第2話 オレンジコと王の剣
僕は生き物のあとを追った。しばらく進むと、道はまた二手に分かれていた。左の道は、太いツタでほとんどふさがっている。
びっしりと絡み合っていて、隙間なんてほとんどない。僕は立ち止まって、それを眺めた。
『あっちには絶対飛んでいってないな』
残るはもう一方の道だ。そっちは何もふさがっていなくて、湿った空気と植物のにおいが流れてくる。
僕は分かれ道で少し立ち止まってから、そっちを選んで先へ進んだ。
✧✦✧
数分もすると、石の壁が少しずつ消えていった。天井は低くなり、古い石積みの代わりに、岩と土でできた自然の壁が現れた。
まわりの植物も目に見えて増えてくる。やがて、オレンジ色の茂みが見えてきた。
小さくて、こんもりしていて、石のあいだから直接生えている。
そばには苔むした小山がいくつもあって、そのいくつかには小さな穴が開いていた。
『巣穴?』
僕は歩みをゆるめた。
『ここに住んでるのか?』
もちろん、返事はない。
さらに数歩進むと、小さな洞窟に出た。ここの天井はもうすぐ頭の上にあって、はるか上の闇に消えたりはしていない。
同じ茂みが壁沿いに続き、そのあいだには苔が広がっていた。小山は、やっぱり巣穴だった。
あたりを見回しはじめたとたん、巣穴のひとつから、見覚えのあるオレンジ色の生き物が飛び出してきた。
そいつは僕の目の前でぴたりと止まり、今度はどこにも逃げなかった。おかげで、ようやくじっくり観察できた。
小さくて、ふわふわで、濃いオレンジ色の毛にすっぽり覆われている。黒っぽい目がふたつに、細い触角が二本。
表情はほとんどない。顔の代わりに、ただの白いお面をつけているみたいだった。
『翼、なかったのか。どうやって飛んでるんだ?』
『魔法かもな』
今のところ、ほかに説明が思いつかない。もう一度あたりを見回す。洞窟じゅうに、同じ茂みが生えていた。
『もしかして、こいつ、生きてる茂みとか?』
ふと、そいつの体の下のほうが少し変わったのに気づいた。濃い毛の中から、鋭い針がゆっくりと突き出てきたのだ。
僕は固まった。
『……え?』
針はなめらかで硬く、崖の下の根で見たのと同じ、金属のような光を放っていた。
『待てよ』
あの根を思い出して、もう一度針を見る。せめて、あの根のトゲくらいは取ってみればよかったかもしれない。
僕はまたオレンジ色の生き物に目を戻した。
『……オレンジコ』
その言葉は、勝手に頭に浮かんできた。子どもの頃、正月になると、ばあちゃんはオレンジの粉を混ぜたクッキーを焼いてくれた。
僕はその粉を〝オレンジ粉〟と呼んでいた。今の僕には、これ以上凝った名前を考える余裕なんてない。
それに、あたりには同じオレンジ色の茂みが生えている。
『こいつらはオレンジコ、ってことで』
僕はもう少しそいつを眺めた。
『本当に生きてる茂みなら、もしかして燃えたりするのか?』
あたりを見回す。ここに来てから、まだ一度も火を見ていない。
『残念。今のところ、確かめる方法はないか』
考えるのはそこまでにした。オレンジコはそのあいだ、ぴくりとも動かなかった。僕はそいつを見ている。そいつも僕を見ている。
一秒が過ぎる。もう一秒。
『……で、どうすんの?』
だんだん、自分がちょっと間抜けに思えてきた。
『ゲームなら、今ごろ隠しイベントが発生してるはずなんだけどな』
少し考える。
『ユニークモンスター。ユニークな主人公。始まりの場所』
僕は一歩下がって足を大きく開き、マントの端を持ち上げた。それなりに迫力が出るように。
『発動しろ、主人公補正……!』
僕は集中した。
『ファイアボール!』
何も起きない。
『ブラックライトニング!』
これも何も。
僕は黙った。
『……せめて何か出ない?』
オレンジコはじっとこっちを見ている。僕はそのポーズのまま数秒立ち尽くし、それからゆっくりとマントを下ろした。
『……お見苦しいところをお見せしました』
次にどうするか考えつく前に、オレンジコが動いた。
✧✦✧
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
ついさっきまで目の前に浮かんでいたのに、次の瞬間には、オレンジ色の毛が目の前をかすめていた。
考えるより先に、驚いて横へ跳んだ。針は、文字どおり僕の体から数ミリのところを通り過ぎていった。
小さく乾いた音を立てて、針が苔に突き刺さる。
僕は固まった。
『こいつ……本気で僕を刺そうとした』
体の中が一気に冷えた。二度目を待つつもりはない。僕は一目散に逃げ出した。どこに向かっているのかもわからない。
マントが植物に引っかかり、苔につまずき、何度も壁にぶつかりそうになった。
『うわあああああああ!』
僕は全力で叫んだ。正確には、頭の中でだけ。今はそんなこと、どうでもよかった。
『なんでこんなに速いんだよ!? その針どこから出てきた!? 今はまだ死にたくない!』
背後で、またオレンジ色の影がちらついた。少しでも距離を稼ごうと、僕は急に向きを変えた。
そのとき、後ろで短く、かすかな音がした。ヒュッ。思わず振り返る。最初のオレンジコが止まって、もう一度同じ音を出した。
するとすぐに、近くの巣穴から一匹飛び出してきた。
それから、もう一匹。
さらに、もう一匹。
そこから先は、数えるのをやめた。
『……やめてくれ』
最初のオレンジコを見る。そいつはまだ僕を見ていた。
『今の、仲間を呼んだのか?』
僕は一番近い巣穴へ飛び込もうとしたけど、すぐに隠れても意味がないと気づいた。
奇跡的にもぐり込めたとしても、ほかのやつらがそのまま追いかけてくるだけだ。
走り続けるしかなかった。
低い茂みの下にもぐり、苔の小山をよけ、オレンジコがすぐそばを飛んでいくたびに、急に向きを変えた。
一度なんか、マントにくるまって、ほとんど何も見えないまま茂みと茂みのあいだをすり抜けようとした。
でも布が枝に引っかかって、危うく脇腹に針をもらうところだった。
『落ち着け』
小山を跳び越える。
『すべて想定内』
頭の上をオレンジコが通り過ぎる。
『誰か助けて!』
もう勝とうなんて思っていなかった。ただ、次の一秒で刺されないことだけを願っていた。
あるとき、二匹のオレンジコがぶつかった。一匹ははじき飛ばされて、苔の上に落ちた。
もう一匹は高度を落としたけど、すぐに体勢を立て直して、また突っ込んでいった。
落ちたほうに、一瞬だけ目が止まった。動かない。
『自分たちで邪魔し合ってる……?』
ほかのやつらを見る。本当に、ほとんど何も見ずに飛んでいる。前に誰がいようとお構いなしだ。
そこで、落ちたオレンジコが僕より少し大きいことに気づいた。濃い毛が、その体をほとんど覆い隠している。
『……こいつの中に隠れたら?』
バカげてる。でも、だからこそいけるかもしれない。どうせほかに作戦もない。
僕は倒れているオレンジコに駆け寄り、勢いのまま濃い毛の中へもぐり込んで、マントごと毛にくるまった。
外からは、僕の姿はほとんど見えないはずだ。
僕はじっと動かずにいた。
『……うまくいった?』
答えはすぐに出た。何匹ものオレンジコが倒れた仲間に襲いかかり、針で刺しはじめたのだ。
最初は何が起きているのか、まったくわからなかった。それから、一本の針がすぐそばをかすめた。
『仲間なのに、こんなにあっさり殺すのかよ!?』
毛の中の隙間は、どんどん狭くなっていく。衝撃が次々と下の体を揺らし、あと少しで次は僕の番だと、すぐにわかった。
僕は外へ抜け出し、一番近くのオレンジコに飛び移って、その毛にもぐり込んだ。
そいつはすぐに前へ飛び出した。
ほかのやつらも一斉に追ってくる。僕は身を低くして、まわりで針がひらめくたびに向きを変えることしかできなかった。
一匹が別の一匹にぶつかり、二匹そろってはじき飛ばされる。すると、ほかのやつらはすぐにそっちへ標的を切り替えた。
『なるほど。こいつら、目の前にいるものなら何でも攻撃するんだ』
僕はまた別のオレンジコに飛び移った。そこから先は、もう完全にわけのわからない大混乱だった。
一匹を何匹かの群れのほうへ向かわせると、ぶつかって、落ちて、すぐに次の標的になる。作戦なんてなかった。
ただ毛にしがみつき、次のやつに飛び移り、今度こそそいつと一緒に刺されませんようにと祈るだけだった。
✧✦✧
しばらくすると、あたりはずいぶん静かになった。そっと顔を出してみる。
オレンジ色の体がいくつか苔の上に転がっていて、残りは洞窟のあちこちへ散ったか、巣穴に隠れたかしていた。
僕は数秒、それを見つめていた。
『……本当に、生き残った』
洞窟に、ようやく静けさが戻った。僕はしばらく苔の上に寝転んだまま、いつものくせで息を整えようとした。
数秒たってから、そもそも自分は呼吸していないことを思い出した。
『そうだった』
ゆっくり起き上がって、洞窟を見渡す。オレンジコの姿はほとんど見えない。
何匹かは動かないまま転がっていて、残りは巣穴へ散っていった。
『今の、いったい何だったんだ?』
ここに住んでいて、翼もないのに飛んで、何にでも襲いかかって、どうやら仲間の区別もあまりついていない。
僕は動かなくなった体のひとつを見た。
『転生して最初に出会った生き物が、針つきの空飛ぶ茂み。……まあ、アリか』
さっきからどんどん強くなっていた空腹が、また存在を主張してきた。
あたりを見回すと、巣穴のひとつに、小さくて鮮やかな実がなっているのが見えた。柔らかそうで、ほとんどゼリーみたいだ。
『毒だったらどうしよう』
調べる手段はない。もう一度、実を見る。
『空腹の勝ち。よし。人生一度きり……いや、二度目か』
僕は一番近くの実を体に取り込んで、数秒じっとした。
『……甘い』
なぜかイチゴみたいな味がした。でも食感はまったく違う。柔らかくて、ぷるんと弾力があって、ゼリーみたいだ。
僕はもうひとつ取り込み、さらにもうひとつ。
しばらくして、僕は同じ巣穴の奥へもぐり込み、葉っぱと苔の上に横になって、ただじっとしていた。
あれだけ走り回ったあとで、体はようやく「動け」と言わなくなった。
『はぁ……極楽』
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天井を見ながら、もう少し休んでいた。すると、倒れたオレンジコの一匹がまた目に入った。頭に、単純な考えが浮かぶ。
『死んでるなら、体の一部を使ってもいいんじゃないか?』
僕には武器がない。それに、この先にはわからないことがまだまだ待っているはずだ。あの針は鋭そうだった。
ああいうのは、あって損はない。
僕は死骸に這い寄って、針を引き抜こうとした。
抜けない。
もっと強く引っぱる。
だめだ。
今度はマントの端で針を巻きつけて、全身で引っぱった。
やっぱりだめ。
『嘘だろ……』
足を踏ん張って、もう一度引っぱる。危うく横にひっくり返りそうになった。針は接着剤でくっつけたみたいに外れない。
もうあきらめるしかないかと思いはじめたとき、妙なことに気づいた。オレンジコの体が柔らかくなっている。最初はほんの少し。
それからもっと。濃い毛が沈んでいき、茂みそのものが少しずつしぼんでいくようだった。
僕はお面の穴からのぞき込んだ。毛の下には、本当に枝があった。見れば見るほど、そこに生き物らしいものは残っていなかった。
『まるで、中から消えていくみたいだ』
『こいつ……霧散してる?』
もう少し待ってみた。数分もすると、さっきまでのオレンジコは、ほとんど何も残っていなかった。
枝がまだお面と針を支えているけど、もう動くものは何もない。
もう一度引っぱる。今度は、針はすぐに抜けた。引き抜いて、目の前でくるくる回してみる。小さくて、先が鋭い。
マントで持てるくらい軽い。
試しに振ってみた。ヒュッ、と針が小さく風を切る。
『悪くない』
転生してから初めて、少しでも武器っぽいものを手に入れた。ちゃんとした剣とはとても呼べないけど、ないよりはずっとマシだ。
もう一度、針を見る。
『さて。少なくとも、もう丸腰じゃない』
僕はもう一度それを振った。
そして目を覚ましてから初めて、この先に何があるのか、本気で知りたくなった。




