表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄された公爵令嬢、冷遇された第二王子と手を組み“恐怖政治”をひっくり返します  作者: 星詠みミラ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/27

第2話「王家婚約法第十二条」

 王宮の外廊は、夜になると驚くほど静かだ。


 祝宴の喧騒が遠ざかるにつれ、靴音だけが石床に反響する。エレノアは足を止めなかった。止まれば、崩れる気がした。


「エレノア様!」


 背後から駆け寄る足音。


 振り返ると、ヴァレンティス家の侍従長が息を切らしていた。顔色は蒼白だ。


「旦那様が……」


 それだけで理解する。


「拘束、ですか」


 侍従長は目を見開いた。


「なぜ、それを……」


「今夜の流れで予測できます」


 横領、派閥誘導、国家反逆未遂。


 婚約者だけを切るなら、罪状は一つで足りる。三つも重ねるのは、家門ごと処理するためだ。


 王家婚約法第十二条。


 その発動は、対象家門の財産凍結を伴う。


 つまり。


(これは婚約破棄ではない。粛清だ)


 回廊の先に、近衛兵の影が見えた。こちらを確認すると、無言で一礼する。


 敬意はある。だが距離がある。


 既に“王太子妃殿下”ではない。


「屋敷へ戻ります」


 短く告げ、歩き出す。


 王宮の大階段を降りると、夜風が強く頬を打った。馬車は既に用意されている。王家の紋章はなく、簡素なものだ。


 帰路、窓の外に広がる王都の灯りを眺めながら、エレノアは頭の中で条文を反芻する。


 ――王家は、国家安寧を脅かす恐れがあると判断した場合、婚約を一方的に破棄する権利を有する。


 “恐れ”。


 実害ではなく、可能性で足りる。


 恣意的な運用が可能な文言。


 だがこれまで、十二条が公の祝宴で発動された例はほとんどない。記録上、直近十年で二件。いずれも小規模貴族。


 公爵家に対して使うのは、異例だ。


 屋敷が見えてくる。


 門の前に、王家の近衛が立っていた。


 胸の奥が、わずかに軋む。


 馬車が止まる。


 降り立った瞬間、父の声が聞こえた。


「エレノア!」


 玄関ホールの中央で、父は二人の近衛に挟まれていた。腕を取られているが、まだ拘束具はつけられていない。形式上の敬意は残されている。


「お父様」


 駆け寄りたい衝動を抑え、歩み寄る。


 父の目には怒りも焦りもあるが、恐怖はない。


「すまない。巻き込んだ」


「いいえ。まだ何も確定しておりません」


 近衛の一人が淡々と告げる。


「ヴァレンティス公爵。王家命令により、一時的な身柄拘束となります。詳細は追って通達されます」


 父は頷いた。


「娘には手を出すな」


「現時点では、その予定はございません」


 “現時点では”。


 便利な言い回しだ。


 近衛が父を連れていく。


 重い扉が閉じる。


 母がその場に崩れ落ちた。


「エレノア……どういうことなの……?」


 震える声。


 抱きしめたい。だが、今は違う。


「お母様。まずは財務室の鍵を」


「え……?」


「凍結前に、手元の帳簿を確認します」


 母は呆然としたまま、鍵を差し出す。


 財務室に入ると、蝋燭に火を灯す。書棚に並ぶ帳簿を次々と机に積む。


 横領。


 ありえない。


 だが“ありえない”では足りない。


 証明が必要だ。


 紙をめくる音だけが響く。


 数字は正確だ。誤差はない。支出も収入も整然としている。


 では、どこから“罪”を作る?


(偽造か。あるいは、外部口座)


 視線が、隅の補助帳簿に止まる。


 ここ数か月、王宮関連の支出が増えている。


 王妃教育のための寄付、儀式費用、寄進金。


 正規の手続き。


 だが、もしその一部が改竄されていれば。


 背筋が冷える。


 コン、と扉が叩かれた。


「エレノア様」


 侍女の震える声。


「王家より、通達が届いております」


 封蝋は王家の紋章。


 受け取り、静かに開封する。


 短い文面。


 ――ヴァレンティス家の財産を一時凍結する。


 ――当主は王宮にて事情聴取。


 ――エレノア・ヴァレンティスは王都滞在を禁じる。


 王都滞在を禁じる。


 つまり、追放。


 婚約破棄と同時に、政治的隔離。


 見事な手際だ。


(準備されていた)


 即興ではない。


 今日という日を選び、祝宴という場を選び、書記官を増やし、近衛を配置し、通達を用意していた。


 偶然ではない。


 椅子に腰を下ろす。


 初めて、胸の奥がわずかに重くなる。


 悔しい、のではない。


 理解が追いついたからだ。


 これは個人的な不和ではない。


 王太子と婚約者の破談でもない。


 王家婚約法の発動。


 制度の行使。


 扉が再び叩かれる。


「……エレノア様。第二王子殿下が」


 時間が止まる。


 顔を上げる。


「……お通しして」


 アルベルトが来る。


 なぜ。


 何のために。


 廊下に、規則正しい足音。


 扉が開く。


 そこに立っていたのは、祝宴の時と変わらぬ装いの第二王子だった。だが表情は違う。


 静かで、硬い。


「夜分に失礼する」


「いいえ、殿下」


 立ち上がり、礼をする。


 彼は部屋を見渡す。積み上げられた帳簿、散らばる書類。


「もう動いているのか」


「状況確認は必要です」


 アルベルトの口元が、わずかに緩む。


「君らしい」


 沈黙。


 蝋燭の火が揺れる。


「殿下。本日の件は、事前にご存じでしたか」


 直球。


 逃げ場を与えない。


 アルベルトは視線を逸らさない。


「察してはいた」


「止められなかった?」


「証拠がなかった」


 短い応酬。


 だがその裏にある重みは、十分に伝わる。


「では、今夜ここにいらしたのは」


「迎えに来た」


 心臓が、わずかに跳ねる。


「ここにいれば、君は潰される」


 冷静な声。


「王都を離れろ」


「命令、ですか」


「提案だ」


 静かに言う。


「だが、受け入れなければ――」


 一瞬、言葉を切る。


「君は、次の条文の対象になる」


 次の条文。


 王家婚約法第十五条。


 国家反逆が確定した場合、家門断絶。


 喉が、ひどく乾く。


 だがエレノアは目を逸らさない。


「……私を、守るのですか」


 問い。


 アルベルトの瞳が、わずかに揺れた。


「守る」


 即答。


 その声は迷わない。


 だが同時に、別の色がある。


「だが、それだけではない」


 ゆっくりと続ける。


「君がここで消えれば、兄上のやり方は固定される」


 固定。


 つまり、前例になる。


「これは最初ではない。だが、公爵家に対して行えば、抑止は消える」


 エレノアの思考が、静かに繋がる。


 婚約破棄は、派閥整理。


 十二条は、便利な刃。


「……制度の問題、ですか」


 アルベルトは頷く。


「そうだ」


 その一言で、確信する。


 これは恋の終わりではない。


 戦いの始まりだ。


 アルベルトが一歩近づく。


「エレノア・ヴァレンティス。王都を離れ、私の管理下に入れ」


 管理下。


 甘くない言葉。


「君を守る」


 だがその瞳は、嘘をついていない。


 蝋燭の火が揺れる。


 屋敷の外で、風が鳴る。


 エレノアは、蒼玉のブローチを机に置いた。


「条件があります」


 アルベルトの眉が、わずかに上がる。


「何だ」


「私は、守られるだけではいられません」


 声は静かだ。


「事実を確認し、記録を集めます」


 横領の証明。


 婚約破棄事例の調査。


 制度の検証。


「その自由を」


 アルベルトは、数秒だけ考えた。


 そして。


「許可する」


 即答。


「最初から、そのつもりだ」


 胸の奥で、何かが熱を持つ。


 恐怖でも、悲しみでもない。


 高揚。


 婚約破棄は終わりではない。


 王家婚約法第十二条。


 その条文を、彼女は破ることはできない。


 だが。


 使い方を暴くことはできる。


 窓の外、王都の灯りが揺れている。


 祝宴はまだ続いているのだろう。


 だが、もう戻らない。


 エレノアはアルベルトを見上げる。


「では、参りましょう。殿下」


 第二王子は、静かに頷いた。


 祝宴の夜は、終わらない。


 だが、物語は動き出した。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ