第16話 共闘
「こいつも……異常発生と関係しているのか」
アイスが静かに呟いた。
森の奥から姿を現したのは、一体の巨大な虫型モンスターだった。
漆黒の甲殻。
馬車ほどもある巨体。
地面へ突き立つ六本の鋭い脚。
そして、血のように赤い二つの複眼。
その視線が、俺たちをじっと見据えている。
ギシャァァァァッ!!
耳をつんざくような咆哮が草原へ響き渡った。
「……でかい」
《白銀戦線》の槍使いが息を呑む。
隣では弓使いの少女も、すでに弓を構えていた。
「報告にあった個体とは違いますよね……?」
「ああ」
アイスが短く答える。
「あそこまで巨大な個体は確認されていない」
巨大な虫の背後。
木々の向こうには、山肌に開いた洞窟が見える。
「あの洞窟から現れた以上、異変と無関係とは思えないが……」
アイスはそこで言葉を切った。
巨大な虫がゆっくりと右前脚を持ち上げる。
だが。
すぐには襲ってこない。
赤い複眼が左右へ動く。
俺。
バレット。
アイス。
サイオン。
そして《白銀戦線》の仲間たち。
一人ずつ確認するように、視線を巡らせている。
「……こっちを見てる?」
俺が小さく呟く。
「ああ」
アイスの表情がわずかに険しくなった。
「ただ暴れているだけじゃないかもしれない」
杖を握り直す。
「知能がある可能性も考えた方がいい」
ズシン。
巨大な虫が一歩踏み出した。
それだけで地面が震える。
アイスが俺とバレットへ視線を向けた。
「巻き込んでしまって悪いが手を貸してもらえるか?」
「もちろん」
迷う理由はない。
俺は《朧》へ手を掛けた。
「森の近くでこんなのが暴れてるなら、私たちも放っておけない」
バレットも《流星》を構える。
「俺も異論はない」
「助かる」
アイスは小さく笑った。
だが、それも一瞬。
すぐに全員へ視線を走らせる。
「サイオンは上空から攪乱」
「他のみんなは距離を保ちながら攻撃」
「ガウは前へ出て、相手の動きを見てくれ」
「バレットは後方から援護を頼む」
「了解ッス!」
「了解!」
返事と同時に全員が動き出す。
俺も《朧》を抜いた。
黒い刀身が陽光を鈍く反射する。
「援護は任せろ」
バレットが矢を番える。
「頼んだよ」
それだけ言って、俺は前を向いた。
サイオンが一気に空へ舞い上がる。
「今度は敵じゃなくて味方ッスね!」
「気を抜くなよ、サイオン」
「分かってるッス!」
サイオンの周囲へ銀色の液体金属が集まり始めた。
液体が収束する。
一本の槍。
その周囲には複数の刃。
「《流銀槍》!」
ヒュンッ!!
銀色の槍が一直線に巨大な虫へ飛ぶ。
だが――。
ガギィィィン!!
「なっ!?」
巨大な右前脚が横薙ぎに振るわれた。
銀槍が正面から弾き飛ばされる。
「硬いッス!」
サイオンが声を上げる。
「外殻が普通じゃないッスよ!」
すぐさまアイスが杖を掲げた。
「《氷槍陣》」
十数本の氷槍が空中へ生み出される。
「撃て」
ヒュンッ!!
ガガガガガッ!!
一斉に放たれた氷槍が次々と砕け散り、氷片だけが周囲へ舞う。
外殻にはほとんど傷すらついていない。
「やはり正面からでは通らないか」
アイスは冷静に巨大な虫を観察している。
俺も《朧》を握り直した。
外側が無理なら。
狙う場所を変える。
「私が行く!」
地面を蹴る。
一気に距離を詰めた。
ギシャァァァァッ!!
巨大な右前脚が振り上げられる。
速い。
巨体からは想像できない速度だ。
でも。
見える。
俺は足を止めない。
前脚が振り下ろされる直前。
半歩だけ横へ。
ドゴォォォォン!!
巨大な前脚が地面へ叩き付けられた。
草と土が舞い上がる。
狙うのは外殻じゃない。
振り下ろされた右前脚。
甲殻と甲殻の間。
関節。
動くたびに、ほんの一瞬だけ開く隙間。
「はぁっ!」
《朧》が閃く。
ザシュッ!!
刃が柔らかな部分へ食い込んだ。
緑色の体液が飛び散る。
「ギシャァァァッ!!」
巨大な虫が右前脚を跳ね上げ、苦しそうに後退した。
「通ったッス!」
サイオンの声が上空から響く。
アイスの視線がすぐに右前脚へ向かった。
傷口。
流れ落ちる体液。
わずかに右前脚を庇う動き。
「……なるほど」
杖を掲げる。
「外殻そのものを破る必要はない!」
全員へ声を飛ばした。
「関節と甲殻の継ぎ目を狙え!」
「複眼もだ!」
「一度傷を付けた場所に攻撃を集中させる!」
「了解ッス!」
サイオンが大きく返事をする。
《白銀戦線》の仲間たちも頷いた。
ギギギギギ……。
巨大な虫が大顎を開く。
口腔の奥。
不気味な緑色の光が集まり始めた。
「あれは……」
「全員、散開!」
アイスの声が飛ぶ。
直後。
ギシャァァァァァッ!!
ドォォォォォッ!!
大顎から濃緑色の粘液が噴き出した。
まるで濁流だ。
草原を横薙ぎに呑み込んでいく。
「っ!」
全員が一斉に飛び退いた。
ベチャァァァァッ!!
粘液が地面へ叩き付けられる。
ジュゥゥゥゥ……。
白い煙が立ち昇った。
青々としていた草が、触れた端から溶けていく。
地面まで黒く変色していた。
「酸か……!」
《白銀戦線》の魔法職が顔をしかめる。
「あれはまともに受けるな!」
「厄介ッスね!」
サイオンがさらに高度を上げる。
「この高さなら――!」
周囲の液体金属が再び収束した。
「《流銀槍》!」
ヒュンッ!!
銀槍が空から巨大な虫へ迫る。
巨大な虫が前脚を持ち上げる。
さっきと同じ迎撃。
だが。
「それはもう見たッス!」
サイオンが指先を返した。
銀槍の軌道が鋭く曲がる。
前脚を避け。
大きく側面へ回り込む。
「そこッス!」
ドガァッ!!
銀槍が――。
右の複眼へ突き刺さった。
「ギシャァァァァッ!!」
赤い複眼が砕ける。
緑色の体液が飛び散った。
「右目を潰したッス!」
巨大な虫が頭を激しく振る。
残った左の複眼が、狂ったように周囲を見回す。
明らかに右側への反応が遅い。
「今だ!」
アイスが叫んだ。
「右側から攻めろ!」
「うん!」
俺は地面を蹴る。
右の視界を失った巨大な虫が、左前脚を荒々しく振り回した。
だが。
狙いが甘い。
懐へ潜る。
「はぁっ!」
《朧》を振り抜く。
今度は左前脚。
関節の隙間。
ザシュッ!!
緑色の体液が再び飛び散った。
「ギシャァァァァッ!!」
巨体が大きく揺れる。
その瞬間。
ヒュンッ!!
一本の矢が飛んだ。
狙いは、俺が最初に斬り裂いた右前脚。
傷口へ寸分違わず突き刺さる。
「そこだな」
バレット。
ヒュンッ!!
二本目。
ヒュンッ!!
三本目。
同じ場所。
ほんのわずかな傷へ、次々と矢が吸い込まれていく。
緑色の体液がさらに溢れた。
傷口が少しずつ広がっていく。
「さすがバレット」
「無駄撃ちは嫌いだからな」
短い返事。
バレットはもう次の矢を番えていた。
だが。
その時。
巨大な虫の動きが止まった。
「……?」
残った左の複眼が。
バレットだけを見ている。
俺でもない。
アイスでもない。
空にいるサイオンでもない。
バレット。
傷口へ何度も正確に攻撃を重ねている相手。
「まずい!」
アイスが声を上げた。
「狙いを変えたぞ!」
ギシャァァァァッ!!
六本の脚が地面を蹴る。
巨体が一気に加速した。
「バレット!」
「見えてる!」
バレットが横へ走る。
だが。
巨大な虫は迷わない。
バレットだけを追う。
「こいつ……」
俺は思わず目を細めた。
自分にとって誰が危険なのか。
理解した?
その時。
巨大な虫の大顎が再び開いた。
緑色の光。
「酸が来る!」
アイスが叫ぶ。
巨大な虫は頭を持ち上げた。
今度は――。
上。
ドォォォォッ!!
「上にも撃てるッスか!?」
濃緑色の酸が斜め上へ噴き上がった。
狙いはサイオン。
「うわっ!?」
サイオンが急旋回する。
粘液がすぐ横を掠めていった。
「危なっ!」
一度目の攻撃。
俺たちの動き。
誰が何をしているのか。
それを見て。
考えて。
攻撃を変えてきている。
「学習してる……!」
「ああ」
アイスの声も険しい。
「長引かせるほど厄介になる!」
杖を大きく振る。
「動きを止める!」
「《氷柱槍》!」
ドドドドドッ!!
巨大な虫の進行方向へ氷柱が次々と突き上がる。
一本目。
巨大な前脚が砕く。
二本目。
巨体で押し退ける。
三本目。
わずかに進路がずれた。
「今だ、バレット!」
「ああ!」
バレットが大きく横へ跳ぶ。
巨大な虫が氷柱をなぎ倒す。
その間に射線から外れた。
だが。
巨大な虫は止まらない。
地面を抉りながら身体を大きく旋回させる。
その先。
《白銀戦線》の弓使いの少女がいた。
「っ……!」
少女の表情が強張る。
巨大な左前脚が振り上げられた。
俺は地面を蹴る。
一気に少女との間へ。
ギィィィィン!!
《朧》と巨大な前脚が激突した。
「ぐっ……!」
重い。
衝撃が両腕を突き抜ける。
まともに受け止めるのは無理だ。
だったら――。
押し返さない。
流す。
俺は《朧》を傾けた。
刃の上を滑らせるように、前脚の軌道を外側へ逸らしていく。
「通さない!」
ドゴォォォォン!!
巨大な前脚が俺のすぐ横へ叩き付けられた。
地面が砕ける。
「今のうち!」
「は、はい!」
少女が慌てて後方へ下がった。
「ありがとうございます!」
「いいから距離を取って!」
俺は巨大な虫から視線を外さない。
右の複眼。
右前脚。
左前脚。
少しずつ。
確実に傷は増えている。
動きも鈍くなってきた。
それでもまだ――。
倒れない。
「ガウ!」
アイスの声。
「右後脚を見ろ!」
視線を向ける。
巨大な虫が旋回するたび。
右後脚の関節。
甲殻と甲殻の継ぎ目が大きく開いている。
しかも。
右目を失っているせいで、そちら側への反応は遅い。
「狙える!」
俺が叫ぶ。
「ああ!」
アイスがすぐに上空へ視線を向けた。
「サイオン!」
「了解ッス!」
サイオンが高度を下げる。
銀色の液体金属が一本の槍へ変わった。
「こっちッスよ!」
ヒュンッ!!
《流銀槍》が巨大な虫の頭上を旋回する。
残った左の複眼が銀槍を追う。
サイオン自身も大きく動き、わざと視界へ入り続ける。
「ほらほら! こっちッス!」
ギシャァァァァッ!!
巨大な虫が頭を振り上げた。
意識が完全に上へ向く。
「今だ!」
アイスの声。
俺は駆けた。
狙いは右後脚。
一歩。
二歩。
甲殻が開く。
その瞬間。
「はぁぁっ!!」
《朧》を振り抜いた。
ギィィィィン!!
黒い刃が関節の隙間へ食い込む。
硬い。
でも。
ここまで傷つけてきた外殻よりは薄い。
「もう一歩……!」
踏み込む。
力を込める。
バキッ!!
鈍い音。
右後脚が大きく折れた。
「ギシャァァァァッ!!」
巨大な虫が悲鳴を上げる。
支えを失った巨体が右側へ大きく傾き――。
ズズゥン!!
地面へ沈み込んだ。
「今ッス!」
サイオンが叫ぶ。
同時に。
「バレット!」
アイスの声が飛ぶ。
「ああ」
バレットはすでに矢を一本取り出していた。
狙う場所は決まっている。
右前脚。
俺が最初に作った傷。
バレットが何度も矢を撃ち込み、広げ続けた場所。
外殻が大きく裂け。
内側が露出している。
バレットが矢へ右手を添えた。
「でかいのいくぞ!」
魔力が矢へ集まる。
「《爆破付与》」
矢尻が赤く輝いた。
炎のような魔力が矢全体を包み込む。
バレットがゆっくりと《流星》を引き絞る。
ヒュンッ!!
矢が一直線に飛ぶ。
そして。
傷口へ吸い込まれた。
次の瞬間。
ドゴォォォォォン!!
凄まじい爆発。
傷口の内側から爆炎が吹き上がる。
漆黒の甲殻が内側から弾け飛んだ。
大量の緑色の体液が宙へ舞う。
「ギシャァァァァッ!!」
巨大な虫がのたうつ。
「アイス!」
バレットが叫んだ。
「ああ!」
冷気が草原を駆け抜ける。
アイスが杖を真っ直ぐ構えた。
青白い光が一点へ集まっていく。
空気が冷える。
肌を刺すほどの冷気。
その中心に――。
巨大な一本の氷槍が生み出された。
「《氷牙穿槍》!」
放たれる。
ドガァァァァン!!
巨大な氷槍が爆発によって露出した傷口へ突き刺さった。
そのまま。
甲殻の内側へ。
巨体を貫き――。
地面へ深く突き刺さる。
「ギ……シャ……」
小さな鳴き声。
巨大な虫の脚から力が抜けていく。
そして。
ズゥゥゥゥン……。
地面を大きく揺らしながら。
漆黒の巨体が、その場へ崩れ落ちた。
静寂。
さっきまで響いていた咆哮も。
地響きも。
もう聞こえない。
俺たちはしばらくその巨体を見つめていた。
やがて。
「……倒した」
《白銀戦線》の槍使いが呟く。
その言葉を合図にしたように。
「やった!」
「倒したぞ!」
張り詰めていた空気が一気に緩んだ。
サイオンも空から勢いよく降りてくる。
「いやぁ……強かったッス!」
着地。
そしてすぐにバレットを見る。
「っていうか!」
「追尾する矢だけじゃなくて爆発する矢なんて聞いたことないッス!」
バレットは《流星》を背へ回した。
「企業秘密だ」
「またそれッスか!」
サイオンががっくりと肩を落とす。
俺は思わず笑った。
周囲からも小さな笑い声が漏れる。
その時。
「ガウ」
アイスがこちらへ歩いてきた。
「バレットも」
俺たち二人を見る。
「本当に助かった」
「ありがとう」
「森の問題でもあるからね」
俺は《朧》を鞘へ納める。
「俺も同じだ」
バレットも短く答えた。
アイスは小さく笑う。
「ああ」
けれど。
その笑みはすぐに消えた。
視線が巨大な虫の亡骸へ向く。
「……やはり妙だ」
「何が?」
俺が尋ねる。
アイスは少しだけ考えてから答えた。
「この個体は報告にない」
「それだけじゃない」
巨大な虫の傷付いた複眼へ視線を向ける。
「戦っている途中で、危険な相手を見極めて狙いを変えた」
サイオンもさっきまでの軽い表情を消した。
「最初に会った虫たちは、あんな動きしなかったッスよ」
アイスが森の奥へ顔を向ける。
俺たちも自然と同じ方向を見る。
巨大な虫が現れた場所。
木々の向こう。
山肌に開いた洞窟。
暗い。
昼間だというのに。
その奥だけは光を飲み込んでいるように見えた。
「あの虫が異変の原因とは思えない」
アイスが静かに呟く。
「むしろ――」
一拍。
「あそこから出てきたものの一つに過ぎない可能性がある」
誰もすぐには答えなかった。
巨大な虫を倒した。
それでも。
終わった気はしない。
草原を風が吹き抜ける。
俺は洞窟の暗闇をじっと見つめる。
異変の原因が何なのか。
まだ何も分かっていない。
ただ一つ。
調べる場所だけは決まった。
「あそこに行けば何か分かるかな」
俺が呟く。
アイスが小さく頷いた。
「ああ」
「行って確かめよう」
《王虎の牙》。
《白銀戦線》。
出会ったばかりの俺たちは今度は同じ場所を目指すことになった。
異変の先。
その答えが待つ洞窟へ。
ここまで読んでいただきありがとうございました!
次回はいよいよ異変の原因を探るため、洞窟へと足を踏み入れます。
ぜひ次回もお楽しみください!




