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第9話 炎の狐

僕たちは、またダンジョンを進んでいた。


しばらくのあいだ、僕とナエはほとんど話さなかった。さっきの部屋であんなことがあったあとで、特に話したい気分でもなかった。


それに正直に言うと、僕はまだ、今は本当にひとりじゃなくこのダンジョンを歩いているという事実に慣れようとしていた。


ナエはときどきまわりを見回しながら前を歩き、僕は遅れないようにすぐ隣についていった。


やがて前方に、見覚えのある扉が見えてきた――罠にかかる前に見た、あの巨大な赤い扉だ。すぐにわかった。


扉の向こうからは、あいかわらず何かの声と金貨の音が聞こえてくる。


ナエが立ち止まった。僕もだ。


彼は肩からリュックを下ろし、小さなクロスボウを取り出して矢をつがえ、弦を引いて壁にもたれた――どうやら静かにしろと言いたかったらしい。


でも振り返った彼が見たのは、もう自分からマントの端を体にぴったり寄せて、黙ってうなずく僕だった。


彼は数秒僕を見てから、うなずき返し、それ以上何も言わずに前へ進んだ。僕はあとに続いた。


扉は少しだけ開いていた。僕とナエは横に立って、そっと中をのぞき込んだ。


広い。広間は思っていたよりさらに大きかった。


大理石の床は、ほとんど全部がガラクタに埋もれている――本、紙切れ、硬貨、武器、装飾品、食器、細々とした日用品、そのほか何に使うのかすらわからない物がどっさり。


それが文字どおりそこらじゅうに散らばっていた。きちんと山にされている物もあれば、めちゃくちゃに放り出されている物もある。


どうやらパッキーたちが何年もかけて、どこかで盗めた物を片っ端からここへ運び込んでいたらしい。


僕は広間の中央に目を移した。そこには、背の高い奇妙な男が立っていた。


長く黒いマントが体のほとんどを覆い隠していて、頭には金属の帽子がのっている。


両手で本を持ち、何かをぶつぶつつぶやきながら、ものすごい速さでページをめくっていた――一枚、二枚、三枚――ときどき手を止めてはどこかを読み返し、またページをめくりはじめる。


僕はもう少し彼を観察した。やがて彼は本を読み終えると、いらだたしげに閉じて脇へ放り投げた。


本は数メートル飛んで、近くを走っていたパッキーにバキッとぶつかった――パッキーは一瞬で吹っ飛び、動かなくなった。


男は見向きもしない。もう次の本をつかんでいた。


『なんだ、これ? はたから見ると、完全にボス部屋だ。巨大な広間、真ん中に変なやつ、まわりに小さなモンスターの群れ、盗品の山……そして今度は死体まで』


男はまたページを猛烈にめくりはじめた。


「ナインナインナインナインナイン! どこにある、どこ!?」


彼は本を勢いよく閉じて、放り投げた。何匹かのパッキーがさっと散っていった。


僕はナエを見た。彼はもう、そっと扉から離れはじめていた。僕のほうへかがんで、小声で言う。


「モ、壁際にいろ。そっとずらかるぞ」


僕はうなずいた。その声から、彼があの見知らぬ男をまったく好ましく思っていないのがわかった。


僕たちはゆっくり後ずさりしはじめた。


もう一歩。


もう一歩。


そのとき、広間の中央のつぶやきが止んだ。


僕は固まった。ナエもだ。


見知らぬ男はページをめくる手を止めていた。数秒のあいだ、何も起きなかった。それから、彼はゆっくりと顔を上げた。


「……お客さん、来た、みたい」


かすかな、鎖の鳴る音がした。


振り向くのがやっとだった――僕たちの背後の扉が、耳をつんざくような爆音とともに吹き飛んだ。


あたり一面が、一瞬で土ぼこりに包まれた。


僕は目をつぶった。


轟音。石。金属。


何か重いものが、すぐ近くに叩きつけられた。


それから、静かになった。


僕はそっと目を開けた。土ぼこりはまだ宙に舞っていて、扉は完全に砕けていた。


ついさっきまでナエが立っていた場所を見た。


いない。


床には、壊れたクロスボウが転がっていた。その隣に、彼の傘。どちらにも血がついていた。


僕はゆっくりと広間のほうを見た。そして、彼を見つけた。


見知らぬ男が、ナエを腕に抱えていた。ナエは気を失っていて、全身血まみれだった。


僕は数秒、ただ見ていた。


『うそだ』


何かが石の扉を真っすぐ突き破り、それからナエを広間へ引きずり込んだのだ。


パニックはほとんど一瞬でやってきた。叫びたかった。


できなかった。


というより、叫ぼうとすらしなかった。


✧✦✧


見知らぬ男は片手でナエをつかんだまま、何度か揺さぶった。


「おい! おまえ、クリオの記憶、どこか知らない!? 答える!」


ナエは答えなかった。頭がただ、がくりと後ろに倒れただけだった。


男はナエを見た。


「おお! ごめん、ごめん、ごめん! まず、テーブル用意しないと」


彼はナエを放した。ナエは鈍い音を立てて床に落ちた。僕はその場でびくっとした。


男はパッキーたちのほうを向いた。


「テーブル。あと、椅子」


パッキーたちは即座に動きだした。


何匹かは近くのテーブルへ駆け寄り、ほかの連中は椅子を引きずりはじめ、誰かはもう一脚持ってくる――みんなまわりでばたばたと、驚くほど手早く命令をこなしていく。


僕はそれを見ながら、何が起きているのかまったくわからなかった。


しばらくすると、広間の中央にはテーブルと椅子が並んでいた。


見知らぬ男はナエを丁寧に抱え上げて座らせ、その頭を何度か軽くぽんぽんとたたいた――まるで人形みたいに。


それから向かいに座り、数秒ただナエを見つめていたかと思うと、指先同士をとんとん合わせはじめた。


初デートで少し照れているみたいに。


やがて、彼は大きくため息をついた。


「すまない、まず自己紹介するべき、だった。クリオは、女王陛下の宮殿、図書館の主。クリオ、探してる。伝説の、フェリクス王子の残響。ある小箱、開けるため。ご主人様、言った。それ、願い、叶える」


僕にはほとんど何もわからなかった。正確に言えば、言葉そのものはわかった。


でもあまりにも奇妙すぎて、頭がそれをまともな絵に組み立てることを拒否していた。


残響。フェリクス王子。小箱。願い。


そして、最後の言葉だけは、特にはっきりと頭に残った。


『願い』


クリオはナエを見つめつづけていた。ナエは答えない。


「……」


クリオは、さらにじっとナエを見た。


「おお、おまえ、それ知ってる? 残念。クリオ、命令された。それ知ってる者、全員殺せ、と」


僕は固まった。


『は?』


クリオの手首が回りはじめた。最初はゆっくりと。それから速く。もっと速く。


金属が、どんどん速度を上げて回転していく。


僕はナエを見た。彼はまだ動かない。


『もし、まだ生きてるなら……』


クリオは明らかに、彼を殺すつもりだった。僕はもう一度その手を見た。


『何もしなかったら、ナエは死ぬ』


マントが勝手に、針をぎゅっと握りしめた。


『でも、あそこに飛び込んだら……今度は僕が死ぬ』


僕は数秒、ただ立ち尽くしていた。動けなかった。頭は何か、どんな手でもいいから、方法をひねり出そうとしていた。


何もない。


僕は思い出した。ナエがなぞなぞを手伝ってくれたこと。僕が字を読めないと知っても落ち着いていたこと。


一緒にここまで来てくれたこと。ついさっき、パッキーの部屋から二人で抜け出したこと。彼は、ただ立ち去ることだってできた。


でも、そうしなかった。


『……ええい!』


僕は針を強く握りしめた。


そして、飛び出した。


✧✦✧


僕はクリオに向かって真っすぐ突っ込んでいった。


『行け。あと少し。行けって』


そのとき、足が床に落ちていた本に引っかかった。


僕はつまずいた。


「あっ!?」


体は勢いのまま前へ飛びつづけた。


そのまま数メートル飛んで、それからぺちっという小さな音とともに、顔から大理石の床に激突した。


……。


クリオは固まった。回転していた手が、少しずつ止まっていく。彼はすぐには首を向けなかった――ただ、僕を見た。


僕は床に寝転んだまま、自分がばらばらになっていないか確かめようとしていた。


クリオはしばらく黙ってから、首をかしげた。


「おや、子供? クリオ、お茶頼んでない。おまえ、新入り?」


僕は顔を上げた。


『なに?』


彼が何を言っているのか、さっぱりわからなかった。


クリオが近づいてきた。


「おやおや、影身!? まさか、ご主人様、クリオのシュヴェスターに、影身の召使い、許した!?」


彼は僕を持ち上げた――僕は彼の手の中にいた。


『おい!』


彼は僕をあらゆる方向から眺めはじめた。回して、ひっくり返して、傾けて、下からのぞいて、それから上から見た。


僕には何もできなかった。


そのとき、彼の視線が木の札の上で止まった。


彼は目をこらした。


「『モ』? ちょっと、待つ……」


僕は待たなかった。マントの端が勢いよく前へ飛び出し、針が彼の目にまっすぐ突き刺さった。


「アルシュガイゲ!」


クリオは絶叫して、全力で僕を投げ飛ばした。僕はどこか遠くへ吹っ飛び、ガラクタの山に轟音とともに突っ込んだ。


上から何かが落ちてきて、僕に当たった。


僕は固まった。それから上を見た。


山のてっぺんから、フクロウの頭骨が落ちてきたのだ。


『うわあああ!』


僕はすぐに横へ這い出した。頭骨が床を転がっていく。


僕はあたりを見回した。


『針。針はどこだ!?』


僕は必死に目で探しはじめた。


あった。少し先だ。


僕はそっちへ飛び出した。そしてその瞬間、また鎖の音が聞こえた。


顔を上げる。クリオの手が、もうこっちへ飛んできていた。ものすごい速さで。


僕は本当にぎりぎりのところで身をかがめた。手は轟音を立てて壁に激突し、また土ぼこりが舞い上がった。


僕は横へ這って、何が起きたのか見た。


鎖につながれた手が戻りはじめている――クリオがまた、それを自分のほうへ引き戻していた。


僕は固まった。


『鎖。手。それを引き戻してる』


クリオはまた手首を回しはじめた。僕はそれを見て、それから鎖を見た。


『撃つ前に回す。それから放つ』


僕はゆっくりと針を構えた。


『これではっきりした――この変人、手を撃ってくるんだ』


✧✦✧


クリオがまた手を放った。僕は走った。手がすぐそばをかすめる――僕はさっと方向を変えた。手は壁に当たった。


また鎖の音。また引き戻し。


パッキーたちはずっと遠くへ下がっていて、今はもう僕たちに近づこうともしなかった――ただ、臆病そうに遠巻きに見ているだけだ。


クリオがもう一方の手を回した。僕はその動きに気づいて、反対側へ飛び出した。手は脇をすり抜けていった。


『危なかった』


僕は広間じゅうを走り回りつづけた。


クリオは僕を目で追っている――最初は軌道を合わせるのに苦労していたけど、少しずつ慣れてきていた。


「ハッ! すばしっこい影身。クリオのシュヴェスター、きっと喜ぶ、こんな召使い」


彼はまた手を回した。僕はまた走った。


『あいつ、撃つ前に毎回手を回してる』


手が飛んでくる。僕はかわした。もう一発。また。僕は横に飛び退いた――最後の瞬間、鎖がちょうど頭の上を通り過ぎていった。


クリオは明らかに、僕の動きに慣れてきていた。次の一発はもっと速かった。僕はびくっとして、そしてまたつまずいた。


体が下へ倒れていく。手は、一秒後に僕がいたかもしれない場所を通り過ぎていった。


僕は横向きに倒れ、それからすぐに起き上がった。


クリオが固まった。


「ヘイ! 転ぶ、やめる!? クリオ、やっとおまえのテンポ、合わせた」


「うるさい!」


僕はまた走りだした。でも今度考えていたのは、どうやって逃げるかじゃなかった。


『あいつは先読みで撃ってくる。つまり、僕が予想どおりに動けば、遅かれ早かれ当たる』


僕はもう一度手を見て、鎖を見て、クリオを見た。


『でも、手は毎回同じ軌道で戻っていく』


そのとき、頭の中にまったく別の世界が浮かんだ。友達。ゲーム。スパークソウルⅢ。


あいつは同じ敵に何十回も負けては、まともに勝つ方法はひとつしかない、ずっと足もとにいること――股下だ、と言っていた。


『くっつけ。斬れ。まともに向き直らせるな』


僕はクリオを見て、それから鎖を見た。


『手は戻っていく。じゃあ、僕も一緒に戻ったら?』


僕は次の一発を待った。クリオが手を回す。鎖が鳴る。手が飛び出す。


僕は走った。クリオは、僕がいるはずだと思った場所へ手を向けた。僕は逃げつづけるふりをした。


もう少し。


もう少し。


そして最後の瞬間、くるりと振り返った。


跳んだ。


マントで手に引っかかる。すぐに体が前へ引っぱられた。


「なに!?」


手が戻っていく。クリオが、僕の目の前にいた。


『今だ!!!』


僕は全力で、針を彼の顔に突き立てた。


「シャイセ!!!」


僕は放さなかった。手は戻りつづけ、僕も一緒に引きずられていく。


針が顔を切り裂いていく――どんどん深く入っていくのがわかった。後頭部まで。


何も考えなかった。ただ、しがみついていた。


それから手を放した。下へ飛び降りた。ちょうど彼の足もとに着地した。


そして、もう一度突いた。


クリオはバランスを崩して床に倒れ込み、痛みに叫んだ。


✧✦✧


僕は彼の上に立っていた。マントの端はまだ震えていたけど、僕は離れなかった。


クリオが僕を見た。今度の目はまったく違った――子供を見る目でも、影身を見る目でもない。彼にさえ、恐怖が浮かんでいた。


彼はゆっくりと後ずさりはじめた。


「ま、待つ……」


僕は動かなかった。


クリオは慌てて自分の体のどこかを探り、小さな赤い石を取り出した。


「こ、これ……これ、おまえに!」


僕は後ずさった。


『おまえからなんて、何もいらない!』


クリオは石を差し出したけど、僕は受け取るつもりなんてなかった。すると、石がいきなり彼の手から飛び出した。


ひとりでに。


僕はさっと身を引いた。石は宙に浮き上がり、まっすぐ僕のほうへ飛んできた。


「えっ!?」


石は僕の体にぶつかった。


そして、中へ消えた。


僕は固まった。数秒のあいだ、何も起きなかった。


自分の体を見下ろす。


何もない。


『今の、なんだ?』


僕は一歩下がった。そして突然、広間全体が赤い光に染まった。


僕は固まった。恐怖が骨の髄まで染み込んだ。骨があればの話だけど。


『何が起きてるんだ!?』


動く勇気すら出なかった。


宙に、目が現れはじめた。ひとつ。ふたつ。またひとつ。さらにもうひとつ。


数はどんどん増えていく――僕とクリオのあいだに、床の上に、壁のそばに、宙に浮かぶ本のあいだに。


まわりの物がゆっくりと宙に浮きはじめた。本、瓶、硬貨、武器、木切れ、石のかけら。


まわりのすべてが、重さを失ったみたいだった。


僕はじっと立ち尽くしていた。


『なんで、動けないんだ!?』


クリオの背後に、ひときわ大きな目が開いた。巨大な、ひし形の目。


瞳孔がゆっくりと伸びていく――まず上へ、それから下へ、左右へ、さらに大きく。四つの方向。


四芒星だ。


目がさらに大きく見開かれた。その内側から、黒い骨ばった手が現れた。手はクリオをつかんだ。クリオがびくりと震える。


「な、なに……!? ご、ごめんなさい! ご主人さまぁぁぁ!」


手が彼を後ろへ引きずり込んだ。クリオは目の奥へと消えていった。目が閉じた。そして同じ瞬間、ほかの目もすべて消えた。


赤い光が消えた。本や瓶は床に落ち、硬貨が大理石の上でカラカラと鳴り、武器が轟音とともにすぐそばに落ちた。


体のこわばりが解けた。


僕は数秒、ただ立っていた。それから、ナエのことを思い出した。


「ナエ!」


僕は彼のもとへ駆け出した。


✧✦✧


ナエは広間の中央、壊れたテーブルと椅子の残骸のあいだに倒れていた。僕は駆け寄った。


彼はもう意識を取り戻しかけていた――身じろぎして、目を開けた。


僕はすぐそばで立ち止まった。


「ナエ……」


彼はしばらく僕を見ていたけど、それから大きく息をついた。


「モ……」


僕は彼を見た。クリオは消えた。パッキーたちも。広間はほとんど静かになっていた。


ナエがゆっくり体を起こそうとしたので、僕は手を貸した。彼はあたりを見回した。


視線は壊れた扉で止まり、それから床、それからついさっきまでクリオが立っていた場所で止まった。


「誰にも言うな。特にギルドにはな」


僕は眉をひそめた。


「なんで?」


ナエはすぐには答えなかった。数秒、ただどこか横のほうを見つめてから、ずっと真剣な声で言った。


「あいつらに知られたら、俺たちにも、ヴェルにも、死が降ってくる」


もっと聞きたかった。でも彼の表情を見て、今はこれ以上何も言わないだろうとわかった。


広間の奥のどこかで、鈍い音がした。僕たちは二人とも黙った。


キュッという鳴き声。また、ドンという音。


僕は首を向けた。


「なに……?」


音がもう一度聞こえた。今度はもっとはっきりと。鈍い衝撃音と、短い鳴き声。


ナエも同じほうを見た。


音の出どころは、壁際の大きな宝箱だった――上から巨大な石のブロックに押しつぶされている。鳴き声が、また中から聞こえた。


僕とナエは顔を見合わせた。


「中に、だれか、いる?」


ナエは答えなかった。僕たちは近づいて、石を動かそうとした。


だめだった。


もう一度。石はしぶしぶ動き、さらにもう少し、そしてついに鈍い轟音とともに横へ転がり落ちた。


宝箱のふたが勢いよく開いた。中から、炎の狐が飛び出してきた。


僕は固まった。ナエも固まった。狐も固まった。


僕たちは数秒、ただ見つめ合った。


『なに?』


狐は文字どおり炎でできていた。なのに、なぜかまわりを燃やしていない。ちゃんと観察する暇もなく、ナエが急に我に返った。


彼は片膝をついて、何かを歌いはじめた。


僕は耳を澄ませた。笛だ――彼の声はまさにそんなふうに聞こえた。普通の話し声じゃなく、旋律として。


狐は少しずつ暴れるのをやめ、においを嗅いで、ナエを見た。ナエは歌いつづける――静かに、ゆっくりと。


数秒後、狐は床に伏せた。まるで服従を示すみたいに。


『手なずけた?』


ナエがそっと手を伸ばした。狐は身を引かなかった。


僕は狐をもっとよく見た。本当に全身が炎でできているのに、熱くない。


頭の代わりに大きな木の洗濯ばさみがついていて、足は革のブーツでできていて、しっぽの先には、ペンのペン先が突き出していた。


『これ、いったいどういう仕組みなんだ?』


答えを思いつく前に、ナエがいきなり両膝をついて、文字どおり狐のブーツに頬ずりしはじめた。


「おお、お天道様……なんて美しいんだ。この形、この道具、この大きさ……ああ、まさかこんな伝説級のモコを手なずけられるなんて。お前の名前はルッカだ」


狐はすぐに彼の腕から飛び出して、前足で何度か彼の顔をはたいた。


ペシッ。ペシッ。


ナエは固まった。それから、ゆっくりとほほえんだ。


「まさに……伝説の獣……」


そして、恍惚とした顔のまま後ろにばたりと倒れた。


僕はしばらく彼を見ていて、それからルッカを見た。ルッカも彼を見ていた。


✧✦✧


ヴェルからはるか遠く、真っ暗な部屋の中で、目の形をしたポータルが開いた。そこから、クリオが文字どおり床に吐き出された。


彼はすぐに立ち上がった――いや、立ち上がろうとして、慌ててひざまずき、頭を垂れた。


金属の帽子が滑り落ちて、かすかな音を立てて床に転がった。


クリオは震えていた。


「ご、ご主人様? ク、クリオに、な、なにか、ご用……?」


誰かが彼の肩に触れた。黒い、骨ばった手。


クリオはびくりとした。背後で闇が形を取りはじめ、その中にひとつ、赤い目が開いた。


クリオは振り返りもしなかった。声は、耳のすぐそばで響いた――落ち着いていて、好意のかけらもない声。


「失望させてくれたな。わかっているか」


クリオの震えがひどくなった。


「し、失望!? ク、クリオ、め、命令、守った……」


少しの間。


「なら、フェリクスの残響はどこだ」


クリオは黙り込んだ。答えられなかった。今になってようやく、自分がどんな過ちを犯したのかを思い知ったのだ。


彼の肩に、二本目の骨ばった手が現れた。


「朝までに報告書を持ってこい。執務室で待つ」


少しの間。


「せいぜい励め。妹のためにもな」


彼の背後の闇が、ゆっくりと部屋を呑み込んでいった。


挿絵(By みてみん)


挿絵(By みてみん)


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