11 彼女は幸せな彼の花嫁
怒涛の舞踏会も落ち着きを取り戻し、マーヤは一人でテラスに出ていた。緊張とテレから来る身体や頬の火照りを、少し夜風に晒して冷まそうと思ったのだ。
カーライルの求婚に答えた直後、聞こえたのはいくつかの拍手だった。
それは弟や、その妻となった友人や、彼の家族のもの。その音は次第に数を増やし、それなりに暖かい空間になる。ただ、それでもマーヤを睨む視線は、それなりにあった。
その筆頭は、あのエレノーラである。
王子にこっぴどく振られた上に、目の前で目の敵にしてきたマーヤが求婚されれば、仕方がないことなのかもしれない。とはいえ、これからを思うと少々気が滅入ることの一つだった。
「なぜよ……」
そろそろ戻ろうと思い、外に背を向けたマーヤの前に、エレノーラが現れる。
あれからどこかで泣いたのか、目元の化粧が崩れ、とてもそのままでは舞踏会には戻れないような姿になっていた。それが逆に、ぞっとするような恐怖を、マーヤの中に浮かばせる。
エレノーラはゆっくりと、マーヤに近寄ってくる。
しかしマーヤの背後にあるのは手すり、逃げ場らしい逃げ場はない。竜に変じて逃げることはできるのだが、それは騒ぎになってしまうので避けたかった。
そうなると、彼女が見せる隙をつくぐらいしかなく、ドレスではかなり難しい。
耐えるしかないのかな、と思っていると。
「なぜお前なのよ! バケモノが、どうしてわたくしを蹴落とすのっ」
すぐ目の前にいたエレノーラの右手が降りあがり、マーヤの頬を打つ。
じわりと痛みと熱が生まれ、ほんの少しだけ視界が滲んだ。
思わず打たれた頬に触れると、エレノーラがキっと目を吊り上げて。
「どうやって王子に取り入ったの! わたくしのことを、悪し様にいったのでしょう! そうでなければバケモノなどに、このわたくしが負けるわけが無いっ。この卑怯者!」
「い……妹をだしに、脅したあなたに、そんなことを言われたくない、です」
「お黙りなさいっ。わたくしは本当のことを言っただけ! お前のように、嘘八百を並べたりなどしていないわ! 許さない……絶対に許さないから、わたくしから王子を奪った罪は」
「罪は、なんだって?」
かつん、と音がする。
テラスから庭へ降りる階段。
そこから上がってくるのは、カーライルだった。彼もどうやら酔い覚ましか何かで、外に出ていたらしい。エレノーラはぱっと表情を明るくし、笑みを浮かべた。
「王子、この女に何を言われたのか知りませんけれど、それは全部嘘ですわ。この女は、そうやって他者を蹴落として、のし上がってきた悪女ですの。この国を狂わす毒なのですわ」
それはあなたの方だ、とマーヤは思ったが、言っても無駄なので黙っていた。
彼女の場合は、蹴落とすのではなく『遊び』で、気に入らない令嬢の恋を叩き潰してきたのでより悪質と言えなくもない。自分がそうやってきたから、他者もそうするものだと思い込んでいるのだろう。だからマーヤも同じことをしたと、信じきっているのだ。
でなければ、自分が王子に選ばれないわけが無いと。
そのための衣装なのだろう、彼女が着ている曰くのあるドレスは。
「……冗談じゃない。僕をそこらの貴族令息と、一緒にしないでもらいたいね」
カーライルは低く笑うと、エレノーラの右手首を掴んだ。
う、と彼女がうめく。
どうやら渾身の力を込めているようで、マーヤは慌てて止めようとした。
「カーライル、そのままでは骨が折れてしまいます……!」
「構わない。どうせ世話をする人間がいるのだしね。腕なんて無くても、生きていけるさ」
「そんな……」
「それよりも、その口が気に入らない。誰が誰の悪口を僕に言ったって? マーヤは君とは違うんだよ。自分がしていることは、他の誰かもしていると思わない方がいい。人を悪意の刃で切り裂いてもてあそんで笑っているクズは、この国でもお前だけだよ。吐き気がする」
突き飛ばすように右手を離し、カーライルはマーヤをかばうように立つ。エレノーラの手首は赤くなって、色の白い肌に痛々しい彩を添えていた。数日後には青くなるだろうか。
「彼女は僕の伴侶だ。その彼女を侮辱し、身内を害するつもりなら、それ相応の対処を取らざるを得ない。路頭に迷うだけで終わると思わないでくれよ。僕はしつこいんだ」
「でも、でも王子……っ」
「え、エレノーラっ、そこで何をしている!」
何かを言い募ろうとするエレノーラ。
そこにやってきたのは、着飾った数人の男性だった。年齢はマーヤと同年代から、上は中年というべき男性まで。彼らは王子に捕まっているエレノーラを見て、その表情が青くなる。
「お、王子、これは」
「この無作法な右手が、わが妻となる彼女の頬をぶったからね。どう仕置きしようかと」
「そ……それは、それはどうかご容赦を! 不出来な娘のしたことと、どうか! 今すぐつれて帰って、よくよく、言い聞かせますので! ですからどうか、どうか罰だけはっ」
「お、とうさま……」
地面にひれ伏すように謝罪するのは、どうやらエレノーラの父親らしい。そんな、化雫どころではない父親の姿に、エレノーラはしばし絶句していたが。
「どうして! わたくしは本当のことを言っただけよ!」
「エレノーラっ」
「あんなバケモノに、どうしてこの、高貴なわたくしが負けるの! 信じられない! 王子は騙されているのよ……っ。お父様離して! あんなバケモノに、わたくしはまだっ」
騒ぎ始めたエレノーラの手を離し、カーライルはそっとマーヤを腕に抱く。一方、父親や親戚らしい男達に囲まれた彼女は、手足をばたつかせて喚き散らしていた。
その姿に、会場から冷ややかな目と、失笑が注がれる。
「二度と僕と彼女の前に、その姿を晒すな。声も聞きたくない」
「どうして、どうしてなのカーライル王子! わたくしはっ」
喚きながら引きずられていく令嬢を、隣に立つカーライルは実に冷たい目で見ている。
あれは、許されれば喜んで彼女を殺しに行く目だ。一応、騎士としていろいろ経験してきたマーヤでさえも、その目を前にすれば誇りも何もかも捨てて逃げ去りたいほど恐ろしい目。
挙句に、こんなことを笑顔でつぶやくから、もうどうしようもない。
「もう少しちょっかい出してくれれば、大義名分を持って叩き潰せたのにね。マーヤの妹を保護している彼は、あの家と縁を切ったに等しいから、何の脅しにもならないのに」
「……」
これはまずい、とマーヤは思う。
マーヤは確かにカーライルを愛しているのだが、今のを見ると後悔がわずかに滲む。何と言うか怖くなった、という感じだ。今ならまだ逃げられるかもしれない、と少し後退すると。
「マーヤ、どこにいくの?」
半歩下がっただけなのに、カーライルはすぐさま気づいた。
そして、がしりとマーヤの手首を掴み、自らの方へ抱き寄せる。傍目には実にほほえましい恋人――未来の夫婦の抱擁にみえるのかもしれないが、マーヤの耳元に囁かれる声は冷たい。
「逃げるなんて許さない、と……僕は前に言った気がするんだけどね、マーヤ」
「ひっ。あ、あああ、いえ、なんでもないです、はい、なんでも」
逃げるなんてとんでもないです、と必死に、小声で反論するも。
「そう……じゃあ、あとでたっぷりと、本当かどうか尋ねようかな」
そんな声が返ってきて、マーヤが己の命運が尽きたことを知る。
■ □ ■
この後、マーヤはまた寝室から出してもらえなくなった。
久しぶりに外出は、妹リシェリと件の領主の結婚式。そこでマーヤは、エレノーラのその後の一片を知ることになる。どうやら彼女は、叔父目当てでここでも大暴れしたそうだ。
ついこの前に彼女は嫁に出された、らしい。何でもあの舞踏会に来ていた他国の王に見初められたのだそうだ。そこは一夫多妻をとっている国で、王にはすでに五十人近く妻がいる。
若い王はカーライルの友人で、真実を知って泣き喚く令嬢には飽きたらしい。手を出すこともせずほったらかしているとのことで、そのうち適当な貴族に下げ渡すつもりとのこと。
まぁ、そこら辺を彼女の身内は何も知らなかったようで、最初は他国だが王族に、と喜んでいたらしいのだが、最近になって娘の境遇に気づいてどうにかして欲しいと言い出した。
しかし娘を嫁に出したのは彼女の両親で、カーライルには関わりの無いこと。
文句なら向こうに直接言え、といって門前払いをして以降、彼らはずいぶんと静かだ。
これで二度と会わずにすむ、と報告された頃、マーヤは外に出してもらえた。
おそらく、万一に備えて『匿っていた』のだろう、と彼女は思う。
その頃には、彼女の肩書きは『第二王子の婚約者』から『第二王子の最愛の妻』へと変わっていて、住まいも王族所有の別邸の一つになっていて、すぐに引っ越すことになった。
強引に『敵』を排除したカーライルは、最愛の妻に何度も尋ねる。
「君は、幸せかい?」
何度聞かれても、同じことを答えるのに、彼はとてもしつこい。だからマーヤもしつこいくらいに答えを、彼が満足するまで与えることにした。答えを、声と、唇と、舌に乗せて。
「えぇ、私は幸せですよ。おかげさまで、身体が重くて仕方ないんです。ベッドまで運んでくれたらもっと私は幸せになります。添い寝をしてくれたら、もっともーっと幸せですね」
そんなことを、最愛の『王子様』に、言ってみたりするのだった。




