第29話 黒き終焉
白銀戦線の拠点入口。
そこには張り詰めた静寂が流れていた。
《深淵の剣》ギルドマスター。
ゼノス。
そして。
《王虎の牙》。
ガウ。
二人の視線が鋭く交錯する。
少し離れた場所ではガンテツとバレットが傷付いた身体を休ませている。
呪印から解放されたプレイヤーたちも遠巻きに戦場を見つめていた。
次の瞬間、二人同時に地面を蹴った。
ガキィィン!!
《朧》と剣が激突する。
凄まじい衝撃。
足元の砂埃が吹き飛んだ。
そのまま鍔迫り合い。
ギギギギッ――。
互いの刃が押し合う。
「ほう」
ゼノスが笑う。
力は強い。
だが真正面から押し返す必要はない。
俺は《朧》を僅かに傾けた。
ゼノスの剣を滑らせる。
「……!」
力の向きが逸れる。
その瞬間、俺は一気に懐へ踏み込んだ。
「《瞬牙》!」
一閃。
「っ!」
ゼノスが身体を捻る。
《朧》が黒いコートを僅かに裂いた。
だがそのままゼノスの膝が跳ね上がる。
「……!」
俺は左腕で受け流す。
ドッ!
鈍い衝撃、身体が僅かに浮く。
そこへ剣。
「っ!」
《朧》を横へ。
ガキンッ!!
受ける。
すぐに刃を返す。
ゼノスも剣を引く。
斬撃。
斬撃。
斬撃。
ガキンッ!
キィン!!
ガキィン!!
互いの刃が何度もぶつかり合う。
そして俺が一歩踏み込んだ。
「《霞返し》!」
ゼノスの剣を受け流し、その勢いを利用して身体を回転させる。
《朧》が横薙ぎに走った。
「……!」
ゼノスが後方へ跳ぶ。
刃が胸元を掠めた。
距離。
五メートル。
だがゼノスの左手が動く。
シュッ!!
「……!」
投げナイフ。
三本。
一本目。
キンッ!
《朧》で弾く。
二本目。
身体を傾ける。
頬を通過。
三本目。
斬り落とす。
キィン!!
だが。
「そこだ」
「……!」
ナイフは囮。
すでにゼノスが目の前にいる。
剣。
速い。
俺は身体を沈めた。
ヒュンッ!!
頭上を剣が通過する。
髪が数本舞った。
低い姿勢のまま。
足払い。
「っ!」
ゼノスの足を捉えた。
だが倒れない。
片手を地面につく。
その勢いのまま回転。
「……!」
蹴りが迫る。
俺は左腕を上げた。
ドガッ!!
「くっ……!」
重い。
身体が後方へ滑る。
一メートル。
二メートル。
俺は地面を踏み締めて止まった。
「……」
ゼノスも立ち上がる。
「面白い」
剣を構える。
「剣だけじゃない」
笑う。
「体術も一流か」
「……」
俺は答えない。
《朧》を構え直す。
呼吸。
距離。
相手の重心。
剣の位置。
全てを見る。
ゼノスも同じだった。
「……」
「……」
一瞬。
静止。
そして再び二人が消えた。
ガキィィン!!
斬る。
受け流す。
蹴る。
避ける。
突く。
弾く。
肘。
投げナイフ。
一瞬たりとも途切れない攻防。
キンッ!
ガキン!!
ドッ!!
ガキィィン!!
二人の姿が戦場を駆ける。
右。
左。
前。
後ろ。
目まぐるしく位置が入れ替わる。
周囲で見守るプレイヤーたちはただ目で追うことしかできない。
ガンテツが傷を押さえながら笑う。
「へっ……」
「やっぱり俺の見立ては間違ってなかったな!」
その隣。
バレットも二人の戦いを見つめていた。
先ほどまで閉ざされていた視界。
ゼノスの《暗幕呪印》によって完全に奪われていた視覚はすでに戻っている。
《暗幕呪印》は強力だ。
対象の視界を完全に封じる。
だがその効果は永続するものではない。
一定時間が経過すれば呪印は効力を失う。
「……ようやく見えるようになったと思ったら」
バレットが目を細める。
目の前で二つの影が高速で交錯する。
「今度は速すぎて見えないか」
「二人とも化け物だ」
直後。
ガキィィィン!!
俺とゼノスの刃が再び激突した。
「……!」
「……!」
互いに押し合う。
力。
速さ。
技術。
戦闘経験。
どれか一つが突出しているだけじゃない。
総合的な戦闘能力。
現時点では。
「互角……」
バレットが呟いた。
ゼノスが剣を押し込む。
俺は《朧》を滑らせる。
刃が逸れる。
互いに同時に後ろへ跳んだ。
ザザッ――。
距離が開く。
「……」
ゼノスはしばらく俺を見ていた。
やがてゆっくりと剣を肩へ担ぐ。
「ここまで俺と互角に戦える奴は久しぶりだ」
俺は《朧》を構えたまま答えない。
「……」
「ククッ……」
ゼノスが笑う。
「お前は強い」
「だから」
左腕を上げる。
「俺も本気を出す」
「……!」
その瞬間、ゼノスの左腕に黒い呪印が浮かび上がった。
ドクン――。
禍々しい魔力。
腕から肩へ。
肩から胸へ。
黒い線が広がっていく。
「《鬼神呪印》」
ゴォォォォッ!!
「……!」
筋肉が膨れ上がる。
身体から放たれる圧力が一気に増した。
単純な筋力強化。
いや。
それだけじゃない。
身体能力そのものを底上げしている。
「まだだ」
ゼノスが笑う。
胸元へ。
二つ目の呪印。
「《神速呪印》」
ドクン――。
空気が震えた。
「……」
俺は《朧》を握る。
ゼノスの姿が僅かに霞んだ。
「行くぞ!」
消えた。
「……!」
いや。
違う。
速い!
俺は反射的に《朧》を上げた。
ガキィィン!!
「ぐっ……!」
重い。
先ほどまでとは明らかに違う。
腕へ衝撃が走る。
一撃目。
そして。
すぐに二撃目。
ガキンッ!!
三撃。
キィン!!
四撃。
ガキィィン!!
「くっ……!」
辛うじて見える。
だが受け流すだけで精一杯。
「どうした!」
ゼノスが笑う。
「守るだけか!」
右。
左。
避ける。
突き。
身体を捻る。
だが。
「遅い!」
「……!」
蹴り。
ドゴッ!!
「ぐっ!」
腹部へ直撃し身体が浮く。
俺はそのまま後方へ跳ぶ。
距離を取る。
着地。
だが。
「逃がすか!」
「……!」
目の前にもういる。
速い。
「《朧斬》!」
俺は《朧》を振り抜く。
ゼノスの剣と激突。
ガキィン!!
「ぐっ……!」
押し負ける。
身体が後ろへ滑った。
「ガウ!」
ガンテツの声。
だが視線はゼノスから外さない。
一瞬でも外せばその瞬間にやられる。
俺は小さく息を吐く。
「それがお前の本当の力か」
「本当の力?」
ゼノスが笑う。
「違うな」
「……」
「これは準備運動に過ぎない」
「……そう」
俺は《朧》を握り直した。
「なら」
腰を落とす。
「もう少し付き合ってもらう」
「ククッ!」
ゼノスが楽しそうに笑った。
「いい!」
再び地面を蹴る。
「そうでなくちゃ面白くねぇ!」
剣が閃く。
ガキィィン!!
衝撃。
今までで最も重い。
「っ……!」
身体が大きく後方へ滑る。
ザザザザザッ!!
地面を削る。
腕が痺れる。
指先の感覚が薄い。
「……」
俺は《朧》を見る。
刃はまだ無事。
だがこのまま受け続けるのはまずい。
ゼノスはゆっくりと剣を構えた。
「いいぞ」
笑う。
「もっと楽しませろ!」
「……」
俺は構えを崩さない。
強い。
認めるしかない。
これまで戦った相手の中でも間違いなく上位。
しかもまだ何か持っている。
そんな予感がある。
「……そろそろ」
ゼノスが呟いた。
「終わりにするか」
「……!」
剣をゆっくりと下ろす。
その所作はこれまでとは明らかに違う。
「……」
空気が変わる。
本能が警鐘を鳴らした。
危険。
次の一撃はこれまでとは比較にならない。
「ガウ……」
遠くでバレットの声。
ゼノスが剣へ魔力を流し込む。
ズズズズズ――。
黒い何かが刀身へ浮かび上がった。
呪印。
一本。
二本。
三本。
刀身を這うように広がっていく。
「《終焉呪印》」
ゴォォォォォッ!!
漆黒の魔力。
剣全体を包み込む。
「……!」
空気が重い。
地面が震える。
周囲のプレイヤーたちが本能的に後退した。
「なんだ……あれ……」
「息が……」
「空気が重い……」
ガンテツの表情から笑みが消えた。
「あれは……まずい!」
《震天》を握る。
バレットも《流星》を強く握った。
「ガウ……!」
「……」
俺は《朧》を両手で握る。
逃げるか。
いや。
無理だ。
あの速度。
《神速呪印》による加速。
背を向ければその瞬間に斬られる。
なら受ける。
ゼノスが剣を肩へ担いだ。
「これで終わりだ!」
ドンッ!!
地面が砕けた。
「……!」
消えた。
今までとは比べものにならない。
どこだ。
右。
違う。
左。
違う。
「――っ!」
前!
黒。
視界を漆黒の剣が埋め尽くす。
「《終焉一閃》!」
俺は《朧》を両手で握る。
避けられない。
なら。
「はぁぁぁぁっ!!」
真正面から受ける!
ガキィィィィィィン!!!
轟音。
「ぐっ……!」
腕が悲鳴を上げる。
足元。
ドゴンッ!!
地面が砕けた。
「く……!」
重い。
違う。
重いなんてもんじゃない。
押される。
止められない。
「ガウ!」
ガンテツの叫び。
俺は歯を食いしばる。
「まだ……!」
《朧》を握る。
両腕に力を込める。
耐えろ。
耐えろ。
耐えろ!
ゼノスが笑った。
「耐えるか!」
さらに剣へ力を込める。
ゴォォォォッ!!
黒い魔力が爆発する。
「ぐっ……!」
《朧》が押し込まれる。
腕が震える。
膝が沈む。
そして。
ピシッ――。
「……?」
小さな音。
俺の目が動いた。
《朧》。
刀身。
そこに。
一本。
細い亀裂。
「……!」
嫌な予感。
「まさか……」
ピシッ。
もう一本。
「……」
ピシピシッ――。
亀裂が増える。
「耐えろ……!」
俺は《朧》を握り締める。
二年間ずっと一緒だった。
この世界で何度も俺を助けてくれた。
相棒。
「まだ……!」
だがゼノスが笑う。
「終わりだ!!」
《終焉呪印》の魔力が一気に膨れ上がった。
「……っ!!」
そして。
バキィィィィィン!!!
「……」
音が。
やけにゆっくりと聞こえた。
黒い刀身。
《朧》。
その刃が俺の目の前で真っ二つに砕けた。
「ガウ!!」
ガンテツの叫び。
折れた刀身が宙を舞う。
回転する。
光を反射する。
そしてゼノスの剣は止まらない。
「っ――!」
漆黒の斬撃が俺の身体を捉えた。
ドガァァァン!!
「がっ……!」
身体が吹き飛ぶ。
地面へ叩き付けられる。
一度。
二度。
三度。
何度も転がる。
「ガウ!」
「……っ!」
ようやく止まった。
「……」
静寂。
耳鳴り。
身体中が痛い。
HPも大きく削られている。
それでも。
「……ぐっ」
俺は地面へ手をついた。
ゆっくりと身体を起こす。
右手。
まだ握っている。
《朧》。
いや。
もう。
《朧》だったもの。
柄。
そこから僅かに残った刀身。
それだけ。
「……」
俺はそれを見つめる。
共に戦ってきた相棒。
何度も敵を斬り。
何度も俺を守った。
その刃はもうない。
「……《朧》」
小さく名前を呼ぶ。
返事などあるはずもない。
それでも胸の奥に何かが刺さったような感覚が残った。
「……」
ゆっくりと顔を上げる。
ゼノス。
剣を肩へ担ぎ、こちらを見下ろしている。
「ククッ……」
楽しそうに笑った。
「武器まで終わりか」
「……」
「さあ」
一歩。
こちらへ歩く。
「どうする?」
「……」
俺は答えない。
僅かに刀身の残った《朧》を握る。
それでも。
「……」
俺は立ち上がった。
ゆっくりと足へ力を込める。
「……ほう?」
ゼノスが笑う。
「まだ立つか」
「……」
戦場には重苦しい静寂だけが流れていた。
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