ヴォル・コール
十一月中旬。ケンブリッジを流れているケム川の桟橋。ジョンと湯利は待ち合わせをしていた。ジョンとその父親のヴォルは船の上で待っていた。小雨が降っており、温暖化のはずが寒い。父子は雨合羽ではなく厚手のコートを着ていたが傘を差していない。慣れている二人には耐えられない寒さではなかった。観光客や地元の住民に扮した諜報員や警察官がそれとなく見張っている。ジョンには見分けがつかなかったが、ヴォルには見分けがついている。
こちらに向かって東洋人が二人来る。ジョンが気付いて紹介する前にヴォルは二人が湯利と賢市だと分かった。二人は雨合羽を着て体を震わせている。ジョンは手を振る。賢市も手を振る。湯利と賢市が船の前で立ち止まると、ジョンはヴォルを紹介した。賢市は笑顔で、湯利は緊張した面持ちで自己紹介した。二人は船に乗る。ヴォルが棒で船を漕ぐ。船はゆっくりと川を下っていく。ヴォルが湯利の経歴を知っていることを湯利は賢市から聞かされている。湯利の顔色が悪い。ジョンも気まずそうな顔をしている。鉛色の空に緑の芝生、上品な建物、深みのある林。賢市は景色を眺めながら流暢な英語で、
「本当に美しい所ですね」
ヴォルは漕ぎながら賢市に微笑んだ。湯利はボンヤリと川面を眺めている。日本では見かけない魚が時折姿を現す。
「やっとここまで来たんだ。話したいことが有るんだろう」
黙っている湯利にヴォルが促した。湯利は徐にヴォルに振り返り、強い日本語訛りの英語で、
「何を話せばよいのか分かりません」
「俺を警戒しているのか。今更気にするな」
ヴォルが穏やかな声で言い返した。賢市は景色を眺めながら聞き耳を立てている。小雨でぼんやりしているが伝統的な建物の佇まいは美しい。
「日本で俺が何を言ったか覚えているか、湯利」
ジョンが尋ねる。湯利が振り返る。ジョンは真っ直ぐ見返している。湯利は、
「色々有り過ぎてどれを指しているのか分からない」
「まだ愛や慈悲を疑っている?」
質問したジョンの眼光が鋭かった。絶妙に漕いでいたヴォルはそれを見逃さなかった。湯利は無表情で、
「今は要らないとは思っていない。でも私は優しくない」
「君を見捨てなかった両親は大事じゃないのか」
ヴォルが尋ねる。湯利はジョンを見つめたまま、
「感謝しているし申し訳ないとも思ってます」
「他人行儀だな」
ヴォルが近くの船を避けながら言った。湯利の顔が曇った。感謝と罪悪感は嘘ではない。それらを感じないのもおかしい。ヴォルは、
「君は親心が分かっていない」
ジョンがヴォルを睨んだ。ヴォルはかまわずに、
「両親から君への無償の愛が分かっているなら、愛を疑うなよ」
湯利は俯く。




