第11話 八番の家
僕たちは三人でヴェルに入った。そしてすぐに、じろじろ見られていることに気づいた。
冒険者たちが通りの真ん中で立ち止まり、振り返っては顔を見合わせる。
好奇心を隠そうともせず、ただルッカをまじまじと見つめている者もいた。
ルッカはすぐにそれに気づいた――いちばん近くの野次馬たちを見やると、少しあごを上げて、つんと鼻を高くした。
『注目されるのは嫌い。……少なくとも、そう見せようとはしてる』
ナエはルッカの隣を、同じくらい満足そうな顔で歩いていた。
初めて伝説級のモコを手なずけたという誇りが、もうすっかり根を張っているらしい。
でも僕は、これがまったく気に入らなかった――ナエのそばにくっついて、なるべくきょろきょろしないようにしていた。
『せめて今日くらい、目立たずにいられたらよかったのに……』
✧✦✧
ギルドはほとんど何も変わっていなかった――オレグちゃんはカウンターに座って、書類に何か書き込んでいる。
ナエがおとぎ話の本を彼女の前に置くと、オレグちゃんは書類から顔を上げた。
「あら! モさんに、ナエさん、それに……」
彼女はルッカを見た。少しの間が空いた。
ナエが誇らしげに、こぶしで胸をたたいた。
「ルッカ。伝説級の、野生の炎の精だ」
彼はそこで黙った――どうやら、どうやって手なずけたかなど、まだ何か付け加えたかったらしい。
でも一瞬考え込んだ様子からすると、それではさすがに自慢話がすぎると気づいたようだった。
「……ああ。ゴホン、で、報酬のほうは?」
オレグちゃんはもう一度ルッカを見てから、本を手に取った。
手早く表紙を確かめ、何ページかめくって、本が無事なことを確認すると、紙切れと鉛筆を取り出した。
「ええと。依頼の報酬は、合計で3000ゴールドです」
『三千』
僕はちょっと元気が出た。
オレグちゃんが金額を書き込む。
「税が一割。マイナス300で、残りが2700です」
彼女は金額の一部に線を引いた。
『もう減った』
「ギルド手数料が二割。マイナス540で、残りが2160です」
僕は黙って紙を見つめた。
『なんで、もうこんなに少なくなってるんだ!?』
オレグちゃんは、もう一行付け加えた。
「それから150ゴールドを、登録料の立て替え分の返済に充てさせていただきます」
「あ」
彼女はまた書き込んだ。
「残りは2010ゴールドです」
僕は最初の数字を見た。三千。それから今の数字を見た。二千十。
オレグちゃんは手早く金額を二つに分けた。
「モさんに、1005ゴールド」
彼女はもう半分を指した。
「ナエさんに、1005ゴールド」
僕は自分の取り分を見た。
『まあ……少なくとも、ここからはもう何も引かれないんだな』
オレグちゃんは書類をまとめた。
「これで、おふたりの借金の残りは1050ゴールドになります」
僕はすばやく計算した。
『つまり、あと七回払いか』
ナエは落ち着いて自分の取り分を受け取った――この計算にはまったく動じていないらしい。
オレグちゃんは紙切れをしまいかけて、ふと別の紙を取り出した。
「それと、初めてきちんとした報酬を受け取られたことですし、ひとつご提案がございます」
ナエが彼女を見た。
「なんだ?」
「宿泊特典です」
彼女は紙をこちらに向けた。
「一週間有効で、500ゴールドになります」
僕は紙を見た。
「それ、何が、ある?」
「ギルドの住居が割引になります。それに、選べるお家の数も増えますよ」
「なし、だと?」
「特典がなくても、お住まいはお借りいただけます」
彼女は落ち着いて付け加えた。
「ただ、お値段が高くなりますし、すべてのお家から選べるわけではございません」
僕は少し考えた。
「一日だけ、借りれる?」
「はい。最短で一日からです」
「泊まるだけ、でも?」
「その場合でも、一日分のお支払いになります」
『五百ゴールドで、安く払う権利を買う、と』
僕はナエを見た――彼も、どうやら損得を計算しているらしい。
「特典あり、いくら?」
「お家によります。ですが、割引ははっきりわかるくらいございますよ」
オレグちゃんの触角が、うれしそうにふわりと揺れた。
「お手続き、なさいますか?」
僕はもう数秒考えた――今日みたいな一日のあとで、テントか何かで寝るのはまっぴらだった。
「うん、お願い」
ナエもうなずいた。
「ああ」
オレグちゃんは小さな金属のメダルを二枚取り出して、僕たちに差し出した。
「では、これで完了です」
僕は自分のメダルを受け取って、マントの中でくるくる回した。
『ちょっとしたものだな』
オレグちゃんは僕たちを見て、それからメダルを見た――そしてふいに、触角をぴくりと動かした。
「あ、そういえば」
彼女はもう一枚、紙を取り出した。
「宿泊特典をお決めになったのでしたら、もう少し面白いプランもございます」
ナエがすぐに、彼女をじっと見た。
「どんなプランだ?」
「ギルドペイです」
「ギルドペイ?」
「はい」
オレグちゃんは落ち着いて、その紙を僕たちの前に広げた。
「こちらも一週間有効で、600ゴールドになります」
僕は彼女を見た。
「何が、違う?」
彼女は指を折って数えはじめた。
「まず、通常の宿泊特典よりも良いお家をご利用いただけて、しかもそのお家が一週間ずっとおふたりのものになります」
一本目の指。
「次に、食堂のセットメニューが割引になります」
二本目。
「三つ目、一日一杯、ビールが無料です」
三本目。
「四つ目、初回のお買い物が割引になります」
四本目。
「それから、ギルドペイ会員であることを示す、特別なメダルもお渡しします」
彼女は二枚目のメダルを取り出した――一枚目より、目に見えて立派だった。
「初回割引、どれくらい?」
「お得ですよ」
触角が、また楽しげに揺れた。
「ただし、ギルドペイの有効期間中、一度きりです」
僕はまたナエを見た。
『六百ゴールド。たった百多いだけ。しかも一週間ずっと住める』
オレグちゃんが、なにげなく付け加えた。
「それに、明日はお祭りですし」
ナエが彼女のほうを向いた。
「だから?」
「商人の方がたくさんいらっしゃいます。ふだんヴェルでは売っていないものを持ってこられる方もいますよ」
彼女は少し考えるようにした。
「テイムされたモコ向けの品も、いくつかお約束いただいております」
ナエはもう、彼女から目を離さなかった。
「モコ向け?」
「はい。首輪や、アクセサリーなど、いろいろと」
沈黙。
僕はナエを見た。それからオレグちゃんを。それからまたナエを。
『……もう買ってるな、この人』
✧✦✧
ギルドを出てから、僕はしばらく新しいメダルをマントの中で回していたけど、それからナエを見た。
彼はもう完全に別世界にいた――その表情からすると、ルッカに買ってやれそうなものを頭の中で片っ端から並べているらしい。
僕はもう一度メダルを見た。
「なんか……ぼったくられた、気がする」
ナエは何の反応もしなかった――どうやら、もう頭の中で首輪を選んでいるらしい。
僕はメダルをしまって、通りを見渡した。ヴェルは少しずつ姿を変えていた。
家々には明日の祭りのための飾りつけがされ、通りと通りのあいだには魔法のガーランドが渡されていて、そこにはダンジョンで見たあの光る玉がぶら下がっている。
建物には、羽根と太陽の描かれた旗が掲げられはじめていた。
そして、家々の入口のそばに、小さな鉢が置かれはじめていた。
僕はそれをよく見た。
オレンジ色の葉。
赤い実。
ちょうど何人かの冒険者が、自分の家の扉の前にそんな鉢を置いているところで、僕は思わず足をゆるめた。
ナエが僕の視線に気づいた。
「トトの茂みだ。ダンジョンにこいつが生えてりゃ、そこの水と食い物に毒はねえし、野生のモコもたいてい危なくねえ」
僕は鉢を見て、それから近くに立っている冒険者たちを見た。
「なんで、家の前に?」
ナエは次の鉢のほうにあごをしゃくった。
「昔からのしきたりでな。冒険者が生きて帰ってきた印に、家の前に置くんだ」
僕はもう一度通りを見た――今になって、ほとんどすべての家の前にトトがあることに気づきはじめた。
『つまり、今、ヴェル全体が、誰が帰ってきたかを祝ってるんだ』
僕は先へ進んだ。
✧✦✧
しばらくして、僕たちはもっと静かな通りに曲がった――オレグちゃんの話では、このあたりに空いている家があるらしい。
ほどなくして、その家が見えてきた――漆喰塗りの壁に、木枠の丸い窓、ブロンズの雨どいがついた、小さな二階建ての家だ。
扉は緑色だった。
僕はその扉に目をとめた。上のほうに鍵穴がひとつ。下のほうにもひとつ。それから真ん中にもうひとつ。
ドアノブは、扉のほぼ端から端まで、縦いっぱいに伸びていた。
『つまり、ここならほとんどどんなモコでも、ちゃんと手が届くってことか』
僕は通りを見た。
『ここがあっちで村扱いだっていうなら……王都は、いったいどうなってるんだ?』
そう考えただけで、なんだか落ち着かなくなった。
ナエが、ギルドで最初にもらった鍵を取り出した。
「さあ、着いたぞ。八番の家だ」
彼は真ん中の鍵穴に鍵を差し込み、何度か回した。
カチッ。
扉が開いた。
ナエは先に入らなかった。ルッカを見て、それから軽く頭を下げた。
「どうぞ」
ルッカは落ち着いて中へ入っていった。
僕はナエを見た。
『この人、今、本気でルッカを先に通したのか?』
まあいいや。僕はただ、あとについていった。
✧✦✧
中は居心地がよかった。ルッカはすぐに部屋を見て回りはじめて、あっという間にレンガのペチカを見つけた。
数秒後には、まるで人生の半分をそこで過ごしてきたかのように、その上に寝そべっていた――すっかり気に入ったらしい。
僕はいつものくせで靴を脱ごうとして、それから足もとを見た。
『そうだった。僕、裸足だ』
ナエも靴を脱がずに入ってきた――ここには玄関なんてなかった。扉のそばに、文字の入った小さなマットが一枚あるだけだ。
僕は針を持ち直して、家の中を見て回りはじめた。
壁の一面には、絨毯がかかっていた。
『壁に絨毯……?』
隅にはレンガのペチカ、その隣には木の天板のキッチン。
そして、そこには僕の足を止めるものがあった。
背の高い戸棚を見て、僕は目を離せなくなった。
「冷蔵庫!?」
ナエが落ち着いて首を向けた。
「もう知ってんのか?」
『しまった! 今の、まるで前に見たことあるみたいな言い方だった』
ナエは数秒、僕を見つめていた。それから落ち着いて言った。
「ちょっと中を見てみろ。ギルドペイのサービスがどれくらいのもんか、気になる」
『ふう。じゃあ、大丈夫だったのか』
僕は冷蔵庫に近づいて、扉を開けた――すぐに冷たい空気が吹き出してきた。
本体は銅張りの背の高い戸棚で、内側は骨のように見える骨鉱で覆われていた。
中には野菜、キノコ、瓶、それから保存用のガラス瓶が入っていて――僕は最後のものに目をとめた。
『瓶詰め?……日本だと、梅干しの瓶とかで、もうちょっと違う感じだったよな』
テーブルの上には、果物の入ったかごがあった。リンゴに似ているけど、皮には鮮やかな青い模様が走っている。
ナエが後ろから近づいてきて、ひとつ手に取ってかじった。
「こういう果物は食っとけ。たいてい魔力がたっぷり入ってる」
彼は冷蔵庫をのぞき込んだけど、何も言わずに離れて、戸棚を見て回りはじめた。
僕はリンゴを見て、それからひとつ手に取って、かじってみた。
『リンゴだ。ほとんど』
味は似ていたけど、かすかにベリーのような風味があった。そして食べたあとには、さわやかさが残った――ミントみたいに。
僕は少し考えた。
『これが、魔力の味?』
そのとき、昔のある考えを思い出した。
『そういえば僕、最初はモンスターの味を試してみたいって思ってたんだっけ』
視線が勝手にルッカのほうへ滑っていった。ルッカはペチカの上で落ち着いて寝そべっている。
……。
『……いや、ない』
僕はルッカから目をそらして、まずはモコが食べられるものなのかどうか、ナエに聞いてみることにした。
✧✦✧
僕は二階に上がった――そこにはいくつか扉があった。ひとつが開いていたので、中をのぞき込んだ。
ナエが床に座っていた――正確には、枕と毛布が集まって大きなふかふかの巣みたいになっている上に。
彼はリュックの中をあさっていた。
「ナエ?」
彼が顔を上げた。
「ん? 座れ、モ。ちょっと話がある」
声で、すぐに真剣な話だとわかった――僕は身構えたけど、それでも隣に座った。
ナエが僕を見た。
「クリオにもらった赤い石、ありゃなんだ?」
『あ、そうだった。すっかり忘れてた。クリオに、目に、ポータルに、ほかにもいろいろあったせいで、あの話はほかの出来事に埋もれてた』
僕はナエを見た。
『もしかして、あの赤い光も目も、石のせいだったのか?』
僕の顔を見て、ナエはどうやらそれだけで察したらしい。
「まあいい。専門家のとこに連れてく。石を診てもらおう」
彼はリュックから、えんじ色の紐の束を取り出した。
「針の柄に、自分で巻けるか? それとも俺がやるか?」
僕は自分の針を見て、それから紐を見た。
『このマントでそれをやるのは、まず試してみないとわからないな』
僕は紐をナエに渡した。
✧✦✧
僕たちはまた下へ降りた。先に進もうとしたとき、僕はたまたま変な動きをしてしまった。
針がマントから落ちた。
そのまま床に落ちるんだろうと思った。
でも代わりに、僕と針のあいだに鎖が現れて、針は勢いよく引き戻され、僕の手の中に収まった。
僕は固まった。
『え?』
僕は針を見た。それから、ゆっくりとそれを脇に置いた。何歩か離れる。
よし。
少し考える。
『もしかして……?』
僕は、針を取りたいと思い浮かべた。
一秒、何も起きなかった。それから、また鎖が現れて、針が床から飛び出し、僕のマントの中へ戻ってきた。
できた!
もう一度針を置いて、また心の中で呼んだ。
針はすぐに戻ってきた。
『つまり、取りたいって思えばいいんだ』
もう一度試そうとしたとき、ナエに気づいた。彼は階段の上に黙って立って、僕を見ていた。
「残響か。つまり、クリオの鎖の力は、この残響に入ってたってわけだ」
僕は針を見て、それから彼を見た。
『これで本当に全部つながった。あいつがくれたのは、これだったのか』
ナエが手を差し出した。
「なら、専門家のとこには行かなくていい。明日は祭りで、のんびり休もうぜ」
それから付け加えた。
「で、今は針をよこせ。へへ」




