第四章②
その次の日、ジャックはロランヌに言われた通り教会まで付き添ってきていた。
ここメイグース王国はハイリヴァルト王国から独立した際、国教を変えている。ハイリヴァルトは男神を唯一神として崇めているが、メイグースはその男神を生んだ女神こそ至高という宗派に鞍替えしている。かといって他宗教を排斥することなく、ハイリヴァルトの属州だったときの名残として男神を崇めることも許しているし、その他の宗教の存在も認めている。
女神を最高神として崇めているため、しばしばその姿を女王に重ねる向きが見られるようになった。だから、どこへ行っても教会の中は花を飾ってあり、女王が愛する薔薇のモチーフも多く見られる。
ロランヌが通っている教会も例外ではなく、季節の色とりどりの花が祭壇近くに飾られていた。
教会に着いてから、ロランヌは長いこと祭壇の前で祈りを捧げている。ジャックは、その横顔をじっと見つめた。
祭壇を照らすように設置された窓から射し込む光が、ロランヌの銀の髪を輝かせている。白い肌も、花の蕾のような唇も、すべてが光に包まれている。その姿はジャックの目にはまるで宗教画のように荘厳で神々しく映り、どんなものよりも敬虔な気持ちにさせられる気がしていた。
「女神様に祈っているのか女王陛下に祈っているのか時々わからなくなるの」
長いこと目を閉じて祈っていたロランヌが、目を開けてジャックを見た。アメジストのような目で見つめられ、ジャックは胸の中心を射抜かれた気分になる。
目を閉じていると人形のように美しいが、目を開けるとそこに強い命の光を見出すようで、ジャックはやはり生き生きと動くロランヌを美しいと思う。そのロランヌの顔に、憂いが浮かんでいる。
「ロール様の好きなものを好きなように思い浮かべては?」
ロランヌの憂いがわからないジャックは、彼女の気持ちが晴れるようなことを口にした。
そもそも、誰かに祈ろうという心がないジャックには、ロランヌが悩んでいることがわからない。祈る暇があるなら自分で解決するしかないと、子供のときからどこかで悟っていた。
「この前から、この国の宗教のあり方について考えているの。……何が正しくて、何が人を幸福にするのかとか。自由を認める代わりに脅かされるものがあるなら、それは正しくないんじゃないかとか」
ロランヌが何を言おうとしているのか、何に悩んでいるのかわかって、ジャックは苦い気持ちになった。
ロランヌを悩ませているのは、この前の花売りが言っていたことだろう。薬をばら撒き貧しい人を苦しめているのはおかしな宗教団体で、女王が異教を認めているから起こっていることだと、あの女は言っていた。
女神を信仰し、女王が正しいと崇めてきたロランヌにとって、あの花売りの発言は衝撃的だったのだろう。信仰心を持ち合わせていないジャックですら、言い知れぬ不快感を覚えたのだから。
女神や女王を崇めるつもりはないが、かといって宗教を謳った怪しげな団体が貧しい人を搾取するのを見過ごすつもりもない。
悪の正体を突き止めて、平穏な日々を手に入れたいと思っている。おそらく、この根を辿っていけば、ジャックたちの宿敵に行き当たるのではないかと考えているから。
「俺はこの国の宗教の在り方で助かってます。祈ることができない俺を排除しないでいてくれますから」
ひとまず、ロランヌの憂いを解消してやろうとジャックは言った。何が正しいのか何が間違っているのか、そんなことはジャックにはわからない。だが、この国がよそ者を排斥せず、祈ることを強要してこないことには感謝している。
正しいかそうじゃないかは抜きにして、助かっているのは間違いない。為政者が寛容であることは、その国の民の生きやすさに繋がる。
「そうか……そうね。女王も女神も、祈ることを強要しないものね。そして、異教を許すということは異なる系譜や文化を持つ人も抱え込むということ。そう考えると、悪いことではないわ」
ぐらついた足元の地面をもう一度確かめながら踏みしめるように、ロランヌは言った。彼女を四歳から育てたのはバローだが、精神的な部分を支える存在は女王だ。女王自身が庇護者を公言しているように、ロランヌも女王こそ自分の道標だと思っている節がある。過剰なほどに。
だから、この前の花売りのような女王を否定する存在も、女王に叛逆の意思を持つ存在も、衝撃的だったのだろう。それこそ、足元がひっくり返るかと思うほど。
両親が健在であればもう少し精神が安定したのではと感じるから、やはりジャックはランバージャックのことを許せない。
「ジャックは祈らないというけど、じゃあ教会で何のことを考えてるの?」
ふと気になったのだろう。含みのない様子でロランヌが尋ねてきた。教会とは神や己と否が応でも向き合わされる場所だ。そこで祈らないというのなら何をしているのだろうというのは、素朴で真っ当な疑問だと思う。
「お嬢様のことです」
「まあ! わたくしは本当に気になったのに、茶化すなんてひどいわ」
「茶化してません。本当にいつも、お嬢様のことを考えてますよ」
「もういいわ!」
事実を述べたのだが、それはロランヌの気に入るものではなかったらしい。ぷりぷり怒って、教会の出口へ向かって歩き出してしまった。やれやれと苦笑いを浮かべ、ジャックもそのあとに続く。
扉を開けて外へ出るとき、ジャックは祭壇を振り返った。祭壇の奥には、女神を模した石像が飾られている。
大昔、信者たちが想像で創り出した女神の姿だ。清らかな乙女にも、穏やかな母にも見える、優しげで美しい女人の姿。
製作者の意図した通り、美しいとはジャックは思う。だが、それ以上の感情は湧いてこないし、ましてや祈りを捧げてみようとは決して思えなかった。
ジャックの世界に、神はいない。
神がいればきっと、サジュマン家惨殺事件などという恐ろしい事件は起きなかった。
もしいたとしても、惨劇を防げなかったのならいないも同然だ。そんな無能をジャックは神と呼ばない。
人々の幸せのことを考え、持つべき者の義務を果たそうと懸命な少女から家族を奪われることを防げなかった存在など、いてもいなくても変わらない。
だから、そんな無能に代わってジャックが復讐するのだ。大切なロランヌの仇は、ジャックが必ず討つ。ロランヌの幸福を脅かすものは、すべてジャックが葬る。
それが、記憶も何も持たないジャックに居場所と愛を与えてくれたロランヌたちへの報いだから。




