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【太陽物語】 夜明けへ進む少年は  作者: 立花ハル
《第九章 メウィティカ大陸、問われる正義》
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メウィティカ、檻を破る力2《カスガ》

《カスガ》


【十六歳】

 宮殿の中庭、その片隅で、ワシらは刃を交えている。どちらも体格に差は無い。身軽さもそう変わらん。ワシのほうが二刀構えているぶん優位かと思うたが、セイの素早い刀捌(さば)きで躱(かわ)されてしまう。

 二人が刃をぶつけたり踏ん張ったりすると、足元の花が散る。

 ハギ、ジンチョウゲ、キンレンカ。どれも愛国心や幸福、繁栄を願う花じゃ。


「セイ。希望教から手を引け。」

「黙れ。ワシが決めたことじゃ。」

「ユイミヤとアルタビルという二人の魔道士、ヤツらの残虐さを知っておるのか?」

「知っておる。そのうえで、ワシは決めた。」

 セイの瞳は揺るがない。ワシはさらに問う。

「ワシは旅の途中、ヤツらが人を殺したり危害を加えたりするのを見た。セイ、お前には…。」

 話を遮(さえぎ)って、セイが一撃を加えてくる。

「セイ、ワシの話を聞いてくれ。」

「聞かぬ。良いから、神王(しんのう)の元へ行かせよ。」

「嫌じゃ。絶対に行かせん。」

「…ならば、斬り捨てる。」

 そう言うと、セイが素早い連撃で攻めてきた。一撃一撃があまりに重く、受け止める体が左右に揺さぶられてしまう。それでも、ワシは必死に訴えるのをやめない。

「なぜじゃ、ワシらは友人じゃ、兄弟じゃ。なぜ戦うのじゃ。」

「ワシの道を阻む限り、ヌシはもうワシの敵だからじゃ。」

「敵じゃない。ワシは、セイ、ヌシをちゃんと理解したい。」

「ヌシの理解などいらぬ。ワシが求めるのは、形代(かたしろ)でも普通に生きていける国だけじゃ。」

 セイはためらいなく、刀を振ってきた。ワシは後ろに下がり、かろうじて避ける。


 ワシはセイの心を揺さぶろうと、彼女の名前を出す。

「シュリは、どう考えておるんじゃ。」

 セイは刀を構えたまま答える。

「シュリは希望教を拒んだ。このまま静かに生きていければ良いと、ヒューに答えた。」

 ヒュー。あの妖(あや)しく笑う、妙に人をたらし込む少年。ヤツが来ていたなんて。

「シュリがそう答えたならば、セイも共に生きれば良かろう。蒼華(そうか)の生業(なりわい)を手伝い、静かに暮らせば良かろう。」

 ワシはここだ、と思い、すがるように言う。じゃが、セイは一番の軽蔑の眼差しを向けて言う。

「誠、ヌシは何も知らん。温室育ちのカスガ殿下。」

 その煽り文句に、本来のワシらの関係性であれば小競り合いでも起こすはずじゃが、とてもそんな心持ちにはなれん。黙るワシに、セイは刀を少し下ろして言う。


「ヌシが旅で不在の間、ワシとシュリに、神王の遣いが来て言うたよ。成人して夫婦となったら、形代の力を使って内乱を治めるべく戦えと。」

「なんじゃと。」

「ヌシはシュリの力を知らんな?シュリは水の形代じゃ。国土中に川が巡るメウィティカにおいて、水害を起こせるシュリは、王家の軍にとって喉から手が出るほど欲しい力じゃ。」

 それを聞き、改めて思う。やはり、王家は形代を人として見ていない。そして、ワシだけが知らぬ事実があることが、この期に及んで複雑じゃった。

 セイは続けて言う。

「ワシがスバル殿下につき、希望教についた理由が分かったじゃろう。ワシとシュリが、人間として生きてゆくためじゃ。友人じゃと思うなら、ワシを行かせろ。」

 セイの言葉に、ワシのほうが揺らいでしまう。人間として。そんなささやかなことを、戦わないと叶えられないなんて。


 じゃが、ワシは小刀を構え、言う。

「ヌシらは友人じゃ。それは変わらぬ。じゃからこそ、行かせぬ。」

 すると、セイも刀を構える。そして、刀に不思議な力が集中するのを感じる。魔道じゃ。

「カスガ。ヌシがそう頑(かたく)なならば、ワシはやる。」

 そう言うと、セイは素早く斬り込んでくる。じゃが、今までとは違う。深く重い一撃を狙うのではなく、軽やかな動きで浅い傷を何ヶ所かに入れてきた。拍子抜けしたワシは言う。

「こんなの、かすり傷じゃ。」

「…気付け、薬師(くすし)よ。」

 これまで鋭い瞳を向けてきたセイが、初めて目を伏せた。そのとき、浅い傷が腫れ、変色していく。

「…毒か。」

 セイが伏せていた瞳を、こちらに向ける。

「ワシは毒の形代。どうやら王家は、ワシとシュリを利用して、水に毒素を含ませるだとか、そういう策を取りたいらしい…。誠に、馬鹿げておる。」

 そう吐き捨てたセイは、ワシに言う。

「早(は)よう手当てをすれば、何も残らん毒じゃ。じゃが、時間がかかると、確実に死に至る。…カスガ、去れ。」

 ワシが黙っていると、セイは叫ぶ。

「良いから、早よう去れっ。」

 その瞬間、ワシは全速力で走り、セイを押し倒す。そして、着物の襟を掴む。

「な、なぜじゃ。短時間でも、動きを止めるのに充分な毒を与えたはずじゃ。」

 セイは戸惑いながら言う。

「セイ、ワシは薬師じゃ。そして、母上は毒で死んでおる。」

「まさか。」

「ワシは長年、己に毒を入れ、耐性を作った。何年もかけて、少しずつ。大抵の毒ではワシは死なん。…じゃが、まさか。」

 そして、ワシはため息を吐(つ)いて言う。

「…まさか、ヌシに毒を入れられるとは、思わんかったよ。」


【十五歳】

 人の命は儚(はかな)い。母上の死で知っていたはずなのに、ワシはまたも、思い知らされた。

 ロンソ村で、サギとミツヤが死んだ。二人の目を盗んで劇団の演奏を聴きに行ったところ、運良くワシは助かった。あんなに強い二人が死ぬなんて。ワシは平静だったわけではなく、にわかには信じ難かった。

 暗殺を逃れるための旅のはずが、危険な旅に繋がってしもうた。誠、生きていると何が起こるか分からん。


 世間知らずのワシは、何の役にも立たん。小刀で戦えるとは言え、剣が本職のカイには一切敵わない。

 ユフィにマッチを渡されたとき、ワシはその小さな箱と短い棒の使い道が分からず、カシャカシャと振るだけじゃった。ユフィの眉をひそめる顔は、今も忘れられん。

 マキの結界や補助魔道があるから戦えるし、何より彼女は、ワシらのなかで一番稼ぐ力があった。

 ワシは同年代で、自分の力で生きておる者たちに、引け目を感じてしまった。


 ソラは正直、得体の知れない少年じゃった。形代ということには何の抵抗も無かったが、何しろ口の利き方といい、食事の作法といい、野生的すぎる。それになんとなく、人生をほとんど孤児として生き抜いたヤツのたくましさに、これまた劣等感を感じてしまった。ワシは、卑屈になっていたのじゃと思う。


 ワシの人生を変えたのは、もしかしたらヴェーゼンの街かもしれん。

 生まれて初めて、働いて収入を得た。それに、時代遅れとされていたメウィティカの医療や薬学が充分通じ、人を助けることが出来た。

 人の生きる道にやり甲斐というものがあるならば、ワシにはこれかもしれぬ。相手の安心した顔や、喜ぶ顔、ありがとうの一言。それに子の無事に微笑(ほほえ)む母親の顔。どれもメウィティカ、桜の離宮という檻では、感じられんものじゃった。


 そして、ソラとの一件。

 ヤツは盗みを犯してしまった。問いかけるカイに、ソラは追い詰められたような表情で、取り分という言葉を放つ。そんな言葉を、ワシは知らなかった。知らない世界が、身近な少年にあった。

 心底、追い詰められたソラは叫ぶ。

「うるせぇっ。そんなこたぁ分かってるんだっ。」

 それは、張り裂けるような声じゃった。得体の知れない不良少年の、溢(あふ)れ出す本音。今にも涙がこぼれそうな青い瞳に、ワシはセイを思い出した。

「お前らに何が分かるんだよ、どうやって飯を食えばいいんだよ。損をするとかしないなんざ知らねぇ、協力なんざクソ喰らえだ。最後に自分が死ななきゃいいんだ。」

 ソラが語るのは、何もかも恵まれた環境に生きたワシの知らない世界じゃった。いや、そもそも、ワシの知る世界のほうが狭すぎるだけなんじゃ。ワシはどんなに努力をしても、生まれの違う者を理解出来ないのかもしれない。

 その瞬間、ワシは冷たい檻に追い込まれた。

「俺ぁ、そういう正しい綺麗なだけの言葉が大嫌いだっ。それだけじゃ野垂れ死ぬだけだ。綺麗なだけで生きていけんのかよ、カイだって人を殺してるくせにっ。」


〈温室育ちのくせに、余計なことを言うでない。〉


 ソラの叫びは、か弱い小動物が助けを求めるような、力無い声じゃった。それなのに、なぜか。ワシの頭に、セイの言葉と暗く青い瞳が浮かぶ。


 気付いたら、ワシはソラの左頬を叩いていた。

「カスガっ。」

 カイがワシを制止する。ワシは自分でも信じられん。まさか、年下の少年を叩くなんて。

 頭のなかで、セイの青い瞳が揺らぐ。

 目の前のソラは、実際の年よりも幼い顔でワシを見ている。ワシは後戻り出来ず、ソラの肩を掴(つか)んで話しかける。


「そうじゃ、ワシゃ、ヌシの苦しみは知らん。じゃが、知っていきたいと思っておる。その気持ちを知っておいてくれ。それと同時に、カイにはカイの苦しみがきっとあることも、知ってほしいんじゃ。頼む。」


〈そうじゃ、ワシゃ、セイの苦しみは分からん。形代の苦しみは分からん。じゃが、友人として、ヌシを知っていきたいと思っておる。その気持ちを知っておいてくれ。どうか、知っておいてほしい。頼む。〉


 それはきっと、セイに返したかった言葉じゃった。

 ワシはいつからか、人を救う者になりたかった。母上が蓮池の側で倒れているのを見て以来、本当は誰かを救いたかった。人の死が苦しかった。セイが苦しんでおるなら、寄り添いたかった。自分が詰まらないぶん、誰かを救いたかった。

 ワシはそのために、医療も薬学も学んだのかもしれん。後付けかもしれんが、それでも良い。

 ソラにはそっぽを向かれてしまい、少し後悔をしたが、ワシのなかの見知らぬ気持ちを知ることが出来た。

 ワシは医療と薬学、人を救うことを道とする。

 その先で、故郷でセイやシュリと穏やかに過ごせたら。それは、出来すぎた願いじゃろうか。


【十六歳】

「…まさか、ヌシに毒を入れられるとは、思わんかったよ。」

 宮殿の中庭の片隅で、ワシは地面に押し付けたセイに言う。

 気付いたら、セイの頬に水滴が落ちていた。

「…やめろ。…泣くなや、カスガ。」

「泣いてなど、おらん。」

 いや、ワシは泣いておる。無力で、友人の役に立てない、無様な自分が情け無い。そして、無知であった檻のなかの自分が、情け無い。


 セイは緊張を緩めなかった。ほんの一瞬、ワシの油断をついて、ワシの両手を解いて刀を拾いに行く。

 じゃがワシは腰にしがみつき、地面に抑えて言う。

「やめろ、セイ。ワシらの間に、武器など必要ない。」

「離せ、ワシは名前も身分も捨てる。何もかも捨てて、人間としての権利を勝ち取るんじゃ。」

「それは、武器や魔道に頼らずとも出来る。」

「じゃから、ワシが生きるのは、そんな正論が通じん世界じゃと言うておろう。」

「正しいことを言う者がいなくなったら、全て壊れるじゃろう。」

 ワシがそう言うと、セイは、こちらにその青い瞳を向けて言う。

「もう、分かった。ワシとカスガ、道は違(たが)えた。」

 その瞳は、ますます深い闇に呑まれていた。

「違えてなどおらぬ。ワシは、形代だとか、希望教だとか、そんなの関係なしにヌシを理解したい。」

「じゃから、そういうのが温室育ちなんじゃ。」

 温室育ち。ワシが言われては堪(たま)らん言葉。じゃが、ワシは食らいつく。

「温室育ちと言われようと、ワシは離さん。」

 ワシの目からは、ますます涙が溢れ出る。

「セイ、ワシはヌシに、人を殺してほしくない。人を不幸にしてほしくない。幸せになってほしい。それだけなんじゃ。」

 そう言った瞬間、セイの青い瞳が揺らぐ。それは、また遊ぼうと言った少年時代の表情に似ていた。しかし、セイが体重を操り、ワシを振り解いて言う。

「ワシの幸せは、ワシが決める。希望教で世界を正し、形代が普通に生きられる国を作る。…そこに、ヌシがいないなら、それはそれまでのことじゃ。」

 セイは揺るぎなく、決意を示す。

 ワシはセイの後ろに、シオンの花を見た。秋の訪れを告げ、友人を思って贈られる花。なんと、皮肉な光景じゃろう。


「カスガっ。」

 声のほうを見ると、カイとマキがいた。二人とも剣と笛を構え、セイに対して臨戦態勢をとっておる。じゃが、もうそれを止める理由は無くなってしまった。

 セイは刀を拾い、言う。

「分(ぶ)が悪いのう。武人たちが集まっておる。」

 そして刀を納め、懐(ふところ)に手を入れる。

「カスガ、もう関わらんでくれ。頼む。」

「…嫌じゃと、関わると言うたら?」

 ワシはセイに問うた。しかし、セイは言う。

「ワシは、シュリをヌシに任せたいと思うておる。」

「シュリの許嫁(いいなずけ)は、ヌシじゃろう。」

「ワシは、国を捨てる。スバル殿下と希望教につくと言うておろう。」

「さすがのシュリも泣くぞ。」

 ワシがそれを言うと、セイは目を一瞬だけ逸(そ)らして言った。

「もう、泣かせた。」

 するとセイは、懐から煙幕を出した。辺り一面、何も見えん。じゃが、ワシは叫ぶ。

「セイっ、ワシはヌシを追いかける。そして、シュリを泣かせたことを謝らせる。絶対じゃ。」


 カイとマキと合流し、ワシは宮殿に入る。辺りには毒でやられた武人たちが所狭しと横たわっておる。あんなに美しかった宮殿がこうなるとは、戦とは、何の意味があるのじゃろう。

 そしてこの毒は、セイの力によるものなのではないか。ワシは考えたくないが、いずれきちんと、考えることにした。

 ワシらは武器を預け、神王陛下へのお目通しがかなった。そして、崇龍(すうりゅう)の間へと入る。


 神王陛下は高い位置に鎮座し、近くには長戟(ちょうげき)を構えたカザトのアニ様が護衛として座る。

 ワシらも神王陛下の前に座り、頭を伏せる。

「そうか、ヌシは朕(ちん)の側か。」

 神王陛下は、神経質そうな顔に、ますます鋭い糸が張り巡らされたような顔をしておった。そして、年相応の深い皺(しわ)に、暗い影が出来ている。

 そこで、初めて腑に落ちる。この方も、人間じゃった。男系継承の国じゃと言うのに女子(おなご)にしか恵まれず、孫たちは勝手し放題。神王は、疲れておる。


 じゃが、やはり一国の主、態度の大きさは変わらない。

 ワシは言う。

「神王陛下、セイはスバル殿下と希望教につきました。」

「心得ておる。顔を見たこともない孫じゃが、武人としての才に優れておるそうじゃな。少々、惜しい。」

 ワシは頭を伏せながら、怒りの息が漏れる。

「継承順位も変わったのう。トキヤが三位じゃが、アリアレジスとの同盟を維持するためには、国へ戻すわけにはいかぬ。国内でこれだけの乱が起きている以上、いずれアリアレジスの後ろ盾も必要となるしのう。であれば、次の神王はカザトじゃ。カスガ、ヌシは次期神王の弟として、さらなる自覚を持て。これからは国に留まり、王家の役に立て。」

 その話に、カザトのアニ様は短く返事をした。

 ワシらは所詮、王位を保つために控えられた空っぽの器でしかないのじゃ。ワシは駆け出しそうな気持ちを抑えて言う。

「恐れながら申し上げます。神王陛下、私に機会をください。私はセイを追いかけとうございます。そして、ヤツに償わせたいと思います。」

「償い?今回の乱の、一端を担(にな)ったことをか?」

「違います。」

 そして、ワシは顔を上げて言う。

「ワシらの大切な姫君を、泣かせた罪をです。」

 すると、神王はため息を吐いて言う。

「詰まらぬ。やはり愚かな娘と逆賊の子か。」

「そうです。ワシは、王位など荷が重い、詰まらぬ男です。いっそのこと、ワシから王位を取り上げてください。」

「ならぬ。カザトに何かあってはどうする。」

「アニ様は死にませぬ。強くしぶとい武人にございます。」

 すると、神王は畳んだ扇子をワシに指して言う。

「…違う。逆賊の息子が裏切らんとも限らんと言うておるのじゃ。」

 その瞬間、ワシの怒りが頂点に達する。立ち上がったとき、横からカザトのアニ様がワシの襟を掴んで、小声で言う。

「歯を食い縛れ。」

 すると、アニ様の右拳がワシの左頬に強く入る。あまりの衝撃に吹っ飛ぶほどの力じゃ。カイとマキが駆け寄る。

 アニ様は、神王に頭を下げて言う。

「申し訳ありませぬ。不出来な弟には、私からよく言い聞かせます。…じゃが。」

 アニ様は顔を上げる。

「今少し、弟に時間を与えてやれませぬか。その逆賊、セイを捕える任務を、どうかお与えください。」

 ワシはアニ様の言葉が意外で、その横顔を驚いて見る。しかし、神王は泰然として言う。

「聞き分けの悪い兄弟よ。愚かな母に似たか。」

 ワシとアニ様の顔がこわばる。

 そのとき。


「失礼いたします。」

 一人の少女が、崇龍の間に入ってきた。着飾っており、すぐには分からなかったが、それはイオ姫じゃった。

「翠雨(すいう)の当主、イオにございます。神王陛下、お久しぶりでございます。」

「イオ姫か。久しいのう。」

 ワシは驚いた。あの神王の顔に、一瞬じゃが懐かしげな、優しい様が浮かんだのじゃ。そして、神王は言う。

「ますます、そなたのお婆様に似てきたのう。誠、美貌の姫君じゃ。カスガにはもったいない。して、突然どうしたのじゃ?」

 心なしか、神王は言葉がけまで、イオ姫には優しい。イオ姫は答える。

「こたびの乱で、翠雨の民の土地も危のうなりまして、都へ逃れて参りました。そんな折、カスガ殿下が駄々をおっしゃっておると聞き、私も説き伏せに参りました。」

「ほう、強気な気性も、そちのお婆様そっくりじゃ。この聞き分けの悪い孫に、朕からも頼む。」

 神王の張り詰めた糸が、少し緩む。そして、イオ姫がワシの前に座る。


「殿下、今こそ王家の者として国の役に立つべきときです。我が民が育てた稲穂も、このままでは焼かれてしまうか、略奪されるかしてしまいます。」

 イオ姫の瞳は、まっすぐじゃ。

「我々は、人間である前に、国のため育てられたメウィティカの矢の一本に過ぎませぬ。もう己の心を優先することはやめ、国のために戦いましょう。」

 すると、イオ姫はワシの左手を取る。そして、神王側にあたる右頬にワシの左手を当て、小声で呟(つぶや)く。

「殿下、このままこの手で、あたしを叩くのじゃ。」

「えっ。」

「あとは、任せよ。殿下は自由になりんさい。」

 ワシにはイオ姫の思いなど、女心など分からぬ。じゃが、その力強い眼差(まなざ)しに、ワシはこの後を委(ゆだ)ねることとした。

 そして、左手を振り上げ、イオ姫の右頬を叩く。

「イオ姫っ。」

 神王が立ち上がる。すると、イオ姫は大げさなくらいに喚(わめ)く。

「い、痛い。なんじゃ、なんと無礼な男じゃ。嫁入りで籍を抜けたとはいえ、あたしは王族の姫の孫じゃぞ。痛い、許さぬ。」

 それに乗るように、アニ様の手のひらが、今度はワシの右頬を強く叩き言う。

「申し訳ありませぬ、イオ姫。こんな愚弟(ぐてい)、もはや縁を切りたいほどじゃ。いや、もう体ごと切り捨ててしまいたい。」

 イオ姫は、神王に向かって叫ぶ。

「神王陛下、こんな許嫁、私はお断りいたします。ご承知いただけないのであれば、翠雨の育てた米は、都には売りませぬ。」

 ワシは唖然としてしまう。いささか演技が過ぎる。頑なな神王が動くのだろうか。


 しかし神王は座り込み、頭(こうべ)を垂れ、長くため息を吐いて言う。

「もう、良い。疲れたわ。」

 そして、力無く言う。

「そんなに皆、この国に愛想が尽きておるか。乱やら逆賊やら、仕舞いにはこんな茶番まで。皆、そうやって居なくなれば良いのじゃ。」

 ワシには信じられぬ。あんなにも神の代わりを思わせた神王が、一人の老人として弱音を吐いておる。じゃが、ワシは言う。

「神王陛下、ワシは王位から抜けます。一人の人間になります。」

「良いわ。…所詮、愚かな娘と逆賊の息子。もうヌシに、王族の価値は無い。早よう、去れ。」

 ワシは頭を下げ、崇龍の間を去る。

 アニ様とイオ姫は、ワシを見なかった。


 そして、ワシは毒で倒れた武人を診る。症状からして、鉱物由来の毒だと察する。じゃが、この国には見られない鉱物のもので、こんなにも大勢を苦しめるほどの毒を用意するなど、簡単ではない。

 やはり、この毒はセイの力によるものじゃろう。ワシは静かにその推測を飲み込み、武人に声をかける。

「安心せえ。今は苦しいが、きちんと薬が存在する毒じゃ。皆、必ず助かるぞ。」

 すると、苦しむ武人の一人がこう呟いた。

「殿下…。ありがたい…。いつぞやの、サクノ姫を思い出します…。」

「そうか、ありがとうのう。」

 ワシはその武人の手を、強く握った。


 宮殿を出て、桜の離宮を目指すことにした。カイとマキから、ユイミヤとアルタビルのことを聞き、ユイミヤの無惨な最期に、おそらくワシは顔を歪めたじゃろう。

 そして、話は先ほどの茶番に移る。ワシは言う。

「しかし、イオ姫もアニ様も大根役者じゃったのう。」

「でも、お二人ともカスガのことを思っていたね。」

 カイが微笑んで言う。そして、マキが続く。

「イオ姫はきっと、聡明な姫なのね。カスガの気持ちを察していた。それに、神王陛下相手にも恐れないなんて、とても強いわ。カスガ、惜しい方を手放したわね。」

「そうじゃのう。じゃじゃ馬などと言うて、悪かった。ワシにはもったいない、芯の強い姫君じゃ。」

「でも、神王陛下がああして折れるのは、少し意外だったわ。」

 マキはそう言うが、ワシはなんとなく分かる。

「…いや、神王陛下はもう、疲れたんじゃろう。紅蝉(こうせん)の乱じゃって、信じた者の裏切りによって起きた。スバル殿下たちまで、自分から去った。ワシじゃったら、何を信じて良いか分からぬ。もう、ワシどころで無かったんじゃろう。」

「寂しいかい?」

 カイが問う。じゃが、ワシは首を横に振る。

「いや、これからは自分の力で生きてゆくんじゃ。かえって、腹が決まったよ。」

 今はこの言葉が、ワシの誠意じゃ。何も無い詰まらぬワシじゃったが、必ずセイを捕まえてみせる。今はその覚悟と、新たな友人がおる。

 ワシの本当の人生は、ここからじゃ。

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