第五章④
不意に、月光が陰った。雲が月を隠したのだ。暗くなったその隙に、ピーがそっと動いたのを感じる。
何かが近くを這っていくのを感じた。夜目が利くジャックの目には、植物の蔦が横たわるロランヌへ伸びていくのがわかった。陰っている間にロランヌを救出しようとしているらしい。
だが、男がそれに気づかないわけがない。
「させるか!」
あと少しでロランヌを絡め取ることができたはずの蔓を、投げた斧で一刀両断した。そしてひと飛びで斧を取りに行くと、すぐさま振りかぶってピーに襲いかかろうとした。
「やめろ!」
ジャックは男とピーの間に割って入り、両手のナイフで斧を受け止めた。刃物と刃物がぶつかり合う、嫌な音が響いた。
斧を押し返すとき、ナイフ越しに男と目が合った。男は、ジャックの顔を見てはっとした。
「お前……捨て子だろう? 思い出したぞ。あの夜、俺が捨てていったガキだ」
「……なにを」
「お前、あのクインガーデナーの小娘にやたらと惹かれるんじゃないか? そういうふうにできてるからな」
男の言葉に、ジャックは怖気が走った。
ジャックが捨て子なのも、ロランヌに強く惹かれるのも本当のことだ。それを言い当てられて怖いというより、もっと別の不気味さを感じた。
「お前はな、もとはサジュマン家惨殺のときに駒として使おうと思って連れて行っていたんだ。クインガーデナーを殺すよう、躾ていたからな。だが、実地でお前は役に立たなかった。そのせいで時間がかかった上、小娘を生き残らせることになってしまった」
男の声を聞きながら、ジャックは自分の心臓がうるさいくらいにドクドク鳴っているのを聞いていた。
目の前の男は敵なのに、この世でもっとも信用ならない存在なのに、こいつの言葉はジャックがずっと知りたいと思っていたことだった。だから、張り付くみたいに耳に届いてしまう。
「せっかく苦労して飛空城から盗んでみたからと育ててみたんだ。実地で役には立たなかったが、いつか使える日が来るんじゃないかと思っていたんだ。それが今だ! お前が小娘に惹かれるのは、恋慕じゃない。殺したいって欲求だ。やれよ! 自分の心の声に従え!」
「……うるさい!」
これ以上聞いていられなくて、ジャックは男に斬りかかった。
男の言っていることは、きっと本当のことなんだろう。この男の言葉を信じると、ジャックがこれまで疑問に思っていたことがすべて腑に落ちる。
自分が何者なのかという疑問にも、ロランヌにどうしようもなく惹かれてしまうことにも、答えが出た。
「殺せ! お前だってクインガーデナーが憎いはずだ! あの小娘を花を摘むように手折ってしまいたいと思ったことがあるだろう? その思いこそ真実でお前のすべてだ!」
ジャックのナイフを斧で受け止め、男は言った。そして距離を取り、再び振りかぶってくる。
男の声を聞きながら、ジャックは頭が痛くなってくるのを感じていた。
狂おしい想いでロランヌの背中に手を伸ばすあの夢を見て目覚めた朝のような、そんな気分の悪さだ。
殺せ殺せ殺せ──男の声が、気持ちが悪いほど響いてくる。
殺さなければ自分が殺される──強烈な恐怖心で、胸の中が真っ黒に染められていく。
(飛空城から盗まれたって何だ? それに、こいつに育てられたって……頭がグチャグチャになる……クソッ)
思考も感情も、目の前の男の言葉によってかき乱されていた。
「くっ……」
大振りな動きのはずなのに、男の斧は素早く空を切ってジャックの頬をかすめた。避けたが、肩を少し掠った。
間合いを取って暗器を投げたが、それはすべて斧に弾かれた。
いつもと同じ動きができたなら、きっと手数を重ねるうちに相手を疲労させることができただろう。だが今は、押されているのは完全にジャックだ。
ジリジリと体力を削られている上に、頭痛と耳鳴りに思考が奪われていってしまいそうだった。
「そろそろ余裕がなくなって来たのではないか? 俺に斬り捨てられる前に、ナイフをあの小娘に向けたらどうだ?」
雑に斧を振り上げて男は言う。
「お前がクインガーデナーの最後の生き残りを殺したとなれば、あの女はどんな顔をするだろうなぁ。活かして交渉材料にするより、そっちのほうが面白い」
勝ちを確信したのか、男は耳障りな声で笑った。声がわんわんと響いて、ジャックは目眩までしてきた。
だが、倒れるわけにはいかなかった。
ジャックがここで倒されれば、あとはロランヌとピーがやられるだけだ。ロランヌは動けないし、ピーはこいつとやりあうには能力的に分が悪い。
だから、ジャックがこいつを倒すしかないのだ。
ほんの一瞬でも、相手の動きを止めることができれば──大きく距離を取り、懐を探った。
暗器の数は残りわずか。これをすべて投げきっても動きを止めることができなければ、あとはバローから託された一対のナイフしか武器はなくなる。




