第27話 ニフルストーン(前編)
その1
初めに、炎があった。
王家の血に従う太陽が、大陸に降りそそいだ。
どうしてそんなことになったのか、もう覚えていない。戦というものは、いつも我の横を素通りしていった。
ルダガンの民は新聞を読む――そうやって、我は世の中で何が起きているのかを知っていた。
「聞いたか? 王様が、太陽の力で魔王を倒すおつもりらしいぞ」
それが、初めて魔王と呼ばれた者だった。
吟遊詩人や酒場のうわさ好きがそいつの話をするようになってから、もう百年ほどがたっていた。
おかしなやつだった。どこからともなく現れて、自分の王国を築こうとした。
運がなかったな。
王は臣民をひとり残らず地底世界へ送り、大地が十二度揺れるまで出てくるなと命じた。
大陸に、太陽の炎の柱が叩きつけられた。
我を守るため、王国じゅうから選りすぐりの結界術師が集められた。彼らはみな命を捧げ、太陽の裁きの下に倒れた。
結界は、一撃そのものには耐えた。だが、そのあとの暑さは、さらに五百年ほど続いた。
暑いのは嫌いだ。冷たい魔力がほしかったが、まわりの泉はひとつ残らず干上がっていた。
くそったれの王め。大陸をまるごと冷やす役目を押しつけておいて。
せめて、何代先まで我の世話をしっかりするよう、勅令のひとつも残してくれればよかったものを。
長い年月が過ぎた。とうに数えるのはやめていた。
ただ、鉄の木が育っていくのと、時の重みに大地がゆっくりと形を変えていくのを、眺めていた。
ぶるるっ。
大地が揺れた。
もう一度。
さらに、もう一度。
四度。
六度。
九度。
十二度。
十二度だ。
やっとか。早く食べさせてくれ。植物から魔力をすするのには、もう飽きた。自前の鉱石と、生きた水の流れがほしい。
モコたちは地底世界から這い出してきて、地上の世界――彼らにとっては、まったく新しい世界――を、一から調べはじめた。
ふっ。太陽落としから最初の数十年、彼らは暑さで次々と倒れていった。
そのかわり、何世紀もたった今、地上は冒険の舞台そのものになった。遺跡、謎――そして、我。
いいかげん、食べさせてくれ……。
さらに数十年がたって、ようやく我は見つけられた――山の中、のちに湖となる噴火口の底で。
我のまわりに、町が育ちはじめた。
働き者たちが鉱石を掘り、きれいな水の泉を掘り当て、不用心な冒険者や学者たちが、しょっちゅう我に触れようとしてきた。
だめだめ。ふさわしい者にしか、触らせてやらない。せめて寒さに強いやつ。でも、意地悪なのと年寄りはなし。
魔力が十分にたまり、噴火口が水で満たされると、我は空へ舞い上がって、魔力の柱を放った――高いところで食事をして、もう下の者たちを凍えさせずに済むように。
今年は、穏やかな冬にしてやってもいい。
その2
そうして、年月は過ぎていった。
相変わらず、世の中のことは新聞と、他人の会話から知った。
我にできることといえば、食べることと、次の冬をどうするか決めることくらいだった。
ある日、ルダガンの民が領主とともに秋の最後の日を祝っていたとき、鋭い痛みが走った。
『何が起きている!?』
下へ、叩き落とされたようだった。まわりを冷たい風が吹き抜ける。新しい大きさを感じた――それは、とても小さかった。
あるいは……。
いつものように、風であたりを探った。そして、わかった。我は本体の結晶から割れ落ちて、湖の底に沈んだのだ。
弱い。役立たずの、自分のかけら。
それでも、少しは面白い。太陽落とし以来、初めての、本当に面白い出来事だ。
我は水から魔力を飲みつづけた。そして少しずつ、冷たくなっていった。
やがて、新しい小さな体のまわりに風を起こせるようになった。それだけあれば、湖の底から浮かび上がるには十分だった。
ぶくぶくぶく。
「ああ、オイミャコン様! あれは何!?」
岸で、怯えた女が叫んだ。
『は? 何言ってるの。「あれ」じゃない。最高に優しい氷の精だ。少なくとも、もう氷の精ではある。前は、ニフルストーンとしか呼ばれていなかったけれど』
「衛兵を! 衛兵を呼んで!」
『なんで!? ちょっと散歩に出ただけなのに』
こんなふうに自由に動けるのは、生まれて初めてだった。まだ目はなかったから、視覚のかわりに風を使うしかなかった。
うっかり誰かの顔に息を吹きかけてしまい、子どもがひとり、たちまち氷の膜に覆われた。
「きゃあああ!」
『叫ばないで。前の時代には、せめてこれくらいで済むように冷やしてくれって、おまえたちのほうが頼んできたのに』
「近づくな! フェリクス王子が助けに来てくださったぞ!」
『あのフェリクス? 有名人だと聞いている。どんな者か、少し気になる』
来た。
目の前に、三人の一行が立っていた。
「ただの氷の精? 炉も隠してないし」と、赤い長袖のマントを着た小さな女の子が言った。顔は、白いお面で隠れている。
「コイ、敵を決して侮ってはいけない。私が教えたことを思い出しなさい」と右から応じたのは、とんでもない巨体だった。鎧と、その下からちらちらとのぞく、自分自身の炎。四本の腕のひとつに、両手剣を握っている。そのシルエットには、どこか虫を思わせるところがあった。
「ははっ! ライター、こんな時くらい堅いこと言うなよ。それより、この氷の精がどう凍らせるか見とけって」と、二人のあいだに立つ者が笑った。
フェリクス。王家の血を引く影身。頭は暗い炎で、その中に四芒星が輝いている。両手に一本ずつ、幅広の剣を握っていた。
『ねえ、このへんで、魔力以外に何か食べられるところ、知らない?』
だが、彼らに聞こえたのは、風のうなりと、氷の鳴る音だけだった。
「何か言ってる」とコイが言った。「誰かを殺す前に、今のうちに片づけちゃいます?」
『我を殺す!? ずいぶん自信があるな、小娘。我は、おまえのひいひいひいおばあさんを知っている。もうひとつ「ひい」を足してもいいくらいだ』
ルダガンの子どもたちが雪で遊んでいたのを思い出した――雪玉を作って、投げ合っていた。
同じことをすれば、悪いやつじゃないとわかってもらえるかもしれない。
風で雪を集めて、ひとつの小さな玉に押し固めた。
「体を作ってる? ちょっと待て」フェリクスが身構えた。
我は雪玉を彼に投げた。投げた、というか。むしろ撃ち出した。腕がないのだから、仕方ない。
「フェリクス王子!」
ライターが前へ飛び出し、剣で彼をかばった。
「なっ!?」
衝撃は、あれほどの巨体を危うくひっくり返すところだった。
『あ。やりすぎた。じゃあ、ほかのことにしようか』
モコたちが、ときどき「スケート場」とかいうものの話をしていたのを思い出した――爪や剣で氷にしがみつきながら、そこで滑るらしい。
足もとの床を凍らせてやれば、楽しく滑ってくれるかもしれない。
「みんなを凍らせるのはやめろ、化け物!」フェリクスは叫んで、それ以上何も待たずに斬りかかってきた。
赤い服の女の子は、もう影も形もなかった。
せっかちだ。目の前にいるものが何なのか見極めもせずに、斬りかかってくる――そういう焦りは、あとで必ず高くつく。
この長い生涯で、何度も見てきた。
『しっしっ』
我は四方八方に風を吹き出して、すべてをまとめて押し返した。
「ちっ!」――上空、飛んでいくつららの上に、コイが立っていた。少し離れたところを、もう一本のつららが飛んでいる。どうやら、フェリクスの攻撃と一緒に、それもはじき返したらしい。
戦いは続いた。フェリクスは懐に飛び込もうとし、コイは遠くから魔法で攻めてきた。
我は、ほとんど動く必要すらなかった。
そのあいだに、ライターはなぜか片ひざをついて、何かを小さくつぶやいていた。
『呪文か? 面白い。何をするつもりだ』
長く待つ必要はなかった。
「拘束。『炎の縛鎖』!」
彼の手から、炎の鎖がほとばしった。それは我に巻きついて、風を封じた。
『熱い。でも、太陽ほどじゃない』
『何を企んでいる、ライター? こんなもので我は殺せない。だが、また動かない石に戻るのは、あまりうれしくないな』
「縛ったか! おまえは王国将軍の名にふさわしいって、俺はずっと思ってたんだ!」フェリクスが近づいてきて、両手の剣を振りかぶった。「今、とどめを刺す!」
「お待ちください!」
……。
フェリクスが固まった。ゆっくりとライターを振り返る。
「なんでだ? こいつは化け物だぞ」
「この者の炉が、かけらのような形をしているのが気にかかるのです。炉というものは、完全な球のはずです」
「気にすんなって。こいつは脅威だ」
「フェリクス王子。どうか、この者を私に預けてください。何かあれば――私がこの手で、すぐに始末いたします」
鎖を通して、かすかな、ほとんど聞こえないほどのライターの声が届いた。
「おまえには知性がある。私に手なずけられたモコになりなさい――そうすれば、食事を与えよう」
『食事? わかった、わかった。おまえの首輪をつけてやる、カール。また動かない石になるよりは、ずっといい』
風がやみ、鎖はさっきほど熱くなくなった。
「おとなしくなりました?」とコイが聞いた。
ライターは鎖を少しだけゆるめて、さらに小さな声で、ほとんど我だけに向けて言った。
「よしよし、いい氷の精だ。約束しよう。大事に世話をする」




