抑えられた感情
アリスは周りを見渡した。客を演じている者達も店主達も顔色が悪い。湯利は決して愛や平和を願う純粋な市民ではない。権力を全否定する無政府主義者でもない。理想や正義に溺れるテロリストでもない。私利私欲や承認欲求を求める犯罪者でもない。加工された暴力の分散。湯利は自分に力を集中させたがっているわけでもない。湯利にとって警察も軍もあくまで道具なのだろう。言葉の端々で冷めた思想が響く。自衛隊や警察にとっては非常に居心地の悪い発言だ。盗聴しているはずのCIAも異様に感じているはずだ。
いつの間にか湯利は伸び始めたラーメンを食べている。傍らの賢市は困惑して顔を曇らせている。美味いはずのラーメンを不味そうに食べている。国益と厳格な規律で動く公安警察にとって湯利の発言は危うい。単独で米軍基地に襲撃した過去があるなら尚更だ。
「君は戦争にもテロにも巻き込まれたことがないんだろう」
湯利を見つめながらジョンが低い声で尋ねた。湯利は食事を中断する。ジョンは、
「それとも外国人にイジメられたり犯罪に巻き込まれたりしたことがあるのか」
「子どもの頃、男子にからかわれたぐらいだね」
湯利がつまらなそうに答えた。自己憐憫をしている様子は全くない。だがイジメは犯罪だ。特に幼少期の体験は大人になっても悪影響を及ぼす。小さい時から凡庸な容姿で根暗だったジョンも同級生達から嘲笑の対象になっていた。苦い思い出。大人や正義感の有る同級生に庇われても完全にイジメが消えるわけではない。しかしジョンは犯罪を起こそうと思ったためしはない。
賢市の通訳を聴いてアリスは更に不可解を感じた。イジメられた者が社会を恨んで犯罪を起こすこと自体は珍しくない。暴力に憧れるのも分かる。しかし単独で米軍基地を襲撃した心理が解せない。加工された暴力の分配という案も唐突だ。この奇妙な言動と思想は育った環境や経験や立場ではなくて湯利の生まれながらの特質なのだろうか。迫害や戦争で苦しむ民族とも違う。欧米とも中東とも違う価値観。また、日本人だからでもない。賢市も他の日本人も困惑している。
「文章だけのブログを読んで二日間喋っただけだから俺は君の事が分からない。でも俺は君が感情を抑えている気がする」
湯利が不思議そうに顔をしかめる。英訳した賢市もアリスも違和感で眉を寄せる。ブログでも昨日からの会話でも湯利は剝き出しの暴力性と思想を前面に出している。ジョンは、
「君は愛も慈悲も信用していない。詐欺師が作った幻想だと疑っている。違うか」
賢市は驚いた顔をしながら英訳した。アリスも驚いて目を丸くする。湯利は無表情で黙っている。ジョンは、
「その代わりに君は理性と知性を信用している。それで対等な関係が築けると思っている」
「そうではないの?」
湯利は尋ねた。ジョンは、
「確かに理性も知性も大事だ。でも、それだけでは足りないと俺は思う」




