第3話 計画どおり
僕は先へ進みながら、ときどき新しい針を試してみた。分かれ道で片方の道をふさいでいたツタも、これで切り開くことができた。
マントを使えば、武器の扱いはずいぶんマシになる。布の端で針をつかみ、向きを変え、何度か素早く振ることだってできた。
もっとも、ちゃんとした武器の扱いにはまだほど遠い。感覚では、針を手に入れてから二時間ほどたっていた。
そのあいだに自分の足にも慣れてきて、何度かマントに絡まりそうになり、普通のダンジョンではまず見かけないような植物や壁にも、ほとんど驚かなくなっていた。
まわりはあいかわらずゲームそっくりだ。遺跡、変わった植物、モンスター、武器。
ただ、レベルもヒントもインターフェースも、結局ひとつも出てこなかった。
『まあいいや。説明書なしで遊ぶしかないってことか。そのうち、期待するのもやめるんだろうな』
しばらくすると、石のあいだにピンク色の丸いキノコがいくつか生えているのに気づいた。見た目はまったく無害そうだ。
元の世界なら「これは危ない」と思うような特徴は何もない。
でもオレンジコの件で、ここの植物は見た目がきれいだからって食べないほうがいいと、もう学んでいた。
『さて、どうやって確かめる?』
僕はマントで針を持ち上げ、一番近くのキノコに突き刺して、中で何度か刃を動かしてみた。
表面に、透明な汁が少しにじみ出てくる。顔を近づけてそれを眺めていたら、うっかり自分の体の端が触れてしまった。
数秒後、それは来た。
足が言うことを聞かなくなった。マントもだ。僕はそのまま床にべちゃっと崩れ落ちた。
終わるまで、ただ寝転がって待つしかなかった。感覚では五分ほどたって、ようやく体がまた動くようになった。
僕はゆっくり起き上がり、ピンク色のキノコを見た。
『ピンク。丸い。しびれる』
もう少し考えてから、針に目をやった。
『これは使える』
もう一度キノコを刺して、今度はわざと刃で中身をなぞり、汁を集めた。念のため。いつか役に立つかもしれない。
それから、マントで針をそっとしまった。
しばらくすると、枝の一本に木のお面が引っかかっているのを見つけた。
植物のあいだにぶら下がっていて、すぐにオレンジコの一部だとわかった。正確には、あいつから残ったわずかなもののひとつだ。
それを思い出したら、頭に自然と疑問が浮かんだ。
『そもそも、モンスターって食べられるのか?』
魔物を食べる異世界ものもある。倒したあとにドロップアイテムしか残らないやつもある。
それに、ダンジョンで魔物を料理して飯にしちゃう話だってある。
もしかしたら、ここでもそういうのがありなのかもしれない。
そんなことを考えながら歩いていると、急に家のワッフルを思い出した。妹がときどき朝に焼いてくれたやつだ。
僕はよく台所へひとつもらいに行って、それからもうひとつもらいに戻った。ひとつで足りるわけがないから。
『今あれがあったら、絶対食べるのに』
✧✦✧
ワッフルのことを考えながらしばらく歩いていると、前方に小さな生き物が三匹、こっちに背を向けて立っているのが見えた。
どれも僕と同じくらいの背丈で、細くて、緑色をしている。まともな手足の代わりに、絡み合ったツタのようなものが生えていた。
どうやら何かに夢中になっていて、すぐには僕に気づかなかった。
僕は立ち止まって、しばらく様子を見ていた。ぱっと見では、けっこう弱そうだ。細い手足、鎧もなし、武器もなし。
少なくとも、ここから見える範囲には何もない。
オレンジコの一件のあとだから、生き物と見れば何も考えずに近づくつもりはもうなかった。
でも、目の前の小さな三匹は、なぜかそれほど危なそうには見えなかった。
『小さい。黒い。すばしっこい』
僕は自分の体を見て、それからあいつらを見た。
『やっぱり僕のクラス、ローグなんじゃないか?』
バカな考えだった。でも、見れば見るほど、それっぽく思えてくる。小さなモンスターが三匹。弱そう。しかも背中を向けている。
『ワンパンでいけるはず』
僕はそっと這い寄った。針はマントの端で持ち、まわりの植物に当たらないように気をつける。
ピンクのキノコの実験のあとだから、刃にはまだ汁が残っていた。
僕は一匹のすぐ後ろまで来た。そいつは何も気づいていない。
『絶好のチャンス』
僕はマントを一気に突き出して、刺した。
針がツタのあいだに入り込む。
そいつはびくっとした。
そして、動かなくなった。
僕は一瞬固まって、そいつを見つめた。
『やった!』
残りの二匹が、ようやく振り向いた。
そして、まっすぐ僕を見た。
『あ』
僕は針を構えて、二匹目にも同じ手を使おうとした。
✧✦✧
ゴホン……。まあ、なんというか、ここから先は計画どおりにはいかなかった。
二匹目に攻撃しようとしたら、どういうわけかかわされて、僕の一撃は横にそれた。もう一度やってみる。
今度は針が当たったけど、期待した結果にはならなかった。ツタがぐにゃっとしなって、すぐに元に戻っただけだ。
『は?』
もう一度刺す。
何も起きない。
そこでやっと気づいた。問題はあいつらだけじゃない。
どうやら、あいつらが見た目より頑丈なのか、僕が思っていたより弱いのか、そのどちらかだ。
そのあと起きたことからすると、どっちも正解だったらしい。
二匹はあっという間に僕を囲んだ。一匹がマントを引っぱり、もう一匹が僕と出口のあいだに立ちふさがる。
横から抜け出そうとしたら、またすぐにマントを引っぱられた。振り向いたときには、一匹がもう反対側にいる。
あいつらは僕を傷つけようとはしなかった。
代わりに、ひたすら動きの邪魔をして、後ろへ引き戻し、足もとに潜り込み、なぜか毎回、僕が一番いてほしくない場所に現れた。
しばらくすると、僕は隅に追い詰められていた。
二匹は僕の前でくるくる動き回っていて、どうやら僕の脱出の試みがどれだけ無意味に見えるか、よくわかっているらしい。
一匹なんて、僕のマントの動きをまねしてみせた。
それから二匹そろって、ピーピーと冷やかすように口笛を鳴らし、さらに激しく跳ね回った。
何か天才的な方法で抜け出した、と言えたらよかったんだけど。
『無理』
僕はただ隅に追い込まれて、長いこともてあそばれた。しかも、あいつらは本気で傷つけようとすらしていなかった。
近くには、最初にしびれさせた一匹が転がっていた。
ときどき残りの一匹がそっちへ駆け寄って、ツタでつついては、また僕のところへ戻ってくる。
『なるほど』
僕は針を見た。
『キノコ』
『ってことは、ちゃんと効いてるんだ。よし』
あとは、自分がどうやってここから抜け出すか考えるだけだった。
✧✦✧
あるとき、通路の奥から足音が聞こえてきた。最初は石を打つ重い音、それから金属のこすれる音と、ほかにも何か変わった音。
僕の前の二匹も、すぐに僕をいじるのをやめて、音のほうへ顔を向けた。
僕は隅に座り込んだまま、初めて、もしかしたら今度こそ運が向いてきたのかもしれないと思った。
角の向こうから、四人が現れた。先頭には小さな黒い女の子、その隣に武装した戦士。
その後ろには、ケモノの魔女と、頭の代わりに鐘がぶら下がった、二メートル四方のタンスみたいな大男。
戦士は、服のすきまから青緑色の肌がのぞいていて、顔は兜の面頬で完全に隠れていた。
『まあ、特に変わったところはない……よな。たぶん』
タンス男はあまりに幅が広くて重たいので、一歩ごとに石の床に足音が響いた。
『歩くお寺の鐘?』
魔女も黒くて、僕と同じように手がなかった。代わりに、長いマフラーが動いている。
『よし。話してるし、武器も持ってるし、集団で動いてる。知性はありそうだ』
少なくともこの四人は、たまたまここに来たようには見えなかった。
まとまって動いていて、明らかに道を知っているし、うっかり迷い込んだとは思えない。
オレンジコのあとだから、知性のある生き物が人間の姿をしているとは限らないことも、もうわかっていた。
だから、特に驚きはしなかった。
小さな女の子が隅の三匹に気づいて、戦士に何か小声で言った。
僕には聞き取れなかったけど、もう一人の女の子はすぐに聞きつけたらしく、こっちへ歩いてきた。
彼女が近づいたとたん、小さな二匹はぱっと散って逃げ出した。
一匹は巣穴に隠れ、もう一匹は岩の陰へ飛び込み、しびれたままの三匹目だけが苔の上に取り残された。
マフラーの女の子が何か言った。
そのとき初めて、僕は彼女の言葉がちゃんとわかることに気づいた。
『言葉が、わかる』
あまりに突然のことで、数秒のあいだ、ほかのことはまったく目に入らなかった。
普通の話し声が聞こえて、その意味が自然と頭に入ってくる。目の前に翻訳が出るわけでも、頭の中に声が響くわけでもない。
ただ、わかる。
もっとよく耳を澄ませてみた。そこで、変なことに気づいた。小さな女の子の声の中で、何かが鈴のようにかすかに鳴っている。
戦士の声は違う。低くて、弦みたいだ。マフラーの魔女の声は、まるで笛のようだった。
『なんでみんな、こんな声なんだ?』
もう少し聞いていたけど、答えは見つからなかった。今はそれより、とりあえず会話がわかることのほうがうれしかった。
『新しい言語を勉強しなくて済むのは助かる』
マフラーの女の子がすぐそばまで来て、僕のほうへかがみ込んだ。
僕は何をされても大丈夫なように身構えたけど、彼女はいきなり、にんまりと笑った。
「おっ! あらあら、かわいい〜。ちっちゃくて、無力で、たぶんどうしようもないくらいのざこだから……」
ポカッ。
戦士が無表情のまま、彼女の頭をはたいた。
「いたっ!」
彼女はマフラーで頭をさすって、不満そうに戦士を見た。
「あたし、何か優しいこと言おうとしてたんだけど?」
今、僕のこと〝ざこ〟って言ったよな……。
僕は彼女をもっとよく見て、そこで初めて、ひとつ変わったことに気づいた。彼女にも手がない。
代わりに長いマフラーが動いていて、それがふいに持ち上がり、彼女の後頭部を平然とかいてから、また元に戻った。
『この子も、手がないんだ』
僕も自分のマントを動かしてみた。動くには動くけど、あんなふうに軽々とはいかない。
彼女のマフラーは、僕のマントよりずっと正確に動いていた。
なぜか、ちょっと悔しかった。
ようやくマントを手の代わりとして認めはじめたところだったのに、こういうものをまったく苦にしていないやつが、もう現れた。
戦士が彼女に何か言ってから、僕のほうを見た。
「姉ちゃん、こいつの具合を診てやってくれ」
戦士に頼まれて、魔女はマフラーを僕のほうへ伸ばした。
マフラーの端がかすかに光りはじめ、数秒後、体の中を弱い流れが通り抜けるような、ほのかな温かさを感じた。
彼女はしばらくマフラーを僕のそばにかざしてから引っこめ、考えこむように僕を見た。
「全然平気。ちょっと疲れてて、少し怖がってるだけ」
『え?』
僕は彼女を見た。
『今ので、そんなあっさりわかるの?』
『ウィンドウなし。インターフェースなし。《身体状態:疲労。精神状態:恐怖》なんて、うれしそうに教えてくれる大賢者もなし』
『その能力、僕も欲しい』
彼女がどうやったのか考えつく前に、戦士が僕のほうを向いて、落ち着いた声で言った。
「怖がるな。ここから地上へ出る階段はすぐそこだ。上ったら、そのまま道なりに進め。村に出る。そこで助けてもらえるさ」
その隣で、小さな女の子が小さな声で言った。
「かわいそう……。どうして、ここに?」
『迷い込んだ、ってこと?』
すぐにわかった。この人たちは、僕を迷子の子どもだと思っている。まあ、無理もない。
今の僕はだいたいそんな見た目だし、苔の生えた隅っこで黙って座り込んでいたんだから、とても経験豊富な冒険者には見えないだろう。
そのあいだに、戦士は僕の針に目を向けた。
「面白い武器を選んだな。その小さな体にしちゃ、なかなか珍しい選択だ。まあ、扱うのはちょっと大変そうだけどな」
『悪くない、ってこと?』
思わず背筋が伸びた。この針にあれだけ時間をかけたあとで、本物の戦士から、少しでも認めてもらえるようなことを言われる。
それは思いがけず、うれしかった。
一行が立ち去ろうとしたとき、小さな女の子がふと振り返った。少しためらってから、僕に手を振る。
僕は数秒その子を見つめてから、マントの端を持ち上げて、ぎこちなく振り返した。
彼女はにっこり笑って、ほかのみんなを追いかけて駆けていった。
数歩進んだところで、マフラーの女の子が仲間に何か言った。
「あとは、オレンジコの群れにさえ出くわさなきゃいいんだけど〜」
僕は動きを止めた。
『オレンジコ?』
僕は一行の背中を見送った。
『この人たちも、あれをオレンジコって呼んでるのか?』
『どうやら、まったくの偶然で当てちゃったらしい』
答えるように、ゴーン、と重たい鐘の音が響いた。
小さな女の子はすぐに足を速めてみんなに追いつき、やがて一行は角の向こうへ消えていった。
✧✦✧
一人になった僕は、教えられたとおりの方向へ進んだ。ほどなくして、本当に階段が現れた。
それはダンジョンのほかの場所とはすぐに違うとわかった。
段は比較的きれいで、苔もほとんどなく、植物も石の上まで伸びてはいない。明らかに、誰かがこの階段を使っている。
『つまり、道は合ってる』
見上げると、ずっと上のほうに光が見えた。
僕はゆっくりと、最初の段に近づいた。
『地上……』
こんばんは、読者の皆さん!
章を編集しているうちに、いくつかの段落がかなり長くなっていることに気づきました。ロシア語では、もっと短く見えていたんです。段落の長さについて、X(旧Twitter)のDMで感想をいただけるとうれしいです。
この話を公開する時点で、みてみんの使い方にもだいぶ慣れてきました。それと、授業の合間の空き時間に、ちょっとした好奇心からDuolingoで日本語の単語を覚えはじめました。Duolingoだけでは本格的な勉強にならないのはわかっていますが、せめていくつかの言葉の基本的な響きくらいは覚えられたらと思っています。
それでは皆さん、美味しいワッフルを!




