第四章③
ロランヌを教会から屋敷へ無事送り届けたあと、ジャックは東方人街へ向かっていた。
ロランヌとの約束通り、きちんとバローに許可を取ってからだ。
出かけたい旨を伝えると、バローはどこで誰と会うのかを尋ねてきた。言い渋ったのだが、世間一般では子供は外出する際に親に行き先と目的を伝えるものだと言われ、話さないわけにもいかなくなったのだ。
もうそんな子供ではないとか、あんたは俺の親じゃないとか、そんな言葉が喉まで出かかったが、それこそ反抗期の子供みたいだと思って呑み込んだ。
そして、東方人街へ向かうことと、そこで果たさなければならないことがあるとかいつまんで説明した。そのときに、何年もかけて情報収集していたことについても話さなければならなかったが、バローは何も言わずにいてくれた。
おそらく、ある程度のことは勘づいていたのだろう。何せバローはジャックの親だから。子の親への隠し事は、大体うまくいかないものだ。
「くれぐれも気をつけるように」とだけ言って、バローはジャックを送り出してくれた。暗くなる前に帰ってこいと言われたから、当然素早く用事を済ませる気でいる。
いつもは東方人風の服を身に着け、町並みに溶け込めるように独特ののらりくらりとした歩き方をしていたジャックだったが、今日は違う。
確実に目的を達成するため、足早にいつもの場所へ行くと、お目当ての人物を見つけて駆けていった。町並みに溶け込むとか目立たないようにとか、この際どうだっていい。
自分とロランヌを危険な目に遭わせた落とし前をきっちりつけさせねばならない。
「フレール、あんた花売り女にいくらもらったんだっ!? 俺のことを売ったろ?」
普段と同じ場所でフラフラしていたフレールを捕まえて、ジャックはその頬に拳を叩きつけた。抵抗するかと思いきや、やつはあっけなく捕まり、拳をもろに頬のど真ん中に食らっていた。よろけたまま、フレールは無様に尻もちをつく。逃げられないように、ジャックは距離を詰めた。
「……へへ、何かと思えば、あんたか」
殴られたフレールは驚きつつも、殴ったのがジャックだとわかると、いつものヘラヘラした笑みを浮かべた。どうやら殴られ慣れているようだ。
「いや、そんなつもりはなくて。あんたもあっちも探してたから、それならと思って引き合わせてやったたけだ」
ジャックがわかりやすく怒りを向けているにもかかわらず、フレールには悪びれる様子もない。誰が襲ってきても負けるつもりなどなかったが、こいつのせいでロランヌと一緒のときに襲撃を受けてしまったことが許せず、もう一度殴る構えを取る。
「す、すまんって。まさかあんたがそんなに怒るようなことになるとはさ……こっちだって、あのおっかない女に脅されるみたいな感じだったんだよ」
「だからなんだ。いつも俺にやるみたいに、のらりくらりと嘘か本当かわからない情報を与えて逃げたらよかったじゃないか」
「そう言いなさんなって。あんたは俺にみたいにどっぷりこの町に浸かりきって生きてるわけじゃないだろうからわかんないと思うけど、底辺の暮らしは厳しいのさ。……義理を通して命が尽きたら世話ないわけ」
ジャックが胸ぐらを掴んで凄んでも、フレールは気の抜けた人を馬鹿にするみたいな笑みを浮かべるだけだ。どれだけ脅したところで、ジャックの怒りが通じることはない。それに、間近で覗き込んだフレールの目は、底なし沼みたいに真っ暗だった。
確かにこの目を見れば、自分とやつが違う人種なのだとわかる。ジャックは自分が何者かわからないと不安を抱えていても、帰る家もあれば大切な人もいる。この男のように泥水を啜って生きたことなどないのは間違いない。
だから、こいつの行いに腹を立てるのは違うのかもしれない。
ジャックにとっては馴染みの情報屋でも、フレールにとってはたまにタバコをくれる生きる世界が違う若造だ。
「とりあえず、あんたが無事でよかったよ。あの花売り、えらい怒ってたが元恋人か何かか? お針子ちゃんに乗り換えたときにきちんと別れなかったんだろ」
ジャックが怒りを収めたのに気がつくと、フレールはまたヘラヘラ笑って余計なことを言った。
「あんなやつ知らない。俺が追ってた情報がたまたまあの女に繋がってただけだ」
フレールを一発ぶん殴るという目的を果たしたジャックは、これ以上ここに用はないと立ち去ることにした。もうここには来ないだろう。情報が手に入っても、簡単に別の誰かに自分のことを売られたのではそんな情報屋は使えない。
信用していたつもりはないのに、裏切られた気分になっている時点でだめなのだ。
「おいおい、待ってくれよ。今日は俺をぶん殴りに来ただけか? 痴話喧嘩の八つ当たりなんてやめてくれよ」
「痴話喧嘩なんかじゃない。……もう一発ぶん殴るぞ」
「待て待て待て! あんたが欲しがるような情報やるから!」
素早く距離を詰めてもう一度胸ぐらを掴むと、フレールは焦ってそう言った。どうせ大した情報じゃないとわかりつつも、ジャックは手を離す。
「あんた、貧しい人間が倒れる話を追ってただろ。それがらみだ」
よれよれのシャツの襟を正しながら、フレールは声を潜めた。ガヤガヤした東方人街でそんなふうに声を潜める必要があるのかと思うが、そのくらいやばい情報ということだろう。
「どうもな、どっかの救貧院が関わってるんだと。しかも、怪しげな宗教団体が運営してるっていう」
「……救貧院なんて、どこも宗教団体がやってるもんだろ。女王は異教を認めているが、それは民を幸福にする義務を果たしているからって理由で。女王に手っ取り早く認められるには貧民救済がいいってことで、ほとんどの宗教がやってることだ」
救貧院と聞いて飛びつきたくなったが、ジャックは気持ちを落ち着けた。フレールが花売りと通じているのなら、救貧院についても聞かされているだけかもしれない。
それにこの男は大したことのない情報ももったいつけて話して、値を釣りあげようとしてくるのだ。用心しなければ、また騙されるかもしれない。
「違うって。大抵の宗教が何を崇めてんのかははっきりしてるだろ。だがな、その怪しげなやつらは何を崇めてるかがわからねぇ。しかも、〝楽園〟ってのを謳い文句にしてんのさ。……話が繋がってこねぇか?」
「あ……」
フレールの言葉に、ジャックの頭の中で何かが繋がる音がした。
フレールのいなくなった知り合いも、「楽園へ行く方法を見つけた」と言っていたということだった。そしてそれと時を同じくして、貧しい人が次々倒れたり、その倒れた人たちがどこかで不審な薬を手に入れたという話だった。
花売りが言っていた情報と組み合わせれば、それはジャックの追うものの答えになった。
「確かに、何か気になる話だな。他にわかることはあるか?」
「んー、あとは、その団体のシンボルマークが時計塔ってことくらいだな」
「時計塔……」
時計塔といえば、この国の名所だ。
もっとも女王陛下に近い場所。この国で唯一、空に近づける場所だ。
女王を慕う者は、式典などの特別なことでもない限り、時計塔へは近づけないと言っている。ロランヌがそのいい例だ。敬愛する女王陛下に無闇に近づくことは、不敬に当たるからできないと、そう考えるのだという。
その時計塔をシンボルマークに掲げる宗教団体というのは、果たして何を意味するのだろうか。単純に考えれば女王への敬意とも取れるが……目くらましか別の意味があると考えるのが妥当だろう。
「な、役に立っただろ? 俺はさ、まだあんたの役に立てるさ」
考え込むジャックの肩を叩き、フレールはニヤニヤしながら手のひらを差し出してくる。ようは、今回の情報の報酬をくれということだ。
ジャックを花売りに売ったくせに、無事だとわかるとまたジャック相手に商売をしようというのだ。逞しすぎて呆れるが、こいつはずっと逞しく生き抜いてほしいとも思う。
花売りもフレールも、好きで底辺で生きているわけではないのだ。たまたま救い出されただけの自分が彼らを嫌悪し切り捨てるのは違うと、ジャックは自分に言い聞かせる。
「悪いな。今日は本当にあんたをぶん殴りに来ただけだから、持ち合わせがないんだ。だから、また今度だ」
早く用事を済ませれば三番街のあのお菓子屋に寄ろうと思っていたから、小銭を持ってきていた。その小銭をフレールに握らせ、ジャックはそのまま歩き去った。結局まだ一度も、若い女性に人気だというお菓子屋へは行けていない。




