第五章③
「……いた」
時計塔内部の長い長い階段を登り終え、屋上までたどり着いた。
そこには地上で見るより大きな月と、それに照らされる人影があった。
ぐったりと横たわる小さな人影。それがロランヌのものだとわかって、ジャックは我慢できずに駆け寄ろうとした。
「お嬢様!」
「だぁめだっ」
金属が硬いものと擦れる耳障りな音と低い男の声がして、目の前に突然何者かが現れた。
攻撃される前にと、ジャックは慌てて距離を取る。
「だめだだめだ。これはあのクソ女をおびき寄せるための餌だ。野良犬なんかが来ても触らせるわけがないっ!」
それは、背の高い男だった。痩身に長いコートをまとった、不気味な姿の男だ。
だが、逆光でもわかるほどその男の顔は整っていた。彫りの深い目元も、筋の通った高い花も、薄く形の良い唇も、どこか作りものめいて石像みたいだ。
細くて不気味で美しいのに、その男の姿を目にした途端、ジャックは恐ろしいと感じた。バローのように屈強なわけではないが、圧倒的力の差を感じさせられた。
「……俺は、野良犬なんかじゃない。その方の従者だ!」
せめて気持ちで負けてはいけないと、ジャックは叫んだ。両手にはバローから預かった一対のナイフを構える。
刺し違えてでもこの男を倒すと、そんな覚悟を持って向き合う。
「従者! あの家にまだそんなものがいたのか? だが、小僧には関係のない話だ」
決して大声ではないのに、気味が悪いほどよく響く声で男は言う。その声にジャックもピーもすくみあがりそうになったのに、ロランヌはぴくりとも動かない。
「大丈夫。この小娘はただ寝ているだけだ。まあ、遅効性の毒で意識を失っているから、クソ女の到着が遅くなれば死ぬだろうがな」
ジャックの不安を感じ取ったのだろう。男は嘲笑うかのように言った。
今はまだ死んでいないだけで、いずれ死んでしまうと言われたのと同じだと感じて、ジャックは憤る。
「なんでこんなことするんだ!? お嬢様には関係ないだろ! お嬢様は、ただ懸命に生きてきただけだ!」
青白くなり今にも消えてしまいそうなほどロランヌが儚く見えて、ジャックは叫んだ。
幼いときに親や一族を奪われ、傷と恐怖を抱えてそれでも気高く育った人だ。そんな彼女が酷い目に遭うのは許せないと、ジャックの中で怒りが燃える。
だがジャックの言葉を受けて、目の前の男も雰囲気が変わった。
「……関係ないだと? ランバージャックたちの苦しみにクインガーデナーが関係ないだと!? そんなわけがあるわけがない! こいつらさえいなければ、俺たちランバージャックが冷遇されることはなかったんだよっ!」
怒り狂った男は、手に持った斧を叩きつけながら声を荒らげた。金属が擦れる耳障りな音が響く。
「女王に重用されたことで人々に一目置かれ、崇められ、大切にされるクインガーデナー……目障りだ。なぜあのクソ女がやつらを大事にするかわからん! この国を作ったのは、ランバージャックなのに!」
「わけがわからないことを言うな!」
冥界の花樹を刈るしかできない一族が国を作ったなどありえない。妄言を聞く気はないと、ジャックは切り捨てた。
だが、男はなおも言葉を続ける。
「この国が国として成立する以前、俺たちランバージャックは重宝されたんだよ。立地がよかったとはいえ、ただの辺境伯が国王になりあがったんだぞ? 裏でどんなことが行われていたと思う? 表向きの歴史で語られるような、血の流れないきれいな交渉があったとでも? ……小僧はわからないだろうな。血はな、表で流れなければ裏で流れるもんだ」
男は小さな子供にでも語って聞かせるように、ゆっくりと言った。
「ランバージャックはな、王族──その頃はまだただの貴族だな。とにかく、この海洋都市を治めるやつらに言われて、邪魔者を消し去っていったんだよ。俺たちには静かに人を消し去る術がある。だから、裏の汚れ仕事に重宝されたってわけだ。目には見えない恐るべき力を有しているということで、ハイリヴァルトも手を引かざるを得なかった。つまり、俺たちランバージャックがあの国を退け、この海洋都市を王国にまでのし上がらせてやったんだよ!」
男が語るのは、おそらくランバージャックが一番輝いていた頃の話なのだろう。薄暗い、日の当たらない栄光ではあるが。そのせいか、男はどことなく誇らしげだ。
「それなのに! 俺たちのおかげで無事に独立を成し遂げたのに! あの女の代になって、俺たちは世界の隅へと追いやられた。まるで臭いものに蓋でもするかのように! ──代わりに大事にされるようになったのが、ガーデナーたちだ」
高揚していた男の声は、低く落ちる。
「あの女は女王になってから、腕の立つガーデナーを取り立て、〝女王の庭師〟なんて称号を与えやがった。あの女に選ばれた者はその栄誉を手放すまいと徒党を組み、群れをなし、その地位を確固たるものにしていった。この国ができるまで尽力した俺たちが影の中に追いやられ、それまで何をやってたかわかんねぇウスノロたちが貴族になった。面白くねぇに決まってんだろぉが!」
男は怒り、吠える。この言葉を信じる限り、怒りはもっともだと思う。だが、冷静に考えるとやはりわけがわからない話だ。
「……こいつ、いつの話をしてるんだろう」
ジャックの隣でピーが、ポツリと呟いた。どうやらジャックと同じことに引っかかったらしい。
メイグース王国は、建国して百年近く経っている。
この男のいうように、ハイリヴァルトのいち都市から国として独立するときにランバージャックが汚れ仕事を担っていたとしても、それは百年以上前のことになる。
この国の歩みがランバージャック迫害の歴史と重なると言うのなら、この男は一体いつの話をしているのだろうか。
ジャックはまるで亡霊を前にしたかのような気持ちで、男を見つめた。
「いつの話をしてるんだ、か。『お前は伝え聞いただけで、その昔話を体験していないだろ』とでも言いたいんだろう。……残念だが、体験してるんだよ、俺は。冥界の庭をいじれば見た目も命も好きにいじれるんだ。小僧たちが崇める女王様を見れば理解できるだろう?」
男の言葉に、ジャックもピーも息を呑んだ。だが、その言葉を理解できなかったわけではない。
いつまでも年を取らない女王のことは、国民みんなが不思議に思っている。何らかの秘術が使われていて、それこそが他国にはないこの国の力だと信じて、片付けている。
だが、この男の言葉ですべてが腑に落ちた。腕利きのガーデナーの技術を持ってすれば、不老は可能なのだ。もしかすると、不死すらも。
だから、この男が建国以来生き続け、ランバージャックの不遇の歴史を見てきたということも信じられる話だ。
「あんたが女王を憎んでいるのはわかった。引きずり下ろしたいのもわかる。でも、その子は関係ない! あんたに家族を奪われて、家名とガーデナーの能力の他に何も持たない少女だ」
戦う覚悟はできているつもりだが、できれば穏便に済ませたい。まずはロランヌの身の安全を確保しなければ、早く解毒薬を与えてやらなければと、ジャックは焦りつつも男と交渉しようとした。
だが、男は落ち着くどころか狂ったように笑い出した。
「関係ない? 関係ないわけあるか! 殺し損ねたんだぞ。本当は皆殺しにしてやりたかったのによぉ! 皆殺しにできてたら、粛清されても本望だったさ! だが……結果的にいっぺんに殺してしまうより苦しめることができただろうな。あの女も、世の中の連中も」
男がまとう闇が、一層深まった気がする。これは憎悪なのだと、ジャックは理解した。
「一応は俺も、様子を見ることはしたのだ。何か事件を起こして、女王がどう行動を起こすか見定めようと。だが、民が苦しもうとも、死のうとも、あの女が空から降りてくることはなかった。貴族が貧民のために何かをしたなんて話も聞かない。あいつらは下々の者を見下して、この世には生きるべき者とそうでない者がいると勝手に線を引いて、真剣に取り合うこともしなかったのだ。──そんな世界、壊そうと思って何が悪い?」
この男が憎んでいるのはクインガーデナーや女王だけでなく、世界そのものなのだということが伝わってきた。
男と同じようなことを、ジャックも感じたことがある。そのくせ油断すると、そこらの貴族のように自分が恵まれている側の、運がいいだけの人間だということを忘れそうになってしまう。
だから、この男にとっては自分も含めて死すべき存在なのだと、鋭く突きつけられた気分だ。
「飛空城から、子供を盗み出したこともある。クインガーデナーが死んだら慌てるかと思って絶滅させようともした。だが、民が困ろうと何が起ころうと、あの女狐は空から降りてこない。それどころか城の警備を強化して、簡単には侵入できなくなってしまった。昔はもっとあの女も、地上に降りてきていたのに。……今回ばかりは、地上で最後のクインガーデナーだから降りてきてくれないと困るがな」
男がそれからも、この世への恨みつらみを吐露し続けた。ロランヌを助けに女王が飛空城から降りてくるまで、この男にとっては暇つぶしでしかないのだろう。




