中編:兄弟アイドル始動!
「みんな?」
最前列の貴族が、ぽつりとつぶやいた。
「みんなって、誰のことだ?」
「何を見せられているんだ……?」
ひそひそ、ざわざわ。扇の陰に、困惑の波が広がっていく。
(うん、予想どおり)
僕は、満面の笑顔を崩さなかった。前世の推し活で、ライブの最初の掴みがどれだけ大事かは、嫌というほど叩き込まれている。ここで引いたら終わりだ。
「今日は、ミルフォード家の兄弟から、特別なご挨拶を用意しました! 最後まで、楽しんでいってください!」
ぺこりと、思いきりお辞儀をする。それを合図に、壇の脇から伴奏が始まった。
伴奏隊は、屋敷に残ってくれている数少ない使用人たちだ。ベンノのヴィオラに、料理番のフルート、庭師のおじいさんの太鼓。昔取った杵柄とはいえ、練習の甲斐あって、ちゃんと音楽になっている。ありがたい。
「まずは、僕の自慢の兄様たちを、紹介します!」
最初に壇の中央へ歩み出たのは、エリアスだった。白とクリーム色の礼装、胸元にはクリーム色のリボン。燭台の光を浴びて、金髪が本物の光みたいに輝く。
「ミルフォード家の長男、エリアスです。今宵、皆様にお会いできて、光栄です」
右手を胸に当て、優雅に一礼。その仕草があまりに自然できれいで、客席の夫人たちから「まあ……」と小さなため息がもれた。
(これが王子様! 誠実さの暴力!)
続いて、マクシム。赤い飾りを肩に垂らし、袖をまくりあげて、堂々と登場する。
「次男のマクシムだ! 体力には自信がある! よろしく頼む!」
どーん、と効果音が聞こえそうな仁王立ちだ。腕を組むと、上腕の筋肉が、袖の下でもりっと盛り上がった。客席の男性たちが「おお……」とどよめく。
アシュレイは、紫のタイをゆるく結んで、ゆっくりと歩いて出てきた。立ち止まり、客席を見渡し、一人の夫人と目を合わせて、一、二、三――そっと、外す。
「三男、アシュレイだよ」
夫人の扇が、ぴたりと止まった。
ヒューゴは、藍色のベストで淡々と一礼する。「四男のヒューゴです。以後、お見知りおきを」。たったそれだけなのに、知的な冷たさが逆に刺さったらしく、後ろのほうで、誰かが小さく息をのんだ。
最後に、ルネ。若草色のリボンと、小さな花の髪飾り。ふわりと立って、おずおずと、けれど丁寧に頭を下げる。
「五男の、ルネです。……が、頑張ります」
緊張した声のかわいさに、客席のあちこちで、誰かが胸を押さえた。
「それじゃあ、一曲目、いきます!」
僕が手を高く掲げると、前奏が弾けた。
曲は、この世界の誰もが知っている、古い民謡『陽だまりの歌』だ。ところが、前奏が鳴った途端、客席がざわっとした。
「……『陽だまりの歌』か?」
「いや、しかし、この調べは……」
ルネが編曲した前奏は、民謡のはずなのに、まるで知らない歌みたいにきらきらしている。歌い出しは全員で。そこから、ヒューゴとルネの掛け合い、マクシムの低音、アシュレイのハモリと、一人ずつ声が重なっていく。子どもの頃から歌ってきた素朴な歌が、六つの色に分かれて、また一つに集まっていく。
振りは、ルネが中心になって組み立てた。くるりと回る。手を振る。ステップを踏む。ここで、ルネの本領が出た。
彼が回った瞬間、空気が変わった。
爪先の向き。指先までの流れ。髪飾りの花が描く軌跡。さっきまでおずおずしていた少年が、音楽に乗った途端、別人みたいに自由になる。羽根のように、床の上を滑っていく。
(ルネ兄様……! やっぱり、すごい……!)
客席から、はっと息をのむ音がした。
「あれは、五男のルネ様か。あんなに踊れたのか」
「見て、あの足さばき。ああ、目が離せない……」
客席から、ぼそぼそとつぶやきが聞こえてくる。あれ、ちょっと様子が変わってきた? 歌いながら横目で観察すると、夫人たちが扇を止めて、頬を染めていた。壁際の中年の紳士は、足でこっそりリズムを取っている。
「だが……」
誰かが、小さな声で言った。
「だが、なんかいい……」
(きた!)
僕は、心の中で全力のガッツポーズをした。
二曲目は、少しテンポを上げて、それぞれの見せ場を入れた構成だ。
マクシムが、僕の腰をひょいとつかみ、片腕で頭上に持ち上げた。
「うわっ!? お、重くないですか!?」
「羽根みたいだ!」
高いところから見る大広間は、びっくりするくらいよく見えた。誰もが口を開けて、こっちを見上げている。男性客の何人かは、思わず拍手までしていた。
床に下ろされた僕の肩に、アシュレイが手を置く。客席に向かって、ゆっくりと片手を差し出し、ほんの一瞬だけ、微笑んだ。夫人の一人が、ぱたり、と扇を取り落とした。
(今ので落ちるの!? お色気が強すぎる!)
ヒューゴは、壇の端で全体の動きを見ていた。客の反応をちらりと確かめて、僕にだけ分かるように、小さくうなずく。『いい手応えだ』。うちの参謀は、頼もしい。
そして、最後のサビ。エリアスが、全員の真ん中に立って、そっと両手を広げた。
「――ありがとう。こんなに素敵な夜を」
その一言に、ばらばらだった六つの声が、ぴたりと重なった。
最後の音が、大広間に溶けて消えた。
僕たちは、最後のポーズのまま固まっていた。息が荒い。心臓がうるさい。
(……だめ、だった?)
一秒。二秒。
しんと静まり返った客席で、最初に動いたのは、ヴェローナ侯爵夫人だった。社交界の重鎮と評判の、ふくよかで貫禄のある夫人だ。
「…………ブラボー!」
扇を高く掲げて、叫んだ。
「ブラボー! 素晴らしいわ! なんて素敵なの!」
それが、きっかけだった。ぱち、ぱち、と拍手が起こり、あっという間に、大広間いっぱいの喝采になった。夫人たちが立ち上がる。男性客まで、手を叩いている。
例の三人はといえば。
「私のエリアス殿が……?」
ランベルト侯爵は、拍手の波の中で、呆然と立ち尽くしている。
「アシュレイ……もっと見たかった……」
イゾルデ女伯爵は、扇で口元を隠したまま、わなわな震えている。
「トーマ殿、かわ……いや、これは……ぐぬぬ」
ブルクハルト伯爵は、なぜか涙目で、全力で拍手していた。
縁談をまとめるはずだった夜が、ミルフォード兄弟の初ステージに、変わってしまったのだ。
僕は、兄たちを見た。みんな汗だくで、息を切らして、ぽかんとしている。でも、その顔から、さっきまでの影が、少しだけ抜け落ちていた。マクシムは豪快に笑っている。アシュレイは、悔しそうに、でも嬉しそうに口元を押さえている。ヒューゴはそっぽを向いて、耳が赤い。ルネは、泣きそうな顔で笑っていた。
エリアスが、僕の頭にぽんと手を置く。
「トーマ。……ありがとう」
胸の奥が、ぎゅうっとなった。
(……届いたんだ)
拍手の向こう、大広間の一番奥の壁際に、父様の姿を見つけた。
ずっと書斎から出なかった人が、そこに立っている。背筋を伸ばして、じっと、僕たちを見つめて。その目には、驚きと、後悔と、そして何かを決めた人の光があった。
* * *
拍手が一段落すると、真っ先に動いたのは、貴族たちだった。
「エリアス殿! 素晴らしかった! さあ、ここからが本題です。先日の書状の件、今夜のうちに書面を……」
ランベルト侯爵が、拍手そっちのけで、エリアスの前に進み出る。
「ちょっと待たれよ、侯爵! 私の話が先だ!」
「わたくしの話もよ!」
「トーマ殿はどこだ!」
三人が、押し合いへし合いで、兄弟に詰め寄ってきた。エリアスの顔が、すっと曇る。
(まずい。勢いで押し切る気だ!)
「お待ちください」
低く、よく通る声が、大広間に響いた。
貴族たちが、一斉に振り向く。人垣が、すっと割れた。
父様が、ゆっくりと歩いてくる。ぼんやり窓の外を見ているときの背中じゃない。社交界で、令嬢たちを虜にしていた頃の、あの堂々とした姿勢だ。いつの間にか、ベンノが後ろに控えている。
「ランベルト侯爵。ご無沙汰しております」
「フェリクス殿……!?」
「息子たちが、お世話になっております。縁談のお話は、承りました。ただし、今夜は、息子たちの初舞台です。お返事は、後日、改めて。窓口は、今日から、私になりますので」
にこやかに、けれど一切の反論を許さない笑顔だった。
大広間が、ざわめく。
「フェリクス殿が、社交界に戻られた……」
「あの、伝説の……」
「息子たちが舞台に立つなら、父親は、その後ろに立つものでしょう」
そう言って、父様は微笑んだ。そこへ、ヴェローナ侯爵夫人が、扇の陰でころころと笑いながら近づいてきた。
「まあ、フェリクス様。お久しぶりですこと」
「侯爵夫人。ご無沙汰を、お詫びいたします」
「よろしいのよ。それより、来月のわたくしのお茶会に、息子さんたちをお招きしたいのだけれど」
「喜んで。日取りは、私のほうで調整いたしましょう。……ベンノ、手帳を」
「はい、旦那様。書斎より、こちらを」
ベンノが、すっと黒い手帳を差し出した。
(ベンノ、最初から用意してたの!?)
父様は手帳を開き、夫人と日程を詰め始めた。その横顔は、僕が知らない、頼もしい大人の顔だった。
貴族たちが、それぞれ引き下がっていく。広間の人波が少しほどけたころ、父様は、僕のところにやって来た。少し屈んで、僕と目の高さをそろえる。
「トーマ」
「父様……」
「居間に置いてあった、お前の企画書を読んだよ。『踊れる吟遊詩人』」
「えっ、読んだんですか!?」
「面白い発想だ」
父様は、ふっと笑って、それから、目を伏せた。
「私が立ち直れずにいたせいで、お前たちに、背負わせてしまった。すまなかった」
「父様……」
「もう、終わりにする。今日から私は、お前たちの『まねーじゃー』とやらだ」
「そこまで読んだんですか!? しかも、発音がかわいい!」
思わず吹き出した僕の頭を、父様は、そっと撫でてくれた。その手は、少し震えていた。でも、あたたかかった。
* * *
父様が動き出すと、世界が変わった。
ほんの数日で、黒い手帳は予定でびっしり埋まった。ヴェローナ侯爵夫人のお茶会、子爵家のお孫さんの誕生日会、街の仕立て屋の開店記念、秋の収穫祭のステージ。小さな出演依頼が、次から次へと舞い込んでくる。あの夜の話が、夫人たちのあいだで、口から口へ、扇から扇へと、あっという間に広まったのだ。
父様の仕事ぶりは、見ていて気持ちがいい。依頼書を一通ずつ読んで、てきぱきと振り分けていく。
「この主催者は、三年前に取引先への支払いを踏み倒している。断る」
「ここは、会場の警備が薄い。マクシムに注意をさせろ」
「こちらは、出演料を一割上乗せしなさい。先方は、必ず払う」
「父様、どうして分かるんですか?」
「社交の力は、鈍ってなかったようだ」
かっこいい。さすが、うちの父様だ。
ちなみに、グループ名は、結局つけなかった。夫人たちは「ミルフォード家の皆様」と呼び、街の人たちも「ミルフォードさんとこの兄弟」と呼ぶ。家名が、そのままブランドになってしまったのだ。
小さな舞台でも、兄たちは、それぞれの色を出していった。
子爵家の誕生日会では、エリアスが、主役の小さな男の子の前に膝をついて「お誕生日、おめでとう」と微笑んだ。男の子は、頬を真っ赤にして固まり、母親までうっとりしていた。王子様は、お子様にも通用する。
仕立て屋の開店記念では、マクシムが、店先の重い看板を一人で掲げて、通りの男衆から大喝采を浴びた。収穫祭では、ルネが、屋台の明かりの下で踊り、町の娘たちがため息をつき、少年たちが、こっそり真似をしていた。
お茶会では、アシュレイが、控えめにミステリアスに佇み、夫人たちを静かにざわつかせた。会計の席には、いつもヒューゴがいて、きっちり精算しながら、「次回のお席は、こちらです」と、さらりと予約を取っていく。
夫人たちは、洗練されたファンだった。ヴェローナ侯爵夫人は、いつの間にか、ほかの夫人たちを集めて、ミルフォード家の後援を取りまとめてくれていた。「紹介状は、わたくしが」「会場は、うちの別邸を」「次の予定は、いつ?」と、頼もしいことこの上ない。
ある日、お茶会の控えの間に、ヴェローナ侯爵夫人と、数人の夫人たちが、差し入れの菓子を持ってやって来た。
「フェリクス様。ひとつ、おうかがいしても?」
「何なりと」
「昔、奥様のために、よく歌っていらしたと聞きましたわ。あなたは、舞台にはお上がりになりませんの? お声を、ぜひ聴きたくて」
夫人たちが、期待に目をきらきらさせて身を乗り出す。父様の歌は、昔、社交界の伝説だったのだ。
父様は、ふっと、柔らかく笑った。
「あれは、妻のためだけの歌です」
部屋が、しんと静まった。
「私には、母さんだけだよ」
最後の一言は、夫人たちではなく、僕たちのほうを見て、言った。
夫人の一人が、そっとハンカチを目に当てた。ヴェローナ侯爵夫人が、大きく息をついて、微笑む。
「……なんて、一途なお方。今のほうが、ずっと素敵ですわ」
夫人たちが、ほう、とため息をついた。父様自身の株が、静かに、確実に、上がっていく音が聞こえた気がした。
(これは……父様のブロマイド、いや、限定グッズ……)
「トーマ。聞こえているよ」
「ごめんなさい。やめます」
父様は、苦笑しながら、僕の頭をこつんと小突いた。
その夜、居間で、ヒューゴが帳簿を広げて、僕に見せてくれた。出演料は、少しずつ、確実に入ってきている。屋敷の灯りは増えたし、薪も、遠慮せずにくべられるようになった。
けれど、借財の山は、まだ高い。ここで満足したら、また、あの貴族たちにつけ込まれるだろう。
「次の一手が、必要だな」
「はい」
僕は、居間の隅に積んである、母様の布の端切れの山を見て、にやりと笑った。
「兄様。そろそろ、あの計画を、動かしましょう」
「ぐっず、だな」
「グッズ、です!」




