第21話 よそ者
ルネは、芝居がかった軽やかさで体を揺らしながら、僕たちの先に立って通りを歩いていった。
まるで石畳じゃなく、舞台の上を歩いているみたいに。
「で、あのケルドはお前に何の用だったんだ?」ナエが彼に並びながら聞いた。
「ああ、あのグージャかい」ルネは、うるさいハエでも追い払うように手を振った。「前に、大金を借りていてね」
「何のために借りたの?」と、僕は思わず聞いてしまった。
ルネは、自分の悲劇をあきらかに楽しみながらため息をついた。
「私のたったひとりの弟子が、少々気が短くてね……ブレフ。修理と装備のために金が要ったのさ。前の装備じゃ、マ・シェリには貧弱すぎたんだ」
『たったひとりの弟子』
「その装備、どうなったの?」
「壊したよ」とルネは短く答えた。「まあ、そういうこともある」
本当は、彼にまったく別のことを聞きたかった。でも、どう言えばいいのか、うまい言い方が見つからない。訛りと言えばいいのか?
方言か? そもそも、ここにそういう概念があるのか?
結局、そのまま聞いてみることにした。
「あの、ムッシュ・ルネ……」
「ウィウィ?」
「ばかな質問だったら、ごめんなさい。でも、その話し方って……どこかの地方の言葉なんですか?」
「フフフ!」
彼は手のひらで口もとを隠して笑った。
「モン・プティ、そんなに怖がることはないさ。ばかな質問は、賢くなるためにあるんだからね。私の故郷の町じゃ、スケルはみんな――いや、スケルに限らず――こういう話し方をするのさ」
彼は、まるで目の前に黒板があって、僕たちがひとクラスの生徒であるかのように、行ったり来たりしはじめた。
「昔、フェリクス王子が生まれるよりずっと前、王国は長いあいだばらばらだった。そのせいで、地方ごとに独自の文化と、独自の言葉が生まれたのさ。のちに魔王を倒すためにみんなひとつになったが、言葉と文化までは、もう変えられなかった」
『日本の方言みたいだ。関西弁とか、東北弁とか……。ただ、こっちはひとつにまとまるのに、戦争まで必要だったってわけか』
ほかにも独特の話し方をする地方があるのか聞こうとしたとき、ルネの足もとのマンホールのふたが、ガタンと大きく揺れた。
ルネは言葉の途中で固まった。
ナエが、うんざりしたようにため息をついた。
「だから俺は、スケルが好きじゃねえんだ。どいつもこいつも気取ったクソ……」彼は言葉を切って、ルッカを横目で見た。「ゴホン。レディの前だからな、やめとく」
ルッカはきょとんとした顔で彼を見て、それから僕を見て、またナエを見た。
一秒後、それでもうなずいた――冗談の中身はよくわからないまま、とりあえず付き合ってやることにした、という顔で。
「こんなところにマンホールなんか作って!」ルネは憤慨しながら、そっと横へよけた。
彼はあたりを見回した。それから、もう一度。それから、また。
「で、なんで突っ立ってる?」とナエが聞いた。
「どっちへ行くか、思い出しているのさ」
「お前、本気か!?」
「シュッ! ここへは最近越してきたばかりなんだよ」
「でも、カヴェンは、あなたがこの町で一族の剣の師匠だって言ってた」と僕は口をはさんだ。「だったら、この町のことはとっくに知ってるはずじゃ?」
「ウィウィ。でも私は、ルダガンの中心に住んでいたんだ。それを、卑劣な悪党どもに追い出されてね」
「取り立て屋か」ナエは少しも驚いた様子もなく言った。
「そのとおり! それと一緒に……」
「税の取り立てか?」ナエがさえぎった。「そういうのは、もう経験済みだ」
『つまり僕は、詐欺師とつるんじゃったってことか』
もっとも、すぐに自分を落ち着かせた。冒険ってのは、どこの世界でも冒険だ。
✧✦✧
結局、家は見つかった――すぐにではなかったけど、ルネは最後にはちゃんと方角を思い出した。
丸い屋根の二階建ての家で、脇には小さな石の塔がついている。
入口の前には花の咲いた小さな芝生があって、丸い窓からはやわらかく温かい光がもれていた。
「気をつけたまえ」ルネは扉の前で立ち止まって、指を一本立てた。「何か壊したり傷つけたりしたら、自腹で払ってもらうよ。それと……」
彼は片方の手の人さし指で、もう片方の手をとんとん叩いた。
「チャウシーを怒らせないように。たぶん今は寝ている。眠りを邪魔されるのが、何より嫌いなんだ」
彼は扉を押し開け、指をぱちんと鳴らした。一番近くのろうそくが、ひとりでにぱっと灯った。
廊下は狭かったけど、それなりに居心地がよかった。緑色の壁紙、隅には剣とクロスボウがいくつか掛けてある。
「レディのテイマー殿は」ルネはナエにうなずいた。「ソファで寝たまえ。きみのマドモアゼルは、暖炉の中に。朝までに、しっかり温めてくれるだろう」
ナエは廊下を見回しながら口笛を吹いた。
「誰かくたばってそうな家にしちゃ、ずいぶん居心地がいいな」
「ここで死んだ者などいない! 少なくとも、家主のばあさんは、この家で死んだわけじゃない」
ナエは鼻で笑って、ルッカにうなずいた。二人は居間のほうへ去っていった。
「そしてきみは、モン・プティ」ルネは僕のほうを向いた。「二階へ行きたまえ。扉が二つある。片方は、あまり無事じゃない。そっちには入らないように」
「そこに、チャウシーが?」
「ウィウィ。明日の朝、紹介しよう」
彼は、隣の部屋の扉代わりになっているビーズのすだれをかき分けた。
「フェ・ドゥ・ボー・レーヴ」
僕の顔を見て、彼はすぐに、今の言葉が通じなかったことを悟ったらしい。
「おやすみ」と、彼は今度は訛りなしで言い直した。「きみには、それが必要だろう」
✧✦✧
僕は二階へ上がった。
本当に、扉が二つあった。オレンジ色の扉は傷だらけで、ところどころ金属の板で継ぎ当てがされている。
青い扉は無傷で、傷ひとつない。どちらにも鍵はなかった。
オレンジ色の扉の向こうから、いびきとも、喉を鳴らす音ともつかないものが聞こえてきた。
『危ない。ルネがはっきり忠告してたじゃないか』
でも、好奇心が分別に勝った。僕はつま先立ちで近づいて、耳を澄ませた。
ゴロゴロという音は止まらない。一定の調子で、静かに。
『もしかして、中で猫でも飼ってるのか?』
急に、音がぷつりと途切れた。
『起きた!?』
僕はゆっくりと、一歩ずつ後ずさりしはじめた。するとゴロゴロという音が、すぐにまた始まった。
僕はほっと息をついて、これ以上運命を試すのはやめることにした。
僕の部屋は、小さな屋根裏部屋で、温かい色合いだった。床には本と、たたんだ服の入ったかごが散らばっていた。
僕はかばんを下ろし、針をベッドのそばに置いて横になり、目を閉じた。
『チャウシーって、どんな子なんだろう』
そう考えながら、僕は眠りに落ちた。
✧✦✧
かすかな扉のきしむ音で、目が覚めた。
それから、衣ずれの音。
何か重くて温かいものが、足もとから、布団の中へもぐり込んできた。
僕は固まった。
『な、なんだ……』
布団の中に、確かに何かがいる。僕はそっと布の端を持ち上げて、中をのぞき込んだ。
光る目がふたつ、まっすぐ僕を見ていた。青い目で、瞳孔はオレンジ色の三角形だった。
「よそ者、ファ」
声はあきらかに女の子のものだった。若くて、ほとんど命令するような響きがあった。
彼女がもっと近くまで這い寄ってきた。暗くて、はっきりとは見えない――ただ、毛並みだけがわかった。
やわらかくて、かすかに、いい匂いがする。
くんくん。
彼女が匂いを嗅いでいた。すぐそばで。
『近い。近すぎる』
薄暗がりの中に、小さな角がふたつと、左右にぴんと突き出したふさふさの耳が見えた。
「盗み聞き、した。ファ」
『盗み聞き!? 違う! ちょっと聞いただけだ! それに、ファって何だ!? なんかの変な呼び方か!?』
言い訳しなきゃいけないと思っただけで、体の中が全部こわばった。
「僕は、ちが……」
最後まで言えなかった。
やわらかいのにずっしりとした前足が、僕の顔を思いきり張り飛ばした。猫パンチだ。布団がベッドから床へ吹っ飛んだ。
彼女は現れたときと同じくらい素早く去っていった――戸口にちらりと見えたのは、先っぽが三角形になった細いしっぽだけだった。
扉は、開けっぱなしだった。
僕は暗闇の中で横になったまま頬をさすり、今起きたことを、どうにかひとつの説明にまとめようとした。角。耳。しっぽ。ファ。
『……今の、いったい何だったんだ?』




