第20話 ルダガン
荷車は、山への広い入口の前で止まった。道の両側には木の小屋が立っていて、そのあいだに鎖のついた遮断棒が渡されていた。
税関の役人が出てきた――ずんぐりしたケルドで、分厚い上着を着て、頭はフードですっかり隠れている。
彼は黙って荷車のまわりをぐるりと回り、香辛料の袋にかけられた布の下をのぞき込んで、じいさんに短くうなずいた。
「書類を」
じいさんが紙の束を差し出した。役人はそれをめくり、あるページで手を止めて、判を押した。
それから、僕たちのほうを向いた。
彼はナエのブローチを手に取り、裏返して眺め、ナエ本人を見て、それからルッカを見て、またブローチを見た。
「そいつ、寒さには強いのか?」
「あんまり得意じゃねえ」とナエが答えた。「だが、しっかり食わせて、熱を切らさないようにする」
役人はうなずいて、僕に視線を移した。
「湖と湯の水の持ち出しは禁止だ。オイミャコン卿の許可がないかぎりな」
『オイミャコン』
初めて聞く名前だった。でも、禁止の理由そのものはわりと納得できた。
ナエが言っていたとおり、水が本当にそれほど魔力を含んでいるなら、それはそのままポーションの材料にもなる。
持ち出しを禁じるのは、しごく当然の判断だ。
役人は小さな帳面を取り出し、小屋の上の壁掛け時計にちらりと目をやって、何かを書き込みはじめた。
僕たち自身には、まるで興味がなさそうだった――一日に何百回と繰り返している、いつもの書類仕事にすぎない。
『ヴェルには、こういうのはなかったな』
僕はその違いを心に留め、それからすぐに、初日にギルドペイで「ぼったくられた」ことを思い出した。
ここのお役所仕事は、見た目以上に発達しているらしい。どこまでなのかは、なぜか知りたくなくなった。
遮断棒が上がった。荷車はトンネルの中へ入っていった。
✧✦✧
町は、広い大通りで僕たちを迎えた。
両側には二階建ての石造りの家が並び、ところどころ金属で覆われている。
あちこちを、青い肌のケルドたちが歩いていた――職人、商人、肩に道具をかついだ者、かごを抱えた者。
そして、みんな頭を隠していた。
兜をかぶっている者もいれば、フードつきの仮面をつけている者もいる。
前の世界なら帽子とすら呼べないような、まったく妙な作りのものまであった。顔はひとつも見えない。
ただ何人かの兜の下からは、白い髪がひと房こぼれていた。
気がつくと、僕はあからさまにじろじろ見ていた。
「モ、そんなにじろじろ見るな」とナエが小声で言った。
僕ははっとして、自分がまぬけに思えた――田舎から東京に出てきたばかりのころ、信号のたびに固まっていたのと、ちょうど同じ感じだ。
「ご、ごめん」
「ああ。もうやるなよ。ここは平和な町だが、路地裏でそんなことしたら、落とし前をつけさせられるかもしれねえ」
『そうだ。土地の文化を忘れちゃいけない』
「ナエ、なんでみんな頭を隠してるの? ばかな質問じゃなければだけど」
ナエは二秒ほど僕を見た。それからまた通行人に目を向けた。
「ここじゃ、そういうもんなんだ。ケルドは、モコのことは顔より先に行いが語るべきだと考えてる。それに地下の暮らしと鉱山の仕事ってのは、上から何かがしょっちゅう落ちてくるもんでな」
彼は少しのあいだ黙って、首にかけた縄の輪に目を落とした。
「由来なんて、もう誰もちゃんと覚えてねえしきたりもある。それでも守られてる。しきたりが誰も傷つけねえなら――それでいいんだ」
『ケルドで見たことがあるのは、カヴェンだけだ。あの人は面頬をつけてた。ケインの鐘の頭なんて、外れたことすらない』
『もしかしたら、ケルドだけの話じゃないのかもしれない。かぶり物って、モコの体の形づくりと何か関係があるんじゃないか――僕にとってのマントとか、コイにとっての袖みたいに』
その考えは、とりあえずの仮説として脇に置いておくくらいには筋が通っているように思えた。
僕は、ばあちゃんのことを思い出した。子どもの頃、日が暮れてから爪を切りはじめたら、ばあちゃんにきつく叱られたことがある。
どうしてかと聞いたら、こんなふうに答えた。「夜に爪を切ると、親の死に目に会えないよ」。
僕はそれがすごく怖くて、それ以来、二度と理由を聞かなかった。
『きっと、どこの土地にもこういうものがあるんだろうな。まわりのみんながそうしてきたから、ただ信じられてる何かが』
蛾のじいさんが、曲がり角で荷車を止めた。
「わしは倉庫のほうへ行かにゃならん。注文主が待っとるでのう」
僕たちは別れを告げた。じいさんは手を振って、横道へ曲がっていった。
「で、どこへ行く?」と僕は聞いた。
「ルダガンで迷子になるのなんざ、朝飯前だ」ナエはあたりを見回した。「通りすがりのやつに聞くのが一番だな」
✧✦✧
そうして、僕たちは川に出た。
水が大通りの真ん中を、石の岸壁のあいだを流れていて、あちこちに細い橋が架かっていた。
『まるでヴェネツィアだ』
「ほかにも、通りの真ん中を川が流れてる町ってあるの?」と、僕はただの好奇心で聞いた。
「王都の地下の半分にも川はある。こっちより汚えがな。ここの連中は、水をとにかく大事にしてるんだ」
僕たちは川沿いを歩いた。
「水に魔力があるおかげで、ここじゃ鉱山のきつくて危ねえ仕事も、そんなに怖がられてねえ」とナエが付け加えた。「切り傷を作っても、湯に浸かれば、一日で元どおりだ」
「ここから、そのまま飲んでもいいの?」
ナエは言葉では答えなかった。ただ、向こう岸のほうにあごをしゃくった。
そこでは小さな人形のモコが、川から直接水筒に水をくんで、平然と飲んでいた。
『なるほど。飲むのはいい。持ち出すのはだめ』
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ルッカが急に立ち止まって、鼻をひくつかせた。
次の瞬間、ルッカは一番近い路地へ飛び込んでいった。
僕たちは慌てて追いかけた。
ルッカはもう、ふた付きの銅のゴミ箱をいくつかひっくり返していて――アメリカのどこかの町にある、あの大きなゴミ箱そっくりだ――今は壁ぎわの古い樽のにおいを嗅いでいた。
うなり声がどんどん大きくなる。体から熱が立ちのぼった。
ルッカが樽を思いきり押した。樽は轟音とともに横倒しになり、中から三本のしっぽを持つ黒い子猫が転がり出てきた。
毛は逆立ち、目は恐怖で大きく見開かれている。
『猫又……いや、しっぽが三本だから、それ以上か?』
ナエは歌ってルッカを落ち着かせようとした――その声はふつうの話し声じゃなく、むしろ笛を吹いているように聞こえた――けれど、ルッカは反応しなかった。
路地の反対側から、誰かが駆けてきた。
人形だった。
関節には金属の継ぎ目が見えていて、腕と脚はほとんど包帯でぐるぐる巻き、着ているのは大きな青いセーター一枚だけ。
短い水色の髪があちこちに跳ねている。顔も包帯で覆われていて、外をのぞいているのは、オレンジ色の目がひとつだけ。
太ももには、オレンジ色の入れ墨がかすかに光っていた。
ルッカが、その場でぴたりと動きを止めた。
路地に、かすかな、ほとんど感じないくらいの風が吹き抜けた。
「ディーゼル! いるの!?」と、人形はあたりを見回しながら叫んだ。
人形は子猫に気づいて、駆け寄った。
ナエはその隙に首輪をつかんでルッカを引き戻し、なでてやりながらも、見知らぬ人形から目を離さなかった。
人形は子猫を抱き上げ、ひざをついて、ぎゅっと胸に抱きしめた。
「おバカ! そんなふうに逃げちゃだめなの!」
『ディーゼル。本気か? まあ、もっと大げさで変なペットの名前だってあるけど』
人形が顔を上げて、僕たちに気づいた。
「あれ、旅の人なの? ここらじゃ見かけない顔なの。きゅるん」
『……きゅるん?』
僕はその妙なしゃべり方を心に留めたけど、顔には出さなかった。
『ここの人間なら、町のことは僕たちよりよく知ってるかもしれない』
「まあ、そんなところ。剣の先生を探してるんだ。ルネって名前の」
人形は考え込むように首をかしげた。
「ルネ? むむむ〜、そのスケルなら知ってるの。ルダガンのはずれの、古いおうちで暮らしてるの」
人形は親指で、自分の背中のほうを指した。
「あっちなの。湖の向こう。もうちょっと行って、緑の屋根のおうちのほうなの」
人形は少し黙った。
「ほかにも、なんか手伝うことある?」
僕が口を開きかけたところで、ナエが先に言った。
「いや、助かった。俺たちはもう行く」
人形はうなずいて、ディーゼルを抱き直した。
「うんうん〜。ばいばいなの」
人形は手を振って、去っていった。
ナエはさらに数秒、その背中を見送っていた。
「行くぞ。面倒ごとなんか背負い込んでたまるか」
彼はリュックの肩ひもを直して、歩きだした。
「面倒ごとって?」
僕は置いていかれないように駆け寄った。
「俺たちがあの猫に何かしたと誰かに思われてみろ。ここの連中に、魔力にされちまうかもしれねえ」
僕はルッカを振り返った。ルッカはまだ後ろを、ディーゼルを抱いた人形が消えていったほうを見つめていた。
「わかった。もっと気をつける」
✧✦✧
さらに何本か通りを抜けると、岸辺に出た。
目の前に、鮮やかな青い水をたたえた湖が広がっていた。水面はきらきらと瞬いていて、まるで星空を映しているみたいだった。
光る魔力はすべて湖の中心に集まり、そこから光の柱となって、洞窟の天井のはるか上まで立ちのぼっていた――天井の岩には巨大な穴がぽっかりと開いていて、まるでこの山がかつては火山で、今はただ永遠に凍りついてしまったかのようだった。
その穴の中、はるか上に、青い結晶が浮かんでいた。
「うわ……」と、思わず声が漏れた。
ナエが口笛を吹いた。彼はちょうど、湖の水を水筒にくんでいるところだった。
「ありゃ、ニフルストーンだ。一年じゅう魔力を溜めこんで、それから三か月、大陸のほとんどに冷気を吐きつづける。それで冬が来るんだ」
『そんなに強力なら、何か作れたりしないのか?』
「ナエ、あの結晶から、本当に何か作れたりしないの?」
「お前、バカか?」
「聞いただけじゃん」
「無理だ。あれは冷たすぎて、まわり百メートルじゃ溶岩すら固まる。かけらを取ろうとしたやつは大勢いたが――みんな死んだ。それに今の領主になってからは、あれに何か手を出そうとしただけで、奴隷落ちだ」
『なんだよそれ……。ここじゃ、死刑か奴隷のどっちかにならないことって、何かあるのか? まあ、水が飲めるだけマシか』
「わかった。行こう」と僕は言った。「ルネの家を探さないと」
ナエは黙ってうなずき、僕たちは岸辺に沿って歩きだした。
仕事帰りの人たちが、家へ帰っていく。
すぐ近くでは子どもたちが遊んでいて、本物の斧を、まるでただの棒みたいに振り回していた。
水辺のベンチには、恋人たちが座っていた。
『そういえば、ここの人たちって、キスみたいなことするのかな?』
兜をかぶったケルドの恋人同士が、金属越しにキスしようとしているところを想像してみた。
『二人きりのときは脱ぐのかな。それとも、まったく別のやり方で気持ちを伝えるのか』
「ぼーっとすんな」ナエがひとにらみで僕を現実に引き戻した。「もうすぐ目当ての地区だ」
✧✦✧
古い地区は、銅の屋根の緑青と、一階の窓のゆがんだ鉄格子で僕たちを迎えた。
「気を抜くなよ」とナエが小声で言った。「ここには年寄りが住んでる。よそ者はあんまり歓迎されねえ」
『保守的ってことか?』
僕は、村のじいちゃんが一度、外国人に通訳兼ガイドとしてあたりを案内したことを思い出した。
そのあと、じいちゃんはひと晩じゅう、あいつは土地のしきたりも知らないくせに失礼だった、とこぼしていた。
相手のルールも知らずに歓迎を求めるのは――どこの世界でも、ばかげている。
僕たちが通り過ぎるたびに、窓の雨戸が閉じられていった。脇でたばこを吸っていたケルドたちは、黙って離れていった。
古い酒場の前を通りかかった。中から大きな声と、食器の鳴る音が聞こえてくる。
扉が勢いよく開いて、外へひとりのモコが飛び出してきた――細い手足、胴体には大きな丸い鎧、頭は緑の炎に包まれた頭蓋骨、そしてその上には、くたびれた魔法使いの帽子。
「フィス・ドゥ・ピュット! 来週まで待つって、約束したでしょう!」
そのあとから、肩幅の広いケルドが、剣を構えて酒場から出てきた。
「予定が変わった。金は今日要るんだ」
ケルドが剣を振りかぶった。骸骨はひょいと横へ跳び、足を大きく開いた。一撃は石畳に叩きつけられた。
『アンデッド……?』
「ナエ、あの帽子の人、助けたほうがよくない?」と僕は聞いた。
ナエは僕を見た。それからケルドを。それから骸骨を。
彼は重いため息をついて、リュックを下ろし、クロスボウを取り出した。
ナエが狙いをつけた。
そして、彼の指が引き金にかかろうとしたその瞬間、背後から矢がうなりを上げて飛んできた。
白い矢だった。まるごと骨から削り出したような、一本の塊の矢。
それはケルドの首に突き刺さり、ケルドは石畳に崩れ落ちて痛みにのたうった。でも、まだ生きていた。
ナエが固まった。
その顔は、一瞬のうちに、疲れた表情から張りつめたものに変わった。手の中のクロスボウが、小さく震えていた。
僕は振り返った。
一番近い家の屋根の上に、白い鎧の騎士が立っていた。羽根のマントをまとい、兜は梟の頭骨の形をしている。
『同じ頭骨が、前に僕の上に落ちてきた。クリオと戦ったときに』
騎士が飛び降りたとき、光が鎧の上を滑った。
板金は、ケルドの首に刺さった矢と同じ、つやのない白い色をしていた――骨によく似た、同じ素材から削り出されているのだ。
家の角から、二人目の騎士が現れた。こっちは剣を持っていた。
『あいつら、何者だ?』
二人目の騎士は手負いのケルドに素早く近づき、その首にルーン文字の刻まれた首輪をはめた。隷属の首輪だ。
ルーンがすぐに、弱い赤い光を放った。
「ずいぶん隠れてたじゃねえか、クズが」
騎士はケルドの腹を殴り、それから蹴り飛ばした。
「立て!」
ケルドは、まだ血にむせながら立ち上がった。脚がその下で震えていた。
「歩け!」
もう一発――そしてケルドは、よろよろと前へ歩きだした。
弓兵は黙って仲間のあとに続き、僕たちのそばで二、三秒だけ足を止めた。梟の兜の、空っぽの穴の奥から、僕たちを見ていた。
特に、僕を。
その視線に、重圧を感じた。
どこから来るのかはわからなかった――梟の眼窩からは、生きているものは何ひとつのぞいていなかったのに。
弓兵は、仲間と捕虜のあとを追って去っていった。
僕たちは二人が角の向こうへ消えるのを待って、同時に息を吐いた。
僕はナエを横目で見た。
その顔は、まだ見慣れないほどこわばっていた――ただ僕たちの身の安全を心配しているにしては、ずっと険しかった。
クロスボウを握る指は、リュックにしまうだけにしては、少しだけ強く締めつけられていた。
『何か、個人的なことがあるんだ』
今は、聞かないことにした。
✧✦✧
ナエはクロスボウをしまい、もう帽子のほこりを払っている骸骨のほうへ歩いていった。
「おい、スケル。同郷のルネってやつ、知らねえか?」
骸骨は丁寧に立ち上がり、服のほこりを払ってから、見事なフランス訛りで答えた。
「ウララ。この素晴らしくエレガントなスケルに客が来るなんて、ずいぶん久しぶりだね。ウィウィ! もちろん知ってるとも!」
ナエは、少しからかうように目を伏せた。
「ルネって、お前のことだろ?」
「ウィウィ! 察しがいい――つまり、このあたりの田舎者よりはましだということだね。で、きみたちは何者なんだい?」
「ナエ。で、こいつが」ナエは僕のほうにあごをしゃくった。「モ。あんたの弟子だ」
「弟子!? サ・アロール!」
ルネは僕のまわりを回りはじめ、あらゆる方向から僕を眺めた。
「立ち方はなっちゃいないが……目はいい。ウィ。それに、その剣もなかなか面白いじゃないか、モン・プティ」
DMがギルドのバルコニーから僕を眺めたときと、だいたい同じ気分になった――ただ、この視線にはショーの才能はまったくなく、そのかわりに芝居っ気があふれ返っていた。
「えっと……カヴェンからの手紙が……」
その名前が出たとたん、ルネが僕の言葉をさえぎった。
「おお、カヴェン、モン・プロテジェ! 私が教えた中で最高の剣士だよ! きみは彼のところから来たのかい、モン・シュ?」
「うん。今、手紙と札を見せるよ」
僕はかばんから二つとも取り出した。
ルネは手紙にさっと目を走らせ、角の欠けた札を指先でくるりと回して、ひとりでうなずくと、二つともそのまま自分の肋骨の中へしまい込んだ。
まるで、ふつうのかばんみたいに。
彼はぱんと手を打ち、どこか遠くを指さした――突撃前の将軍そっくりに。
「では、進め、モン・シュ!」




