第23話 氷と影
白銀戦線の拠点内部。
崩壊した通路。
その中央でアイスは片膝をついていた。
「ぐっ……」
脇腹から赤いダメージエフェクトが流れ落ちる。
先ほど受けた《影槍》。
《氷壁》によって僅かに軌道を逸らしたことで致命傷だけは避けた。
だが浅くはない。
「はぁ……はぁ……」
呼吸が乱れる。
HPも大きく削られていた。
そして。
ズズズズズ――。
足元には今も黒い影が絡み付いている。
《影縛》。
自分自身の影を拘束することで身体の自由まで奪うミレイアの技。
「……厄介だ」
アイスは小さく呟く。
だがその声に先ほどまでの怒りはなかった。
「……」
ゆっくりと杖を持ち上げる。
まずは傷。
杖の先へ冷気を集中させた。
「《氷結》」
パキキキッ――。
脇腹を薄い氷が覆う。
傷口を冷却。
出血を強引に止める。
もちろん治ったわけではない。
応急処置。
それだけだ。
痛みも残っている。
だが。
「これなら……」
立ち上がれる。
アイスはゆっくりと腰を上げた。
「……」
足元。
《影縛》はまだ残っている。
アイスは自分の影へ視線を落とす。
影。
そこへ絡み付く別の影。
「僕自身を縛ってるわけじゃない」
小さく呟く。
「僕の影を縛って」
杖を握る。
「結果として身体を止めてる」
なら。
「《氷柱槍》」
ドゴンッ!!
足元。
アイスとミレイアの影の間に、一本の氷柱が突き上がった。
「……!」
僅かに影が途切れる。
その瞬間、アイスが後ろへ跳ぶ。
ズズッ!!
足元へ絡み付いていた影が外れた。
着地。
脇腹に痛みが走る。
「っ……!」
それでも倒れない。
アイスは杖を構え直した。
「……ふぅ」
息を吐く。
そして目を閉じる。
頭の中から余計なものを消す。
怒り。
焦り。
サイオンを傷付けられたことへの憤り。
拠点を奪われた悔しさ。
仲間を守れなかった自分への苛立ち。
全部ある。
消えたわけではない。
忘れるつもりもない。
だけど。
今。
それに飲まれれば。
「僕まで倒れる訳にはいかない」
目を開く。
僕は《白銀戦線》のギルドマスターだ。
みんなを連れて帰る。
そのために今ここで負けるわけにはいかない。
◇
「立てるのか」
声。
アイスが前を見る。
少し離れた場所。
壁に落ちた影からミレイアがゆっくりと姿を現した。
「普通なら」
影を纏ったまま歩く。
「今ので終わっている」
「残念だったな」
アイスが杖を構える。
「僕は結構しぶといんだ」
「そうか」
ミレイアの表情は変わらない。
足元の影が揺れる。
「もう少し楽しめそうだ」
「……」
アイスは答えない。
ミレイアを見る。
いや。
見るだけではない。
観察する。
立ち位置。
影。
魔力。
攻撃方法。
そしてこれまでの行動。
「……もう同じ失敗はしない」
「何?」
「何でもない」
アイスが杖を構える。
「続けよう」
ミレイアの目が僅かに細くなる。
そして笑った。
「怒りを抑え込んだか」
次の瞬間、その身体が影へ沈んだ。
ズズズズッ――。
消える。
姿。
気配。
足音。
全て。
「……」
アイスは動かない。
周囲を見る。
床。
壁。
天井。
崩れた柱。
散乱する瓦礫。
その全てが影を作っている。
どこから来る。
「《白銀戦線》」
声。
「……」
アイスの目だけが動く。
右。
いない。
「いいギルドだな」
左。
いない。
「仲間を守る」
後ろ。
いない。
「共に生き残る」
上。
いない。
声だけがあらゆる方向から響いてくる。
「実に美しい考えだ」
「……」
「だが」
一瞬。
床の影が揺れた。
「結果はどうだ?」
「……!」
アイスの杖が動く。
だが攻撃は来ない。
再び声。
「拠点は奪われた」
「……」
「仲間は傷付いた」
「……」
「サイオンも倒れた」
アイスの手に僅かに力が入る。
「それでも」
ミレイアの声が響く。
「まだ守れると言うのか?」
「……」
静寂。
ミレイアは待っている。
怒れ。
焦れ。
感情に任せて動け。
そう言っている。
だから。
「……そうだ」
アイスは静かに答えた。
「何?」
「君の言う通りだ」
ミレイアの声が止まる。
「僕は守れなかった」
「……」
「拠点も」
「仲間も」
「サイオンも」
杖を握る。
「全部守れたなんて言うつもりはない」
「なら――」
「でも」
アイスが言葉を遮る。
「まだ終わってない」
「……」
「失ったなら取り戻す」
「傷付いたなら助ける」
「倒れたなら」
杖を構える。
「また立てばいい」
影の中でミレイアの目が僅かに細くなる。
「だから」
アイスは周囲を見渡した。
「お前の言葉で僕はもう止まらない」
「……」
数秒。
何も起こらない。
そして。
「そうか」
声。
直後。
床。
壁。
二つの影が同時に動いた。
「《影槍》!」
ドシュッ!!
「……!」
床から一本。
壁から二本。
三本の影槍が同時にアイスへ襲い掛かる。
だが。
「そこ!」
アイスが横へ跳んだ。
一本目。
紙一重で回避。
二本目。
身体を捻る。
頬を掠める。
三本目。
「《氷壁》!」
ガキィン!!
氷の壁で受け止める。
影槍が弾かれた。
「……」
着地。
ミレイアの声が聞こえる。
「ほう」
アイスは周囲を見る。
「やっぱり」
「何がだ?」
「攻撃の起点」
杖を向ける。
「影だ」
「……」
「君自身がどこにいるかは分からない」
一歩。
アイスが動く。
「だけど攻撃が来る場所は違う」
壁。
床。
瓦礫。
「《影槍》も」
自分の足元。
「《影縛》も」
「必ず影を起点にしてる」
沈黙。
そして。
「理解したところで」
背後。
「止められるかな?」
「……!」
振り返る。
ミレイア。
影から半身を現している。
「《黒刃》」
右腕。
そこへ黒い影が集まった。
鋭い刃。
横薙ぎ。
「《氷壁》!」
ガキィィン!!
黒刃と氷壁が激突する。
バキッ!!
亀裂。
「くっ……!」
氷壁が削られる。
強い。
アイスはすぐに後ろへ跳んだ。
直後。
バキィン!!
氷壁が砕け散る。
だが、そこにはもうミレイアはいない。
「……」
影へ消えている。
「強い」
アイスは小さく呟く。
速い。
攻撃力も高い。
だが一番厄介なのはそこじゃない。
「影……」
アイスは周囲を見渡す。
ミレイアは影へ潜る。
影から移動する。
影から攻撃する。
そして影そのものを武器に変える。
《深影支配》。
影が存在する限り。
ミレイアには無数の逃げ道と無数の攻撃地点が存在する。
「いつまで耐えられるかな?」
声が響く。
「……」
アイスは答えない。
周囲を見る。
崩壊した通路。
砕けた壁。
倒れた柱。
瓦礫。
天井には穴が開いている。
そこから外の光が差し込んでいる。
光があるからこそ影も生まれる。
「……」
アイスの目が細くなる。
影。
影。
影。
至るところにある。
「このままだとじり貧だな」
「理解したか」
ミレイアが姿を現す。
少し離れた壁際。
「お前では俺に勝てない」
「……」
「仲間を守るために戦う」
一歩。
「誰かのために傷付く」
また一歩。
「その優しさが」
影が広がる。
「お前を弱くする」
「……」
アイスは俯いた。
「そうかもしれない」
「……?」
「確かに」
杖を握る。
「守ろうとすれば隙はできる」
「失えば冷静ではいられなくなる」
「それでも」
顔を上げる。
「僕は一人で戦ってるわけじゃない」
「……」
「サイオンが守ってくれた」
「仲間が戦ってる」
「《王虎の牙》のみんなも来てくれた」
「だから」
アイスは笑った。
「僕は諦めない」
「くだらない」
ミレイアの身体が影へ沈む。
「ならその甘さごと――」
消える。
「沈め」
「……」
アイスは動かなかった。
考える。
影。
影があるからミレイアは自由に動ける。
なら答えは単純だ。
「……影を利用してくる」
小さく呟く。
「なら」
視線を上げる。
天井。
そこから差し込む光。
「消せばいい」
「……?」
影の中、ミレイアの声。
「何を言っている?」
「今から試すんだ」
「試す?」
「ああ」
アイスは杖を掲げる。
「今まで使ったことはない」
「……」
「でも」
魔力が杖の先へ集まり始める。
パキッ――。
空中。
一つの氷が生まれる。
「必要なら」
パキパキパキッ!!
その氷が広がる。
薄く。
平らに。
表面を滑らかに。
光を反射できるほど磨き上げていく。
「ここで作る!」
一枚。
二枚。
三枚。
次々と巨大な氷の板が空中へ形成される。
「何を……」
ミレイアの声。
アイスは杖を振る。
氷の角度を変える。
天井から差し込む光。
その光を一枚目の氷が受けた。
キィィン――。
反射。
二枚目へ。
さらに反射。
三枚目。
四枚目。
「……!」
ミレイアが気付く。
「まさか……!」
「影は」
アイスが杖を握る。
「光が届かない場所にできる」
なら。
「光を」
氷が回転する。
「全部に届ければいい!」
パァァァァァッ!!
光が乱反射した。
天井から差し込む僅かな光。
それが無数の氷によって。
何度も。
何度も。
反射される。
床。
壁。
天井。
瓦礫の裏。
柱の隙間。
通路全体へ。
光が広がっていく。
「くっ……!」
影の中。
ミレイアの声が漏れる。
ズズッ――。
一つ。
影が薄くなる。
さらに。
もう一つ消える。
「いける!」
アイスが杖を振る。
「もっと!」
氷の角度を調整する。
パァァァァッ!!
光。
さらに広がる。
影が次々と消えていく。
そして。
ズズズッ!!
「……くそっ!」
通路の中央。
ミレイアの身体が現れた。
影へ潜っていられない。
「……」
アイスが杖を向ける。
「……」
「即興だったけど成功だ」
空中に浮かぶ無数の氷。
光を映し戦場を照らす鏡。
アイスはそれを見る。
「《氷鏡》」
ミレイアが周囲を見る。
影がない。
先ほどまで自分の領域だったはずの場所。
その全てに光が届いている。
「なるほど」
ミレイアが呟く。
「俺の影を消したか」
アイスを見る。
「僕は魔法使いだから」
「……」
「相手に合わせて戦い方を変える」
数秒。
ミレイアは黙っていた。
やがて。
「ククッ……」
笑った。
「……?」
「面白い」
初めて心の底から楽しんでいるような笑み。
「アイス」
ミレイアが構える。
「やはり強いな」
次の瞬間、地面を蹴った。
「……!」
速い。
影はない。
だがミレイア自身の身体能力まで失われたわけではない。
一直線。
アイスへ迫る。
アイスが杖を向ける。
「《氷槍》!」
ヒュヒュヒュン!!
三本。
ミレイアは走りながら身体を傾ける。
一本目。
かわす。
二本目。
黒刃で弾く。
三本目。
「っ!」
肩を掠める。
赤いエフェクト。
だが止まらない。
「くっ!」
アイスが次の魔法を準備する。
しかし。
ミレイアは突然止まった。
「……?」
距離は十メートルほど。
そこで動かない。
「何を……」
「勘違いするな」
ミレイアが静かに言った。
「……」
「俺は影がなければ戦えないわけではない」
「それは今ので分かったよ」
「違う」
ミレイアの声が低くなる。
「分かっていない」
「……?」
空気が変わった。
「影を消せば」
ミレイアの魔力が膨れ上がる。
ゴォォォォッ!!
「俺の力を封じられる」
黒い魔力が身体から溢れる。
「そう思っただろう?」
「……」
アイスは答えない。
ミレイアが笑う。
「甘い」
右手を上げる。
「影がないなら」
アイスの目が見開かれる。
「作ればいい」
「……!」
ゴォォォォォォッ!!
爆発的な魔力。
空中に浮かんでいた《氷鏡》が揺れる。
「これは……!」
一枚。
また一枚。
氷鏡の表面が。
黒く染まり始めた。
違う。
氷そのものが黒くなったわけではない。
影。
「まさか……!」
ミレイアの足元。
そこから黒い影が広がっていく。
「奥義――」
ズズズズズズズズズッ!!
「《深淵影界》」
瞬間、影が爆発。
「……っ!!」
アイスが杖を構える。
影。
ミレイアを中心に広がった影が床を飲み込む。
瓦礫を飲み込む。
壁を這い上がる。
「《氷鏡》!」
アイスが光を反射させる。
パァァァッ!!
光が影へ届く。
だが消えない。
「なっ……!」
さらに影が広がる。
天井。
柱。
砕けた壁。
崩れた建材。
全て。
光が当たっている。
それでも影は消えない。
「これは普通の影じゃない……!」
ミレイアが静かに告げる。
「光によって生まれた影ではない」
影が壁を覆う。
「俺自身の魔力で作り出した」
天井が黒に染まる。
「光すらのみ込む影だ」
「……!」
アイスが周囲を見る。
場所は変わっていない。
崩れた通路。
砕けた壁。
倒れた柱。
先ほどまで戦っていた。
白銀戦線の拠点内部。
そのままだ。
だが、景色だけが完全に変わっていく。
影。
影。
影。
戦場に存在する全てが深い影に覆われていく。
「くっ……!」
アイスが《氷鏡》を操作する。
光。
さらに強く。
だが影は消えない。
それどころか。
パキッ――。
「……!」
一枚の《氷鏡》へ。
影が這う。
パキパキッ!!
バキィン!!
氷鏡が砕けた。
さらに。
二枚目。
三枚目。
影が次々と飲み込んでいく。
バキンッ!!
バキィィン!!
光が失われる。
そして最後の一枚。
アイスの前に浮かぶ《氷鏡》。
その表面に黒い影がゆっくりと広がった。
「……」
アイスが見つめる。
そして。
パキン――。
砕ける。
「……」
静寂。
光は残っている。
天井の穴から確かに外の光は差し込んでいる。
だがその光の下にすら影が存在している。
「……」
アイスが杖を握る。
ミレイア最大の武器。
影。
それを戦場そのものへ強制的に作り出した。
「……なるほど」
アイスが小さく息を吐く。
「これは……」
杖を握る手へ力を込める。
「厳しいな」
ミレイアの声が静かに響く。
「ここでは」
ミレイアの姿がアイスの正面の影から現れる。
「床も」
右側。
別のミレイアが影から半身を出す。
「壁も」
左。
「天井も」
背後。
「全てが俺の影だ」
「……」
アイスはゆっくりと周囲を見る。
逃げ場はない。
死角も作れない。
戦場そのものがミレイアの武器になっている。
「ようこそ」
正面。
ミレイアが笑う。
「俺の領域へ」
「……」
アイスは杖を握り直した。
傷は深い。
魔力も消耗している。
普通なら絶望する状況だ。
「……」
それでもアイスは杖を下ろさない。
静かに口を開く。
「ここまでやれるとは思わなかった」
「諦めるか?」
「まさか」
即答。
「攻略できる能力なら」
アイスの目が鋭くなる。
「攻略する」
「……」
「攻略できない能力なら」
冷気が再び杖へ集まり始める。
「攻略できる方法を考える」
ミレイアが僅かに笑う。
「面白い」
影が一斉に揺れた。
「ならば見せてみろ!」
「……!」
右。
左。
前。
後ろ。
天井。
床。
全方位。
無数の影が蠢き始める。
「この《深淵影界》を」
黒い影が無数の刃へ形を変えていく。
「お前の氷で」
アイスが杖を構える。
「破れるものなら!」
ゴォォォォォォッ!!
影が戦場を覆うのだった。
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