戦火に背を向けて、影の濃度《ソラ》
《ソラ》
俺たちは次の目的地が決まっていると言うのに、船が出るようになるまで一ヶ月弱、桜の離宮に留まることになった。
初めはもどかしい気持ちが強かったが、その間、俺はユフィから魔道の教えを受けたり、カイやカスガに剣術や体術を習ったりと、一日が二十四時間では足りないくらいに感じた。
そして、本当にささやかな時間で、カスガが弾く胡弓や、マキが吹く笛を楽しんだ。
カスガが王家から離れた以上、乱に関わることは一切許されなかった。スバルと王家、どちらの味方になっても、謀反人や、結局は王族側だと、どちらかからの批判にさらされるからだ。夜には遠くに戦場の火が見えるというのに、対岸の火事と思わなくてはいけない。音楽は、そのモヤモヤとした気持ちを和らげてくれた。
しかし、少し離宮を出ると、都には難民が見られるようになった。なかには負傷して、治療の機会に恵まれない民も見られた。カスガはそういった民を救うことも禁じられてしまっていた。彼は一ヶ月のほとんどを離宮で過ごすが、たまにボンヤリとした表情を浮かべていた。
離宮で過ごすなかで、アルタビルは少しずつ思いを吐露する。別に俺たちに心を許したわけではない。彼がユイミヤとともに活動するなか、自身を固く締め付けていたものが緩んだ反動に思える。
彼は独り言のように呟く。
「もしも姫神教さえなければ、ソクアヴェスタはヴァルクシェンナに勝利していた。」
「もしもソクアヴェスタが勝利していれば、形代たちは不自由なく生きることが出来ていた。」
「もしもソクアヴェスタが勝利していれば、ハーフエクラだとか、弾圧される者への救済を、希望教は積極的に行っていた。」
それらは全て、もしも、れば、の話だった。以前、似たようなことをヒューも言っていた気がする。
マキは何を意図しているか分からないが、アルタビルに問いかける。
「ソクアヴェスタの好きなところは、どんなところだったの?」
そう問われると、アルタビルは目を閉じて言う。
「年上が、年下に優しいところだ。」
すると、彼の目から涙が溢れる。
「希望教の女神ルイゼは、仲間のなかで一番年長者で姉御肌だった。褒めるべきことは褒め、叱るべきことは叱る。子ども相手に遊ぶ場面も、神話にはある。ソクアヴェスタ人はルイゼの姿を真似て、誰の子どもだとか関係なく、みんなが子どもに親切にする。僕とユイミヤは、そんなソクアヴェスタに帰りたかった。」
「今からでも叶うんじゃないかい。」
俺は、うなだれるアルタビルに言う。
「何年、何十年かかるかもしれない。けどよ、そんなソクアヴェスタを覚えてるあんたが生きてることは、ちゃんと意味があるんじゃないかい。」
アルタビルは返事をせず、うなだれたままだった。
そんな日々を過ごして、船が出る目処がたった。目指すはウルムナヤ大陸。ウルムナヤ大陸にあるリベリア国出身のマキが、地図を差して言う。
「ウルムナヤ大陸は、緩やかな三角形になっているでしょう?一角だけ鋭い岬になっている、ここ。ここを、大陸の人は三角岬と呼んでいるの。」
言われた通りに地図を見ると、確かに一角だけ鋭い三角岬がある。しかもそれは、ハモニア大陸とかなり近い。ハモニア大陸は、ヴァルクシェンナとソクアヴェスタの戦場となった大陸だ。
「ヒューがこの三角岬のことを言ったのは、何か意味があるのかな。」
俺の呟きに、マキは首を傾げる。
「分からないわ。三角岬はハモニア大陸が近いぶん、精霊戦争の影響が災害となって現れて、常に嵐が吹き荒れる危険な場所よ。ずっと昔の人が三角岬と名付けたけれど、足を踏み入れた人は聞いたことがないわ。ましてや、そこに教会なんて…。」
マキの言葉を受け、再び地図を見る。確かに、地図だけで見ると、少しの橋でハモニア大陸と繋がれそうな近さだ。すると、カイが言う。
「アイリスの教会と言っていたよね。アイリスは、希望教が象徴としている花だよ。きっとヒューの言う通り、真実に近づく何かがあるかもしれない。」
「罠という可能性は?」
ユフィが慎重に問う。
「罠は無いと思う。」
俺が答えると、ユフィは呆れ顔で問う。
「根拠は?」
「勘さ。」
ユフィが大きくため息をつき、他の三人は笑った。
そして、旅立ちの朝となった。
カザトは戦地におり、シュリやイオ姫は安全のため、言い方は悪いが軟禁状態にある。もう王族でないカスガを見送る者は、ウヅキだけだった。ウヅキは泣きながら言う。
「殿下、これからもお元気でいらっしゃるよう、毎日サクノ姫の墓前でお祈りいたします。」
「もう殿下でねえよ。ウヅキも、長生きしとくれ。」
カスガは、シワだらけのウヅキの手を握って言った。きっと、これは最後の別れなのだろう。王家から縁を切られたカスガは、二度とメウィティカに戻ることはないのだろう。
「無礼を承知で、申し上げます。」
ウヅキはカスガの手を握り返して言う。
「娘も孫も亡くした私にとって、殿下は孫同然に、心から愛らしく思っておりました。どうか、お幸せに…。」
「ああ、ワシもウヅキが爺ちゃんじゃと思うておったよ。誠、ありがとうのう。」
そして、船は出航した。船は商人や旅人が多いが、なかにはメウィティカから離れようとする者も見られる。カスガは言う。
「身なりなどを見る限り、都で暮らす富裕層に見える。武人ではなく、じゃが金はある。そういう者は国から離れるほうが、まあ賢いじゃろう。」
俺たちは多くの旅人たちと雑魚寝をするような、安い船室で過ごす。
船旅のある日の夜、夢を見た。俺の内側だ。
〈よう、ソラ。〉
「おう、ネグル。久しぶりだな。」
この黒い結晶と会うのはアリアレジス以来なので、かなり間が空いたように感じる。
〈久しぶり。いろいろと経験したようだな。〉
「ああ。さらに成長したソラ様だぜ。」
〈まあ、迷いや恐怖も、ある意味、成長の一つだよな。〉
「なに?」
〈ソラ、お前は召喚獣だとかで強くなっているかもしれねえが、肝心の内側はどんどん弱くなっているぜ。〉
俺はネグルの、いつもの遠回しで意地悪な様子と違う、率直な指摘に眉をひそめる。
〈本当にアイリスの教会へ行くのかい?〉
「行くさ。真実を知るためにね。」
〈ソラ、お前、本当に真実を知りたいのかい?〉
「…真実を知ったら、生きていかなきゃいけないってやつかい?そんな覚悟、出来てるさ。」
〈もう強がるなよ。〉
「ああ?」
〈お前は今、いや、本当はだいぶ前から、真実を恐れている。〉
「そんなことない。俺は真実を知って、夜明けへ進むって言ってるだろ。」
〈冷静になって整理しようぜ。お前の知りたい真実を。〉
今日のネグルは、やはり少し違う。俺はその結晶に耳を傾けることにした。
〈まず、形代の真実。結局、希望教のせいなのか?姫神教のせいなのか?〉
俺は忘れかけてしまっていた。クルエルでセーラが口にした、俺を揺さぶった言葉。
〈そして、姫神教と希望教。この闇の深い宗教の真実。〉
不覚にも、俺は頷いてしまった。
〈で、その二つの宗教を知るには、精霊戦争の真実を掴まなければいけない。〉
「分かってるさ。それはディーン皇王とも約束したことさ。」
〈俺は、心配してるのさ。〉
「心配?」
〈それらの真実を知ったら、ソラ、お前はこの世界で生きていけないぜ。〉
俺はその言葉を、やたらと重く受け止めてしまう。
「それは、生きるのを許されないということかい?それとも、生きていくのが嫌になるということかい?」
〈両方さ。真実を知っちまったら、お前は自分を保てない。生きるなんて、とんでもないぜ。〉
俺はそう言われ、なぜだか妙に弱気になり、俯いてしまった。
〈なあ、ソラ。今からでも逃げちまおうぜ。ほんの十三歳が逃げたところで、誰も責めないさ。〉
「嫌だ。俺が自分を許せない。」
〈ただでさえ、希望教に気持ちが傾いているんだろう?今、希望教への誘いに揺らいでいるだろう?〉
「揺らいでなんかない。」
〈はあ?本当、矛盾してやがる。前は希望教とともに世界に反抗するかもと言っていたくせに。もっと前のお前なら希望教は即拒否していたのに、今はもうブレブレじゃねえか。〉
「それは…。」
〈実際、ソクアヴェスタの王子や、毒の形代に同情、いや、共感すら抱いているじゃないかよ。〉
俺は、何も返せなくなっていた。
〈今、お前は四人の仲間と希望教の間で揺れている。違うか?〉
「違うね。四人は四人。俺の仲間だ。」
〈でもよ、希望教に入った毒の形代と、あの薬剤師の王子。ヤツらは敵対関係になった。〉
「敵じゃない。カスガはセイを、友達として追いかける。」
〈でもよ、次会ったら必ず刃を交えるぜ。それは、友達かい?〉
「それは、カスガとセイが結論を出すことだ。」
〈お前が希望教を選んだら、あの四人は敵になるぜ。断言する。〉
「それは…。」
俺はまたも、同じ言葉で言い淀んでしまう。
〈人間って、めんどくせえな。〉
ネグルが鋭く煌めく。
〈早く裏路地の浮浪児に戻れよ。思想とか、宗教とか、仲間とか関係ない。気ままに生きていた頃に戻れよ。〉
「俺は…。」
そう言って、一息ついて自分を整える。
「俺は、まだ決められない。少なくとも、四人と離れる理由は見つからない。」
俺がそう言うと、しばらく互いの間に沈黙が流れた。
〈あーあ…。〉
ネグルが、鈍く光る。
〈詰まらねえ人間になったな。俺はお前の、ギラギラと爆発しそうな、危うい孤独さが心地良かったのに。〉
「孤独じゃないと、俺じゃないのかい。」
〈お前はお前だけどよ、詰まらねえってだけさ。〉
「お前に詰まらねえって思われても構わねえよ。」
〈本当に、そうかい?〉
「…ああ?」
〈常に自分に問いかけろよ。そうじゃないと、ずっと夜明けは迎えられないぜ。〉
すると、瞼越しに光を感じる。夜明けだ。
「生きるって、面倒だな…。」
俺はそう呟きながら、目を覚ました。
人生のなかでも、割と最悪な目覚めだ。ちくしょう。




