第17話「教会の揺らぎ」
大聖堂の奥、白い石壁に囲まれた小礼拝堂。
外の喧騒とは別世界のように静まり返っている。
祭壇の前に座るのは、巫女アマリア。
その前の机には、婚約破棄統計の写しと、王家婚約法の条文。
「……神は秩序を望まれる」
小さく呟く。
だが、指先は紙の上で止まったままだ。
三年前からの急増。
特定家門への集中。
軍費増強と同時期。
偶然、と言い切るには整いすぎている。
「アマリア様」
背後から声がかかる。
若い助祭だ。
「教会内でも意見が割れております」
「どのように」
「王家の決定を支持すべきとの声が多数ですが……」
「ですが?」
「民の不安も無視できない、と」
アマリアは目を閉じる。
教会は、王家の後ろ盾であり続けてきた。
だが同時に、民の拠り所でもある。
「神意とは、何でしょう」
助祭は戸惑う。
「神は秩序を……」
「秩序だけでしょうか」
静かな問い。
「慈悲は?」
沈黙。
アマリアは立ち上がる。
「ヴァレンティス嬢をお呼びして」
「ここへ?」
「ええ」
助祭が慌てて出ていく。
やがて、小礼拝堂にエレノアが現れる。
白い外套をまとい、静かに一礼する。
「お時間をいただきありがとうございます」
「こちらこそ」
アマリアは椅子を勧める。
「統計を拝見しました」
「はい」
「数字は、確かに増えています」
「ええ」
「ですが」
視線が鋭くなる。
「増加=不義とは限らない」
正直な指摘。
「承知しています」
エレノアは頷く。
「だからこそ、運用基準を明らかにしたい」
「神意は、人の理屈では測れません」
「ですが、条文は人が書いた」
静かな応酬。
アマリアは目を細める。
「あなたは、神を疑いますか」
「いいえ」
即答。
「人を疑います」
空気がわずかに震える。
「神意の名で、人が判断している」
「……」
「ならば、その判断が公正かどうかは検証できる」
アマリアは沈黙する。
祭壇の燭台が揺れる。
「あなたは、婚約破棄を不当だと?」
「私の件だけではなく」
まっすぐに言う。
「連続する破棄が、戦費再配分と連動している可能性があります」
アマリアの瞳が揺れる。
「戦と神意を結びつけるのは、危険です」
「だからこそ、慎重に」
エレノアは言う。
「教会が監査に立ち会うことは可能ですか」
「監査に?」
「婚約破棄発動時の審査過程に」
大胆な提案。
アマリアは驚く。
「王家の権限に踏み込むことになります」
「神意を担保するためです」
静かな論理。
「神の名を用いる以上、教会が確認すべきでは?」
沈黙。
長い沈黙。
やがてアマリアは、ゆっくりと息を吐く。
「……内部で議論します」
「ありがとうございます」
「ですが」
真剣な目。
「王家と教会の関係が揺らげば、国全体が揺れます」
「揺れない国は、硬直します」
小さな反論。
アマリアの口元が、わずかに緩む。
「あなたは、恐れを知っていますか」
「はい」
即答。
「ですが、恐れを理由に沈黙はしません」
静かな覚悟。
アマリアは立ち上がる。
「神は、人に考える力を与えました」
低く言う。
「それを放棄することこそ、不敬かもしれません」
視線が交わる。
小さな同盟。
「正式に、教会内で議題に上げます」
「感謝します」
礼拝堂を出ると、外は夕暮れ。
王都の空が赤く染まっている。
別邸へ戻る道すがら、エレノアは静かに息を吐く。
教会が揺らげば、王家も揺らぐ。
だが同時に、反発も強まる。
別邸ではアルベルトが待っていた。
「どうだった」
「教会内部で議論が始まります」
彼の目がわずかに鋭くなる。
「宰相は嫌がるな」
「ええ」
「だが止められない」
静かな確信。
アルベルトは頷く。
「兄上は、さらに加速するだろう」
「なぜ」
「揺らぎを嫌う」
夜が落ちる。
鐘が鳴る。
信仰は、揺らぎ始めた。
婚約破棄という制度は、今や法律だけでなく、神意の問いへと広がっている。
正義と正義。
国家と信仰。
そして。
その間に立つ一人の令嬢。
盤は、さらに大きくなっていく。




