小林賢市
仕事を終えて帰ろうとすると湯利は作業所所長に呼び止められた。所長は気まずそうに近寄って耳打ちした、
「例の八年前の事件について警察の方がまた調査したいそうだよ」
所長の後ろには湯利と同じ年ぐらいの男が微笑んで立っている。見た目は会社員にしか見えないので他の職員や利用者は興味を示していない。しかしこの男は八年前の事件に事情聴取した警察官だった。医療観察入院していた時も様子を伺い、今でもたまに顔を合わせる。退院して作業所に入っても一年に一度ほどの頻度で他害衝動が湧き出てくる。措置入院するかどうか主治医と相談する傍ら、男は犯罪を起こさないように説得を試みていた。そのせいか何も問題を起こさずに措置入院を回避できている。
湯利は作業所の待合室に通された。所長は男と湯利を入れると自分は外に出て行った。男と二人きりになるのは嬉しいものではないが、男は看護師や主治医以上に親身になって傾聴する。それとなく凶悪犯罪者と被害者の例を出しながら悲惨な末路を示唆して遠回しに牽制する。不思議と男には威圧感はなく、見下されるような不快感もない。
男の名前は小林賢市。表向きは刑事だ。湯利も作業所の職員も両親もその様に認識している。しかし賢市は公安だ。たまに湯利と会うのも監視の為であった。湯利を追い詰めたり情報を晒したりましてや尋問も拷問もしない。むしろ精神障碍者である湯利を刺激しない為に監視に気付かれないように細心の注意を払っている。盗聴や盗撮はしないが、定期的に湯利のブログを覗いている。
湯利は犯罪組織を作っているわけでもないし積極的にテロリズムを煽っているわけでもない。犯罪やテロを再度繰り返すわけでもない。その前に賢市が説得して未然に防ぐ。賢市は日本国内にいる外国人を監視するのが元々の任務なので湯利ばかりに時間を割く余裕はなかった。しかし過去に未遂とはいえ米軍基地に襲撃を仕掛けたので米軍やCIAから湯利の監視を要請されている。アメリカ側は湯利を処罰するつもりはないが警戒をしている。
賢市は湯利よりも二歳年下だが落ち着いた声で、
「君のブログを読んでいるよ。相変わらずだね」
湯利は気まずそうな顔をした。ブログをしていることは以前に湯利から賢市に伝えている。湯利は驚いていない。既に賢市は知っていたが、伝えられて初めて知った振りをしていた。賢市は、
「このままだとタラというイギリス人が君の起こした事件を知ることになる」
湯利は不思議そうな顔をした。




