第25話 遺品
その1
一階に降りると、ルネが扉のところでマントの留め具をいじっていた。
「また出かけるんですか? 剣の稽古は、いつ?」
「何事にも時というものがあるのさ、モン・プティ。それに、出かけるのは、まさに私たちの今後の稽古のためなんだよ」
「どういう用事なんですか? 武器なら、もうあるって言ってましたよね」
「ウィウィ、言ったとも。だが、この家を持っていたばあさんの、相続人さまが現れてね。そいつとの揉めごとの続きをしに行くのさ」
『そういうことか。「家を相続した」っていうのは冗談だと思ってたけど、どうやら本当に、かわいそうなおばあさんから巻き上げたらしい』
「あの男は、私が母親を殺したと思っているんだ」ルネは、自分の悲劇をあきらかに楽しみながらため息をついた。「衛兵の詰所に通って、そうじゃないと証明しているところさ」
『うーん。でも、死んだら体が消えるこの世界で、殺人ってどうやって捜査するんだ? 僕の世界なら、死体がなけりゃ事件にすらならない』
「わかりました。じゃあ、僕たちは何をすれば?」
「きみたちかい? そうだね、手伝ってもらおうか」
ルネは胸当てから紙切れと鉛筆を取り出して、何かを書きはじめた。
「手短に言うと――隣の、赤い屋根の地区に、子どもの養護院がある。あのばあさんは、そこで働いていたんだ」
彼は、正確な住所を書いた紙を僕に差し出した。
「そこに残っている、あのばあさんの持ち物を引き取ってきてほしい」
「でも、他人の物なんて、そう簡単に渡してもらえるんですか?」
「マンス! だったら……」
ルネは廊下を見回して、すぐに、戸棚の上に置いてあったピンク色の石の指輪に目を留めた。
「これを」
「ウィウィ。書類は渡せないんだ――今、詰所の衛兵が持っているからね。でも、この指輪は、子どもたちに囲まれたばあさんの肖像画で見たことがある。向こうが覚えていれば、きみたちの言葉を信じてくれるかもしれない」
僕は指輪をよく見て、かばんにしまった。
「わかりました。じゃあ、チャウシーに声をかけて、行ってきます」
ルネがぱんと手を打った。
「マニフィック! だったら、お昼は向こうで食べてくるといい。あそこは、どんな子どもでも歓迎してくれるからね」
僕はうなずいた。ルネもうなずき返して、扉を閉めて出ていった。
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僕は二階への階段を上っていった。
『養護院、か。もしかしたら、あの子の昔の知り合いがいるかもしれない』
『それか、敵が――誰にもわからない。無理に連れていくつもりはない』
チャウシーの部屋の扉の前まで来て、ノックした――キーボードを打つみたいな速さで。
『へへ。こんなふうにノックするの、久しぶりだ』
二、三秒すると、扉の向こうでごそごそと音がして、続いて声がした。
「何の用、ファ!?」
「チャウシー、用事で養護院に行かなきゃいけないんだ! 一緒に来る!?」
沈黙。
「チャウシー……?」
『痛いところに触れちゃったかな?』
二、三秒後。
「行く、ファ! ちょっと待って、ファ!」
扉の向こうのごそごそという音が、大きく、せわしなくなった。
ゴトン。
床に、何か金属のものが落ちた――たぶん、兜だ。
カラカラカラ。
続いて、もっと細かいものがばらばらと落ちた――音からすると、あの骨の羽根の板だろう。
『まさか、養護院にフル装備で行くつもりか? 別にいいけど、そこの先生を怖がらせなきゃいいんだけど』
扉が開いた。戸口に立っていたチャウシーは、剣を肩にかつぎ、装備もばっちり身につけていた。
「剣、いる……?」
「バカなの、ファ!? 途中で襲われたらどうすんのよ、ファ!」
『まあ、止めるのはやめておこう。……今日はちょうど、襲撃に当たる運のいい日かもな』
その2
養護院までの道のりは、それほど長くなかった――ルネは住所をかなり正確に書いてくれていた。
『どうやら、法への恐怖は記憶をよく冴えさせるらしい』
赤い屋根の地区は、緑の地区より清潔で、集合住宅をよく見かけた。
『なるほど。山は大きくならないけど、住む人はいるもんな』
「なんで養護院なんか行くの、ファ?」チャウシーが歩く速さを変えずに聞いた。
「ルネに頼まれたんだ。僕たちが住んでる家の、前の持ち主の物を引き取ってきてくれって」
「ふーん。ルネ、あのばあさんの物、もう質屋に売ってたわよ、ファ。残りもそっちに回すつもり、ファ?」
『ルネって、そんなにお金に困ってるのか? でもまあ、ただほこりをかぶってるよりはましか。そういえば、職場の同僚も、おばあさんの遺品を同じように処分してたな――一部は売って、一部は捨てて。少なくとも、クローゼットの中のガラクタのままより、何かの役には立つ』
「いや、そうは思わない。お母さんの物を返せって、息子が来てるらしいんだ。たぶんね」
「そういうこと、ファ。もしその息子が脅してきたら――ぶっ飛ばしてやる、ファ!」
「へへ、それはやめとこう。向こうから手を出してきたら、話は別だけど」
チャウシーはにっと笑って、うなずいた。
次の通りに出た。角の向こうに、高い鋼の柵に囲まれた大きな建物が見えてきた。
僕は紙の住所と、門の横のブロンズの表札を見比べた。
『「モキ川沿い通り、48番地」』
『合ってる』
僕たちは開いた門を通り抜けた。養護院の扉の上には、鎖に巻かれた犬の頭骨の描かれた黄色い旗が掲げられていた。
扉の横には、呼び鈴があった。
『魔法式か? 押した感じで、わかるかもしれない』
僕はマフラーの端でそれを押した――自分では、そんなに高くまで届かなかったのだ。
短いメロディーが鳴った。ソ・ミ・ミ・レ・ミ。
ボタンは、あっさりと沈んだ。
『やっぱり、魔法式だ』
扉を開けたのは、人形の女の人だった。長い金髪に、質素な茶色のワンピース。
『ディーゼルを追いかけてた、路地の子とは別人だ』
「マンケリ、ファ?」と、チャウシーが小声でつぶやいた。
『誰だ? マンケリって、名前か何かか?』
「あら、子どもたち? こんにちは、どこから来たの?」と、人形の女の人が少し首をかしげて聞いた。
「こんにちは。用事があって来ました」と言って、僕はかばんから指輪を取り出し、彼女に差し出した。
「ああ、オイミャコン様……。これ、ミス・ナフテルの指輪……。あの方に、何があったの?」
彼女の後ろから、子どもがひょっこり顔を出した。
「リリ先生、ここにいたんだ!」
その子は僕とチャウシーを見た――特に、チャウシーの巨大な剣を長いこと見つめていた。
「リリ先生、この人たち、だれ?」
リリはしゃがんで、男の子の頭をなでた。
「ミーシャ、みんなと遊んでいらっしゃい。先生もすぐに戻るから」
「先生、いつもそう言うじゃん!」
「来なかったら、おわびにアメをあげるから」
ミーシャはふくれっ面をしたけど、うなずいて、家の奥へ駆け戻っていった。
「ふう。わかったわ、あなたたちは、もうちゃんとした大人みたいね」リリは立ち上がった。「ミス・ナフテル、亡くなったのね?」
『こんなにすぐ察するのか。前置きもなしに。まあ、そのほうが話が早い』
「はい」と言って、僕は軽く頭を下げた。「ご愁傷さまです」
チャウシーは一瞬とまどったけど、わけもわからないまま、僕に続いて同じように頭を下げた。
「大丈夫よ」リリはやさしくほほえんだ。「あの方も、もう若くはなかったから」
彼女は脇へよけて、僕たちを中へ招き入れた。
「どうぞ。今、お茶をいれるわね」
僕たちは中へ入った。
その3
僕たちは、小さな応接室の緑のソファに腰を下ろした。木の壁に沿って、本とおもちゃの並んだ棚が続いている。
リリは僕たちを座らせると、お茶を取りに食堂へ出ていった。
僕は「マンケリ」という言葉を思い出して、二人きりのうちにチャウシーに聞いてみることにした。
「チャウシー、入口で『マンケリ』って言ってたよね。あれ、どういう意味?」
「ファ? ああ。さっきの人形、マンケリよ、ファ。ルダガンには結構いるわ、ファ」
「それって、種族?」
「えっと……わかんない、ファ。ややこしいの、ファ。ルネが言ってた、人形の体なら、誰でもマンケリになれるって、ファ」
『そういうことか。つまりマンケリっていうのは、生まれじゃなくて、依り代の選び方のことなんだ』
リリが応接室に戻ってきた。
「お待たせしてごめんなさいね。子どもたちが、領主様がいらっしゃる準備をしてるものだから」
彼女は、金属のホルダーに入ったカットガラスのグラスを並べて、いれたてのお茶を注いだ。
『ロシアの列車で出てくる、あのグラスホルダーみたいだ』
「領主様? あの、オイミャコンの?」と僕は聞いた。
「ええ、その方よ。視察にいらっしゃるの――この養護院にお金を出してくださってて、子どもたちがどう暮らしているか、気にかけてくださってるのよ」
「気味の悪いやつ、ファ」と、チャウシーがぼそっと言った。
「あの方の前では、そんなこと言っちゃだめよ」リリは指を立ててたしなめたけど、怒ってはいなかった。「彼は、本当に頑張ってらっしゃるの。先代のオイミャコン卿なんて、もっとずっとひどかったんだから」
『先代も、オイミャコンって呼ばれてたのか? うーん』
「すみません、今、『先代のオイミャコン卿』って言いましたよね。それって、王朝みたいなものなんですか?」
「いいえ、そういうわけじゃないのよ」リリは自分のグラスにもお茶を注いだ。「ルダガンを治める人は、みんなそう呼ばれるの。五人とも、お互いに血はつながっていないわ。ただ、そういう決まりになってるのよ。この町で生まれた者のうち、いちばん強い者が領主になるの」
彼女はひと口飲んで、話を続けた。
「今の五代目オイミャコン卿は、もともとニフルストーンから生まれた方なの。三十年か四十年くらい前に、あの結晶からかけらが割れて、湖の底に落ちたのよ。あれほど魔力の濃い場所で、そのかけらは育って、氷の精――氷のエレメンタルになったの。フェリクス王子がそれを打ち負かして、凍てつく寒さの破壊の力を抑えるための、マンケリの依り代を作ってあげた。それからしばらくして、彼自身が四代目の領主を倒して、ルダガンの領主になったのよ」
『じゃあ、あの古い新聞に載ってたのは、この人だったのか? 本物の領主を見てみたい気もする。でも、そろそろ本題に戻らないと』
「すみません、とても面白いお話なんですけど、僕たち、用事で来たので」
「あら、そうだったわね」リリははっとした。「ミス・ナフテルのことね。あの方の物を引き取りに来たのよね?」
「はい。それを受け取りに」
「わかったわ。じゃあ、少しだけ時間をちょうだい――あの方の部屋に行って、全部まとめてくるから。もし、その間に領主様がいらっしゃったら――出迎えて、私がすぐ戻るって伝えてもらえる? 表の扉の鍵は、あの方も持ってらっしゃるから」
「任せてください」
リリはうなずいて、廊下へ出ていった。
「あの領主、気に入らない、ファ」リリの背中を見送りながら、チャウシーが言った。「いい領主なんて、いるわけない、ファ」
「心配しなくていいよ。あの人の話を、全部うのみにするつもりはないから。実際に会ってみて――それから考えよう」
「襲ってきたら――手加減しない、ファ」
「へへ、わかった」僕は彼女のグラスをちらりと見た。「ところで、お茶はどう?」
「飲んでない、ファ。毒かもしれないし、ファ」
『確かに。チャウシーの言うとおりだ――僕たちを毒殺しようとしてたら? 誰がそんなことを? クリオに関わりのある誰か、とか……。もっと用心しないと。運に頼ってばかりじゃだめだ』
コン、コン、コン。
チャウシーがすぐに身構えて、剣の柄に手をかけた。
「落ち着いて。座ってて、僕が開けるから」
彼女はうなずいた。
僕は扉に近づいて、それを押し開けた。
扉が開いたとたん、中へ冷気が吹き込んできた。
顔を上げるより先に、体が勝手に縮こまった。まるで空気の重さが、倍になったみたいに。
『なんだ……』
……領主が、来た。




