第24話 読み書き
「生活。『小さな洗浄』」
ルネが指を一本立てて、はっきりと声に出して唱えた。先生が問題の条件を読み上げるみたいに。
僕たちのズボンの上に、空中から泡が浮かび出てきた。虹色で、軽くて、でもシャボン玉よりはしっかりしている。
泡は布にぴったりとくっつき、その中で深緑のペンキがくるくると渦を巻いた。
まるで、きれいな水にインクを一滴落としたみたいに。
僕とチャウシーは、台所の真ん中に並んで立っていた。お風呂に入れられる前の、二匹の猫みたいに。
チャウシーはルネに背を向けていた。彼女のズボンはだぼだぼだったから、泡も倍くらい必要だった。
『きれいだ』
「そんな目で見ないでくれたまえ、モン・プティ」ルネが横目で僕を見た。「洗濯の経験はなくてね。今まで、ずっと洗濯屋に出していたんだ、ウィウィ。だから声に出さなきゃならないのさ」
「僕、何も言ってないですけど」
「頭の中で、ずいぶん大きな声で考えていたよ」
『まあ、そこは反論できない』
ペンキをたっぷり吸った泡がズボンから離れて、開いた窓のほうへのんびり漂っていった。
窓の外で泡は小さく「ぽふ」とはじけて、汚れを通りに放り出した。
家の壁のどこかに、たぶん新しい灰色の染みができたことだろう。
「さて」ルネは手のひらを払った。「ペンキなんて大したことじゃない、悲劇でもなんでもないさ。血だったら、ちょっと手こずっただろうけどね」
僕は黙って、今日の剣のことを思い出さないように必死だった。
「文房具屋を見つけられて、えらかったね。ケンカはしなかったかい?」
「ほとんど」と僕は言った。「チャウシーは、いい子にしてました」
「ほとんど」という言葉は、前もって選んでおいた。ルネ相手に、まるっきりの嘘は通らない。でも「ほとんど」なら正直に聞こえる。それに、完全な嘘というわけでもない。嘘というより、投資だ。
『あの子は自分で、僕と行くのはルネのためだけだって言ってた。つまり、ルネの意見は、あの子にとって何か意味があるってことだ。だったら僕は、ルネの前であの子を悪く見せなければいい。そうすれば、少しは距離が縮まるかもしれない。少なくとも、そう願いたい』
チャウシーの耳がぴくりと動いた。彼女は兜のひさしの下から、片目で僕を横目に見た。
「ほ、本当に!?」
ルネの頭蓋骨の炎がぱっと燃え上がり、すぐにまた落ち着いた。彼はこぶしを口に当てて咳払いをし、背筋を伸ばした。
「ゴホン、ゴホン。本当かい?」
「もちろん。何事もなかったです」
ルネはチャウシーに視線を移した。彼女はまだ彼に背を向けたまま、熱心に壁を見つめていた。
「なんていい子なんだ!」彼は両手を広げた。「どうだい、モ、私はなんて素晴らしい師匠なんだろうね、へへ!」
『手柄をまるごと自分のものにしたな。まあ、いいけど』
チャウシーのしっぽが左右に揺れていた。すぐそばの椅子の背にぶつかるくらいに。
「ファ……」と、彼女はささやいた。
声は震えていて、ほとんど聞こえないくらいだった。兜の下の目は見えなかったけど、しっぽが十分すぎるほど語っていた。
『そんなに、ほめられたのがうれしかったのか?』
『覚えておこう』
✧✦✧
ナエは、結局帰ってこなかった。
朝食のとき、ルネは外科医みたいな正確さでクロワッサンにジャムを塗りながら、近所の人が川沿いの酒場で僕たちのテイマーを見かけたと話した。
「生きてるし、元気だよ。ただ忙しいだけさ、ウィウィ」
「何で忙しいんですか?」
「それは報告してくれなかったよ、モン・プティ」
『人の領域なんて気にもしないくせに、自分は説明もなしに消える。ダブルスタンダードはよくない。そして、ダブルスタンダードはいいことだ』
『まあ、知り合いにでも会ったのかもしれない。ルダガンには来たことがあるって言ってたし』
僕はお茶を飲み干して、授業の準備をするために屋根裏へ上がった。
本は、そこらじゅうにあった。窓辺にも、ベッドの下にも、服の上に置かれたかごの中にも。
僕は背表紙の色ごとに積み上げていった。赤は赤と、青は青と。できあがった三つの塔は、ピサの斜塔みたいに傾いていた。
斜めになった天井の下には梁が一本通っていて、誰かがいつかそこに干した薬草の束を吊るしていた。
すきま風が吹くたびに、かさかさと小さく鳴る。丸い小窓からは、ルダガンの一部が見えた。
銅の屋根、煙突から立ちのぼる湯気、そして、天井の穴へと続く遠い光の柱。
ここの机は茶色で重く、脚が一本だけ短かった。その下に、金の箔押しの入った分厚い本を挟み込む。机はぐらつかなくなった。
本も、どうやら文句はないらしい。
椅子は二脚あって、どちらも違っていた。クッションのすり切れた黄色い椅子と、少し傾いた紫の椅子。
黄色いほうを、チャウシーが座る側に置いた。
『お客さんには、いいほうを。生徒にも』
ほこりを拭いていると、一番近くの本の表紙の下から、紙の端がのぞいているのに気づいた。
引っぱってみると、古い新聞がするりと抜け出てきた。黄ばんでいて、ふちはぼろぼろ、隅の日付はかすれていた。
見出しが、紙面いっぱいに躍っていた。
「ルダガンの伝説のモコ、フェリクス王子に敗れ、手なずけられる!」
その下には、スケッチがあった。ヴェルの広場にあったブロンズのフェリクス像にそっくりなモコ――同じ姿勢、同じマフラー。
そしてその隣に、人形が立っていた。包帯、ぴょんぴょん跳ねた短い髪、大きなセーター。
路地でディーゼルって猫を追いかけていた、あの女の子に、痛いほどよく似ていた。
『伝説のモコ? ルッカみたいな? ってことは、フェリクスはそういうのまで手なずけてたのか?』
僕は、人形の絵に目を留めた。一瞬、背筋に冷たいものが走った。
『偶然だ。人形はひとつの種族として、ここにはたくさんいる。包帯とセーターなんて、よくある格好だ』
コン、コン、コン。
音は扉のほうから聞こえた。指でノックする音じゃない。爪で木を叩く音だ。
『もう起きたのか!? お昼まで寝てるはずだろ!』
僕は新聞をベッドに放り投げた。
「五秒待って!」
マフラーで机のほこりを払い、椅子をまっすぐに並べ直し、ノートの山を整える。
「五秒たった、ファ!」
「よし!」
僕は駆け寄って、扉を開けた。
チャウシーが戸口に立っていた。兜も、骨の羽根もつけず、剣も持たずに。胸にはいつもの包帯、ズボンもいつものだぼだぼのやつ。
ただ、今はきれいで、きちんとしていた。
『部屋着だ』
明るいところで彼女の顔をちゃんと見たのは、初めてだった。ぼさぼさの赤い髪。
外側が赤くて内側が白っぽい、大きなふさふさの耳。縞の入った短い角がふたつ。オレンジ色の三角の瞳孔をした、青い目。
そして、不満そうにきゅっと結んだ口からのぞく、小さな牙。
『兜なしで見ると、なんだか不思議だ。今までは鎧を着てたのに、今はぬいぐるみみたいだ』
一瞬、彼女が制服を着ているところを想像した。卒業式の日の鈴みたいな制服姿――リボンにハイソックス。
『五分で破くだろうな。でも、ちょっと面白い』
「麻痺でもしてんの、ファ!?」
僕はびくっとした。
「あっ! いや、ちがうちがう、ちょっと思い出してただけ」
「何を、ファ?」
「大したことじゃないよ。それより入って。勉強の準備、全部しておいたから」
僕は脇へよけて彼女を通し、マフラーで扉を閉めた。
「座って」
チャウシーは机に近づいて、黄色い椅子と紫の椅子を見比べ、少し考えてから、黄色いほうに座った。
しっぽが座面から垂れ下がった。
僕は袋からノートとペンを取り出した。一本を彼女の前に置いて、もう一本を自分で取る。
「今日は、何から始めようか?」
「バカ、ファ!」
『なんでだよ!?』
「あんた、先生なんでしょ、ファ!? あんたが決めなさいよ!」
『だから何だよ!? ちょっと聞いてみただけだろ! まあいい。一理ある。僕が自分で考えなきゃいけない。でも、そっちも逆らわないでくれよ!』
「わかった」と僕は言った。「最初から始めよう。字は、読める?」
「読めるわけないでしょ、ファ! ルネが、その残響をくれなかったんだから!」
『は? なんでそこで残響が出てくるんだ? 待てよ。わかった気がする』
「字を読むのに、残響がいるの?」
「当たり前でしょ、ファ!」チャウシーはあきれたように目を回した。「あんた、やっぱりバカね、ファ!」
『そういうことか。字は魔法で読むものだと思ってるんだ。これは大変そうだ』
僕は彼女の隣の椅子に座った。椅子はすぐにぐらりと揺れたけど、もう慣れていた。
「じゃあ、字を読むのに残響なんていらないってことを、見せてあげるよ」
僕はノートを開いて、アルファベットの最初の文字を書いた。キノコか、鍔のついた剣の柄みたいな形の字だ。
「このキノコみたいな、剣の柄みたいな字は、『ア』って読むんだ」
「『ア』!?」チャウシーは爪で紙をつついた。「あんた、何か隠してるでしょ、ファ!」
『隠すも何も。僕だってこのアルファベット、一週間前に覚えたばっかりなんだ』
『ファ。そうだ、この子の「ファ」がどう書くのか、見せてやったらどうだ?』
僕はその隣に、ふたつの字を書いた。ひとつは普通の大きさで、ふたつ目は、少し小さく。
「たとえば、きみの『ファ』はこう書くんだ。ひとつ目の字は『フ』って読む。で、ふたつ目のこの小さい字は、本当は『ア』なんだけど、小さく書くと前の字とくっついて、『フ』を『ファ』に変えるんだ。ひとつずつ言ってみて」
「フ……ア……」チャウシーは眉を寄せた。「フ、ア……」
「いいね。もうちょっと」
「フ、ァ……ファ!」
彼女は椅子の上で跳び上がった。目が輝いた。まるで、それぞれの目に小さなランプが灯ったみたいに。
「正解」と僕は言った。「じゃあ想像してみて。今までわからなかったもの、全部読めるようになるって」
「ほんとに全部、ファ!?」
「うん。魔法なんて、ひとつもなしで」
彼女はさらに輝いた。悪魔みたいなしっぽがばたばたと動いて、椅子ががたがた揺れた。
「早く次、見せなさいよ、ファ!」
『へへ。こんなに早く興味を持たせられるなんて思わなかった』
一時間後には、彼女はもう五つの字を覚えていて、ノートの余白に何度も「ファ」と書いていた。書くたびに、どんどん大きく。
僕たちは次の字に進んだ。
「で、この字は『マ』って読む」
角ばった、折れ曲がった矢印みたいな字だった。
「『マ』……」チャウシーは小さな声で言った。「マ……マ……」
「そう! 『ママ』は、この字をふたつ並べて書くんだ。……あれ?」
僕は彼女を見た。彼女は紙を見ていた。でも、字を見ているんじゃなかった。
紙を突き抜けて、机よりもずっと遠くのどこかを見ていた。
『「ママ」か。うーん。……孤児、なのかな』
『今は、聞かないほうがいい。やっと仲良くなりかけてるんだ』
「次に行こうか」と、僕はいつもより少しやわらかく言った。
彼女は、どこか遠くから戻ってきたように、まばたきした。
「……いいわよ、ファ」
✧✦✧
次の日も、チャウシーは爪で扉を叩いた。
「お、すぐ開けたわね、ファ。今日も字?」
「ううん。今日は算数」
「さん……何?」
一分後、僕たちはリンゴを前に座っていた。
ルッカは毎朝、僕のベッドのそばに、青い模様の入ったリンゴをふたつ置いていってくれる。
そのうちのひと組を、授業に持ってきたのだ。
「見て。リンゴが五個と、もう三個。全部でいくつ?」
チャウシーは爪を折って数えはじめた。左の前足に四本。右の前足に四本。彼女は自分の前足をじっと見つめた。
「八個、ファ!」
「正解! じゃあ、五個と、もう五個だったら?」
彼女は折れるものを全部折って、考え込んで、それから、ぞっとしたように床を見た。
「足りない、ファ」
『この子、前足一本に爪が四本なのに、僕はずっと五ずつで数えてたんだ。考え方を切り替えないと』
「じゃあ、足も使って。足の指も数に入れていいんだ」
足を使うと、うまくいった。授業の半ばには、分数までたどり着いた。僕はリンゴを針で半分に切った。ナイフより使いやすかった。
「これが二分の一。もう一回切ると、四分の一になる」
「それって、リンゴが小さくなったってこと、ファ?」
「いや、そうじゃなくて……」
「ちゃんと説明しなさいよ、ファ!!!」
ノートがうなりを上げて僕の頭の横を飛んでいき、壁にぺちっと当たった。
「これ以上ないくらい簡単に説明しただろ!」
「私のことバカって言った、ファ!? 調子に乗ってんじゃないわよ、ファ!」
「一言もそんなこと言ってないって!」
『あんなにいい感じに始まったのに』
その次の日は、世界のことを勉強した。
ルネがくれた教科書を開いて、話のついでに、サギの羽根ってすごくきれいなんだよ、とうっかり口にした。
「サギ?」チャウシーが耳をぴんと立てた。「それ、何、ファ?」
「えっと……鳥だよ。大きいやつ。水の中で、一本足で立ってる」
「『鳥』って何、ファ?」
「ほら、空を飛んで、翼と羽根があって、卵を産む……」
「あんた、自分でもわかってないんじゃないの、ファ!? そんなのいるわけないでしょ!」
『待てよ。ここには、鳥がいないんだ』
ヴェルで、パンの袋を運んでいたフクロウみたいな生き物を思い出した。あれは鳥じゃなかった。ただの、モコだ。
僕は大あわてで教科書のページをめくった。
「間違えた! 認める! 今……あった! 羽根っていうのは、自然界では、『ハネ科』の花の花びらとして見られるものなんだ!」
「ほら、言ったでしょ、ファ!」チャウシーは得意げに鼻を鳴らした。
『調子に乗ってた。ここが別の世界で、何もかもちょっとずつ違うってことを忘れてた』
そうして、まるまる一週間が過ぎた。
朝はいつも、ルッカが置いていってくれた果物を二つ食べた。僕が目を覚ますころには、ルッカはもういなくなっている。
ときどき、扉の向こうに羽根ペンのしっぽの先がちらりと見えるだけだった。
廊下でチャウシーの部屋の扉がばたんと鳴ると、僕がなでる間もなく、ルッカは姿を消した。
『このところ、よく近くにいるな。階段だったり、窓の下だったり。ナエが恋しいのかな?』
ナエのことは、走りながら考えるくらいしかできなかった。
三日目になっても、五日目になっても、七日目になっても、彼は帰ってこなかった。
『依頼を見つけたのかもしれない。知り合いに会ったのかもしれない。酒場から抜け出せなくなったのかもしれない。理由なんていくらでもある。すぐに悪いほうに考えるのはやめよう』
とはいえ、悪いことを考える時間なんて、僕にはほとんど残っていなかった。
夕方までチャウシーに教えて、それと並行して、自分でも勉強した。
ルネは、パッキーくらいなら殴り殺せそうなほど分厚い王国の歴史書を僕に渡してきた。
日を追うごとに、チャウシーのいらいらはどんどん強くなっていった。
そしてその朝、彼女はとうとう我慢できなくなった。僕が、彼女のゆがんだ字を一時間のうちに五回目に直したときだった。
「うっとうしい、ファ!」
彼女が勢いよく立ち上がったせいで黄色い椅子がひっくり返り、そのまま開いた窓から飛び出していった。
屋根の上を、足音が横へ遠ざかっていく。
「おい! 待って!」
僕は窓から身を乗り出した。煙突の向こうに赤い髪がちらりと見えて、消えた。
『くそっ……。鈴のときは、ずっと楽だったのに! あいつは少なくとも、文句を言葉で言ってくれた。こっちは、なんかの怪物だ!』
僕は階段を駆け下りて、裏庭へ飛び出した。
✧✦✧
「おーい……どこだー……?」
僕は庭をひと回りした。花壇、水の入った樽、薪の山。隅には、色あせた空みたいな色の、傾いた扉のついた古い物置が立っていた。
中で、何かががさがさと音を立てた。
『たぶん、あそこだ。とにかく、そっとのぞかないと』
僕は忍び寄って、板のすきまに顔を寄せた。
がさがさという音がやんだ。
『くそっ』
バンッ!
扉が吹っ飛んで、僕は後ろへはじき飛ばされた。苔につまずいたけど、なんとか踏みとどまった。
物置から、チャウシーが飛び出してきた。全身の毛を逆立て、うなり声を上げて、今にも殺しにかかってきそうだった。
僕は飛びのきながら、地面から棒を一本拾い上げた。彼女の前足の最初の一撃を、はじき返す。二撃目も。三撃目、四撃目も。
『ケンカしたいのか!? いいよ、来いよ! この一週間で、お前のパンチにはもう慣れたんだ!』
コン。コン、コン。コン。
また一撃、受け流した。
『……え?』
チャウシーが笑っていた。意地悪なにやにや笑いじゃない。
子猫が遊ぼうと誘うときみたいな、無邪気な、子どもっぽい牙の見せ方だった。
『そういうことか。ルネとの剣の稽古に慣れてたのに、この一週間、僕たちは字と算数を詰め込むばっかりだった。この子は、ただ体を動かしたかったんだ』
僕は足もとに転がっていたもう一本の棒を、足先ですくい上げて、上へ放った。
「受け取れ!」
チャウシーはそれを爪でつかんで、すぐに、この先の展開を理解した。
それからの五分間、僕たちはふざけ合った。コン、コン、ペチッ、いてっ!
彼女の打ち込みは速かったけど、前足に握った棒は剣よりずっと弱くて、僕にも打ち返す余裕があった。
一度は膝の裏を払われて、僕は苔の上にしりもちをついた。
一度は僕が彼女の前足から棒を叩き落として、棒は草の上を転がっていった。
「ふうぅぅ!」
僕たちは同時に苔の上に倒れ込んで、息を吐いた。
家の窓に、カップを持ったルネの影が現れた。窓が開いた。
「子どもたち、早くテーブルにつきなさい! ごはんができたよ!」
『へへ。もうお昼か。チャウシー、あれだけ暴れて、ちゃんと立てるのかな?』
僕は先に起き上がって、彼女にマフラーの端を差し出した。
「立てる?」
「当たり前でしょ、ファ!」
彼女はマフラーに力いっぱいしがみついて、跳ね起きた。その目の中で、火花が踊っていた。彼女はくすっと笑った。
「ビリが皿洗いね、ファ!」
そして、家のほうへ駆けていった。
「おい! それはずるいだろ!」
僕はあとを追って走った。でも走りながら、思わずこう考えていた。
『へへ。昼ごはんのあと、チャウシーの時間割を作らないとな。この子には、本当に休む時間が足りてないんだ』




