第三章①
ぽっかりと時間の空いた夕暮れどき。
ジャックはひとりで庭にいた。今日はロランヌのクインガーデナーとしての仕事は午前のうちに片付いたため、昼食と午後のお茶が終わってからは屋敷の仕事に専念できていた。
バローとジャックの二人だけで屋敷の仕事を回しているとはいえ、仕える主人もロランヌひとりだけのため、毎日山ほど仕事があるというわけでもない。だから、夕食時まで呼ばれなければ自由に使える時間になった。
その自由時間に読んでしまったもののことを、ジャックは後悔していた。
切り裂き魔のことが気になって、わざわざ雑誌を買い求めたのだ。
最近のものでは記事の扱いが少ないかもしれないと思い、古本を多く取り揃えている店に行った。「雑誌なんて馬鹿が読むものだ」とバローに言われたのが気になって、一応変装してまで行ったのだ。
そんなにしてまでジャックが切り裂き魔のことを知りたかったのは、己の存在に自信がないからだ。何者かわからない自分は、悪者かもしれない──この思いは気がつくと芽生えていたが、それは順調に育っているように思う。ジャックの恐れと不安を養分にして。
切り裂き魔について知ればこの疑いを拭えるのではないかと思ったが、知れば知るほど疑念は強まってしまっている。
というのも、雑誌の記者が推測した切り裂き魔の特徴とやらが誰にでも当てはまるように書かれているからなのだが、そのせいで自分だったとしてもおかしくないと思ってしまうのだ。
教養のある男の犯行ではと書かれたり、か弱い女の犯行ではと書かれたり、町の人々に信頼されている人物とか誰にも気に留められない人物だとか……扱う雑誌や時期によってまちまちだ。
そうやって身近な人物の中に犯人がいるかもと思わせるのが、その手の雑誌のやり口なのだろう。だがその狙いが違った効果を発揮して、ジャックは怖がらせられている。
せめてジャックが生まれる前からこの手の事件があったのならよかったのに。残念ながら切り裂き魔の噂が流れ始めたのは、ちょうど十二年前頃からだ。
サジュマン家の惨劇と前後するように、凄惨な殺人事件が起きている。腕試しに数人殺し、その後サジュマン家の犯行に踏み切ったのだろうと世間では考えられている。事実、女王によるランバージャックの粛清後、切り裂き魔による殺人は起きていない。
模倣したような事件や不安をかきたてるような出来事があるたび、人々が切り裂き魔の名を口にするだけで、ランバージャックの犯行と断じることができる実際の殺人はあれ以降起きていないのだ。
だが、人々はどこかにランバージャックの生き残りがいることを危惧しているし、ジャックも心配している。
何より心配なのは自身が切り裂き魔なのではないかということと、ランバージャックなのではないかということだ。
切り裂き魔の犯行がか弱い女にも可能だったのなら、当時七歳だったジャックにも不可能ではないのだろう。
保護されたのが惨劇の夜で、しかもそれ以前の記憶がないということが、ジャックをどうしようもなく不安にさせるのだ。
「ジャック、こんなところにいたのね! バローさんが呼んでいたわよ。わたくしがベルを鳴らしたからだけれど」
本当に何をするでもなく庭で不安に打ちひしがれていると、いつの間にか外に出てきたロランヌに声をかけられた。
「ロール様、すみません……」
「いいの。本来はあなたが自由にしていい時間だったんだもの。でも……あまり長いこと外でひとりで物思いに耽っていると、心配になるわ」
「……見てらしたんですか?」
何か用があって呼びに来たのかと思ったが、どうやら違ったらしい。ふと屋敷のほうを見ると、ここからはサンルームの端が見えた。ということはつまり、サンルームからもここで見えるということだ。ロランヌはもしかしたら、しばらくサンルームからジャックのことを見ていたのかもしれない。
じっと動かず何をするでもない従者を見れば、確かに心配にもなるだろう。
「何か、悩み事があるのでしょう? バローも、最近のあなたは何か変だって言っていたわ。眠れないとか、そういうことではないのよね?」
ロランヌはジャックの質問には答えず、正面から見つめてきた。言い逃れや嘘を決して見逃さないぞという、強い意思を感じる目だ。
その目で見つめられると、ジャックは落ち着かなくなる。この紫水晶のような目は、何でも見透かしてしまう気がするから。
「……バローさんに『馬鹿になるからやめておけ』と止められていたゴシップ誌を読んで、怖くなってしまっていたんです。いい年して、恥ずかしいですが」
嘘をつかず、どう説明したものかと思って、ジャックは口を開いた。ゴシップ誌を読んだのも、怖くなったのも本当だ。だから嘘は言っていないのだが、ロランヌが誤魔化された様子はなかった。
「切り裂き魔のことを、調べていたのでしょう?」
おそらく、あえてなのだろう。視線をそらしてロランヌは尋ねてきた。
「あなた、マダム・ブランシュのところであの話を聞いてから、ずっとおかしいものね。バローさんも、変なことに首を突っ込もうとしているのではないかって、心配していたわ」
ロランヌの声には咎めるふうも、ひどく心配する様子もなかった。ただ事実を確認しているという感じだ。
「ジャックは、切り裂き魔のことが恐ろしくてたまらなくて、それで調べているのでしょう? しかも、自分がその切り裂き魔なのではと考えて、不安になっているのよね?」
今度はジャックの目を見て、ロランヌは問いかけてきた。これは質問ではない。ロランヌは、知っていることを開示したにすぎない。何でもお見通しというより、この件に関しては自分があまりにもわかりやすかったのだろうと思って、ジャックは降参することにした。
「……そうです。ロール様のおっしゃる通りです。俺、自分が切り裂き魔なんじゃないかと思って、ずっと不安だったんです。ガーデナーでもないのに冥界の花樹を見ることができてしまうし、何に使うかわからない花鋏は出せてしまうし……」
言ってしまうと、心細さが増した。まるで小さな子供にでも戻ったかのような気分になって、それがジャックは嫌だった。
素直に認めて打ち明けたジャックの言葉を、ロランヌはどう受け止めたのだろうか。三歳も年下の少女の言葉を、ジャックは期待してしまっている。
「ジャックは、お花しか切れないわ」
笑うでも馬鹿にするでもなく、ましてや慰めるでもなくロランヌは言った。意味がわからず、ジャックは反応に困った。自分の言葉が伝わっていないとわかったからか、それとも面食らったジャックの顔がおかしかったからか、ロランヌは笑いだした。
「だって、花鋏は花を切るためのものでしょ? それを言ったのよ。何も驚くことはないわ」
「それは、そうですけど……」
「確かに、花鋏でも冥界の花樹を傷つけることはできるけれど、逆にいえば冥界の花樹しか傷つけることはできないのよ。人体を傷つけることはできないし、傷つける必要なく人間を害することができるとも言えるわ。……ここまで言ってもわからない?」
ロランヌは小首を傾げてジャックを見上げた。直接的な物言いではなくわかりにくいが、自分の主人が何を言おうとしているのか感じ取ることはできた。
「俺は、切り裂き魔じゃないっておっしゃりたいんですよね?」
「そういうことよ。状況がそうだと言っているし、何より悪いやつには捻じくれた花樹が生えていると決まっているものだもの。……あなたのは、よくわからない植物というだけで、捻じくれたものじゃないわ」
ロランヌはジャックの答えを聞いて満足そうに微笑んでから、彼の胸のあたりをじっと見つめた。冥界を覗いているのだろう。それに倣いジャックも自分の花樹を見つめたが、花も蕾もつけていない、何かわからない木があるだけだ。花樹まで得体が知れないなんて、勘弁してほしい。
「薔薇の木に似てる気がするけど……そんなわけはないのよね。『王族以外、薔薇を咲かせてはならない』から」
「いや……まず王族なわけがないですし」
ロランヌの呟きにとっさに答えたが、それすら自信を持って言えないのだと、あとになって気がついた。




