第二章⑤
屋敷で新聞と睨み合っていても何もわからないと、ジャックは街に繰り出していた。
東方人風の変装をして向かうのは、いつもの場所だ。この前は屋台で夕食をつついていたフレールは、今夜は花屋らしくちゃんと花が乗った荷車を引いていた。
こんな胡散臭くて気怠げな花屋がいてたまるかと見るたび思うのだが、東方人街の宵闇のオレンジ色の中にいると、しっくり来るものがあるのが不思議だ。
「よぉ、青年。今日はあんたが欲しがってたのが入ってるぜ」
「そうか。そうだといいなと思って、俺もフレールにこれを持ってきた」
ジャックに気がついたフレールは、花を一輪差し出した。特に珍しい花ではないが、それを受け取ってジャックも懐から取り出した煙草を渡した。
傍目から見ると、花屋と馴染みの客が世間話をしているようにしか見えないだろう。
「どうやらな、ヤバイ薬が出回ってるらしいぞ」
荷車からやや離れた場所で、フレールは煙草を一本取り出して火をつけた。それから煙をいっぱいに吸い込んで、フレールは目を見開いた。どうやら気に入る味だったようだ。ジャック自身は煙草を吸わないからいつも店主に勧められたものを買うのだが、フレールが香りと癖の強いものを好むのはわかってきた。
「ヤバイ薬? それが例の、『楽園に行く方法』ってやつなのか?」
「まあ、安直に考えると、そうなるだろうな。ただ、俺の知り合いがその薬をやってたかどうかはわからんし、相変わらずそいつの行方はわかってない」
特に声色に変化はなく、何でもないことのようにフレールは言い放った。フレールはいつもニヤけていて胡散臭くて、何を考えているのかわからない。だから、今も悲しんでいるのか心配しているのか、いまいちよくわからなかった。
それでもジャックは、たとえば自分にとってのフレール程度の人間でも、行方知れずになれば心配するだろうから、この場合は慰めの言葉が適切だと考えた。
「そうか……知り合い、早く見つかるといいな」
「お? おお……そうだな」
そんなことを言われるのは意外だったとばかりに、フレールは驚きに目を見開いた。だが、やはりふざけた男だから、すぐに面白がるようにニヤニヤしはじめた。
「知り合いって言っても、この辺をうろついてる奴だから碌でもないんだけどな。碌でもない奴がいなくなっても、みんな普通は気にも留めないもんだ。だから、そんな言葉を口にできるあんたは、実は育ちがいいんだろうな。こんなところをそんななりでうろついているが」
面白がって、まるで値踏みするような目でフレールはジャックを見る。図星を突いたつもりだろうが、かすりともしていないためジャックは焦らない。
「育ちがいいだなんてとんでもないな。俺はただの捨て子だ。でも、知り合いがいなくなれば心配する程度には人の心があるだけだ」
「その人の心を持ち続けられてんのが、育ちがいいって言うのさ。社会の底辺で生きてると、他人のことなんざどうでもよくなるからな」
「底辺同士でも繋がりがあるから生きてられるってこともあるだろ。俺は、あんたが突然いなくなったら心配するし、もしかしたら探すくらいのことはするかもな」
ジャックが何の衒いもなく言ってのけると、フレールは鼻で笑った。じっと見てくるニヤけた目の奥には、仄暗い闇がある。だが、気を悪くしたわけではないらしい。
「優しいなあ、あんたは。いや、お人好しなのか。お人好しが過ぎて足下すくわれやしないか、心配になるくらいだ」
「本当に大事なものとそうでないものとの区別くらいはついてるつもりだ。いざとなれば大事なものを優先して他を切り捨てる俺は、お人好しじゃない」
「そっか。なら、あんたに心配してもらえたってのは貴重なんだな。じゃあ俺もあんたにオマケしなきゃいけねぇか」
気をよくしたのか、ニヤニヤしながらフレールはもう一輪花を差し出した。
「情報っつっても、オマケ程度にやれるもんだから断片みたいなもんだけどな。何か、高値で取り引きされる花があるらしいって話を聞いたんだ」
「花? 花って、こういう花のことなのか?」
「いや、それが俺にもさっぱりなんだわ。でも、少しずつ噂は広まってて、花売り娘たちが騒いでるぜ。俺のところにまで『珍しい花ない? 手に入ったら教えてね』なんて言ってくるくらいだ。ただな、花屋の俺が知らねぇ花って何なんだよって感じだよな」
「……わけがわからんな」
前置きされたからこの前のように腹は立たなかったが、あまりにとりとめない話でジャックは戸惑った。だが、胸の奥がざわつくような、嫌な感覚を覚えていた。
フレールからもたらされる情報がぼんやりしているのはいつものこととはいえ、その奥から不安をかきたてる言いしれぬものを感じるのは初めてだ。
これまでの情報とは質が異なる――それが、ジャックが受けた印象だ。
「フレールの話は、やっぱよくわかんねぇな。また続報があったら教えてくれ」
今夜はこれ以上の収穫はないだろうと思い、もらった花を振ってジャックは歩きだした。内心の動揺を悟られないように、いつもと同じようにしたつもりだ。
だが実際は、ひとつのことに思い当たって、それによってさらに動揺してしまっていた。
(もしかして、薬の話とさっきの花の話は繋がるのか? 花が薬の材料だとしたら、このタイミングで高値で取り引きされるのも自然な話だ。そして〝花屋〟のフレールが知らない花となれば、常人には見ることも触れることもできないものだと考えられる……)
そこまで考えて、ジャックはゾッとした。もし冥界の花樹の話だとしたら、それが噂になる意味や理由を考えると、その怖さは更に増す。
おそらく、情報をもたらしたフレールも、この関連性については気づいていないだろう。気づいて、知っているのなんて、ごく限られた人間だけのはずだ。
その限られた人間の中に自分が含まれたということが、ジャックはどうしようもなく不気味に感じられた。




