変化
ジョンとアリスは無事に帰国した。諜報員と一緒に元テロリストと対談したというのに嫌悪や恐怖を感じなかった。相手は社会との折り合いに苦悩する一人の人間だった。配慮を求めたりやせ我慢したりする障碍者でもないし、白人男性に媚びる日本女性でも科学を愚弄する低学歴でもない。彼女は中村湯利としか形容できない。
帰国後もジョンは湯利のブログを確認した。しかし一週間ほど経っても更新されていない。単にブログに飽きたのか何か遭ったのか。仕事をこなしている間でも頭の片隅では湯利の変化が気掛かりだ。また、仕事中に孤独を感じなくなった。母親と客達は相変わらず和気藹々として、ジョンは厨房で黙々と作業している。以前は軽い疎外感を感じていたが、時が経つのが早く感じられる。慈善活動として防犯の為に高齢者の家を訪問して帰宅した父親から皮肉を言われても苦にはならない。
そんなある晩。ジョンが他人の漫画の感想を覗くためのSNSアカウントにコメントが来ていた。ジョンは文章も画像も投稿していない。クマムシという名前で英語で短い挨拶の言葉が投稿されていた。湯利だ。以前にブログのコメントに紹介したアカウントからこちらに来たのだ。ジョンは急いで返信しようとした。しかしこのアカウントは英語で意思疎通をしている。スラングや長文は湯利には通じない。皮肉や独特の笑いも伝わらない。ジョンはもどかしくなったが、短い挨拶文で返事をした。
ジョンは湯利のブログに飛んで日本語でコメントを書いた、
「俺はもっと君の文章を読みたい。難しいだろうけれど英語で対話できたら嬉しい」
翌日。ブログが更新されていた。友人と長時間楽しく話せて楽しかった、と先日のラーメン屋での出来事をぼやかしながら書いている。具体的な内容は避けられていたが、傾聴してもらって嬉しかったと素直にジョンに感謝している。ジョンのアカウントにも英語で投稿していた、
「貴方の家族と友人が元気でありますように」
翻訳機を使ったような不自然な文章だったが、ジョンは返信した、
「君の家族と友人も幸せであることを祈る」
どちらもつまらない短文だった。けれどもジョンは自分の顔が綻ぶのを感じた。湯利が頑張って書いた文章だ。コメントの投稿自体、勇気があったはずだ。本当はもっと長い文章をジョンは書きたかった。けれども湯利に挫折して欲しくない。ジョンは分かりやすい短文を書く。
毎日英語での短いやり取りがなされるようになった。ジョンは店の客達の冗談や噂話を噛み砕いて説明した。それに対して湯利は分からない言い回しや皮肉を質問したり短い反応を示す。ブログも更新されていく。数学や化学や物理の勉強の進捗状況を話したり、時事問題への疑問を投げかけたりした。思考が独特だが攻撃的な表現が以前よりも和らいでいる。ベネゼエラを侵攻するトランプ政権を罵倒するのではなく、政治的な効果や経済的な利益について違和を唱えている。
湯利は少し変わった。ジョンはそう感じた。




