顔を背けた。
私は首を傾げる。
すると、刹那が小さく呟いた。
「……お前も」
『……え?』
「……今日の格好、似合ってた」
思わず、目を丸くした。
『……ほんと?』
「……二回言わせんな」
『……えへへ』
嬉しくて、自然と笑みがこぼれた。
刹那はそんな私を見て、少しだけ目を細めた。
「……ほんっと、単純な奴」
⸻
やがて、ランタンの明かりが白く滲み始めた。
『……あ』
刹那もすぐに気づいた。
「……もうかよ」
『……うん』
私は名残惜しくて、もう一度洋館を振り返った。
『……また、こんなパーティーがあったらいいね』
「……そうだな」
その返事が少し意外で、私は彼を見た。
刹那は私の手を掴んだ。
さっきまで踊っていたときと同じ、温かい手。
「……まだ行くなよ」
『……刹那』
「……せっかく、楽しかったのに」
その声は、少しだけ拗ねているように聞こえた。
私は笑って、彼の手を握り返した。
『……私も、まだ一緒にいたいよ』
刹那は一瞬、目を見開いた。
「…………」
『……どうしたの?』
「……何でもねぇ」
彼は顔を背けた。
けれど、握った手は離さなかった。
「……次も、来いよ」
『……うん。絶対!』
最後に見えたのは、満月を背にした刹那の姿だった。
黒いマントが風に揺れている。
その姿が、いつもよりずっと大人びて見えた。
⸻
目を覚ました私は、しばらく布団の中でぼんやりしていた。
おばけたちの笑い声。
美味しかった料理。
綺麗な音楽。
そして、刹那と踊ったこと。
『……ふふっ』
思い出すだけで、頬が緩んでしまう。
私は自分の手を見つめた。
さっきまで、刹那が握っていた手。
『……なんか、変なの』
胸の奥が、まだ少しだけ落ち着かなかった。
それが何なのか、今の私には分からなかった。




