第30話 黒煙
白銀戦線の拠点内部。
ハヤテはツキを背負い、長い通路を駆け抜けていた。
「もう少しだ」
背中から小さな声が返ってくる。
「……うん」
ツキの腕がハヤテの肩をぎゅっと掴む。
地下牢から助け出してから。
何度も聞かれた。
お姉ちゃんは無事なのか。
どこにいるのか。
だがハヤテにも分からない。
だから今は少しでも早く仲間たちと合流する。
それしかなかった。
その時だった。
「……!」
ハヤテが突然足を止めた。
「お兄ちゃん……?」
ツキが不安そうに顔を上げる。
ハヤテは答えない。
目を閉じる。
意識を集中させる。
遠く。
拠点の外。
そこから肌を震わせるほどの強烈な魔力が伝わってきていた。
「……濃い魔力だ」
明らかに普通ではない。
一瞬。
ガウの顔が頭をよぎる。
ハヤテは目を開いた。
「急ぐぞ」
「……うん!」
再び地面を蹴った。
◇
しばらく走ると拠点の入口が見えてきた。
「……!」
そこには戦いの跡が色濃く残っている。
崩れた建物。
砕けた武器。
そして地面から伸びる巨大な岩壁。
幾本もの岩柱が折り重なり、一つの巨大な岩牢を形成していた。
その中には武器を捨てた《深淵の剣》のプレイヤーたちが集められている。
「心配するな」
岩牢の前。
ゴウマが腕を組んで立っていた。
「戦いが終わればきちんと出してやる」
「大人しく待っていてくれ」
岩牢の中。
プレイヤーたちは互いに顔を見合わせる。
やがて。
一人。
また一人。
静かに頷いた。
その時。
「ゴウマ!」
「……!」
ゴウマが振り返る。
「ハヤテ!」
表情が緩む。
「無事だったか!」
「そっちもな」
ハヤテはゴウマの前まで走るとすぐに尋ねた。
「さっきの魔力は?」
「……」
ゴウマの表情が変わった。
視線を拠点の外へ向ける。
「ゼノスだ」
「……!」
「さっきガウが窓から飛び出していくのを見た」
ゴウマが拳を握る。
「恐らく今も戦っている」
「始まったか……」
ハヤテも外を見る。
先ほど感じた魔力。
あれがゼノスのものなら。
戦いは間違いなく激化している。
その時だった。
「ハヤテ!」
奥の通路から声が響いた。
「……!」
振り返る。
リンファとアイス。
二人がこちらへ向かって歩いてくる。
アイスは脇腹を押さえていた。
応急処置として張り付いていた氷はほとんど溶けている。
足取りも重い。
それでも自分の足で歩いていた。
リンファの背には一人の狐獣人の少女。
ヨミ。
「……!」
ハヤテの背中でツキの身体が大きく震えた。
「……お姉ちゃん?」
小さな声。
リンファが足を止める。
ヨミの狐耳が僅かに動いた。
「……」
ゆっくりと目が開く。
「……ツキ?」
掠れた声だった。
「お姉ちゃん!」
ツキが叫ぶ。
「おっと!」
ハヤテの背中から慌てて降りる。
そのまま一直線に走った。
「お姉ちゃん!」
「ツキ……!」
リンファが静かに膝をつき、ヨミを背中から降ろす。
ヨミはまだ一人で立つことができない。
壁へ身体を預ける。
そこへ。
ツキが飛び込んだ。
「お姉ちゃん!」
「……っ」
ヨミがツキを抱き締める。
強く。
震える腕で。
「ツキ……」
「ツキ……!」
「お姉ちゃん……!」
ツキの目から涙が溢れる。
「怖かった……!」
「ずっと……怖かったよぉ……!」
「……ごめん」
ヨミの声も震えていた。
「ごめんね……」
「一人にして……」
「ごめん……」
「ううん……!」
ツキが首を振る。
「お姉ちゃんが無事なら……」
「それでいい……!」
「……ツキ」
ヨミはもう一度。
妹を強く抱き締めた。
誰も言葉を挟まなかった。
ハヤテ。
ゴウマ。
リンファ。
アイス。
ただ静かに二人を見守っていた。
やがてヨミが顔を上げる。
ハヤテを見る。
「あなたが……ツキを?」
「ああ」
ハヤテは笑う。
「地下牢で見つけた」
「……ありがとう」
ヨミが深く頭を下げる。
「本当に……ありがとう」
「気にするな」
ハヤテは笑った。
「無事に会えたならそれでいい」
ヨミは小さく頷いた。
「……うん」
その横でアイスも静かに息を吐く。
救えた。
少なくとも。
この姉妹はそれだけでも戦った意味はあった。
「……」
ゴウマが周囲を見る。
倒れた敵。
拘束されたプレイヤー。
武器を捨てた《深淵の剣》の構成員。
そして戻ってきた仲間たち。
ゆっくりと頷く。
「これで……」
全員がゴウマを見る。
「白銀戦線の拠点制圧は完了だ」
「……」
アイスが目を閉じる。
自分たちの拠点。
奪われた場所。
多くの仲間が傷付いた場所。
ようやく取り戻した。
「……長かったな」
小さく呟く。
だが次の瞬間。
ドォォォォン!!
「……!」
凄まじい轟音。
地面が大きく揺れた。
天井から細かな瓦礫が落ちる。
ツキがヨミへしがみつく。
「な、なに……?」
ハヤテが外を見る。
「……まだだ」
ゴウマも拳を握る。
「ああ」
リンファの表情も変わる。
アイスも壁へ手をつきながら外へ視線を向けた。
全員。
分かっていた。
まだ一つだけ。
終わっていない戦いがある。
「最後の戦場は……」
ゴウマが呟く。
「まだ続いている」
全員の視線が拠点の外へ向けられた。
◇
白銀戦線の拠点外。
「……ぐっ」
地面へ手をつく。
身体を起こす。
痛い。
身体中が悲鳴を上げている。
HPも大きく削られていた。
それでも俺は立ち上がる。
右手。
そこには。
折れた《朧》。
「……」
ゼノスが俺を見ていた。
《終焉一閃》を受け。
武器まで折られた。
それでも立ち上がった俺を面白そうに眺めている。
「まだ立つか」
「……」
「武器は折れた」
一歩。
「仲間も傷付いた」
また一歩。
「それでも戦うのか?」
「……」
俺は答えなかった。
右手を見る。
《朧》。
二年間ずっと共に戦ってきた。
数え切れないほどの戦場を越えた。
何度も敵を斬った。
何度も俺を守ってくれた相棒。
俺は静かに《朧》を持ち上げる。
そして折れた刃をゆっくりと鞘へ戻した。
カチン――。
小さな音。
「……」
ゼノスの目が細くなる。
「諦めたか?」
「違う」
俺は顔を上げた。
「《朧》がなくても」
一歩。
前へ出る。
「私は戦える」
「……」
数秒。
ゼノスは黙っていた。
やがて。
「ククッ……」
笑う。
「面白い」
剣を構える。
「武器を失ってもなお向かってくるか!」
「なら見せてみろ!」
ゼノスの魔力が膨れ上がる。
「お前自身の力を!」
「……」
俺は静かに右手を上げた。
武器はない。
それでも戦う術は残っている。
いや。
違う。
最初から。
俺にはもう一つあった。
「アークスキル」
ゼノスの笑みが止まる。
「……?」
俺の足元。
黒い煙がゆっくりと立ち上った。
「《黒煙支配》」
ゴォォォォォッ!!
黒煙が爆発した。
「……!」
ゼノスのコートが大きく揺れる。
黒。
ただひたすらに黒い煙。
俺の足元から。
背後から。
周囲から。
大量の黒煙が溢れ出す。
「なんだ……?」
ゼノスが目を細める。
黒煙は止まらない。
地面を這う。
空気へ広がる。
俺の身体を包む。
だが、ただ広がっているわけじゃない。
俺の意思に呼応している。
「……」
右手を伸ばす。
黒煙へ。
触れる。
そして握る。
瞬間。
ゴォッ!!
黒煙が一斉に右手へ集まった。
「……!」
ゼノスの目が僅かに見開かれる。
煙が形を変える。
柄。
鍔。
そして刀身。
黒煙が凝縮されていく。
やがて俺の右手には一本の刀が握られていた。
漆黒。
煙から生まれた刃。
《朧》ではない。
重さも違う。
感触も違う。
それでも。
「《黒煙刀》」
握る。
手に馴染む。
俺の魔力から生まれた。
俺自身の刀。
ゼノスが笑った。
「なるほど」
剣を肩へ担ぐ。
「煙から武器を作るか」
「面白い能力だな」
「……」
俺は黒煙刀を構える。
周囲の黒煙が揺れる。
刀へ。
身体へ。
地面へ。
空気へ。
戦場へ。
広がった全ての黒煙が俺の意思に呼応する。
「私は」
ゼノスを見る。
「誰かを支配するために戦うんじゃない」
「……」
「守るために」
黒煙刀を握る。
「この力を使う」
ゼノスの口元が歪む。
「守るための力か」
剣を構える。
「気に入らねぇな!」
地面を蹴った。
「ならその力ごと叩き潰す!」
「……!」
俺も同時に踏み込む。
ガキィィィン!!
黒煙刀。
ゼノスの剣。
二つの刃が激突した。
「……!」
ゼノスの表情が変わる。
受け止めた。
《朧》を砕いた剣を。
黒煙刀が。
「……ほう!」
ゼノスが笑う。
俺は答えない。
刃を滑らせる。
ゼノスの剣を逸らす。
一歩。
踏み込む。
斬る。
「っ!」
ゼノスが剣を戻す。
ガキンッ!!
弾かれる。
反撃。
横薙ぎ。
俺は身体を沈める。
頭上を剣が通過。
そのまま黒煙刀を振り上げる。
「ちっ!」
ゼノスが後ろへ跳んだ。
追う。
一歩。
二歩。
一気に距離を詰める。
ガキンッ!
ガキィン!!
キィィン!!
何度も。
何度も。
二つの刃がぶつかる。
速度。
技術。
読み合い。
一瞬でも判断を誤れば終わる。
だが。
「……」
先ほどとは違う。
押し込まれない。
黒煙刀が破壊されても次の瞬間には黒煙が集まり刃を修復する。
バキッ!!
「……!」
ゼノスの剣が黒煙刀の先端を砕く。
だが。
ゴォッ!!
黒煙が集まる。
瞬時に刀身が戻る。
「なるほどな!」
ゼノスが楽しそうに笑う。
「壊しても意味がないか!」
俺は黒煙刀を振るう。
「ククッ……!」
ゼノスが笑う。
「本当に面白い!」
剣。
黒煙刀。
再び激突。
ガキィィィン!!
「お前は!」
押し合う。
「どこまで俺を楽しませる!」
「……」
俺は刃を押し返す。
「私は」
一歩。
「お前を楽しませるために」
さらに一歩。
「戦ってるんじゃない!」
黒煙が爆発する。
ゼノスが押し返された。
ザザザッ!!
「……!」
数メートル。
ゼノスが地面を滑る。
俺は黒煙刀を構えた。
「私は守るために戦う!」
「……」
ゼノスがゆっくりと顔を上げる。
そして笑った。
「なら」
左手を上げる。
「その覚悟ごと壊してやる」
「……!」
黒い呪印。
ゼノスの手に浮かび上がる。
見覚えのない呪印。
いや。
バレットが受けたものだ。
「《暗幕呪印》」
黒い光が放たれた。
「……!」
避ける。
そう思った時には遅かった。
視界が黒に染まった。
「……」
何も見えない。
ゼノス。
地面。
自分の手。
黒煙刀。
何一つ見えない。
完全な暗闇。
「……」
俺は動かない。
「ククッ……」
ゼノスの声。
どこだ。
右。
左。
分からない。
「どうだ?」
声が響く。
「何も見えないだろう」
「……」
「その状態で」
足音。
僅かに聞こえる。
「俺の速度について来られるか?」
剣が空気を切る音。
「終わりだ!」
「……」
俺は静かに立っていた。
焦る必要はない。
見えない。
それだけだ。
なら別の方法を使えばいい。
「《黒霞》」
俺の足元から黒煙が広がる。
ゴォォォ――。
地面へ。
空気へ。
前へ。
後ろへ。
右へ。
左へ。
広く。
薄く。
戦場全体へ。
「何をしている?」
ゼノスの声が暗闇の中から響く。
「……」
俺は目を閉じた。
見えていないのであれば開いていても閉じていても同じだ。
意識を黒煙へ向ける。
揺れた。
右。
僅かに。
黒煙が。
何かに触れた。
「……!」
そこ。
三歩。
人間一人分の輪郭。
剣。
動いている。
ゼノス。
「……何?」
ゼノスの声が聞こえる。
分かる。
黒煙に触れている。
空気の流れ。
足の動き。
剣の位置。
黒煙が全てを教えてくれる。
俺は黒煙刀をゆっくりと構えた。
「見えなくても」
ゼノスの表情は見えない。
それでも動揺したのが分かった。
俺は静かに告げる。
「感じればいい」
黒煙が戦場を覆った。
第30話「黒煙」を読んでいただきありがとうございました!
《朧》を失ったガウがついに《黒煙支配》を本格解放。
ガウVSゼノス。
決着の時は近い――。
次回もお楽しみに!




