メウィティカ、檻を破る力《カスガ》
《カスガ》
【十五歳】
ワシはずっと、生かされていた。
たまたま王家に産まれた、平凡な人間。それなのに、精霊戦争後の世界で衣食住に困ることなく、教育も充分に受けてきた。ただ、産まれたのが一国の姫君の元だっただけじゃ。才能も無く、揺るぎない意志があるわけでもない。
医師の道と武人の道を選んだそれぞれの兄と比べて、自分は詰まらない人間としか思えん。
そんなワシでも、命を奪われるような価値を見出されたもので、困ったものじゃ。ほんの五位の継承権など、喜んで渡してやるのに。
暗殺なんぞのせいで、旅に出ることになってしまった。朝焼けとともに、サギとミツヤ、二人の護衛とともに船に乗ったときを、ワシは鮮明に覚えておる。これは自由への旅立ちか、未知への旅立ちか。どちらにしろ、檻に入った世間知らずの鳥には恐れの多い旅じゃった。
旅に出て少し経ち、ある日の夕食でサギが呟いた。
「王子殿下も、お一人の人間のようですね。」
人間。そんなことを言われたのは、初めてじゃった。生真面目なミツヤが、年下のサギをすぐに叱りつける。じゃが、ワシは踏み込んでみる。
「なぜ、そう感じたのじゃ?」
すると、サギはためらいながら答える。
「ええ…、油断すると、ご自身をワシと言うたり、美味なものを食すと笑顔が綻んだり、まるで年頃の若者のようです。」
ミツヤはさらに厳しい視線で、サギを諌める。
じゃが、確かに自分らしさとは、そういう素直な感性に現れるのかもしれん。
【過去】
「カスガ、自分のことは余と呼ぶんじゃ。」
桜の離宮を離れると、母上は必ずそれを耳元でささやいた。なぜか問うても、そういうものじゃ、と返される。
じゃがワシは、そういうものとは、どういうものか、幼いころからしっくりと来なかった。
シンノウヘイカという人に会いに行く道中、人々はワシらを見ては地面に額をつける。その様子について母上に問う。じゃが母上は、こういうものじゃとしか言わない。人々のワシを見る目に、何か暗く、しかし鋭く光る火を、子ども心に感じていた。もう一つ、人々とワシが纏う衣類には、何か差があるのを感じていた。
後にそれを、ワシは格差じゃと知る。
シンノウヘイカに会うと、母上は先ほどの人々のように額を床につける。そして、同じ仕草をワシに強要する。シンノウヘイカの使う言葉は、子どもには難しく、意味が分からんかった。ただ、母上が泣きそうな目で震えながら、額を床につけているのを見るだけじゃった。
離宮に戻ると、母上は泣くか怒るかどちらかの母上になった。ワシは知っておる。本当の母上はよく笑い、優しく温かい。じゃが、シンノウヘイカに会ったり、何か自分の内側にあるものが壊れたりしたとき、母上はひっくり返ってしまう。
「カスガ、神王陛下の前でワシと言うでない。嫌そうな顔をするでない。王族たる者、表情をあらわにするでない。」
母上の悲鳴のような声は、離宮全体に響いた。アニ様二人は、部屋の隅で空っぽの顔をしていた。
【十六歳】
ワシは今、全身の何かが燃えるように走っておる。
セイじゃ。セイが人を不幸にするのを、ワシは止めたい。
セイは友人じゃ。それ以上に、兄弟同然に育った仲じゃ。今のワシには、これ以上にヤツを説明する言葉は見つからん。ヤツはワシにとって、格別の存在じゃ。
王子などと祭り上げられて世界から切り離されて生きたワシに、友人などおらんかった。
思えばワシは、カスガという名前こそあれど、その一つの人間でいられたことなどなかった。母上やアニ様の前でも、それぞれが求めてくる自分でいなくてはいけなかった。
そんなワシを、誠の心でカスガと呼んだのは、セイとシュリじゃ。ヤツらの声で、ヤツらとの対話で、ワシはカスガという一人の人間になることができた。
そして今、旅でできた新たな四人の友人が、ワシを走らせてくれておる。四人が黒い魔道士相手に踏ん張って、信じてくれたからワシは走っておる。
「止まれっ。」
「どこの者じゃ。」
セイへと向かって走るワシを、四人の武人が止める。四人は槍や刀をワシに向けておる。
「神王陛下の孫、継承権五位カスガじゃ。道を譲ってくれ。」
そう言って、ワシは懐から護符を出す。緑の布に、龍と松が刺繍された王族の印。それを目にした武人たちは、にわかに顔色を変える。
「恐れながらカスガ殿下、スバル殿下の方へついていないという証拠をお示しください。」
武人の予想外の言葉に、ワシはためらう。そんなもの、示しようがない。しかし、ワシは抗う。
「スバル殿下は希望教に与した。余は希望教の考えに反対しておる。それでは不足か。」
武人たちは顔を見合わせて、しばらく何かを相談している。そこでワシは、地面に膝をついた。
「頼む。通してくれ。時間を争っておる。この通りじゃ。」
「で、殿下。」
武人たちの慌てる声が聞こえる。しかし、冷静な一人の武人が言う。
「…カスガ殿下。失礼ながら、あなた様の父君は逆賊の者。簡単にここを通すわけにはいきませぬ。」
やはり、そうか。生まれながらに定められたものに、ワシは抗えぬのか。ワシの周りを、鉄で出来た檻が囲むような感覚に陥る。
「私は、カスガ殿下を信じとうございます。」
一人の武人が言う。
「…殿下は、私の友人であるミツヤの妻を、誠実に励ましてくださいました。私は、カスガ殿下の真心を信じたいのです。」
ミツヤ。厳しくも博識で、頼もしい護衛。任務に徹する姿を思い出すと、未だに目頭が熱くなる。
武人たちは、黙って道を開けた。
「…すまぬ。恩に着る。」
「もう一つ、恐れながら申し上げます。」
年長者らしき武人が言う。
「私ども目下の者に、すまぬや、恩に着るなどおっしゃらないでください。あなた様はメウェスティア神の子孫でございます。」
「…肝に銘じる。」
そうして、ワシは再び走り出した。
碁盤上に整備された都の、いくつかの角を曲がり、宮殿を囲む土壁が見えた。入り口を求めて走っているそのとき、見つけた。
「セイっ。」
セイはハシゴを使って、宮殿を囲む土壁を登っているところだった。ワシは急ぎ走り、ハシゴを外そうとする。しかし、あと一つのところでセイは壁を乗り越えようとする。ワシにはセイの服を引っ張り、共に宮殿の中庭に落ちることしか出来なかった。
幸い地面は柔らかく、衝撃は大したことなかった。ただ、せっかく咲いた秋の花や草が潰れてしまう。
「カスガ、何をしに来たんじゃ。」
「セイこそ、宮殿に何用じゃ。」
ワシはセイの服を離さずに問う。すると、セイが言う。
「ワシは、神王陛下を殺す。」
その青い瞳は、雲のない晴天を思わせるまっすぐさじゃった。ワシは問う。
「では、誠に希望教の者に?」
「ああ、希望教の力でこの国を変え、多民族や形代兵の人権を尊重する国にする。」
「尊重?ただ新たな支配者に変わるだけじゃなかろうか。」
「じゃが、スバル殿下はワシら形代の力を活用してくださる。」
セイのその言葉を聞いたワシは、必死に食らいつく。
「活用?利用でのうてか。」
その言葉の瞬間、セイがワシの襟に手を伸ばす。咄嗟にその手を握り、組み敷かれることのないよう足を踏ん張る。
セイは力を込めて、張り詰めた声のまま話す。
「この国の腐った王家を変えねば、民族も形代も弾圧されるのみじゃ。」
「革命とやらか。じゃが、そのためにどれだけの血を流すつもりじゃ?」
すると、セイの青い瞳が揺らぎ、言う。
「生きる権利を得るために、犠牲は伴うものじゃ。」
「許されぬ。犠牲となるのは、多くの民じゃぞ。別の手段で変えることだって…。」
ワシがそれを言った瞬間、セイの鋭い蹴りが腹に入る。背中を地面に打ち付けられ、美しく咲いたシュウメイギクが散ってしまう。
すると、セイが刀を抜いた。
「なぜじゃ。ワシらの間に武器などいらん。ワシはセイに話しに来ただけじゃ。ヌシの考えを聞きたい。」
「そんな時間はいらぬ。ワシがどう返そうと、ヌシは正論を返すだけじゃ。じゃが、正論でワシらは生きてはいけぬのじゃ。」
その目には、一切曇りが無かった。さらに、セイは言う。
「…ワシら形代の苦しみなど、ヌシには分からん。」
ワシは、己の無力さと無知さに打ちひしがれる。そして、小刀を抜く。
じゃがその瞬間、ワシにはあいつの顔が頭に浮かんでおった。ソラ。形代の浮浪児で、ワシとはおそらく真逆の人生を歩んできた少年。
セイの青い瞳と、ソラの青い瞳は、傷ついて生きてきた者の影がある。
【過去】
「本日よりセイ殿下は、鶴駕の道場にお住まいを移します。」
母上の葬儀から数週間、ウヅキに突然告げられた。母上の死後、ワシはある意味、自身を縛る縄を一つ無くした気分じゃった。代わりに、気持ちの置き場を無くしていた。ワシは、セイと遊んだり、武人の真似事をして取っ組み合いをしたりして、気持ちを紛らわせていた。
明日から、ワシは誰と遊べば良いのじゃろう。カザトのアニ様は、武人の稽古に没頭して相手などしてくれん。
じゃが、このときにはどこか、自分の人生は自分のもので無い気がして、大人が決めることに何も疑問を抱かないようになっていた。
ワシは桜の離宮で、セイを見送ることにした。去り際に、セイは言う。
「ワシは、サクノ様の元で過ごせて良かった。サクノ様は今も、優しい母上様代わりじゃ。カスガ、これからも一緒に遊ぼうぞ。」
この言葉を、なぜか今でもワシは覚えておる。
それからセイは、鶴駕の道場でかなりシゴかれて稽古を受けたと聞く。
ワシのほうは変わらず、生活に困ることもなく、大人の言うがままに王族としての教育を受けた。礼儀作法や座学、特に厳しかったのは武術の稽古じゃった。じゃがワシは、一つだけ、自ら望んで学んだことがあった。それは、医療と薬学。
理由は分からぬ。ただ、母上が残した多くの帳面。その帳面は、始めのほうは、客観的な根拠と複数人の薬師の意見によって導かれた薬の効果と副作用が、細かな字で書かれておった。じゃが、ワシが産まれたあたりからは、たった一人で主観的な根拠による効果しか書かれていなかった。しかも、日によって字も整っていたり、乱れていたり、やはり母上は普通でなかった。
医療や薬学を学べば、母上のことが分かるかもしれない。最初に薬学に手を出した理由は、ほんのそのくらいのものじゃったと思う。カザトのアニ様からは、時間の無駄じゃと言われたが。
セイとは、二年ほどしてようやく再会できた。
「ワシに許嫁が出来たんじゃ。紹介したる。」
突然、桜の離宮を訪れたセイがそう言って、ワシはサギとミツヤを連れて、川を下った。二年ぶりのセイは、一緒に暮らしておった頃よりも、言動が荒っぽくなった気がした。
都からだいぶ離れて、ワシは見たことないくらい豊かな自然に足を踏み入れる。二人の護衛は、草や虫でワシが怪我をしないか、かなり神経質じゃった。セイのほうはお構いなしにズンズン歩く。
そして、シュリと出会った。
「はあ、セイのいとこじゃのに、あまり似とらんね。」
二人の護衛はシュリの口の利き方を注意したが、ワシはそれを止めた。
「ワシとセイ、どう違うかのう?」
「うーん、なんとなくじゃが、セイは見た目が可愛らしいのに、中身がチクチクしておる。カスガはパッと見、男の子らしい見た目じゃが、中身はフニャっとしてそうじゃねえ。」
「いくら姫と言えども、失礼じゃぞ。」
ミツヤが叱るが、シュリはおっとりと、すみませんねえ、と言うだけだった。
セイに、家族が出来た。ワシはなんだかそれが嬉しく、そして羨ましかった。
シュリといるときのセイは、自然じゃった。桜の離宮でともに暮らしておるとき、ワシらはどこか二人ぼっちじゃった。毎日、表情の変わる母上と、その母上から距離を取るアニ様。母上は、ワシとセイに依存していた。母上が布団にこもって泣いているとき、ワシとセイは二人で遊んでおった。
離れて暮らし、独りぼっちと独りぼっちになったと思っておったのに、セイには優しい姉のような家族が出来た。
このときシュリは十歳、ワシらは八歳。まだシュリのほうが、背が高かった。
この日以来、ワシとセイは都を抜け出しては蒼華の民へ遊びに行った。蒼華の者はみな、おっとりとした気性で、ワシらを王子だと知りながら、一人の子どもとして扱ってくれた。野菜の収穫を手伝えば褒めてくれたし、イタズラをしたら叱ってくれた。
シュリはいつまでも、ワシらを弟のように扱った。
「二人とも、そんな高い木に登れてすごいねえ。」
「もう、二人とも、そんなことで喧嘩しとったら大人になれんよ。」
最初のうちは、彼女のそんな言葉を素直に受け取っておったが、十三歳かそのくらいには、悔しく思うようになった。たぶんそれは、彼女が一人の女性に見えた頃じゃと思う。
そしてその十三歳の頃、一つの事件が起こった。カザトのアニ様が、野盗に襲われたのじゃ。アニ様はしぶとく抵抗し生き延びたが、護衛についていた二人の武人は命を落とした。
アニ様は泣いた後の顔をして、野盗が懐に入れていた手紙を、ワシとウヅキに見せてきた。
そこには、母上を殺した毒について書かれていた。蓄積された毒と、強い毒。それぞれの成分。
皮肉にもこれが、大人の言いなりになって育つワシの、枯れた心臓に血を流すきっかけとなってしまった。この手紙が意味する理由、ワシらに向けられた悪意。それらは判然としないが、漠然と生きるだけでは、生き延びて行けないと察した。
生まれただけで、狙われる立場にあること。強くならねば、学ばなければ、生きていけない。
さらなる皮肉じゃが、自分の命が危うい立場にあると知ることで、ワシは世界の彩りや翳り、少しの奥行きに気付けるようになった。
幼い頃から護衛についていたサギとミツヤ。同じ大人じゃが、同じじゃない。サギのほうが少し若く、眉が太い。ミツヤは色が白く、喉仏が大きい。
ワシは薬学の勉強に、さらに没頭した。薬学には手応えがあったからじゃ。知れば知るほど、目に見える世界の名前が分かる。雑草という植物など一つもなく、それぞれに役割もある。
草花の名前をなんでも言えるワシを、蒼華の子どもやシュリはすごい、と褒める。それは単純に、嬉しいことじゃった。
武術の稽古は、正直、気が進まんかった。人を傷つけるのは、性に合わん。じゃが身を守るために、嫌でも稽古に通った。
ある稽古で、ワシは鶴駕の道場へ行くことになった。セイの師匠が、刀の名手だからじゃ。セイがどんなところで生活や修行をしているのか、少し楽しみな気持ちもあった。
セイの師匠タイガ氏は、人格者じゃった。教え方は分かりやすく、ワシを王子だとたてながらも、技術的にも精神的にも未熟なところはきちんと指摘してくださった。この方の元で学べているセイが、またしても、うらやましくなった。
じゃが、ワシはセイの目が年々荒んでいくのが気がかりじゃった。その理由は、兄弟子たちにあった。
セイは、形代じゃからと不当な扱いを受けておった。タイガ氏の見ていないところで、セイは酷い暴力を受けて、必死に耐えていた。
「セイ、なぜタイガ氏に言わない。」
「言いたくないんじゃ。」
「だから、なぜじゃ。」
問うと、セイは暗い目で言う。
「形代じゃから虐げられて、それを言えば、実は王子じゃったからと救われるのか?ワシは一体、なんなんじゃ?」
その、答えも救いも、何も求めていない青い瞳に対し、ワシは何も言えんかった。セイは、さらに吐き捨てる。
「温室育ちのくせに、余計なことを言うでない。」
ワシは黙り込んだまま、何も言えんかった。
その一言が、頭にこびりついて消えない。




