第26話 支配者
白銀戦線の拠点入口。
「《呪印解除》!」
セリアが杖を高く掲げる。
次の瞬間、淡い光が戦場へと広がった。
ふわりと降り注ぐ光が、呪印によって拘束されていたプレイヤーたちの身体を包み込んでいく。
「……っ!」
一人。
また一人。
その場に膝をつく。
身体に刻まれていた黒い呪印が、淡い光に溶けるように少しずつ消えていった。
「う……」
一人の男が震える手を持ち上げる。
握る。
開く。
もう一度、握る。
自分の意思で。
「動く……」
「身体が……動く!」
「戻れた……!」
次々と声が上がる。
武器を投げ捨て、その場に座り込む者。
自分の身体を抱き締める者。
涙を流す者。
自分の意思とは関係なく身体を操られ。
望んでもいない戦いを強制されてきた。
ようやくその支配から解放されたのだ。
「もう大丈夫だよ~」
セリアがいつもの眠たげな笑みを浮かべる。
「呪印はちゃんと消えてるから~」
セリアの周囲に安堵が広がっていく。
◇
白銀戦線の城壁。
「撃て!」
なおも抵抗を続けていた《深淵の剣》の弓兵たちが、一斉に弓を引き絞る。
ヒュヒュヒュヒュン!!
無数の矢が空を切る。
「まだ残っていたか」
バレットが《流星》を構えた。
弦を引く。
《魔法付与》。
魔力が矢へ流れ込んでいく。
「《追尾付与》」
放つ。
ヒュン!!
一本目。
さらに。
二本。
三本。
続けざまに矢を放つ。
放たれた矢は空中で僅かに軌道を変えた。
「なっ!?」
弓兵が避ける。
だが矢が追う。
「ぐあっ!」
一人。
「うわぁっ!」
二人。
「くそっ!」
三人。
次々と弓兵たちの腕が射抜かれていく。
「……」
バレットは《流星》を下ろさない。
まだいる。
そう判断した、その時だった。
城壁のさらに奥。
黒いコートを纏った一人の男が、ゆっくりと姿を現した。
「……」
歩みを止める。
男の視界には三つの通知が浮かんでいた。
《プレイヤー・バルドが死亡しました》
《プレイヤー・ヴァルガが死亡しました》
《プレイヤー・ミレイアが死亡しました》
「……」
《深淵の剣》四天王。
そのうち三人の死亡を告げるキルログ。
同じギルドに所属する者だからこそ届いた通知。
だが男の表情は変わらなかった。
悲しみも。
怒りも。
仲間を失ったことへの動揺すらない。
ただ鬱陶しそうに三つの通知を消した。
「……使えない雑魚どもが」
吐き捨てる。
男はゆっくりと顔を上げる。
眼下に広がる戦場。
崩れた城壁。
倒された構成員たち。
そして自らの呪印から解放されたプレイヤーたち。
「やってくれたな……」
低い声。
その姿を見た瞬間、バレットの目が細くなった。
「……あいつは」
黒いコート。
冷たい眼差し。
そして。
周囲を見下ろすその姿には異様なほどの威圧感があった。
《深淵の剣》ギルドマスター。
ゼノス。
崩れた城壁。
瓦礫。
突き出した柱。
それらを足場にしながら、ゼノスは軽やかに下へ降りてくる。
最後の瓦礫を蹴る。
そして。
ドンッ――。
着地。
土煙が舞った。
「……」
それだけで。
空気が変わった。
先ほどまで安堵していたプレイヤーたちの表情が一瞬にして凍りつく。
「ひっ……」
「ゼノス……」
「いやだ……」
「来るな……!」
後ずさる。
身体が震える。
呪印は消えた。
身体は自由になった。
それなのに恐怖だけは消えていない。
長い間。
支配され。
逆らうことすら許されなかった記憶。
ゼノスという男を見ただけで、それが一気に蘇ってしまう。
ゼノスはそんな彼らを一瞥した。
「逃げたければ逃げろ」
「……!」
「今さらお前たちに興味はない」
まるで壊れた道具でも見るような目だった。
その言葉に解放されたプレイヤーたちがさらに後ずさる。
「……」
バレットは静かに《流星》を構えた。
視線をゼノスから外さない。
立ち方。
重心。
剣を持つ手。
視線。
何気ない動きの一つ一つを見る。
そして。
「……強いな」
小さく呟く。
歴戦の狩人としての経験が警告していた。
目の前の男は今まで戦ってきた相手とは違う。
「おう!」
ガンテツが前へ出る。
巨大な《震天》を肩に担ぐ。
そして背後にいる解放されたプレイヤーたちへ叫んだ。
「お前たちは下がっていろ!」
「……!」
「ここから先は俺たちが引き受ける!」
その言葉に一人。
また一人。
解放されたプレイヤーたちが後退していく。
ゼノスはそれを止めなかった。
むしろ。
静かに笑う。
「奴隷はまた補充すればいい」
「……」
バレットの目が鋭くなる。
ガンテツも《震天》を握る手へ力を込めた。
「だが」
ゼノスが剣の柄へ手を掛ける。
「支配者に逆らった代償は払ってもらうぞ」
「支配者だぁ?」
ガンテツが眉をひそめる。
「ああ」
ゼノスが笑う。
「俺が上に立ち、弱い奴は従う」
「それだけの話だ」
「気に入らねぇな!」
ガンテツが《震天》を肩から下ろす。
ズンッ!!
巨大な鉄球が地面へ落ち、土が弾けた。
「だったら」
ガンテツが構える。
「その偉そうな顔ごとぶっ飛ばしてやる!」
「やってみろ」
ゼノスが剣を抜く。
先に動いたのはガンテツだった。
「《剛力解放》!」
ゴォォォォッ!!
爆発的な魔力が全身から溢れ出す。
筋肉が膨れ上がる。
足元。
地面が沈む。
「うおおおおおお!!」
ドンッ!!
踏み込む。
巨体からは想像できない速度。
一気にゼノスとの距離を詰める。
《震天》を頭上へ。
そして。
「吹っ飛べぇぇぇ!!」
振り下ろす。
重量。
速度。
そして《剛力解放》によって引き上げられた圧倒的な腕力。
まともに受ければ防御ごと粉砕される。
だがゼノスは避けなかった。
「アークスキルーー」
「《呪印支配》」
ただ剣を持ち上げる。
「《鬼神呪印》」
瞬間、黒い呪印が腕から全身へと広がる。
ゼノスの筋肉が膨れ上がる。
ガキィィィィィン!!
凄まじい金属音。
衝撃波が周囲へ広がった。
「なっ……!?」
ガンテツの目が見開かれる。
止まっている。
《震天》がゼノスの剣一本によって。
「……」
ゼノスは片手で剣を構えていた。
「重いな」
「てめぇ……!」
ガンテツがさらに力を込める。
地面が軋む。
だがゼノスの腕は動かない。
その瞬間。
「ここだ」
バレット。
すでに《流星》を引き絞っている。
ガンテツが真正面から動きを止めた。
なら今しかない。
「《電撃付与》!」
バチバチバチッ!!
矢に雷が纏わりつく。
「援護する!」
放つ。
バシュン!!
雷を纏った矢が一直線にゼノスへ迫る。
狙いは正確。
回避は難しい。
しかも今はガンテツの《震天》を受け止めている。
だが。
「……」
ゼノスの左手が動いた。
一本の投げナイフ。
それを投げる。
キィン!!
「……!」
雷矢と投げナイフが空中で衝突した。
矢の軌道が逸れる。
そのまま地面へ突き刺さった。
バチィッ!!
雷が地面を走る。
「……」
バレットの目が細くなる。
「やるな」
ゼノスが静かに言った。
「遠距離攻撃は見えていれば防げる」
「だったら!」
ガンテツが叫ぶ。
「これはどうだぁ!!」
さらに《震天》へ力を込める。
だがゼノスが剣を傾けた。
力の方向を僅かにずらす。
「なっ!?」
《震天》が横へ流れる。
ガンテツの体勢が崩れた。
その懐へゼノスが踏み込む。
「遅い」
蹴り。
ドゴォン!!
「ぐおっ!?」
ガンテツの巨体が浮いた。
数メートル吹き飛ばされ。
地面を転がる。
「ガンテツ!」
バレットが叫ぶ。
「ぐっ……」
ガンテツが腹部を押さえる。
立ち上がろうとした。
その時。
「……?」
腹部。
先ほど蹴られた場所に黒い刻印が浮かび上がっていた。
「なんだ……こりゃ」
バレットも気付く。
「それは……」
ゼノスが笑った。
「俺の呪印だ」
「呪印……」
「お前の力を封じる」
「……!」
ガンテツが立ち上がる。
「そんなもん!」
拳を握る。
「力ずくでぶっ壊してやらぁ!」
魔力を込める。
「《剛力解放》!」
「……」
発動しない。
「……あ?」
もう一度。
「《剛力解放》!」
何も起こらない。
「なっ……!?」
ガンテツの表情が変わった。
先ほどまで全身を覆っていた強化の魔力が急速に失われていく。
「くそ……!」
膝をつく。
ゼノスが静かに告げた。
「《封技呪印》」
黒い刻印が脈打つ。
「スキルを封じる呪印だ」
「てめぇ……」
「お前のような奴は分かりやすい」
ゼノスが剣を振り上げた。
「俺は奪うだけだ」
踏み込む。
「終わりだ」
剣閃。
「……!」
ガンテツは咄嗟に《震天》を横へ構える。
だが間に合わない。
ザシュッ――!!
「ぐっ……!!」
赤いダメージエフェクトが舞った。
胸元から肩。
深い斬撃。
ガンテツの巨体が大きく吹き飛ぶ。
ドサッ!!
地面を転がる。
「ガンテツ!」
バレットが叫ぶ。
「ぐ……」
ガンテツは歯を食いしばる。
《震天》を地面へ突き。
無理やり身体を起こした。
「まだ……だ」
傷は深い。
だが急所だけは外している。
「ほう」
ゼノスが僅かに笑う。
「まだ立つか」
その瞬間。
「こっちだ!」
バレットが《流星》を引き絞る。
魔力を矢へ集中。
「《貫通付与》!」
ヒュン!!
矢が放たれる。
一直線。
ゼノスの背中。
だが。
「……」
ゼノスは振り向かない。
剣だけを後ろへ振るった。
キィン!!
「……!」
矢が真っ二つになる。
「見えてるのか……?」
「言っただろう」
ゼノスがゆっくりと振り返る。
「見えている攻撃なら防げる」
「次はこっちの番だ」
「《神速呪印》」
次の瞬間、消えた。
「……!」
違う。
速すぎる。
一瞬でバレットの目の前に来た。
「なっ!」
剣が振られる。
弓では間に合わない。
「ちっ!」
即座に判断。
《流星》を変形させる。
ガチャッ!!
弓の形状が崩れる。
伸びる。
一本の長い棒へ。
ガキィン!!
ゼノスの剣を受け止めた。
「……ほう」
ゼノスが笑う。
バレットが棒を握る。
「狩人が」
力を込める。
「弓しか使えないと思うなよ」
「面白い武器だ」
棒術。
対。
剣術。
ガンッ!!
ガキィン!!
激しい金属音が響く。
バレットが棒を回転させる。
横薙ぎ。
ゼノスが屈む。
そのまま。
返し。
棒の先端が下から跳ね上がる。
ゼノスが剣で弾く。
突き。
ゼノスの喉元。
だが。
「遅い」
剣の腹で逸らす。
「っ!」
バレットの体勢が僅かに崩れる。
そこへ。
剣閃。
シュッ!!
「……!」
身体を捻る。
紙一重。
頬を刃が掠めた。
赤いダメージエフェクトが散る。
「やるな」
ゼノスが笑う。
「弓だけじゃないか」
「褒められても嬉しくないな」
バレットは後ろへ跳ぶ。
距離を取る。
「……ふぅ」
息を整える。
強い。
剣術。
身体能力。
判断力。
どれも高い。
それだけではない。
呪印。
相手の長所を奪う。
ガンテツの強化能力を封じたようにこの男は相手が最も得意とするものを潰してくる。
「……厄介だな」
ゼノスが左手を持ち上げる。
「……!」
黒い魔力。
掌に呪印が浮かび上がる。
バレットが即座に警戒する。
「そろそろ終わりにするか」
「……」
「お前は狩人だったな」
「それがどうした」
「狩人に必要なものは」
ゼノスの口元が歪む。
「まず目だろう?」
「……!」
嫌な予感。
バレットが横へ跳ぼうとした。
だが。
「《暗幕呪印》」
黒い刻印が飛ぶ。
「くっ!」
避ける。
いや間に合わない。
バシュッ!!
黒い光がバレットの身体を包み込んだ。
「……?」
痛みはない。
傷もない。
「何を――」
その瞬間、視界が消えた。
「……!」
黒。
真っ暗だ。
「なっ……!」
目を開けている。
瞬きをする。
それでも何も見えない。
右。
左。
前。
後ろ。
完全な闇。
「視界が……!」
バレットが《流星》を握る。
ゼノスの声が響いた。
「どうした」
「……」
どこだ。
声の方向。
距離。
分からない。
「狩人」
ゼノスの声だけが闇の中から聞こえる。
「獲物が見えないのか?」
「……」
バレットは何も答えない。
《流星》を強く握る。
見えないなら。
音。
気配。
空気。
足音。
使えるものを全て使う。
ゆっくりと腰を落とした。
「……なるほど」
静かに構える。
「今度は俺の目を奪ったか」
ゼノスが笑う。
「さて」
剣を構える音。
「どこまで戦える?」
「……」
ガンテツは深手。
《剛力解放》も封じられた。
バレットは視界を奪われた。
二人の強みを一つずつ確実に奪っていく。
力だけではない。
技だけでもない。
相手を知り、最も厄介なものから潰していく。
それこそが《深淵の剣》ギルドマスター。
ゼノス。
人を縛り。
力を奪い。
意思さえも捻じ伏せる。
支配者の戦いだった。
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