第15話 霧と篝火
僕たちは通路をさらに進んだ。
途中で、あと二組のグループに出くわした――装備からして、鉄級。たいした相手じゃない。
一組目は、コイが歩みをゆるめることすらなく、氷の矢一本で片づけた。
二組目は少しだけ手間取った――その頃には、「手伝う」というのが、ノットに起きたこととまったく同じ意味だということに、僕はもう慣れていた。
胸のブローチが、また小さく震えた。さらに何ポイントか。
その先で、通路はアーチ状の通り道に突き当たった。道は分厚い雲のようなもので完全にふさがれていた。
霧の壁は、まるで誰かがアーチの寸法どおりにわざわざ切りそろえたみたいに、まっすぐ立っている。
向こう側に何があるのか、まったく見えなかった。
「ここじゃ、たまにあるの」とコイが言った。「壁じゃない。ただ濃いだけ。通れるけど、ゆっくりしか進めない」
彼女は袖を差し出した。
僕はいつもの仕草で応えて、マントの端でそれに引っかけた。
僕たちは中へ踏み込んだ。
✧✦✧
霧はあまりにも濃くて、袖をつかんだままなのに、隣のコイの姿がほとんど見えなくなった。
足取りは勝手に遅くなる――ここでは、どうしても速く歩けないのだ。
考えも、その動きに合わせるように、ゆっくりと流れていった。
『コイは、要するに僕に殺し方を教えてる。なのに、なぜかそれに疑問を感じない』
僕は、もうひとりのコイを思い出した。
ウォーターサーバーのあの一件から、たぶん八か月くらいたっていた。
僕はあのあと、本当に飛ばされた――すぐにじゃないけど、飛ばされた。倉庫へ。トラックの荷下ろしに。
異動から一週間後、同僚のひとりが僕の新しい持ち場にやってきて、黙って隣に弁当を置いていった。
中身はどう見ても作りたてじゃなかった――僕のためにわざわざ作ったものじゃなく、朝の残りらしい。
弁当箱の底には、マジックで「小鳥遊恋」と書かれていた。
『本人からか。……自分では、渡しに来られなかったんだな』
『別に、よかったのに。僕が考えなしに余計なことを言っただけなんだから』
僕はそれからしばらく、なるべく彼女と顔を合わせないようにしていた。気まずかったのだ。
でもある日、彼女は昼休みにラノベを読んでいる僕を見つけて、思いがけず自分から話しかけてきた――たしか、表紙の話だった。
自分が何と答えたのかは、もう覚えていない。
それから、電車で一緒になったことがあった。彼女は次の駅で降りるはずだった。
僕たちはただ並んで座って、それぞれ黙って自分の本を読んでいた。特別なことは何も起きなかった。
たぶん、だからこそ覚えているんだろう。
霧が、薄れはじめた。
✧✦✧
僕たちは、巨大な円形の空間に出た。
天井はどこか闇の中に消えていて、その広さのせいで、ここはダンジョンの一室というより、闘技場のように見えた。
中央の篝火のそばに、誰かが座っていた。
「ああ」と、聞き覚えのある声がした。「来たか」
カヴェンだ。
その後ろに、ケインが動かない壁のようにそびえていた。
隣のコイが、一瞬でこわばった。外から見ればほとんどわからない――袖が揺れなくなった、それくらいだ。
でも、僕にはもうわかるくらいには、彼女のことを知っていた。気に入らないのだ。
カヴェンのほうは逆に、まるで昔なじみに会ったかのようにふるまっていた。
「せっかく会えたんだ」と、彼は篝火のそばの床から立ち上がりながら言った。「せめてちゃんと名乗っとこう。俺は、ヴェルの近くにあるケルドの鍛冶の一族の出だ」
彼は地面から拾った石を、手の中でころがした。
「昔は魔法使いになりたかった。無理だったがな。ケルドの魔力は、別の器に溜まらない。すぐに体じゅうに広がっちまう」
彼の指の中で、石がパキッと鳴って、細かいかけらになって崩れた。
まるで力を入れた様子がなかった。僕がリンゴをかじるのと同じくらい、何でもないことみたいに。
『だからコイが身構えたのか。素手で石をあんなふうに握りつぶせるなら、ランクなんて本当の強さについて何も語らないってことだ』
「だから魔法は使えねえ。その代わり、ほかは文句なしだ」カヴェンは肩をすくめた。「そういや、たまに子供の祭りで手伝いもしてる。ヒーロー役でな。ちびっこたちに、自分もいつか何者かになれるって信じさせてやるんだ」
『そういうことか、あのしゃべり方は。子供向けのヒーローショーの人なんだ』
これまで自然な癖だと思っていた、騎士みたいに気高い口調は、半分は演技だったらしい。
カヴェンは明らかに、戦いの中でだけヒーローを演じているわけじゃない人だった。
彼の背後で、鐘が低く、重く鳴った。
ゴーン。
カヴェンは、その音の意味をすっかり理解しているように振り返り、うなずいた。
「なんて言ったの?」とコイが聞いた。
「ケインは、お前をすぐに殺すべきだと言ってる」カヴェンは、天気の話でもするように答えた。「お前の力は、どう見てもミスリル級を下らないってな」
『ミスリル?』
僕は、コイをさらにじっと見た。
彼女は肩をすくめた。
「公式のランクを絶対に上げないって決めてるパーティーの話、聞いたことある。実力は、とっくにプラチナ級なのにね」
彼女はそれを、何の気負いもなく言った。
むしろ退屈そうに――誰でも知っている事実を、わざわざ言い直すのも面倒だという調子で。
『ってことは、ランクと本当の強さがずれてるのは、ここじゃ普通なのか?』
カヴェンはため息をついた。
重く、疲れたように――やりたくないけれど、やらなければならない仕事の前に、人がつくため息だった。
彼は篝火のそばの台から、剣と盾を取った。
「モには、俺から手は出さねえ。そっちから来ねえかぎりはな」
彼はコイを見た。
「だが、お前には、そんな情けは約束しねえ」
彼の背後で、鐘が短く鳴った。ケインがわずかに身を乗り出すと、その青銅の腕の上に、かすかな光がともった。
カヴェンは振り返りもせずに、手のひらを上げた。
「いい、兄弟。今日は自分の腕だけで試したい。ここなら死にはしねえしな」
光が消えた。
ケインが前に踏み出した。
戦いが始まった。
✧--✧ コイ ✧--✧
最初の盾の一撃は、彼女が位置を取るより早くやってきた。
コイは激突のほんの一瞬前に横へ跳んだ――それでも、間に合わなかった。鋼の縁がかすめただけだった。だが、それで十分だった。
体は部屋の半分を吹き飛ばされ、背中から石の柱に叩きつけられた。
ドゴッ。
胸から、血の混じったかすれた咳がこぼれた。
『速い。この鎧で、速すぎる』
『道化。子供相手のヒーローごっこ。たまたま王国最強のケルドに生まれついただけの、運のいい男』
『――でも、その運は、本物だ』
彼女は身を起こし、その袖から、音もなく氷矢が放たれた。狙いは、ひじの鎧のつなぎ目。
カヴェンは体を四分の一歩ずらした。矢は空を切り、背後の石にぶつかって砕けた。
彼はすでに、間合いを詰めていた。
剣が振り下ろされた――彼女にではなく。足もとの石の床に。
ガァンッ。
床が耳をつんざく音を立てて割れた。石が裂け、足場が消える。
『足場を崩しに来た。汚い。でも、うまい』
割れ目から、彼女の足もとへ氷槍が伸び上がった――細く、透きとおった槍が、彼女をその穂先に乗せたまま、数メートル上空へ、横へと運んでいく。
コイはその切っ先の上でぴたりと静止した。ほとんど重さを持たないかのように、細い足が氷に触れてすらいないかのように。
そこから、さらに二本。
一本は肩当てに沿ってかすめた。二本目は盾に当たって砕け、霜になって散った。
カヴェンは、歩調ひとつ乱さなかった。
彼は腰から小瓶をもぎ取り、一気にあおった。体が一瞬、静かな光を放った。
『強化』
「強化。『巨人の歩み』!」
跳躍――ふつうの倍の高さ。彼はひと蹴りで彼女の槍と同じ高さに達し、盾がまっすぐ彼女の胸にめり込んだ。
足もとの氷が粉々に砕けた。コイは奥の壁まで吹き飛ばされた。
あごを、血が伝った。
『痛い。耐えられる。致命傷じゃない。まだいける』
彼女は、盾を振りかぶってから体重をそこに乗せるまでの、ほんの一瞬を数えた。剣を振る前の、肩の角度を覚えた。
振り抜くときに右の脇腹が空く、その刹那をとらえた。
『隙。小さい。でも、ある』
彼女はそこへ飛び込んだ。
「攻撃。『霊体の斉射』!」
カヴェンのまわりの空気が、半透明の影で燃え上がった――何十本もの霊体の矢が、一斉に四方八方へ。
コイは突進を打ち切り、完全な防御に回った。それでも一本が、彼女の太ももを裂いていった。
『私が入るより先に、隙をふさいでくる』
また。そして、また。
彼女が綻びを見つけるたびに、彼は自分の蓄えから何か新しいものを引っぱり出した。
「防御。『流転装甲』!」
脇腹の鋼が生き物のように流れ、ちょうど彼女の短剣が飛んでいく場所で閉じた。
ガキン。
刃が金属の上を滑った。
彼女の魔力は、どうせ彼が打ち消してしまう盾や魔法に吸われていった。消耗品が、ひとつ、またひとつと尽きていく。
勝ち筋は、一秒ごとに細くなっていった。
カヴェンのほうも血を流していた――腕に沿った何本かの切り傷、盾のへこみ。だが、それでは絶望的に足りなかった。
✧--✧ モ ✧--✧
僕は前へ飛び出した。
ケインがただ一歩踏み出して、体ごと道をふさいだ。
左から回り込もうとした。
重い青銅の拳が、頭から数センチのところを通り過ぎた。僕は跳びのいた。
ケインは追ってこなかった。ただまた、僕とアリーナの中央とのあいだに立った――黙って、動かず、決して開かない扉みたいに。
右も、同じだった。拳が、僕より先にそこにあった。
『全然、通してくれない』
アリーナの向こうで、カヴェンが二階の高さまで跳び上がり、そのまわりで何十本もの霊体の矢が燃え上がるのが見えた。
『あれ、完全にレイドボスだろ……。なのに僕は、そこまでたどり着くことすらできない』
僕は針を投げた――脇腹の、青銅の板と板のすきまへ。
ケインはただ体をひねった。金属がへこみ、すぐに元に戻った。
『通らない。硬いな』
今度は向こうから殴りかかってきた――ゆっくりと。
でも、その一撃の重さのせいで、かすっただけで僕は数メートル吹き飛ばされた。
肩から落ちた。体の中で、何かが鋭い痛みで応えた。
『うわっ!……このままじゃ、ナエみたいに口が悪くなりそうだ!』
マントで鎧の出っ張りに引っかけて、横から登ろうとした。ケインはすぐに、重い足で僕を蹴り飛ばそうとした。
僕は壁に跳び移り、蹴って、上から回り込んだ。
ケインがいきなり後ろへのけぞり、全体重で石壁にぶつかった。僕を壁から叩き落とすために。
ガァン!
青銅と石。僕はかろうじて横へ逃れた。
「五秒! じっとして!」
僕は壁ぎわに仰向けに落ちた。ケインがすぐに体ごとのしかかってきた。僕を石の中まで押し込もうとするみたいに。
最後の瞬間に転がって逃げた――そして、また肩に痛みが爆ぜた。
『このままじゃ、長くはもたない!』
僕は数メートル這って離れ、もう一度彼を見た。
巨大。重い。振り向くのが遅い。そして戦いが始まってから、ひとつも魔法を使っていない。
『なんで魔法を使わないんだ? プリーストなのに』
僕は、焚き火のそばでナエがしてくれた話を思い出した。
『……そういうことか。魔力は、血だ。魔法を使えば、それだけ蓄えが減る。だから、むやみに魔法を使えないんだ』
『待てよ。こいつ、でかすぎるんだ』
ケインの腕は、自分と同じくらいの大きさの相手に合わせてできていた。
小さな何かを、ある一点で正確にとらえるには、柔軟さが足りないのだ。
『背中ががら空きだ。……ボスの死角ってやつか』
彼がまた向きを変えはじめるのを待って、僕は飛び出した――攻撃じゃなく、その横をすり抜けて、まっすぐ背中へ。
白いマントにしがみついて、よじ登った。
ケインが僕に手を伸ばした。
届かなかった――腕が、必要な角度に曲がらないのだ。
彼は背中を壁に向け、自分ごと石に叩きつけた。
ガァン!
僕はさらに上へ、首のすぐそばまで滑り込んでいた。一撃は外れた。
そして、ケインが鳴った。
ゴォォォン……。
重く、悲痛に。これまでとは違う――誰かを呼んでいるように。
『カヴェンを呼んでる』
『きっと今までは、誰かがこの鐘の下にもぐり込んできても、いつも仲間がそばにいてくれたんだ』
「静かに!」
でも、カヴェンは手がふさがっていた。アリーナの向こうで、コイがまた盾の一撃で吹き飛ばされるのが見えた。
『助けは来ないぞ! ぶはははは!』
ケインは横倒しになって僕を押しつぶそうとした。僕はマントで革帯にしがみつき、倒れる体の横に張りついて耐えた。
僕は針を彼の首に突き立てた――青銅が、もっとやわらかい何かに変わる、その場所へ。
弱い。ほとんど効いていない。
もう一回。
もう一回。
三回目で、血が出た――黒く、どろりとしたものが、青銅の板を伝って流れ落ちていった。
ケインは何事もなかったかのように動きつづけた。傷が見る見るうちにふさがっていく。自分の魔力で治しているのだ。
『でも、おまえだって無限じゃない』
血の一滴一滴が、魔力だ。治すたびに、次の治癒は弱くなる。
『強くじゃない。多く、だ』
一撃。
もう一撃。
さらに。
ひとつの決定打じゃない――彼の手が届かない場所への、何十もの小さな一撃。
彼は背中を壁に打ちつけた。肩を揺さぶった。関節がきしむほど、腕を伸ばした。
でも、一秒ごとに――遅くなっていく。
血は流れつづけた。治癒は、もう追いついていなかった。
暴れる動きが止まった。ケインはただ、揺れながら立っていた。どこへ動けばいいのか、忘れてしまったみたいに。
僕は、最後の一撃を突き立てた。
数秒、何も起きなかった。
ゴォン――。
それから、巨大な体が、重く鈍い青銅の響きとともに床に崩れ落ちた。
✧--✧ コイ ✧--✧
その響きが、アリーナじゅうに広がった。
カヴェンが、ほんの一瞬だけ首を向けた――ケインが倒れたほうへ。
その一瞬で、十分だった。
コイはもうそこにいた。
短剣を霜が走る――霜刃――そして彼女は、その刃を兜の細い目の隙間へ突き込んだ。
『――入った』
カヴェンがびくりと震えた。
氷が内側へ広がっていった――細い枝のように、まるで根が肉を突き破って伸びていくように。
彼がうめいた。戦いが始まって初めて、本物の痛みに似た声が漏れた。
今や彼の体は、二つの災いと同時に戦わなければならなかった。ふつうの傷と、内側から体を壊していく冷気と。
カヴェンはまだ戦っていた。剣は変わらず空を裂き、盾は変わらず攻撃の一部を受け止めた。
彼はまだ、命取りになるほど危険だった。
だが、一つひとつの動きが、今は痛みを通さなければ出てこなかった。
盾はもう、破れない壁には見えなかった。
ただの、盾だった。
コイが、ようやく自分のペースで戦いはじめた。
『いいね。隠れ蓑のための手加減は、性に合わないし』
「回復。『第二の息吹』!」
最後の残響が光り、そして消えた。腕の傷がふさがった――ほんの数呼吸のあいだだけ。体の中の氷は、どこへも行かなかった。
コイは斬りつづけた。かわしつづけた。小さな、でも途切れることのない傷を刻みつづけた。
新しい傷ひとつごとに、治すための魔力が要る。
治そうとするたびに、それは彼自身に跳ね返る――残りわずかなものを、燃やしてしまうのだ。
失血は、限界に達した。
そのとてつもない力をもってしても、カヴェンの体はもう、回復が追いつかなかった。
彼がよろめいた。
剣が手から落ちた。
彼は片ひざをついた。
それから、両ひざを。
そして、倒れた――重く、決定的に。
そして、二度と立ち上がらなかった。
鎧に光のひびが走り、次の瞬間、カヴェンは光るキューブになって崩れ去った。
アリーナの反対側で、ケインにも同じことが起きていた。
✧--✧ モ ✧--✧
僕は、ついさっきまでケインが倒れていた場所に立っていた。
アリーナの向こう、崩れた柱のそばに、コイが立っている――カヴェンがいた、空っぽの場所を見下ろして。
戦いが終わった今になって、ようやくこの場所がどうなってしまったのか、はっきり見えてきた。床はいくつもの塊に砕けていた。
石のブロックは、まるで嵐が通り過ぎたみたいに割れている。
血と魔法の跡が、あらゆるところに残っていた――壁に、瓦礫に、僕自身のマントにも。
『これだけの破壊……』
でも、いちばん衝撃だったのは、それじゃなかった。
カヴェンのような人が、ふつうの冒険者からどれだけかけ離れた場所にいるのか、僕はたった今、この目で見た。
そして同時に、そんな彼でさえ、回復する力を少しずつ失っていけば死ぬのだということも見た。
僕は、他人の血にまみれた自分のマントを見た。
『コンテストは、もうただのポイント争いじゃない』
これまで僕は、これをゲームだと思っていた。ポイントを多く取れば、えらい。でも今見えているのは、まったく別のものだった。
カヴェンとケインのようなパーティーは、いつでも、たまたま、ついでのように、僕たち二人をまとめて消し去ることができたのだ。
ダンジョンのどこか別の場所で、たぶんナエがまだ僕を探している。
僕は足もとの砕けた床を見て、ひとつの単純なことに気づいた。
『……もう僕は、たまたまコンテストに紛れ込んだだけの新人じゃない』




