第3話「管理下の別邸」
王都の北端、城壁にほど近い高台にその別邸はあった。
王宮からは距離があるが、軍管轄区に近い。貴族街とも微妙に外れた位置。華美ではないが堅牢な造りで、白壁の外周を高い鉄柵が囲んでいる。
“静養用の別邸”と説明されたが、門の前に立つ兵の目は静養を想定したものではなかった。
第二王子の私兵だ。
紋章は王家ではなく、アルベルト個人の徽章。
(……王宮の目からは半歩外し、しかし王都の掌中)
馬車が止まる。
アルベルトが先に降り、手を差し出した。
「足元に気をつけて」
自然な仕草。
だが周囲には兵がいる。
その視線は鋭い。
エレノアは手を取る。
指先が触れた瞬間、彼の体温が伝わる。
冷たい夜気の中で、それだけが妙に温かい。
門が開く。
屋敷の中庭は整えられているが、装飾は控えめだ。中央に噴水があり、水音が静かに響く。
玄関前に整列する使用人たち。
年齢も性別もばらばらだが、姿勢が揃っている。
訓練された動き。
宮廷の侍従とは違う。
「本日より、ここが君の居所だ」
アルベルトの声は落ち着いている。
「安全は保証する」
「王都滞在禁止命令に抵触しませんか」
「ここは私有地だ。王都行政の管轄外と解釈できる」
解釈。
法律の隙間。
なるほど、と心の中で頷く。
玄関をくぐる。
内装は上質だが質素。豪奢さより機能性。
廊下の角に立つ男が、わずかに頭を下げる。
「殿下」
「問題は」
「ありません」
短いやり取り。
報告の形だ。
(……報告)
視線が自然と動く。
壁の装飾は少ない。だが要所に人が立っている。
守り。
同時に、監視。
アルベルトが歩きながら言う。
「君の部屋は二階だ。侍女を二名つける」
「ヴァレンティス家の者は?」
「王都外へ退去させた。巻き込まないためだ」
合理的。
冷静。
「……殿下」
「何だ」
階段の途中で、足を止める。
「私は、ここで自由ですか」
背後で兵が息を止める気配。
アルベルトはゆっくり振り返った。
「自由の定義による」
「外出は」
「私の許可が必要だ」
即答。
「書簡は」
「検閲する」
これも迷いなく。
「面会は」
「原則、私を通す」
静かな廊下に、言葉が落ちる。
甘くない。
完全な保護。
あるいは拘束。
エレノアは数秒、彼を見つめる。
「……守るため、ですか」
「そうだ」
「閉じ込めることが」
「盤面から外す」
言葉が被る。
彼の瞳は揺れない。
「兄上の目が向いている間、君は動かせない駒だ。だが視界から外れれば、価値は薄れる」
「……価値」
その単語が、胸に引っかかる。
アルベルトは一歩近づいた。
「誤解するな。君を物のように言いたいわけではない」
「では、何と?」
「切り札だ」
静かに告げる。
「切るためではない。残すための」
理解する。
彼は隠さない。
利用する意図も、守る意志も。
どちらも本物だ。
「私は、駒ではありません」
声は低く、はっきり。
廊下の空気がわずかに張り詰める。
アルベルトの表情が、ほんのわずかに変わる。
「知っている」
「ならば」
「駒にするなら、こんな危険は犯さない」
目が合う。
「兄上に正面から異を唱えた。君の退去を独断で決めた。私は既に盤面を動かしている」
祝宴の最後、彼が原本提出を求めた場面が脳裏をよぎる。
あれは牽制。
公の場で、記録に残る異議。
「……殿下は、王位を望まれますか」
唐突な問い。
兵の視線が一斉に動く。
アルベルトは即答しない。
「望むかどうかは問題ではない」
数拍置いて。
「必要なら、取る」
冷たい言葉。
だが嘘はない。
階段を上りきる。
扉の前で、侍女が一礼する。
「お部屋の準備は整っております」
中へ入る。
広い寝室。机、書棚、応接用の椅子。窓からは王都の灯りが見える。
机の上には既に紙と筆記具。
アルベルトが視線で示す。
「調査を始めるのだろう」
「……ええ」
「婚約破棄事例の記録は明日届く」
手配済み。
最初から。
「最初から、そのつもりだったのですね」
「君は、泣かない」
淡々と言う。
「祝宴で、兄上を睨みもしなかった」
「意味がありませんでしたから」
「そうだ。だからだ」
彼は静かに続ける。
「感情で動かない者としか、制度は戦えない」
胸の奥で、何かが震える。
恐怖ではない。
期待。
「私は守られるだけではいられません」
「知っている」
距離が、わずかに縮まる。
「だが覚えておけ。ここにいる限り、君の行動は全て私の責任になる」
「……それは、重いですね」
「重い」
正直な答え。
「だからこそ、軽率な行動は許さない」
甘くない。
だが。
「信じますか」
思わず出た言葉。
「何を」
「私が無実だと」
アルベルトは一瞬も迷わない。
「当然だ」
即答。
その確信が、初めて胸を揺らす。
祝宴では泣かなかった。
屋敷でも。
だが今、視界がわずかに滲む。
彼は気づいたかもしれない。
だが何も言わない。
「休め」
短く告げる。
「明日から忙しくなる」
扉へ向かう背中。
そこで、足を止める。
「エレノア」
振り返る。
「君を守る。それは事実だ」
一瞬、言葉を探すように。
「だが同時に、君の力を借りる」
はっきりと。
「制度を壊すために」
扉が閉まる。
静寂。
窓辺へ歩み寄る。
王都の灯りは遠い。
祝宴はまだ続いているだろう。
だが自分は、もうそこにいない。
机に向かう。
紙に、ゆっくりと書きつける。
――王家婚約法第十二条。
その下に、もう一行。
――直近十年、婚約破棄件数。
ペン先が、強く紙を押す。
小さな音を立てて、芯が折れた。
初めて、息が荒くなる。
悔しい。
怒りが、静かに燃える。
だがそれは、涙にならない。
折れた芯を取り替える。
深く息を吸う。
「……確認から始めましょう」
守られるだけではない。
ここは囲いかもしれない。
だが同時に、準備室でもある。
夜は長い。
だが彼女は、もう震えていなかった。
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